復活の日【1】 12月ともなると、ここ南米でもさすがに氷点下の日が多くなる。 もっと北に行けば温かいのは分かっていたが、もうこの地で農業を営み 根付いてしまった大所帯が移動するのは大ごとだった。 それに、温かい所ではまだウィルスが強い影響を持っているのではないかという 危惧も捨てきれない。 すきま風の多い、素人造りの丸太小屋。 アキラが、ラマの毛を紡いで織った粗末な毛布にくるまってぶるりと肩を震わせると すぐ後ろで寝ていたイルファンが、覆い被さってきた。 「イルファン・・・。」 少し眉を顰めながらも、凍りかけていた耳を熱い舌で包まれて、心までが 溶かされていく。 この大きな小屋の中には大勢の大人と幼児が寝ていたが、誰も彼等の行為に 気付いていないようだった。 いや、気付いていようがいまいが、知らない振りをするのが最早ルールなのだ。 どこかで赤ん坊が泣いている。 耳を澄ませば、遠くからも押し殺した喘ぎ声のようなものが聞こえる。 遠の昔に、古き良き羞恥心などもう失ってしまったはずだったが、 それでもイルファンの太いものが押し入ってきた時、声を殺した。 ・・・進藤! イルファンも後ろから抱きしめながら、囁き声で 「あれから四年も経ったんだ・・・もう、忘れろよ。」 耳元で言ったが、アキラは頭を横に振った。 忘れられないのか、それとも快感に耐えきれないのか、分からない仕草だった。 五年前。 アキラ達は南極観測隊の隊員だった。 芦原を初めとした、○○大学の塔矢行洋教授の弟子である所の研究員以外にも 森下や冴木、何人もの専門家が集ったチームだ。 アキラは17歳ながら、チームの一員として参加していた。 教授の息子だからというだけではない。 既にアメリカの大学に進学し、専門である地震研究でかなりの成果を上げていた彼は ここ南極を次回論文のフィールドワークの地と定め、機関に頼み込んだのだ。 同じ年では、日本の○○大付属高校の特別クラスの中から希望者二名、 進藤ヒカルと藤崎あかり。 二人もこの年でもう、研究者としての未来を見定めている。 高校を中退しても参加したいと申し出たらしいが、そこは塔矢教授の計らいで ここでの研究成果次第で日本では珍しい飛び級が出来る事になっているらしい。 ティーンエイジャーが三名も混ざっているという編成は異例だったが 特にハードな労働がある訳でもない余裕を持った日程だったので 空気を明るくする彼等は歓迎された。 しかし、若い者同士の仲が必ずしも上手く行っている訳ではなかった。 ある夜、アキラが寝床に入った後、枕元の電気を点けてその日の記録を点検していると 下のベッドで寝ていたヒカルがどんっ、と蹴り上げた。 「電気消せよ!」 「キミは真下にいるんだから光は届かないじゃないか。」 「部屋全体が光って眩しくて寝られねーの。 大体、用事があるなら消灯前にやっとけってんだよ。」 「すまない、どうしても間に合わ・・・」 言いかけてアキラは唇を噛み、梯子をぎしぎしと降りて、ヒカルのベッドの横にしゃがみ込んだ。 「な、なんだよ。」 「前々から聞こうと思ってたんだが。」 「だから何。」 「どうしてボクに当たるんだ?ボクは何か、キミの気に触るような事をしたのか?」 「・・・・・・。」 「あるなら言ってくれ。無言でそういう理不尽な態度を取られるのは我慢がならない。」 ヒカルは布団の中からアキラを睨んだ。 「だから。そういう態度が気に入らねっての。いっつもボクは何も悪くありません、 ボクに落ち度はありません、みたいな。」 「だから、落ち度があったら言ってくれと言っているじゃないか。」 「わっかんねー奴だな!ミスがあろうがなかろうが、その態度自体がむかつくんだって。」 アキラも眉を顰める。 アキラには、ヒカルが何を言っているのか分からなかった。 ただ、思い当たることは一つあった。 「進藤・・・ボクはキミの、探求心も研究者としての姿勢も素晴らしいと認めるよ。」 「・・・・・・。」 「だが、中身は年相応、いやそれ以下のガキだ! そんな事だから、藤崎さんに振られるんだ!」 「なっ、何言ってんだよ!誰があかりに、ってか、何でオレが、」 「藤崎さんが好きなんだろう?けれど最近彼女とボクが親しいから嫉妬しているんだろう。 安心しろよ、彼女とは純粋に研究の話しかしていない。彼女を盗ろうとも思っていないしね。」 「んだとー!もっぺん言ってみろ!」 狭い場所で取っ組み合いを始めたヒカルとアキラは、すぐにやって来た他の 隊員に取り押さえられた。 「まったく・・・。塔矢先生の仰ったとおりだ。研究者としては優れていても 中身は子どもだ。」 芦原に笑われて、アキラも苦笑を返したが、ヒカルはむくれた顔のままだった。 とは言え、あかりが本当に自分を好きな訳ではないのはアキラも分かっていた。 この観測隊に、最初に志願したのはヒカルだと聞いている。 あかりはそれを追ってきたのだ。 二人はお似合いのカップルだ・・・。 幼い頃から同じものを見つめ、同じ目標を見定めて二人ともにそれを叶える能力がある。 もうある意味運命の相手と言え、二人が将来結婚して、人生の、そして研究の最高の パートナーとして仲睦まじく幸せな一生を送るのが、誰の目にも見える程だった。 しかし、それを思う度にアキラの胸は痛んだ。 どこかは分からないが、胸の奥が、しくしくと痛む。 もしかしてあかりに恋をしてしまったのかと思って、一時は本気であかりに 打ち明けようと思ったが、二人で話していてもドキドキはしなかった。 だから、きっと勉強に全てを費やして、恋の一つもせずに来た、 自分に対する憐れみだと思った。 アメリカに戻ったら、断り続けてきたダンスパーティーにでも行ってみようと、 そう思っていた。 矢先。 「どうだ、応答はあったか。」 「いえ・・・全く。」 「最後の通信からもう何日になる。」 「20日ですね。」 初夏の頃から、日本で悪性のイタリア風邪が流行しているという ニュースは入ってきていた。 最初は風邪の症状に似ているが、すぐに肺炎になってたちまち死んでしまうと。 恐ろしい病気が流行っている、と囁き合ってはいたが遠く離れた場所でもあるし ある意味他人事なので初めは誰もあまり気にしてはいなかった。 しかし、芦原の父が、森下の妻が、そのイタリア風邪で亡くなったという通信が 次々と入ってきて、様子は変わった。 隊員の家族の死を悼むと共に、いつ自分の家族に降りかかるかと、みんな 落ち着かなくなっていったのだ。 そうこうする内に、その風邪の猛威は六大陸全てに及び、世界主要都市の 死者は爆発的に膨れ上がり、10月に東京都内での死者が100万人を越えたという ニュースを最後に、無線通信は途絶えた。 「全くどうなってんだ!本国は!」 「もしかして、あの通信士も・・・。」 「縁起でもねえこと言うな!」 「だって、最後の時、少し声が掠れていたような気がします。」 「バカ言ってんじゃねぇ!!!」 状況が全く分からない中ストレスだけが積もり、隊員同士の諍いも増えていった。 隊長の森下は、『ご近所(南極に滞在している他国の観測隊)』と連絡を取る決心をした。 それぞれに本国との通信が途絶え、不安になっていた各国観測隊は 一番大きなアメリカ基地に代表者を集合させて会議を開くことになった。 「塔矢・・・行洋先生の息子さんか・・・。」 到着した森下とアキラに、近づいてきた赤い髪の若い男が、絶句した。 「初めまして・・・ですよね?」 「ああ。」 ふと、彼が目を合わせないのが気になり、その顔を覗き込むように話しかけた。 「父をご存知なのですか?」 「ソウル大学に客員教授にいらしていた時に、とてもお世話になった。」 「そうでしたか。」 「キミは・・・知らないようだが。」 「?」 「こんな事を、オレから言っていいのかどうかは分からないが、個人的な友人と通信していた時に」 「・・・・・・。」 「行洋先生が亡くなられたと、聞いた。その友人ももう今は連絡が途絶えているが。」 どこかでもう、覚悟を決めていたので、みっともなく狼狽えずに済んだと。 自分では思っていたが、後で森下に聞いたところによるとその時のアキラは 酷い顔色だったらしい。 会議の内容はもっと酷いものだった。 各国の情報を総合すると、世界の主要都市は殆ど壊滅しているという 結論に達せざるを得なかったのだ。 さすがに学究者ばかりだったのでパニックには至らなかったが やはりそれぞれに動揺を隠せなかった。 「そんな・・・、それはただの風邪ウィルスとは思えませんね。」 「私はロシアが細菌兵器を発明したという話を聞きましたよ!」 「何だって?」 「馬鹿な!ロシアの大統領もイタリア風邪で死んでいるんだぞ!」 「ではアメリカか?」 「そんな、アメリカだって大被害を被っているんだ!ワクチンのない細菌兵器などに 意味はないじゃないか!」 会議が浮き足だった時、通信員が会議室に入ってきた。 「ホワイトハウスから通信です。アメリカ大統領から、みなさんにメッセージがあるそうです。」 慌てて通信室に押し掛け、狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めになると、 スピーカーから聞き慣れた声が聞こえてきた。 『諸君・・・揃ったかね。』 「はい。揃いました。どうぞ。」 『・・・この度各国を・・・いや、地球を襲ったイタリア風邪は、諸君ならもう気付いているかも 知れないが、ただの風邪ではない・・・。どこかで開発された、細菌兵器が何らかの 事故で流出したと思われる・・・。』 「どこかって!言わないって事はやはりアメリカか!」 「シッ!」 『現在の所、ワクチンはない・・・。しかし、一つ分かっていることがある。 この菌は、摂氏0度以下では増殖できないし、活動を停止するのだ・・・・・・。』 「・・・・・・。」 『諸君は、南極から出てはならない。南極外からの者を受け容れてもいけない・・・ どうか、どうか人類の未来を・・・。』 「大統領!」 『諸君の幸運を・・・げほ、げほ、・・・祈る・・・。私に言えるのは、それだけだ・・・。』 「大統領!どうぞ!大統領?」 通信は途絶え、以降いくら呼びかけても応答はなかった。 そして、それが南極外からの最後の通信となった。 「備蓄燃料と食料を集めて計算したところ、あと二年分という事が分かりました。」 「あと二年・・・。」 再び召集された会議での報告に、溜息が漏れる。 「とにかく、節約と利便性を考えれば全員同じ基地に暮らした方が効率が良い。」 「そうだな。」 「それから、南極付近を航行していたイギリスの原子力潜水艦から通信があった。」 「それで?」 「上陸許可の要請があったので、許可しようと思う。」 「そんな、食料が、」 「いやそれ以前に彼等が保菌していないという保証はないでしょう! 誰か一人でも感染していたら人類は全滅ですよ。断固反対です。」 「彼等は今年の2月から航行しているんだ。」 「あ・・・。」 「そう。まだ菌が繁殖していない頃だ。そして一度も浮上せず現在に至り 勿論風邪の症状を訴えている者も居ない。」 「・・・・・・。」 そして、セリザー、オコネルら、イギリス艦隊も一隊に加わった。 ノアの箱船のような狭い基地内で、人類の生き残りを賭けた共同生活が始まった。 事件は、共同生活を始めて間もなく起こった。 あかりがフランス人に暴行されそうになったのだ。 すぐに会議が招集された。 「こんな事が繰り返されてはなりません!」 俯いたままのあかりを守るように、大声で主張するのはハルミ・イチカワ教授。 日系アメリカ人だ。 あかりの反対側には中国人女性、由梨が座っている。 「確かにそうです。落ち着いて下さい、イチカワ教授。」 最年長で議長に推された森下が、慌てて宥める。 「しかしながら・・・」 「まだ・・・!」 「聞いて下さい!こればかりは、男の生理は如何ともしがたいのです・・・。 特にこういった非常時、男の体は普段よりも種を保存したがる。」 「・・・問題ですわね。」 「今回分かったことは、今から人類にとって一番貴重な資源は『女性』だということね。」 男性は百名近く居るというのに、女性はこの三人だけなのだ。 あと白人女性もいたらしいが、家族がイタリア風邪にかかったと聞いたとき 国に戻ると書き残して雪の中に踏み出していき、帰ってこなかったという・・・。 「実際、子どもは生んでいただきたい。いやあなた方には生んでいただく義務がある。 人類の未来のために。」 「未来のために?娼婦のように誰とでも寝ろと?」 「そうは言っていません!」 「ミス・イチカワ・・・。残念ながら、今の私達に性の自由は望めないと思います。」 由梨が、静かに言った。 確かに種の保存を考えれば、相手を選んでもいられないし選べば血で血を洗う 事態になって、結局は人死にを出す事になる。 こればかりはどれ程話し合ってもどうしようもない結論であった。 偶々残ったのが黄色人種の女性ばかりだった事により、黄色人種の男性が 彼女らと番う機会は失われた。 確かに逆の立場で見れば、もう純血種を残すことが望めない白人、黒人の男性の方が 気の毒ではあるのだ。 女性は白人、黒人の35歳以下の男性の中から籤で選ばれた者と夜を共にしなければならない、 それが決定された時、あかりは泣いた。 しかし仕方のない事だった。 アキラは、その夜下のベッドにあかりが忍んできたのを知っていたが寝た振りをした。 泣きながら、ヒカルと小声で言い争っている。 こっそり抱いてくれと頼んでいたらしいが、もしいかにも純血黄色人種の子どもが生まれたら 黄色人種の男性はみんな殺される、そうでなくとも申し訳なさすぎると言って ヒカルは冷たくあかりを追い返していた。 あかりが帰った後、ベッドの下から嗚咽が聞こえてきた。 やはりアキラは、寝ている振りをした。 そして、ずっと胸の奥に支えていた棘が抜けている事に気付いた。 もう胸が、痛まない。 自分が長い間嫉妬していたのは、あかりに対してだと気づき・・・、 男を好きになってしまった事よりも、彼女とヒカルが寝る事はもうないのだと ホッとしている事にショックを受け、 今度は自己嫌悪で胸が苦しくなった。 しばらく平和な日々が続いたが、ハルミが懐妊した頃からまたぽつぽつと 不満が漏れ始めた。 籤で当たらなかった男達が、性欲のやり場に困っているのだ。 今度は女性抜きの会議が開かれた。 「実は私は、今回の事態は予想していました。」 「議長、」 「今回も、籤を引かねばなりません。」 森下が女性と夜を共にする機会を得る事が出来る者を35歳以下に区切ったのは 性欲の問題もあったが、反対側の事も考えていたのだ。 「大変、申し訳ないと思うし、男性としての尊厳を問われる役目だと思います。しかし、」 男性の性欲処理を請け負う男性を選ばなければ、ならない。 「どうして35歳以下で未婚の者なのですか!」 「国に妻も子もいる男に、そんな事が出来るとお思いですか?」 セリザーの言葉に応える事が出来る者はいなかった。 妻や子が、いたとしてももう居るはずがない。 万が一特殊な抗体を持っていて生き残っていたとしても、きっともう会う機会などない。 けれどもそれを言える者などいなかった。 言えば自分の胸に突き刺さる。 それに受け容れる側が年配では、お互いに困る事も予想された。 35歳以下の独身男性には子どもを作る機会もある代わりに、男にされなければならない 可能性もあるという訳だ。 もう、誰もそれを選ぶことは出来なかった。 −続く− |
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