三千世界の烏を殺し 2
翌日はスポンサー絡みのイベントと夕飯を兼ねた会食を終えて宿に戻った。
明日はまた午後から北京で仕事があるので、朝早くに日本を発つ。
バタバタした日程で、結局日本情緒と言えば昨日の晩メシだけだったな、と思いながら
ホテルから少し離れた所でタクシーを降りた。
夜の東京を少しでも歩いてみたかったのだ。
途中、レンタルビデオショップがあるのを見つけて、進藤くんの言っていた深キョンの映画でも
借りようかと思ったが、見られる環境かどうか覚えていなかったので見送った。
しかしそれを機に、昨夜の話を少し回想してみる。
姿も性格も正反対と言っていいのに、何故かそっくりな・・・、
だからボク達は離れられないし、離れないんですよ。
なるほどね・・・そういうものか。
元々ライバルというものは同じものを目指していて力が拮抗しているからこそ
ライバルである訳で、全く似ない方がおかしいとも言える。
まあその関係が彼等のように度を越すかどうかはさておき・・・。
部屋に戻ってシャワーを浴び、くつろいだ所で
鞄からコーヒー豆とフィルターを取り出す。
部屋に香りが立ちこめると、ここが中国の自分の部屋のような気分になれた。
・・・オレにだってライバルはいる。
江民光や陳林生には負けたくないし、そう、北斗杯で団長同士だった安太善や倉田だって
オレはライバルだと思っている。
けれど、どこか・・・。
プル、プル、プル・・・・
その時電話の柔らかい呼び出し音が鳴った。
カチャ。
「はい。」
『お寛ぎの所申し訳ございません楊様。オガタ様と仰るお客様がお会いしたいと仰って
フロントにお見えなのですが。』
「あー・・・と。悪いけど部屋まで来てくれませんかって伝えてくれる?」
『かしこまりました。』
オガタと言えば、間違いなく緒方氏だろう。
一体なんだろう・・・。
昨夜何か忘れ物でもしたのか?
シャワーも浴びてしまったのに、また服を着てロビーまで降りたくない。
いや立場的にはそれくらいしてもいいだろうが・・・。
やはりどうも、あの仏頂面の言うなりになりたくないという気持ちがあった。
こんな時間にいきなり訪ねて来る方が悪いんだ、というのは自分に対する言い訳でもある。
やがて、ノックの音がした。
「いらっしゃい。」
ドアを開け、部屋まで呼びつけたことを謝ろうかと一瞬思ったがやめた。
「昨夜はごちそうさまでした。どうされました?」
「ああ・・・。」
断りもせずにすたすたと部屋に入り込み、テーブルの上の灰皿に灰を落とす。
廊下は禁煙だというのに吸いながら来たのか。
コーヒーの香りに紫煙が混ざり込んでいく。
「名刺。」
「は?」
「ほら、名刺に名前を書くとか言っていただろう。」
「ああ・・・。」
そう言えば、渡していなかった。
けれど「知っているからいい」と自分で言っていたくせに。
なんて気まぐれな、やはりこの人は苦手だと思いながら財布を取り出す。
テーブルの上に「緒方精次」と書かれた名刺の一枚を裏返して
中国棋院の住所・電話番号と自分の名前を書いた。
「・・・どうも。」
渡すとチラッと見て自分の名刺入れに戻し、そのままドアに向かう。
「え?」
「何だ。」
「帰られるんですか?」
「他に何か用が?」
用がって。
ホテルの部屋までわざわざ訪ねてきて、5分も経たずに帰るというのか。
「えー・・・っとですね、折角ですから一局お相手いただけませんか?」
「・・・・・・。」
「あ、いや、これは失礼!碁聖に気軽にお願いする事ではありませんね。」
「・・・・・・。」
黙ったまままた煙草を取り出して火を点ける。
少なくともそれを吸い終わるまではこの部屋にいるということか。
いや、廊下で平気で喫煙する人だからそうでもないかも知れない。
「そうだ、白酒は如何です?」
「白酒。」
「ええ、土産に持って来たんですが相手が下戸なのを思い出しまして。」
嘘だ。
明日東京駅まで見送りに来るという倉田に渡すつもりだったのだが、
下戸なのは最初から知っている。
嫌がらせ半分冗談半分の置き逃げ土産だ。
勿論なくても問題ない。
というか奴ならその辺で買った饅頭の方が喜ぶだろう。
「下戸なんて言葉、よく知っているな。」
それでも何故オレは、こんなに必死にこの男を引き留めようとしているんだ?
疲れている筈なのに。
苦手な男の筈なのに。
ふーーっ・・・と、緒方氏が大きく息を吐いてシャツのボタンを二つまで外した。
顔が紅い。
眼鏡を外してカラン、とテーブルに置いたが置き損ねて床に落ちる。
気付かなかった訳でもないだろうが、拾いもせずに肘掛けにもたれ掛かって
目頭を指で揉んだ。
部屋に備え付けてあったグラスでストレート二杯半。
普段どんな酒を飲んでいるか知らないが、そこいらの日本酒に比べれば格段に
アルコール度数が高いんだから無理もない。
とは言え、一升飲んでも運転が出来るというのは冗談だったようだ。
「・・・旨い。」
「そうですか。それは良かった。」
「おまえは飲んでるか?」
「ええ、飲んでます。」
会ったばかりでおまえ呼ばわりかよ、と思ったがもうこういう人なのだから仕方がない。
オレなら酔っても絶対に・・・
と、また思いかけて自分で気付いた。
比較する事に意味など無い。
オレは他者と自分を比較しない。
そう決めていたつもりなのに、何故緒方氏に関してはこんなに拘ってしまうんだ。
昨日からずっと彼と自分の違いを一生懸命探して並べたてて・・・
「碁盤はあるか。」
「・・・ええ。棋院がホテルに回してくれて。」
「出せ。」
「?」
「一局打つんだろう。」
「今からですか?」
魅力的な申し出ではあるが、お互いもう大概酒が入っていてまともな対局になるかどうか。
勿体ない・・・。
けれど、碁聖との一局を棒に振る方がより勿体ないと判断して大人しく盤を持ってくる。
ついでに落ちた眼鏡を拾ってテーブルの上に置いたが、緒方氏は無反応だった。
オレももう気にせず碁笥を上に並べる。
緒方氏は蓋を開けて白を自分の方に引き寄せた。
「黒を頂いていいんですか?」
「当たり前だ。・・・がしかし、オレが勝ったら・・・。」
「?」
「一つ質問に答えろ。」
うーん・・・いよいよ本格的に酔っているらしい。
「ではオレが勝ったら、一つ言うことを聞いて下さい。」
オレも。
・・・その時。
股間にズキン、と少し痛みに似た疼きが走った。
馴染みある、急激に大量の血液が流れ込んだ感覚。
何故だ何故だ一体どうしたんだ・・・。
あまりにもそういうタイミングではなくて、軽く混乱する。
目の前にいるのは男だぞ。しかも年上の。外国のタイトルホルダー。
・・・一つ言うことを聞いて下さい・・・。
しかし簡単に原因は見つかった。
そうか・・・。
「頼みを聞いて下さい」と言ったなら、こんなに奇妙な興奮はなかった。
無意識に発した自分の言葉で、この高慢な男に「言うことを聞かせる」事を、
意のままに操る事を、・・・征服する事を想像してしまって、それが妙に
性的興奮に繋がってしまったらしい・・・。
パチッ。
3の四。
礼をするやいなや、動揺を打ち消すように急いで石を置く。
その音がやけに高くて我ながら不様だと思った。
パチリ。
「・・・そうだ。オレも緒方先生に伺いたい事があったんです。」
「勝ってから聞け。」
「はあ・・・。」
パチリ。
結局我ながらなかなか冷静に打てて、勝負は中盤。
多少の揺らぎはあったがまだ勝機は五分・・・多分自惚れじゃない。
向こうの方が酔っているから自慢出来た事でもないが。
緒方氏が、「負けました」と言いたくないが為にここまで強くなったような
そんな男が何故進藤くんは苦手そうな様子なのか、聞いてみたいと思ったのだ。
でもやはり勝っても聞かない。
だんだん予想が付いて来たから。
もっと早く気付いても良かった。
けれど、「まさか」という思いが無意識に思考回路を遮断していた。
北斗杯。
常識外れの双子ちゃん。
『オレ達ねぇ・・・楊海さんをヤりたいの。』
『高永夏は、縛ったのに凄く暴れてたよ』
今はどうか知らないが、あの頃二人は自分たちより大きな獲物を仕留めるのに凝っていた。
「おい・・・他の事を考えていて勝てると思っているのか・・・。」
眠そうな緒方氏。
昼間は鉄面皮の癖に、妙にガードが甘い所がある。
酒を飲んだら赤子の手を捻るように簡単に・・・。
「いえ。」
パチリ。
そして一旦沈静化していたのに、また熱くなる体。
持て余す。
想像するな、想像するな。
オレには関係ない事じゃないか。
今は盤上に集中しなければ。
・・・ありません。
という声を待ったが、緒方氏は動かなかった。
もう逆転される手はないと思うが、何か見落としているのだろうか。
それともまだ簡単な手順を間違える可能性があると見くびられているのか。
「緒方先生・・・?」
「・・・ああ?」
・・・寝てたのかよ。
対局時計があれば完全にオレの勝ちなんだが。
でもそれもどうでも良いかも。
良い内容の碁でもなかったし夜も更けてきた。
「だいぶ酔われましたね。もう帰られますか?」
「あ・・・車で・・・来たから・・・。」
ぼんやりと言ってソファに沈み込む。
おいおい、最初から帰るつもりがなくて酒を飲んだのか?
ズキン。
また・・・体の一部が疼く。
今度は自分に、おいおい、だから相手は男じゃないかとつっこむ。
でもオレだって、車かも知れないと思いながらも勧めたんだ。
けれどあまりにもあっさり飲んだから。
きっとタクシーか何かで来たんだと、勝手に思いこんでいた。
「どうです。」
「・・・何がだ。」
「まだ、道はありますか?」
・・・オレから逃れる術はありますか?
ありませんよね?
ご自分で丁寧に退路を断って来られたんだから。
「コーヒー、入れますけど飲みますか?」
「いや・・・いい・・・。」
緒方氏の煙草の煙は微かな音を立てている空気清浄機に吸い込まれて行くが、
まだもどかしかった。
煙を凌駕する、コーヒーの香りで部屋を満たしたかった。
カカオの香りを胸に吸い込むと、落ち着く。
やはりこれがオレの香りだ。
嫌煙家という程ではないが、嗅ぎ慣れない他人の香りはどうしても快いと思えない。
緒方氏を振り返ると、相変わらずソファに沈み込んだままうたた寝をしているようだ。
前に置かれた灰皿の煙草は既に全焼して一筋の煙も上がっていない。
『負けました』と聞いてはいないが。
勘弁してやろう、今日は。
さて、どうしてやろうか。
突然手の内に落ちてきたタイトルホルダー・・・。
ズキン。
疼く、のは「性欲」ではなく「征服欲」。
アンタの全てを、オレは今握っているんだ。
・・・・・・。
それは、突然だった。
その時、・・・理解した。
昨日今日、
自分の心の中に引っかかっていた全て。
急に子鬼達の気持ちが分かった。
大きな獲物を、碁じゃなくても仕留めたいよな?
そうすれば自分が強くなったような気になれる。
例えそれがかりそめに過ぎなくとも。
そんな事はバカバカしいと思っていたが、いざ目の前にチャンスがぶら下がっているのを見ると
その気持ちが痛い程分かってしまった。
緒方氏の鉄の金魚も思い出す。
自分を含めて4人の命をハイスピードな箱に閉じこめて。
ほんの少し手をずらすだけで、自分がその命を握りつぶしてしまえると思ったら、
ある意味気持ちイイだろうね?
張りぼての万能感に浸れただろうね?
バカバカしい。
バカバカしくて笑える。
見栄。支配欲。虚勢。
そんなものは本当の力じゃない。
本当に力があれば、そんなものは必要としない。
だが一番笑えるのは、それらが「全てオレの中にあった」ということだ。
高級車も高級時計も悪趣味な見せびらかしだと思いながら、
「自分の」作ったプログラムに世界を征服させたい。
誰であろうが支配する気などない、と言いながら手綱だけは引きたい。
笑いたい時に我慢しない代わりに笑いたくない時にも笑い、
自分に格好つける為に、肩の力を抜いている「振り」をしているんだ。
煙草の煙の匂いなど、コーヒーの香りで消してしまいたいんだ。
正反対で、うり二つ
ああ。
だからこんなにも苦手で、
こんなにもあなたの前ではバカになってしまいたい・・・。
「・・・緒方先生・・・。緒方さん。」
「う・・・ん・・。」
腕を掴んでもまだ寝ぼけているのを、乱暴に引っ張り上げると顔を顰めて片目を開けた。
不満そうな表情なのに構わず、そのまま引きずってベッドに倒す。
「何を・・・。」
「オレは塔矢アキラくんや進藤くんの正体を知っています。緒方さんもそうですよね?」
「・・・・・・。」
オレが知っている、となったら、あなた達三人の関係も大体分かると。
それぐらい察して下さいよ。
分かってて夜来てそんな無防備な顔を見せているとしたら、誘っているとしか思えませんよ。
眼鏡を外してまだぼんやりと酩酊した緒方氏の顔は、
いっそあどけないと言える程に若く見えた。
この男を、女のように扱っていいのか。
まだ迷う部分はある。
直接的に、間接的に、この男によって剥き出された己の未熟さ。
また蓋をして、今までのように見なかった事、無かった事にしても良い。
けれど、あなたはオレに似すぎているんだ。
後悔するかも知れない。
けれど、もしかしたらその事によって、オレは解放されるかも知れない。
だからオレは、幼稚な欲望に身を任せてアンタを征服する。
オレがアンタを支配した瞬間があった事を、アンタの体に刻みつける。
−続く−
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