梅雨やすみ 2
梅雨やすみ 2








何と言って緒方先生と別れたのか、気がつけばオレは塔矢の病室の前に居た。
塔矢の記憶が失われているとしたら、この扉の向こう側に居るのは
「あの頃」の塔矢かも知れない。

勿論、別れを意識し始めた頃かも知れないし、多少のズレがあって、
付き合う前かも知れないけれど。

出来れば付き合う前であってくれ。
と願いながら、オレは扉をスライドさせた。


「こんばんは……」

「あら、進藤さん。ありがとう!」

「面会時間ぎりぎりに、すいません」

「大丈夫よ」

「外で緒方先生に会いました」

「ああ……ええ、よろしくね」


事情は聞きました。と、ちゃんと伝わったらしい。
お母さんは安心したような、少し困ったような笑顔を見せた。


「アキラさん。進藤ヒカルさんがみえたわよ」

「はい……」


中に入ると、塔矢はベッドの上で体を起こしていた。
肩下で切り揃えられた髪は、まるで梳かしたばかりのように
綺麗に肩に流れている。
頭の包帯が、痛々しい。


「よお。元気そうだな」

「……」


あまりの変わらなさに、思わず普通に声を掛けてしまったが、
塔矢の方は少し目を丸くしていた。


「あの……」

「あ、ごめんなさい……その、ボクが知っている進藤は
 まだ殆ど子どもだったから……」

「こ、こちらこそごめん!そうだった!」

「その、まだ記憶を失っているという自覚が薄くて……。
 緒方先生や母は、ちょっと老けたなって言う程度だったけど、
 キミは……何というか、本当に、大人になったね」


眩しそうにオレを見る塔矢も、見た目は当然十分大人なんだけど。
そうか……十五、六のガキが、二十六のオレを見たら
軽く他人行儀にもなるよな。


「言うねぇ。鏡は見た?」


こちらもガキ相手のつもりで冗談交じりに言うと、塔矢も苦笑して


「見た。父に似てました」


と言った。


「塔矢先生、前から凄かったけど、今はもっと凄いんだぜ?
 世界的には『タァグゥハンヤン』の方が通りが良いくらい、中国棋院を中心に
 活躍してる」

「ああ、らしいですね。突然引退すると聞いた時も、中国棋院から
 再デビューすると言い出した時も驚いたけど」


その辺の記憶はある訳か。
と言う事は……確かめたいけれど、お母さんの前で訊く訳にも行かない。

って考えながらちらりとお母さんを見ると、塔矢も同時に見ていたらしい。
お母さんは少し慌てたように立ち上がった。


「では、私は一旦帰るわね。看護師さんに少し大目に見て貰えるよう
 お願いしておくから、進藤さんはゆっくりしてらして」


そう言い残して、オレ達を二人きりにしてくれた。





「……お母さんに、悪い事したな」

「大丈夫だよ。一日居てくれたし、お母さんとは話し尽くした」

「そう?」


目を見つめながら一歩近付くと、塔矢は破顔して手を差し伸べてきた。


「進藤、会いたかった」


ああ……そうか。
こいつはまだ、あの恋愛の真っ只中に居るんだ……。
オレは軽い驚きの中、その手をどうするか少し迷った後、握りしめた。


「うん」

「不思議だな。大人になったキミに会えるなんて」

「ずっと会ってたぜ?」

「そうなんだろうけど。僕的にはタイムマシンで未来に来たみたいだ」

「ああ、そうだろうな」

「この記憶を持ったまま、自分の時代に帰れたら良いのにな」


少し切なそうに笑う、その笑顔に見覚えがある。
正にあの頃。

付き合ってすぐに、塔矢は今回と同じように記憶喪失になった。
十年の記憶を失い、六歳児になった塔矢も……オレは、愛したんだ。

よく考えたら、公園で遊んだり泣きそうになったり、一緒に駆けっこをした、
あの塔矢も……居なくなったんだよな。
記憶が戻った時は嬉しくて、そんな事全然気にしてなかったけど。


「あるいは、記憶が戻った後も現在のボクの記憶も残るとか」

「前回の例から言うと残らないみたいだけど……覚えてる?」

「ああ。記憶喪失になった後にすぐに、また記憶喪失と言われた気分だよ」

「そっか」


塔矢は年上のオレを話す事に慣れてきたらしい。
タメ口も自然になって来たし、リラックスした様子だ。


「現在の僕は、記憶が戻れば消える」

「……」

「それは仕方の無い事だけれど、何というか、向上心みたいな物が
 全く湧かなくてね……困った事だけれど」

「いや全然!分かるよ、その気持ち」


オレも塔矢の立場に立ってみれば、理解できる。
人間誰しもいつかは死ぬんだし、そう思えば全ての努力や苦労は
いつか水泡に帰す訳だけど。

功績や、名は残る。

けれど一週間やそこらで築ける物って中々ないし、その頃には消えると思うと
さすがの塔矢もやる気無くすだろうなぁ……。


「突然十年タイムスリップしてしまった事、自分がすぐに消える事。
 現実を認識した後、色々な事を考えたんだけれど」

「……」


なんか。
なんか、すげーなぁ、コイツ。

オレだったら、自分があと数日の命(ではないんだけど)と思ったら
こんなに冷静ではいられないよなぁ。


「折角だから、きっと元の人生では一生しないような事をしてみたいんだ」

「そう。例えば?」

「物凄く自堕落に生きる」

「……」


オレは一瞬止まった後、大笑いしてしまった。
すぐに面会時間外だって気がついて声を抑えたけれど。
だって、あまりにも塔矢らしくない。


「おまえって、おまえってそんな奴だったっけ?」

「違うよ。だからこそ、やってみたいんだ」

「そっかー。かーちゃん何て言うかな?」

「母には言わない。協力してくれるだろう?進藤」


……えっと。コイツって今、十六歳だよな?
何なんだこの威圧感。
笑ってるのに、何か目が怖くて逆らえない。

いや、そう言えば対局の時は、十二歳の頃からこんな感じだったよなぁ。


「いいよ、オレで良ければ何でも」

「キミは今どこに住んでる?」

「え……目黒」


そうか……今のオレの情報も知らないんだよな。
あの頃はお互い実家を行き来してたし。


「家出たんだ?」

「うん」

「ボクは?」

「え?」

「ボクはどこに住んでいる?」

「いや、実家だろ?」


自分の基本的な情報も知らないのかー!
いや、当たり前だよな、うん。
お母さんもまさかと思って言ってないのか。

だがオレは、次の言葉に顎が外れそうになってしまった。


「そうなんだ……キミと一緒に住んでるかと思った」

「!」


いやぁ……なぁ。
もう到底そういう関係じゃないし。

って今伝えるのは、酷だよなぁ。
あの頃は確かに、おまえだけじゃなくてオレも、二人は一生続くと思ってた。
お互い無しじゃ一日も生きていけない、と。

考えてみれば、あそこまで誰かに対して強い思いを持った事は、
あれ以来ないかもな。
もしかしたら、もう一生。

とか思うと、寂しい物もあるけれど。


「住んでないよ。勿論おまえがオレんちに来た事はあるけどね」


そんな事は、「この塔矢」には言わなくても良い。
長い事は居られないんだ。
夢を見させたままで、終わらせてやりたいよ。


「じゃあ、ボクも住まわせてくれないか?」

「え!」


ええっ!男二人が同居って!
ヤバくね?
いや、ヤバい関係なんだった、そう言えば。


「住んで、どうすんの?」

「だから、自堕落に過ごしたい。
 毎日、好きな時間に起きて、一日中ごろごろして……。
 好きな時間にご飯を食べて、打って……セックスして」

「ええっ!!」


オレが思わず聞き返すと、塔矢は顔を真っ赤にした。


「大声を出すな!」

「いや……おまえの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったから」


どっちかって言うと、いつも嫌がってたのに。
いつもどこか、オレが無理矢理抱いているような気がしてた。
でも本当は、コイツも好色だったのか……?


「だから。普段のボクならこんな事とても口に出来ないけれど。
 人間なんだから、それは気持ち良い事は好きだよ」

「そ、そうなんだ」


う〜ん……。
ぶっちゃけ、オレはゲイじゃない。
今は偶々フリーだけど、気になる女の子も居るし。

でもまあ、実際コイツとした事あるし、っていうかしまくってたし、
今更それは通らないよな。


「キミに仕事を休めとは言わない。いいだろう?進藤」


上目遣いで頼まれると……今更、おまえとはセックス出来ない、
オレ達は今、仕事以外では関わりがない、なんて言えない。


「勿論、いいぜ。いつ退院?」


オレは一瞬で腹を括り、身に付けた愛想笑いで聞き返した。






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