梅雨やすみ 6
梅雨やすみ 6








……え?

頭の中が一瞬にして沸騰し、顔から血の気が引いていく。
塔矢の中に入ったオレが、みるみる萎えていく。


「待ってくれ!」


無意識に引こうとした腰に、塔矢の足が絡んで止められた。
やわやわとした物は、そうでもされなければ、塔矢の中に刺さっていられない。


「良いんだ。分かっていたけれど、それを言わないキミの優しさが
 凄く嬉しかった」

「……いつから、そんな事を……」

「最初に、病室で二人きりになった時」

「……」

「ボクが手を差し出したのに、キミはそれを握っただけだった。
 十六のキミなら、抱きしめて恐らくその場で押し倒しただろうから」

「いくらオレでも、病人にそんな事しないよ」

「したんだよ、十六のキミは」


そう言えば、そうかも。
あの頃のオレは、殆ど猿だったから……。


「それにそれ以外にも、部屋に可愛い布巾とかあったし」

「あれは!母さんが……他には、何も無かっただろ?」

「無かったね、何も」

「だろ?」

「あの部屋に、ボクの痕跡らしき物は全く無かった。
 今も付き合っているならボクはしょっちゅう呼び出されるだろうから、
 必ず何か無いとおかしいんだ。
 ボクの好む飲み物や、ボクが暇つぶしに読みそうな本や雑誌」

「……」


もう、誤魔化せない。
オレは。
十六の塔矢を傷つけまいとして、余計に傷つけてしまった……。

っていうか、子どもを騙して後腐れのないセックスに持ち込んだ、と思われても
仕方がないよな、この状況。

今すぐ離れて土下座したいくらいだけれど、塔矢の足がオレを離してくれなくて
オレ達はベッドの上で形ばかり繋がったままだった。


「誤解しないでくれ。ボクは怒ってない。
 ただ、どうしても知りたいんだ。何故ボク達が別れたのか」

「それはその、あれだ」


熱病が醒めて、自分たちがおかしい事をしてるって気がついたから。
っていうのを、恋の真っ最中に居る奴に説明するのは難しいよな。


「仕事が忙しくなったってのもあるし。
 それにやっぱり年頃になるとさ、落ち着いちゃうって言うか。
 女の子が良くなったんだ、二人とも」

「ボクもか?」

「ああ。見合いの話が来るようになって、おまえも満更じゃなさそうだった」

「キミは?」

「オレは……幼なじみみたいな子と、しばらく同棲してたけど、
 今は誰とも付き合ってない。その辺は大丈夫」


おまえは浮気相手なんかじゃない。
って言いたかったんだけど、よく考えたら墓穴掘ってるな、これ。


「……ボクは」


塔矢は、迷うようにオレの目を正面から見つめたまま黙っていたが、
やがて再び口を開いた。


「ボクが見合いをしたのは、ポーズだと思う」

「どうして」

「キミの負担になりたくないから」

「……」

「キミの目が女の子に向いているのに、ボクが追いすがったら重いだろう?
 そう考えて、ボクは諦めたんだと思う」


いや。いやいや!
とてもそんな風には見えませんでしたけど?
って、まあ、十六の塔矢に、二十歳ころの塔矢の気持ちが分かる筈もないけど。


「いや〜、お互い大人になったって事だと」

「まあ聞いてくれ」


塔矢は珍しく強引にオレの話を遮り、語り始めた。



……ボクは、というかボクの時間の中では、ボクが記憶喪失になったのは
つい最近だし、キミが記憶喪失になったのも、つい半年前の事だ。

そう。
キミも記憶を失ってたんだよ?
昔の事過ぎて忘れてた?

それでボクは毎日のようにキミに会いに行って……六歳のキミと、よく遊んだ。
公園でね、泥だらけになって。
本当によく遊んだんだ。

信じられないだろう?
でも、それもボクなんだよ。

でね、その時ボクは思ったんだ。
六歳のキミが、好きだと。

浮気をしているみたいで心苦しかったけれどね、本気で、六歳児に恋をしたんだ。

そして確信した。
ボクはいつ、何歳でキミ出会っても、碁が関係ない所で出会っても、
キミを好きになるだろうって。

六歳のボクが、六十歳のキミに出会っても、きっと恋に落ちる。
その逆も。

現に今も、この数日間でまたキミを好きになったしね。

六歳から二十六歳まで。
短期間に、様々なキミに出会えて、本当に嬉しい。
ボクほど幸せ者はこの世にいないだろうね……。



「ボクは一生キミを愛さずにはいられない。
 だから、二十六のボクも、きっとキミの事が好きな筈なんだ」

「……人は、変わるよ。おまえが思うよりずっと。
 おまえも大人になれば分かる」


現在、オレの目の前に居るおまえが大人になる事はない。
「大人になれば」なんて言葉、おまえを傷つけるに決まってるけれど、
もうそんな事に構っていられなかった。


「変わらない」

「何で言い切れるんだよ。十六年しか生きてないくせに」

「ボクは、十二でキミに出会った時から何も変わっていない。
 四年間、ずっとキミだけを見つめ続けて来たよ。
 『恋』なんて、狭い言葉で縛れない感情と共に」

「それは、」

「十二から十六、人生の初期の四年間変わらない物は、
 きっと一生変わらないだろ?」

「違う!」


そうじゃない。
あの頃のオレは。

おまえに好きだと言われて、有頂天になった。
あの塔矢アキラを自分の物に出来て、世界を手に入れたような気になってた。

でも、おまえが本当に見つめていたのは。


「それは、佐為だ!」

「sai?」

「佐為っていうのは、十二の頃からオレに憑いてた、平安時代の
 めちゃくちゃ碁が強い碁打ちの幽霊!」

「……」

「おまえが最初に打ったのは、佐為だ。
 中学の囲碁大会で優勝した時も、塔矢先生と打った時も!」


……そうだ。オレは。
目を逸らしてきた。

塔矢に愛されれば愛される程。
塔矢が本当に惹かれているのは、佐為なんじゃないかって。

佐為が居ないオレに、飽きて離れて行くんじゃないかって。

付き合いが長くなれば長くなるほど、怖くなって。
……その重圧に、耐えられなくなった。


「そうだったのか……」

「だから。おまえが恋しているのは、もう居ない碁打ちの幽霊なんだ」

「……」


塔矢はしばらく困ったような顔をしていたが、やがて溜め息を吐いた。


「違う」

「違わないって」

「言っただろう?碁と関係ない所で出会っても、きっと恋していたと。
 もしキミが碁打ちじゃなくても、好きになったよ」

「……塔矢」

「実際、六歳の……その、佐為さんに出会っていないキミも好きになったし、
 ここ数日でもキミに惚れ直したって言ったじゃないか」


初めて、聞いた。
塔矢が、こんな風に思ってくれてたなんて。
いや、塔矢にすれば、言う必要のない程当たり前の事だったんだろうけど。

オレにとっては……人生が変わる、言葉だ。


「分かるんだ」

「……」

「ボクはもうすぐ消える」

「……」

「二十六のボクが、戻って来る。だから」


塔矢は固い身体を折り曲げて、オレの首を引き寄せた。


「二十六のボクの、役に立ってから消えたいんだ。
 これはボクのエゴだ」


そう言ってオレの唇を舐めた後、深く口づける。


「もしかして、本人も自覚がないかも知れないけれど、
 二十六のボクは否定するかも知れないけれど、
 キミはボクの生涯で只一人の人だ。どうか信じてくれ」

「……」


おまえは。
自分が数日で消える存在である事を知り、
二十六の塔矢とオレの道が別々である事を考え。

自分の想いをオレに伝える事だけに、数日の命の全てを注いでくれたのか。

それがおまえが、この世に残す物なのか。

……嘘吐き。
何が「自堕落に生きてみたい」だ。

おまえはいつだって、どんな悪条件の時だって、全力で生きてる。

やっぱり、どうしようもなく「塔矢アキラ」じゃないか。


気付けば、オレの目から涙が零れて塔矢の胸にぱたぱたと落ちていた。
塔矢は、困ったような顔をして、ただオレの顔を、見つめていた。


「オレだって。オレだって、おまえが大事だ。誰よりも。
 恋人じゃなくなって別れても、オレの人生の中で最重要人物はおまえだって。
 それはずっと、思ってた」

「……そうか」

「別に、良かったんだ。恋人じゃなくても。
 おまえがただ、生きて、オレの目の届く所に居てくれれば、それで」

「進藤」

「だから……。あっ」


こんな時に……。
むくむくと、固くなる。
空気読めよオレ!


「いいよ。もう十分だ。……来いよ」


塔矢はちょっと笑った後、覚悟を決めたように目を閉じた。
その目尻から水の筋が流れて。
塔矢も泣いてたんだな、って、初めて気付いた。





コテージでやりまくったのに、東京のマンションに戻ったらまたしたくなって。
オレ達は、薬局でローションを買ってまで、やりつづけた。
まるで十代の頃に戻ったみたいだ。
猿から人間に進化したと思ってたのに、また猿に戻るとは。


「さすがに、もう、ちょっと……」

「そうだな。一休みするか」

「いやいや……もう寝ないか?」


オレ達は、思わず笑い合ってしまった。


「しかしキミも、よくこれだけやり続ける事が出来るね」

「おまえも、よく、やられ続ける事が出来るな」

「いや。」


塔矢は突然生真面目な表情になって、顔を近づけてくる。
至近距離でオレを見つめながら、


「キミを籠絡する為に受け入れたし、今もそうしているけれど、
 ボクは本当は痛い事は嫌なんだ」

「そ、そうなの?今も痛い?」

「だいぶマシになって来たけどね」

「そっかー。ごめん。勝手におまえもセックスが好きなんだって思ってた」

「いや、好きだよ?」

「え?」

「でもどちらかと言えば、刺したい方。一度キミを抱いてみたかったな」

「……え。マジ?」

「……」


塔矢はただニヤニヤしながらオレを見つめていた。
だからそれが冗談なのか本気なのか、結局分からなかった。




……それが、十六歳の塔矢との、最後の会話になるとは。






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