梅雨やすみ 7 翌日目覚めると、塔矢は服をきっちり着込んでテーブルの前で かしこまって座っていた。 「……はよ−。早いな」 「……」 オレを睨むように見据える目に、目を擦る手が止まる。 体中の血の気が引く。 まさか。 「……進藤。今は何年の何月何日だ」 「えっと……」 「ボクはどうやら、また記憶喪失になっていたようだな」 記憶が、戻ったのか……。 オレは思わず、タオルケットを引き寄せて裸の体を隠した。 「覚えて、ない?」 「イベントでの解説を終えて、父の碁会所に向かった所までは覚えている」 「その後……、ダンプに轢かれそうになった自転車の子どもを助けて 跳ねられたんだ。えっと、確か六日前の話だ」 「そうか……もう六日も経っていたのか」 塔矢はいつもの厳めしい表情で頷き、またオレを睨んだ。 「で。ここはキミの家だよな?どうしてボクはここに居るんだ」 うわー!そんな、詰るように言われても! オレが一方的に悪いみたいじゃん。 いや、そうなのか? 「えと、あの、おまえが来たいって……その、記憶が十六歳くらいまで退行してて……」 「……なるほど」 塔矢は当時の事を思い出したのか、顎を上げて苦々しげに眉を顰める。 「で、キミは十六のボクに流されるままに関係を持った訳だな?」 「あ……どう、して、そんな、」 塔矢に咎められて、思わず言葉に詰まった。 どうしよう、何もしてないって嘘吐くか?それで通るか? 「まず第一に、裸でキミの隣に寝ていたから。 この年で男に裸を見せたり見せられたりするとは思わなかった」 「ああ……うん、ごめん。でも、」 「第二に!」 オレの弁解の言葉を遮って声を張った塔矢が、でもその後黙り込んだ。 「な、何?」 「……体に、感触が残ってる」 「それは……」 えっと、尻の穴が痛い……って事、だよな……。 「ごめん!」 オレはベッドから飛び出して、裸のまま土下座をした。 もう言い逃れする余地なんか無い。 「その、」 「言い訳は良い。体は大人でも、精神が十六歳の者と関係を持てば、 青少年保護育成条例の淫行条例に抵触する」 「ごめん。そこまで考えてなかった。あの、」 「とにかく!言うまでもないが、絶対に他言無用だ。 無かった事だ。良いな?」 「そ……」 ……いつ、何歳でキミ出会っても、碁が関係ない所で出会っても、 キミを好きになるだろう…… ……ボクは一生キミを愛さずにはいられない。 そう言った口が、翌朝にはこんな冷たい言葉を吐くなんて。 人って。 やっぱり、簡単に変わるものなのか……? 「なあ、塔矢」 「まだ何かあるのか」 「いや……オレ達、やり直せないか?」 「は……?」 塔矢は、蛆虫でも見るような目でオレを見た。 「意味が分からない」 「その、十六のおまえと話してて、やっぱりオレ、おまえが好きだって」 「やめてくれ。尼海さんとのご縁が、本決まりになりそうなんだ。 今は、噂レベルでも妙な話は困る」 そう……なんだ。 にべもない言葉に、微かに残っていた希望が打ち砕かれる。 「結婚、するんだ……」 「ああ。彼女のお祖父様は広告業界の大物だ。 囲碁界の今後の発展の、一翼を担えたらと思う」 「塔矢!」 オレは裸のまま、塔矢に抱きついていた。 抱きついてから、こんな怖い事がよく出来たな、って思う。 でも。 十六のおまえはそんなじゃなかった。 今のおまえなんかよりもずっと、「塔矢アキラ」だった! 「本当に、忘れちゃったのか?十六の頃の事」 「進藤!それは」 一瞬怒気が混じった塔矢の声に、初めて戸惑いが滲む。 「それは……。お互い割り切ったんじゃないのか。 あれは子どもから大人に移行する短い期間の、熱病だ」 塔矢とあの頃の事を振り返ったのは、これが初めてだ。 それでもやはり、認識が共通してたんだなって事に安堵もするけれど、 がっかりもする。 そうなんだけど。 それはそうなんだけど、オレもそう思ってたんだけど。 何とか体を近づけたいオレと、絶対に密着させまいと押し返してくる塔矢。 まるで格闘技みたいにしばらく揉み合っていたけれど、やがて二人とも疲れて 首に手を回した状態で、崩れた。 「……十六のおまえが、言ってくれたんだ。 一生愛するって。この気持ちは生涯変わらないって」 「キミはそんな、子どもの言う事を真に受けたのか」 「オレはおまえを信じてるよ。十六のおまえも、今のおまえも」 「……」 塔矢の手から力が抜けて、オレはここぞとばかりに抱きしめる。 昨日さんざん抱いたのに、やっぱり別人のような感触だった。 「進藤。大人になれ。 一時の感情に流されず、生涯後悔しない建設的な選択をするんだ」 「一時の感情じゃない!」 オレは、碁を始めた頃からずっとおまえを見つめている。 おまえが佐為じゃなく、オレを選んでくれたと言うのなら余計に、 この気持ちは、一生止められない。 「おまえは六歳のオレも、好きになったと言ってくれた。 六十歳のオレに出会っても、きっと好きになると言ってくれた」 「馬鹿馬鹿しい」 「オレも同じだ。六歳のおまえが好きだった。 十六のおまえに恋をした。 二十六のおまえも、今も愛してる」 「愛なんて」 塔矢は、オレの胸に手を置いてゆっくりと押し返しながら 苦く笑った。 「いい年ぶら下げて、口にするな。 とくに男相手には」 「……」 ……塔矢。 塔矢。 十六の塔矢、ごめん。 やっぱり、無理だったよ。 おまえの事を信じない訳じゃ無い。 十六のおまえが、全身全霊でオレを好いてくれたのは、本当だろう。 でも、それが一生続くってのは……おまえの思い過ごしだったみたいだ。 「……分かった」 「ああ」 「もうこんな事言わないし、付き纏わない」 「そう願う」 「その代わり、最後に一度、」 「もうしない」 最後まで聞かずに断られて、思わずたじろいだけれど、 勇気を振り絞って言葉を続けた。 「違う!させてくれってんじゃない。 最後に一度、抱いて欲しいんだ」 「……は?」 『一度抱いてみたかった』。 そう言ってくれた十六のおまえの思いを、成仏させてやりたいんだ。 「いつもさせてくれてありがと。痛くしてごめんな」 「あ……?ああ、」 「でも本当は、自分が抱いてみたいって思ってたんだろ?あの頃」 「……」 塔矢は長考している時の顔で、黙り込んでいた。 図星って事だよな? で、何も言わないってのは、迷ってるって事だよな? オレがパンツのファスナーを下ろして股間に顔を埋めると、 我に返ったように「やめろ」と言ったけれど。 「あっ……」 こうすると、一瞬止まるんだよな、昔から。 「塔矢、オレを抱いてくれ」 そう言って引き倒すと、塔矢はバツの悪そうな顔になって。 十六に戻ったようだった。 「頼む。一回で良い」 「無理だ……」 「無かった事にするし、誰にも言わないし、勿論おまえの縁談の邪魔もしない」 「……じゃなくて」 煮え切らない塔矢の目の前で、手探りでローションを取って 自分で尻の穴に入れる。 殆ど無表情でそれを眺めていた塔矢は、苦悩するように眉間を寄せて 一度目を閉じたと思うと、 「痛っ!……っいき、なりって!」 「ごめん」 「ああーーっ!あっ、」
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