棋士・伊角慎一郎の日常 1








「シンさ〜ん、どっすか?」


バイクに凭れてポケットから取り出したピースを、唇に運ぶ前に
オレはポロっと落としてしまった。

久しぶりの集会で挨拶もそこそこに、得意げに高速で頭を掻き上げながら
近づいてきたアキラ。
それはいいんだが、その指に絡みつく黄色いほわほわはパンチパーマなのか
アフロなのか。


「・・・なんだそりゃ」

「シンさんまでヒドいっすよ〜。みんな笑うし。ミナもやめろっつーし」

「だろうな」

「にまんごせんえんも払ったのによー」

「・・・・・・」


どこのパーマ屋だそれは。まさか青山のカリスマ美容師とかのいる店に
行ったのだろうか。


「ふ〜ん、ならきまってんじゃねーの」

「っしょー!」


嬉しそうににかっと笑った口元の、見えている範囲にある歯は通常の半分位だ。
眉は殆どない。
「大黒天」「たこ焼き大好き」・・・黒に金文字で訳の分からないプリントの入った
Tシャツもあまりにも謎めいている。

トルエンで脳が溶けかけているせいだろうか・・・。
とにかくアキラは見るからに頭が悪そうな外見だった。
それでも何故か女によくモテているのは、きっと人柄が良いのだろう。
オレも、何かと纏わり付いて来るコイツは嫌いじゃなかった。

けれど・・・。


「アキラさ、」

「へ?なんすか?」

「もうちょっとこう・・・」


言いかけて、不意に同じ名前を持つ同業の男の顔が浮かぶ。
それは、あまりにも真反対な印象を持つ・・・。

黒い真っ直ぐな髪。
聡明さの滲み出る整った顔立ちに意志の強そうな口元。
偶には笑顔も見せるし、それはこっちの「アキラ」とは大違いの惚れ惚れするような
爽やかさを持っているが、それだけにやはりどこか油断がならないというか
可愛げがない気がする。

そのせいか、あんな「王子サマ」然とした立場・外見にも関わらず、
アキラと違って彼が女性にモテている所を見た事はない。


「なんっすか〜」


この目の前のアキラと足して2で割れば丁度良いだろうに。
いや、向こうの「アキラ」は冗談じゃないと言うだろうか。


「いや・・・オマエもさ、そろそろ色々考えた方がいいぜ。一人でもちゃんとやってけるようにさ」

「やだなー。そんなゆいごんみてーな淋しい事言わねーで下さいよ〜」


素で無礼だが、悪気がないと分かっているのでただ苦笑する。
それにある意味間違ってはいない。


「オレの走りも今日が見納めかも知れねえぜ」

「またまたぁ。引退式は先じゃないっすか。シンさんの特攻がないと
 スパイダーは進まないっすよ〜」

「・・・今日は特攻じゃないんだ。ケツ持ちなんだ」

「え!凄いじゃないっすか!」


オレは中学を卒業した辺りからこのいわゆる暴走族に属してきた。
最初のきっかけは棋院の帰りに絡まれた時。
下っ端にカツアゲされそうになったのを、今はOBであるタカハシ先輩が
助けてくれたのだ。
彼は当時とても大きく見えた族バイクに乗っていた。

丁度その頃、地味に溜めていたお年玉や小遣いが結構な金額になっていた。
オレはそれをはたいて免許を取り、中古の、しかし美しい50ccを買った。

それからはその先輩を訪ねてただ闇雲に走って。
別に集団で走る必要もないし、親や世間に不満があった訳でも反抗したかった訳でもない。
ただバイクとオレの出会い方がそうであったというだけだ。

オレが棋士を目指していると知っていたのは当時のごく一部の幹部だけ。
自分としては族に属している自分と院生である自分に齟齬は感じなかったが
彼等はやはりケジメはつけるべきだと言った。

だから、オレは二つの世界に属する自分を別人だと考える事にした。

昼間は前髪も下ろしているし、100%母親が買ってきた服だし
万が一族仲間とすれ違っても分からないと思う。
逆に集会の時は髪を上げてキめ、大概先輩から貰った特攻服を着ているので
棋院関係者に見られてもバレる心配はない。

そして単なる下っ端からやがて幹部になり、交差点で車を止める「信号止め」、
特攻も務めた。
お陰で余所のチームと喧嘩もしたし交通機動隊とバトったりもしたが
今の所上手くパクられずに済んでいる。

・・・しかし、今になって思うとどうしてそんなに易々と危ない橋を渡っていたのか、
どうして人生を舐めていられたのかよく分からない。
派手に暴れながら、もし今パクられたらプロ棋士になる夢はおじゃんだな、なんて
妙に冷静に考えてそれもまあいいかと思っている自分がいた。

けれど先月、オレはプロ棋士になった。

ふと、もうガキじゃない、やりたい事をやってればいいってもんじゃないと思った。
認めたくないがまあ有り体に言えばビビった。怖くなったのだ。
失うことが。

オレらの代の引退式は半年後。
それを済ませれば、族との関係は切ろうと思えば切ることが出来る。
けれどオレは待てなかった。

幹部に抜けたいと打ち明けた。
彼等は慌ててOBに相談した。
OBの先輩達はオレの事情を知っている。
仲も良かったし気持ちも分かってくれる。

けれどケジメは取らなければならない。

・・・だいぶ酷くヤキを入れられたけれど顔と手にはキズをつけないでくれたし
これで抜ける事を認めて今後手を出さないでいてくれるのなら安いものだ。

そしてオレは今日の集会を機に一足先に引退する。
最後に、OB達と一緒にケツ持ちをして。

そんな事情を一般の輩やアキラはまだ知らない。
幹部とは言え現役がケツ持ちをするのは珍しいから驚いているのだろう。
勘の良い奴なら察するだろうが、アキラはそこまで頭が回らない。


「なんでケツ持ちなんて話に?」

「ま。いーじゃねーか。今日もいっちょ暴れたろうや」

「押っ忍!」



「ケツ持ち」とは集団の最後尾を守る役目だ。
パトカーなどに付かれた場合、みんなより遅いスピードで蛇行して集団を逃がす。
勿論それだけパクられる可能性が高い、特攻と同じくらいリスキーな役割だが
ほぼOBが仕切っている。
しかし今回はオレが乗るカワサキKH250、それにター坊先輩のローレル。

パァアアアーー!

ブォン、ブォンブォンブォン・・・

タチバナのクラクションの音を合図に、オレは最後の暴走に向けて
アクセルを噴かした。



濡れたように真っ黒なアスファルト。
蛇行する赤やピンクのテールランプが夢のような残像を結ぶ。
靡く特攻服の裾と光る刺繍。
長い襷が幾本もひらひらと揺れ、まるで何かの祭のようだ。

いや、これはオレ達の祭なのだろう。
繰り返される、けれどいつかは遠ざかる祭。
それでも、オレがいなくなっても、続いていく無限の爆音。

遥か前方に翻る、きっとこの角度から見ることはもうない族旗を眺めながら、
オレは最後の夜を噛みしめていた。




どれくらい走っただろうか。
幹部会で決めた道順通りで、それは上手くパトカーの巡回ルートを
外している筈だったが、スケジュールが変わったのか誰かが通報したのか。
思ったより早く見つかってしまった。


『そこのバイク集団と車、止まりなさい』


しかしスピーカーから響いてくる制止の響きはどこか諦め気味だ。
それで止まる筈なんかない事は先刻承知なのだろう。
あまりやる気のない警官だ、これなら余裕で振り切れるに違いない。

わざとスピードを緩めて先輩の車の後ろにつけ、バイクの尻を振る。
その間に前の集団はスピードを上げ、後からオレ達は追いつける手はずなんだが、
・・・前のスピードは上がらなかった。
から、オレも早く走る訳にはいかなくて、もう少しでパトに捕まりそうだ。
ヤバい。
今日は誰が頭なんだろう。
どうも連絡が上手く行っていないようだが・・・。
前からスピードを落としてきたバイクがローレルの窓に向かって何か叫んでいる。


「何かあったんすか!」


先輩の車につけて聞くと


「アキラのバイクがトラブってるらしい!」


思わず「チッ」と舌打ちが漏れた。
最低限の整備はしておけといつも言っているのに・・・!
そう言えば前の方から僅かにだがキナ臭い排気の匂いが漂ってくる。

集団に何かトラブルがあったと察したのだろう。
パトカーが本気モードでスピードを上げてきた。

ここで普通に考えればアキラを切って、集団は逃げた方がいい。
アキラはアキラで一人なら路地にでも入り込んで逃げ切る事も可能だろう。

けれど長年の付き合いでオレは知っている。
コイツらは絶対それをしない。
結果はどうあれ、仲間を見捨てて逃げるというのは「裏切り」行為なのだ。
そうこうしている間に白バイでも呼ばれたらもうどうしようもないというのに。

中国で修行をして感情をコントロールするという事を知ったオレには既に、
こういう「情」でがんじがらめの非合理的な考え方は耐えられない。
それも抜けたいと思った理由の一つだが。

マフラーから白い煙を出したバイクが少しづつ後退して来る。
一瞬振り返り、オレを見た金色のアフロは泣きそうな、笑いそうな妙な表情をしていた。


「・・・先輩、オレ、ケツ持ちますから」

「ああ?」

「行って下さいよ、絶対みんなを逃がして下さいよ、犬死させないで下さいよ」


オレは最後に、とても暴走族らしく・・・一番自分らしくない事をした。
急ブレーキを掛けて。
追ってきたパトカーに正面からぶつかったのだ。




一瞬飛んだ意識。
けれどすぐに爆音が遠ざかる気配を感じて、とても安心する。
身体が痛い。
酷い怪我をしたかも知れない。
それ以前にきっとオレはパクられる。
プロ棋士資格も剥奪かな・・・。

妙に静かだ。
パトライトが近くで回っているらしく、赤い光がひっきりなしに瞼を射すというのに。
薄目を開けるとKH250はひっくり返って後輪がカラカラと空回りしていた。


「おい、」


ポリ公やめろや、そんなに乱暴に引っ張り上げるな。怪我人だぞこっちは。


「おい、生きてるか」


けれどオレがもたれ掛かっているのは白黒ツートンの交機ではなく
赤い・・・赤い、RX-7・・・?

タカハシ、先輩・・・?

これはタカハシ先輩の車だ。
もういかにも族車仕様な改造はやめてるけれど、きっと援護に来てくれたんだ。
さりげなく見守っていてくれたんだ・・・。


「・・・アキ、ラは・・・」

「・・・・・・」

「アキラは逃げられたっすか・・・」


男はオレの脇の下に手を入れ、ずるずると引きずった。
低い音を立てて開いたドアが自由への扉のような気がして、自らよろよろと転がりこむ。
安心する、煙草の匂い。
運転席のドアも開いて隣に体重が乗り、サスペンションが軋んだ。


「バイクは」

「自分のじゃないっす」

「誰のだ」

「タカハシ先輩が・・・」


・・・引退した時にスパイダーに寄付してくれたんじゃないですか。
プレート外して。車体ナンバー削って。


「何だ」

「・・・ナンバー削ってあります。多分足はつきません」


さらば。KH250。

相手はそれきり無言でギアを入れた。
オレは体中の血が冷える思いだった。




よりによってあんな時に真っ赤なRX-7が現れたら誰でも勘違いするんじゃないだろうか。
つまり、隣にいるのはタカハシ先輩ではなかったんだ。
だが別の意味でよく見知った人物・・・オレの知る二台の赤いRX-7の内もう一台に乗る男。

絶対に、オレの夜の顔を知られてはならない人物・・・緒方精次十段。

何故あんな所に、気付かれた?いや偶然?
あまりに突然の状況に、事故の後という事もあって軽いパニックに陥る。

いやでも冷静に考えてみれば大丈夫、大丈夫だ、この服にこの髪型。
色は薄いがサングラスもしている。
似ていると、思いはしてもまさか同一人物だとは思うまい。


「・・・あの、そちらこそ大丈夫なんですか」

「何が」

「ナンバーとか」

「ああ・・・見た所警官は二人とも脳震盪でも起こしていたようだ。
 でなければ即降りて来ているだろう」

「でも万一、」

「後で呼び出されたらおまえを病院に連れていくのが最優先だと思ったとでも言うさ」


言われて、肘や膝を持ち上げてみる。
どんな風に転んだのか全く覚えていないが、奇跡的にどこの骨も折れていないようだ。
助けてくれたのだ。
礼をいうべきだが、声を出すのが、顔を向けるのが怖い。
仕方なく顔を前に向けたまま、意識的に声を低くして


「助けて下さってありがとうございます」


と言った。


「ほう、ああいう輩にしては礼儀正しいな」

「・・・・・・」


大丈夫だ。バレていない。
後は出来るだけ早くこの人から逃げられれば良いのだが。


「どうする、一応病院に行くか」

「いや!あの、大丈夫です。頭も打ってないし多分骨も」


俯きながらサングラスに触れ・・・ようとして存在しない事に愕然とする。
そうか、あれだけ派手に転んでまだある筈ないよな。
スプレーで固めてあった前髪もばさりと額に落ちている。

緒方先生は、それきり無言で車を走らせ続けた。
どこへ行くのだろう。
けれど今の所黙って従うしかない。




車はやがて、瀟洒なマンションの地下駐車場に滑り込んだ。
この人の自宅なのだろうか。
・・・まずい。
このまま家に連れ込まれて、明るい場所で顔を見られるのは。

ばたん。

それでもそんな思惑に関係なくドアは開けられて「降りろ」と指示をされる。


「オレの家だ。簡単な手当ならしてやる」

「いやあの、ホントに大丈夫なんで・・・オレ、ここで失礼・・・」

「こっちはそういう訳には行かない。見ろ」


顎で車のフロントをしゃくるのに、恐る恐る降りて見てみると。
ボンネットと右フェンダーが見事にへこんでいる。


「これ・・・やっぱりオ、自分のバイクですか」

「というよりオマエ自身だな。驚いたぞ、対向車線からいきなり人が降ってきた時は」


なるほど、緒方先生の車をクッションにオレは助かった訳だ。
騒ぎに丁度スピードを緩めていたのだろうし、対向車線というのも運が良かった。

しかしマズい。
オレの身元がはっきりしていればこのまま帰してもくれるだろうが
身元をバラしたくないからこそオレは一刻も早くこの場を去りたいんであって。


「あの、後で必ずご連絡しますから」

「まあそう言うな。少し休んで行け」

「ってっ!」


腕を掴まれて、痛みに思わず悲鳴が漏れる。
乱暴された訳ではない、今の所肩を貸されないとまともに歩けない程
体中が痛んでいるのだ。
万事休す・・・。
オレは、彼が伊角慎一郎の顔をよく覚えていない可能性に賭けるしかなかった。



初めて入ったその部屋は、寒色系で統一されてどこか冷ややかな印象だった。
廊下を抜けたリビングにはソファ、隣にキッチンとテーブル。
家庭的なようではあるが、あまりにも整っていて今ひとつリアリティがない。
その上碁打ちの家だと感じさせるものが何一つない。


「そこに座っていろ」


ソファを指されて、汚さないように気を使いながら浅く腰掛ける。
だが背骨の痛みに耐えきれず、すぐに背もたれに体重を預けてしまった。

どうも緒方先生はオレの顔を見覚えていないらしい。
ラッキーだ。ホッと息を吐いた。
後は今、出来るだけ覚えられないようにすれば。

やがて緒方先生は絞りタオルとどこからか救急箱を持ってきた。


「服を脱げ」

「は・・・」

「・・・何だその晒は。ヤクザの真似か」

「まあ・・・その」


特攻服を脱ぐと、肘が大きく擦れていた。
緒方先生は受け取って、刺繍だらけの上着を胡散臭げに眺めた後
それでもわざわざハンガーを取り出して来て掛けてくれる。
オレだって奇妙だと思うしクリーニングに出すのはいつも恥ずかしい代物なのだが
緒方先生は意外と細かい気配りが出来る人なのかな、と思った。


「・・・酷く打ったな。特に左の肩」

「いや、こんなの小傷ですから」

「そんな事はない。後できっと腫れるぞ。そうだ、晒も取れ」

「でも」

「汚れているだろう。肋が折れているかも知れないし」


仕方なくくるくると外すと、緒方先生は息を飲んだ。


「・・・・・・これは、今日の傷ではないな?」

「はぁ・・・色々ありまして」


ヤキを入れられた時の痣や火傷がまだ残っている筈だ。
実は肋骨にもヒビが入っている。
それをフォローするために今日は晒を巻いた訳だが、それも多少は
身を守ってくれたかも知れない。
何が幸いするか分からないものだ。


緒方先生が、上半身裸のオレの背を温かいタオルでゆっくりと拭いていく。
考えると何とも異様な光景だ。
和谷あたりが見たらひっくり返るだろう。
まあそれ以前にオレのこの格好を見られる訳には行かないから無理な話だが。

そんな事を思っている間も、冷たい指は何かを確かめるようにオレの肩や
背骨の脇に触れていた。
二の腕を掴んで、動かしてみる。
傷をそっと撫でる。

・・・何だか怖くなってきた。
いや、元々この人にはどこかヤクザっぽいというか怖い雰囲気があるのだが
だから逆にこの優しさが怖い。
柔らかく肌に触れられるのが、どう説明していいのか分からないが恐ろしい。

やがて、全ての傷を点検し終えた緒方先生がタオルを寄越して
「前は自分で拭け」と言った時には妙に安心した。

しかし。
オレが腕を拭いていると、突然うなじを掴まれ、撫で上げられた。


「ひゃっ、な、なんですか!」

「いや・・・髪が黒いと思って」

「はあ」

「ああいう連中にはこんなに黒い髪は珍しいんじゃないか」

「そうでもないです。右翼気味な所もあるし」


言いながらも後ろ髪を弄ぶように指を絡ませられるのが気持ち悪い。


「あ、あの!」

「何だ」

「どうして自分を・・・助けてくれたんですか?」


取り敢えず別の話をしたくて聞いたのだが、思えば不思議な話だ。
彼にすればあの時警察に任せていた方が事は簡単だった筈。
警察と関わりたくない後ろめたい背景があるとか、用事があって
面倒に巻き込まれたくなかったと言う事情でもないようだし。

暴走族の、見ず知らずの若者を病院に連れていったり自宅に連れ込むのは
あまりにも危険だろう。

緒方先生はようやくオレの首から手を離して、少し考え込んでいた。


「そうだな。・・・『アキラ』のせいか」

「え?」

「オマエ、あの時『アキラ』と何回か言っていただろう」


ええ・・・と。
よく覚えでいないが、言ったとすれば状況からしてそれは族のアキラだろう。
しかしこの人が口にするのは「塔矢アキラ」の方に違いない。

そうだ、彼は塔矢門下だから。
いやでも、「アキラ」なんてありふれた名前だ。
普通、見ず知らずの人間の口から出てきた時に「塔矢アキラ」を思い浮かべるか?


「・・・アキラは後輩で、あの集団の中にいました」

「・・・・・・」

「金色のアフロで、前歯ほとんどなくて、でも愛嬌があって」


塔矢アキラとは別人ですよ、と、続けたいが言う訳にはいかない。
今のオレは囲碁界とは無縁の人間でなければならないから。


「・・・そうか。いや、そんな事だとは思っていたが」


緒方先生はソファに凭れて大きく息を吐く。
そして胸ポケットからラークを取り出した。


「やるか」

「あ、いえ、自分は」


立ち上がって、筋肉の軋みに一瞬顔を顰めてしまったが、やはり概ね怪我は
ないようだ。
だぼついたパンツのポケットからひしゃげた紙箱と女の裸を模した
百円ライターを取り出す。


「失礼します」


再びソファに凭れて中から折れかけた煙草を取り出し、口にくわえ
シュボ・・・
ジッポーの点火音を聞いてから自分も火を点ける。

同時に煙を吐き出し、男同士の何とも言えない連帯感を醸しだす空気が流れた。


「・・・ピースか」

「はい」

「桑原のジジイの影響か」

「・・・・・・」

「確か新初段の相手がジジイだっただろう」

「・・・・・・」


・・・この部屋に来てから結構な時間が経ち、油断してしまっていたのは事実だ。
しかしそれにしても不様な程、オレは固まってしまった。
灰が落ちそうになるまで動けず、慌てて灰皿の上に煙草を持っていく。


「どうした?」

「・・・気が付いて、たんですか」

「何だ、気付かれていないと思っていたのか?」

「・・・・・・煙草は、プロになる前から吸っていました」

「そうか」


万事休す・・・。
これが、死刑執行前の最後の煙草のような気がした。





−続く−






※色々ツッコミはあるでしょうがお手柔らかに。







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