日々是盲日3
日々是盲日3






「すみません。」


目の前の少年が深々と頭を垂れる。
襟足の髪が別れて、細いうなじが覗く。

この細い、細すぎるほどの首の上には日本人離れした薄い色の前髪を
蓄えた頭部があり、その中にはいかにも単純な構造を持っていそうな
薄灰色の脳細胞が詰まっているのだ。

少年は上体を起こし、しかしまだ顔は俯かせたまま


「本当に。」


と続けた。

オレに言わせればそれは謝って貰うような種類のことではないのだが
少年の項垂れた様をもう少し見ていたくて、無言で煙を吐き出す。





伏せられた睫毛が意外と長い。
横髪の辺りから覗いた耳の産毛が光り、その幼さを際だたせる。
いつもは丸い瞳を輝かせて、辺り憚らぬ大きな声で笑う。
子どもらしすぎるほどの、子ども。

しかし、オレはこの若者というにも若すぎるような少年の才能に
嫉妬したことさえあるのだ。

碁の神に愛されているのではないかと思うほど才長けた・・・。


『才長けて』 


突然頭の中に浮かんだフレーズ。
何か一組の文章の一部分だった、
なんだったか。


「緒方先生には、本当に・・・・。」


くどくどとした物言い、耳には入るが聞こえはしない。
才長けて・・・・・そうそう、見目麗しく 情けある、だ。

目の前の少年は確かに才長けている。情けがあるかどうかは知らないが
しかし『見目麗しく』という風情ではないな。

少年に見られないように顔を逸らして灰皿に煙草を押しつけながら
少し笑った。






断末魔のような最後の煙を目で追っていると、唐突にこの少年と同い年で
同じく才長けた黒髪の少年が思い浮かんだ。
ちっ。
こんな時に。

でも彼なら、才長けているのも見目麗しいのも間違いないだろう。
情けは・・・あると思ったら無かった、というところか。
しかし少なくとも目の前の少年よりは、かのフレーズに近い。


「・・・なんてって謝ったらいいのか。」


だから、謝る必要はないのだ。

もしオレに理性という物が無ければ、きっと今すぐこの少年の首を絞めて
そして荒々しく口をふさいでしまうだろう。
柔らかそうな頬を手挟んで、琥珀色の瞳を無理矢理覗き込んでしまうに
違いない。


伏せられたままの目や、少し顰められた眉が、オレにサディスティックな
妄想を抱かせる。


「オレ・・・。」


そう言えば『才長けて 見目麗し』いもう一人の少年と、この少年には
不思議な相似点がある。

姿も性格も正反対のようでいて、だからこそ際だつ。
それは一枚のカードの表と裏のように。
いや、白と黒の碁石のように、と言った方がこの場合相応しいか。





この会談の最初、オレは進藤の盃に酒を注いだのだったが、
それは口をつけられることなく彼の膝の前に置かれている。
煙草の火を消したオレが自分の盃を干したのを見て進藤が徳利に手を
伸ばした。
オレは手を縦に振ってそれを断り、自分の手で注ぐ。


「・・・・すみません。」


先程から何度目かのフレーズが繰り返された。






『才長けて 見目麗しく 情けある』

これだけではないな。あと一つ、足りないピースがある。
もっと言えば、それ自体がずっと長い文章の一部分だった事も思い出した。
別に思い出せなくとも構わないが、健忘症らしくなるのも不愉快なので
自分の頭の中の引き出しを、もう少し探ってみる事にする。


「申し訳ないと思うのも申し訳ないかもしれないけど。」


ちっ。
馬鹿そうに見えて、偶に嫌な所を突いて来やがる。
大人げもなく、遮るように久しぶりの言葉を発した。


「飲まないのか。」

「いや、未成年だし。」


理由はそれだけではないだろう。

進藤が飲まないとはっきりと意思表示した事により、また妄想が始まった。
酔って正体を無くした彼を組み敷く夢だ。
細い腕を後ろ手に押さえつけ、薄紅に染まった体を押し開く。


『われに過ぎたるのぞみをば 君ならではた誰か知る』


ああまた謎のフレーズだ。
お前にだけオレの望みが分かるというのか。
分かるものか。分かられたくもない。

一回り以上年の離れたガキと共犯者になんかなりたくない。

進藤はまだ目を伏せている。
しかしその瞼はせわしなく動いている。
きっと、条件反射のようにオレの盃を断った事の意味が、
今になって分かったのだ。


「・・・すみません・・・。」


正体のない苛立ちが募る。手の中の酒を投げつけてやりたい。
前髪からアルコールの滴ったお前は、火を点けてやりたくなるほど
扇情的だろう。

だが勿論そんなことはしない。
オレは大人だから。





『われに過ぎたるのぞみをば』

オレがどんな過ぎた望みを持ったというのだ。
オレの望みはただ一つ、塔矢行洋を倒して名実共に日本一の棋士になる事。
そしていずれは世界に。

それだけだ。

それ以外は、全てクソだ。
さして過ぎたる望みでもないだろう?
 

伏し顔のままの進藤が自分の襟元を触る。
でも誰もお前なんか望まない。
オレを誘惑するな、女じゃあるまいし・・・。






そうだ。

女だ、才長けての前に。

『妻を娶らば』

妻を娶らば才長けて 見目麗しく 情けある

そう、人を恋うる歌とかいう。誰の詞だったか。
思い出せたことに多少の喜びを覚えたが、その内容にはうんざりした。

皮肉な。

こんな下らない歌、どこで知ったか覚えていない所を見ると
どうせガキの頃親父が唱じていたものだろう。

才長けて、というのも何かの才能が秀でているという事ではなく、普通に
頭が良い、人間的に出来ている、といった意味合いだったような気がする。

そういう意味で才長けてもおらず、情け・・・優しさもない。
見目麗しいだけで、しかも男である塔矢アキラと、『妻』という言葉とは全く
脈絡がない

そう、全く。






「すみません。」


先程より少し強い口調の声に物思いから醒めて目を上げると、
進藤が真っ直ぐとオレの目を見ていた。
今日目を合わせるのは、もしかしたらこれが初めてではないか。

先程までの後ろめたそうな表情はなりを潜め、猛々しいまでに強い視線。
そう、これがコイツの本来の姿。
ついに化けの皮を脱いだか。


繰り返される謝罪の言葉は、
その実いちいちの自慰行為。
オレに対する優位を確認して悦に入っている。

だから、返事をしたくなかったのだ。





今は隠されることもなく雄弁に物語る瞳。


『油断した、あなたが悪い。』


猫の顔。





−了−



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送