くちなは 2








「・・・で。俺にどんな得があるわけ?」


前に出た私に動きを止めた天狗が、しばしの沈黙の後ふっと肩の力を抜くと
逆にこちらに問うて来た。


「え・・・。」

「おまえに稽古をつけてやってもいいし強くもしてやろう。
 しかしそれで、俺はどんな良い思いが出来る?」


あざ笑うように言う。
顔はそのままだが、面の下のくぐもった声は明らかに私を愚弄している。


「何でも望みのままに。」

「悪いがさっき言ってたような、玉の宝殿だの千町の所領だのは興味ねえぜ。
 俺は天狗だからな。」

「では。」


だから何でもと言っているではないか。
私にやれるものなら何でも。


「私の体でも好きにするがいい。」

「・・・・・・。」

「何なら命も魂もやる。但しこちらは平家を倒してからになるが。」


天狗はしばらくこちらを見ているようだったが、やがて俯いて「くっ、」と
笑い声らしきものを上げた。

破れかぶれ、とは違う。
勿論恐ろしくなかったとは言わない。
けれどその時の私には他に選択肢はないように思われた。




「・・・脱げ。」


ひとしきり笑った天狗は、唐突に命じた。


「ここで、か?」


人の来ぬ荒れた神社とは言え社は社。
自分の体については既に怖じる事は何もないが
神の御前で不浄の事をするわけには行かない。


「・・・所を移さないか。」

「寒いのなら社殿に入るがいい。」

「ふざけるな。」


そんな事が出来る訳がない。
そんな事を平然と言う所が、やはり人外だと思った。
だが天狗はまた、くす、と笑うと、


「まさか神だの仏だのを信じているのか?」


と畏れ多い事を言った。


「・・・・・・。」

「そんな根性だから、弱いのだ。」

「・・・・・・。」

「縋るな。本気で俺を越えたいのなら、ここで脱げ。」


拳を握りしめる。
唇を噛むとさっき切られた傷がまた開いたらしく、乾きかけた上に
また血が流れた。


「神をも殺めるつもりで、俺を追え。」


言葉に、震える。
聞くだに恐ろしいことを。
神よりも、この物の怪を信じろというのか。


・・・だが確かに。
私がしようとしている事は、何者をも怖れていては成せぬ事ではないか?
実際、神をもおそれぬ悪行を尽くしている平家が世を統べ、父は殺され
母も清盛に屠られたではないか。


  南無大慈大悲の明神・・・


ぐらりと、立っていた地面が揺れるような気がする。
生まれて初めて私は、神の慈悲に疑念を持った。

このまま私は、神仏に縋って生きていて良いのだろうか・・・?


社殿を見る。
月に照らされ、傾いた屋根に草の生えているのまで見える。
中は暗く、聖も邪もいかなる気配もない。


・・・・・・。


・・・私は大きく息を吐いた。

まだ抜き身だった太刀を鞘に収め、地面に置くと一息に袴の紐を解く。
しゅ、しゅ、と音をさせて帯も解き、単衣を肩から落とした。

地面に衣を広げ、その中に生まれたままの姿で横たわる。
尻や背中から冷えが染み込んで来た。
真上にある大きな月に凝っと見られているような気がして、きつく目を閉じる。


「いいか。何があっても目ぇ開けんじゃねーぞ。」


天狗がそう言って何かごそごそした後、私の頭の斜め横で「からん」と乾いた音がした。
木彫りの面が投げ出されたのだろう。

このまま目を開ければ、真上に相手の顔が見られる筈。
けれどそれは私に何の利益のある事でもなく、逆にその事によって天狗に見限られたり
場合によっては殺されるかも知れない。
そう思うと見ようとも思わなかった。


天狗は、恐ろしく不器用に私を抱いた。

とは言え予測されたような荒々しさはない。
他人の体の繋げ方など知らぬのでよく分からぬが、それでも人の範疇を出ないと思う。
清盛などよりも余程他人を思いやる事を知っている、おずおずとした手。

・・・これは。

肉置きなどから考えても、どうも清盛や弘幸坊に比べてかなり若い・・・?

だとすれば、其れはかなり不思議な事だ。
私と似たような年であの力量は異常だと思う。

もしややはり物の怪か。
種が違うのか、人間と年の取り方が違うのか。


「く、」


久しぶりに指よりももっと太い物で貫かれて、現実の痛みと記憶のそれに
一瞬体が硬くなった。

けれど、それだけではない、今まで感じた事のないような・・・。

天狗はじわじわと体を近づけてくる。
乱暴に突き動かさないのはありがたいし、私を壊すような異常な形状や巨きさでないのは
助かるのだが・・・

奥まで入り、顰めていた眉を広げる。
ほっと息を吐いたのも束の間、天狗が小刻みにそれを抜き差し始めた。


「あぁ・・・あ・・・、」


痛みだけではない、体の中心から痺れるような未知の感覚に
勝手に仔猫が甘えるような高い声が漏れて慌てて手で口を覆う。

弘幸坊に手で弄ばれている時も似たような事があったが、もっと激しくもっと強く。
体の奥底からむず痒さが湧き起こり、それを引っ掻き回されているような、
そんな痛みと快感の波。

初めゆるやかに訪れていたそれは、やがて私を呑み込まんとする程に大きくなって、


「う・・・ううっ!」


死ぬ、と思った。

体中に散らばって私を生かしていた命が、一斉に沸き立ち出口を求めて
駆け回っている。


「だめ・・・だ・・・・・・まだ・・・、」

「いけ、よ。」


仮面がないせいで鮮明に聞こえる天狗の声も、乱れている。
いつの間にか激しくなった動き、骨が軋み肉が悲鳴を上げているようだったが
最早彼も私も聞く耳を持たぬ。

そう、私の腰も全く意図せぬのに勝手に彼を深く受け入れるように蠢いていた。
上半身には力が入らず、がくがくと揺れる顎から口から、手を離さぬようにするのが
精一杯というのに。

がし、

鳥の足のように冷たくがさがさとした手が、その私の手首を掴み爪をくい込ませる。
口元から引き離させられると、下唇が熱くて柔らかいもので覆われた。
その湿り気とざらりとした感触から舌か、と察すると共に答えるように
ちろちろと動かして先程の傷口を舐める。

私の血を舐めている。
吸っている。
吸い取られる。

霞んだ頭に僅かに感じた恐怖は甘すぎる疼きに押し流され

そして、私は。




・・・しばらく気を失っていたのか、目を開けると月が動いていて
既に天狗の面を着けたその者が傍らに立っていた。


「動けるか。」

「・・・・・・。」


何とか腰は立つ。
私はのろのろと起き上がると衣を身につけ始めた。
天狗は何も言わずそれを凝っと見ている。

ようよう全ての用意が調い、覚束ぬ足取りで立って剣を抜いて構えた。


「・・・いざ。」


しかしその時まで待っていた天狗は構えず、


「無理すんな。明日の晩また来い。」


そう言うとざっ、と跳んで一瞬で森の中へ消えてしまった。




翌日から天狗は私に剣や武術を教えてくれるようになった。
怖れていた・・・そして少し期待していた「その事」は以後なく、ただ何度も
立ち合ってくれた。

何を言うでもない、でも操られるように自分の剣が伸び、動きが良くなっていくのが
我ながら分かる。
さすが天狗というべきか、天狗の面を着けたこの者に師匠がいるのなら
その方の教え方も余程上手いのだろうと唸らされた。


天狗と私の、夜の修行は続いた。




そして二つほど季節が移ろったある晩。


「ぃやっ!」


我ながら調子が良かった。
剣がいつもより長く感じられ、最初は目で追うのが精一杯だった天狗の動きが
やけにゆっくりに見えた。

剣先が跳ね上がる。
一寸余裕を持って避ける。

天狗は両手で掴んでいた柄を片手に持ち替え、反対の手で黒い扇をばっ、と広げる。
これに何度も眩惑されたが、もう掛かるものか。

視界を遮る扇の向こうで、刀を逆手に持ち替えているのだ。
ほら、私はもう迷わない。
無い刃など怖れず一歩大きく踏み出して、


取れる・・・!


殺すつもりはなかった。
しかし私はいつも真剣勝負だ。

するり、

天狗の腕をかいくぐり、振り向きざま力任せに振り下ろした刃は、


カッ!


初めて天狗の眉間に当たった。


「・・・っ!」


・・・我ながら、驚いてしまった。
一本取った・・・あの、恐ろしく強い天狗から。


ぴし・・・


額に、亀裂が走る。
木彫りの面だと分かっていても、天狗の本当の顔のような気になっていたので
少したじろいだ。


ぴし、ぴし・・・


割けていく面を、天狗は手で押さえるとざっ、ざっ、と後ろに跳びすさった。


「そなた、」

「来るな。」


絶対の拒否を見せて片手で横に構えられた刀。


「遮那王・・・おまえ、腕を上げたな。」

「・・・恐れ入る。」

「俺が相手をするのは、今日までだ。」

「え?」


突然の言葉に、思わず気の抜けた声が出る。


「そんな、まだまだだ私は、まだおぬしに全然敵わぬ。」

「後は一人でやるんだ。」


そう言うと天狗は私に背を向けて森の方へ跳んだ。


「待て!そんな、」

「さらば。」

「せめて、せめて名を・・・。おぬしの本当の名を!」


叫びは、届かなかった。


・・・そのまま房に戻るのは忍びなくて、懐から笛を出して奏した。
相当時間が経っても森からは何の気配も感じられない。
最後に吹いた別れの一曲が終わっても、天狗は戻ってこなかった。





それから私は独りで修行を積み、それなりに強くなったと思う。
あの天狗は何者だったのか、その後如何したのか気にはなったが
その消息を知る術などない。

唯一度、私を侵す事をやめた弘幸坊に「近頃触れて来ぬな」と訊くと
「天狗に脅された」と言った事があった。

何でも夜私の居る房に向かう途中、突然目の前に天狗が降り立って
僧が肉犯の罪を冒せば殺すと言ったという。

同じ天狗かどうかは分からない。
けれど私は、きっとあの天狗ではないかと思った。



その後私は京を出る事にした。
清盛が如何にして知ったか私が武芸に秀でた事を知り、連れ戻そうとしているという
話を聞いたからだ。

戻されれば行く末は知れている。
不穏因子として首を刎ねられるか、いや清盛の事であるから私の目を潰すか
腱を切るかして飼い殺すつもりやも知れぬ。
正妻に憚って手放した母の、身代わりにされるというのはありそうな事だ。
しかしそんな事になるのなら死んだ方がまだマシだと思う。


源氏の生き残りとして大っぴらに名を出す訳にも行かず、財もない私が
味方を捜すのは一通りではなかったが、折良く金商人の門脇某という者と
知り合うことが出来た。
鞍馬に参拝に来ていた門脇が、独りでいた私に目を留めたのだ。

話してみると彼は奥州の藤原秀衡公と繋がりがあるらしい。
秀衡公は私の事を知っていて常より

『鞍馬と申す山寺に左馬頭殿の君達おはしますなれば、太宰の大弐清盛の、
 日本六十六箇國を従へんと、常は宣ふなるに、源氏の君達を一人下し参らせ、
 磐井郡に京を建て、二人の子供両国の受領させて、秀衡生きたらん程は、
 大炊介になりて、源氏を君と傅き奉り、上見ぬ鷲の如くにてあらばや』

と申されておるという。

如何です、事の次第によりてはお連れ申し上げましょう、門脇は微笑んだ。
金商人はただでは動かぬ。
しかし私には財などない。

私は、生まれて初めて自分の容姿を利用した。

凝っと見つめてから目の端で笑うだけで、門脇は面白いように腑抜けた。
平家を倒す為に、何でも力になると私の衣の端に額を擦りつける。

私は鷹揚に、頷いた。



・・・・・・・・・・



そういう次第で私は旅支度を調えて寺を出奔し、今では四条に戻っている
弘幸坊の元に来ているものである。







−続く−






  • 戻る
  • SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送