図書館の冒険 7
図書館の冒険 7








「なあ……あと一度。一度だけ、行かせてくれないか?」

「どこへ?」

「佐為が……消える前へ。
 あいつ、オレが寝てる間にどっか行っちゃったから。
 せめて一言だけでも、何か言いたいんだ」

「……」

「頼む!」


下げた頭の前で、合わせた両手が震えている。


「……ボクが許す事も、きっと運命なんだろうね……」

「そうだな。サンキュ!」


進藤は、先程の住宅地図を元の場所に戻し、少し新しい物を持ってきた。


「ええっとどうしよう……そうだ、日本棋院!っと」


指で指すと、そこはもう、見慣れた玄関だ。
どうも、細かい座標や日時は、進藤の任意によるらしい。


「何日だろ?」

「ええっと、2001年の五月四日だね」


売店の奥にあるカレンダーを見て答えると、


「……やべえ!消える前日じゃん!
 その日から出張に行って、棋院に来てないんだった!」

「何をやっているんだキミは……」


本当に、考えなしにも程がある……。


「ちょっとオレ、地下鉄で東京駅へ行く!新幹線に乗って追いかける」

「おい、ちょっと!」


進藤は玄関を出て駆け出した。


「進藤!」

「悪り、おまえはここで待っててもいいよって、わっ!」


後ろを向いて叫んだ進藤が、思い切り転んだ。
と同時に、ひっくり返った人がいる。


「?な、何だ?」

「本田さん!何やってんのもう!」

「?何かにぶつかった……よな?」


進藤の知り合いの棋士らしい。
だが相手に進藤は見えていない。
気味悪そうに辺りを見回した後、起き上がって早足で棋院に入って行った。


「進藤、気をつけろ!僕達の姿は見えないが、物理的な力はあるんだ」

「ああもう、分かったって!あ、何か……」


進藤が、足元から封筒を拾い上げる。
ファンシーな柄のそれは、不似合いに無骨な字が書かれていた。
そして、随分長い間持ち歩かれていたのか、皺だらけになっている。


「本田さんが落としたのかな?」

「みたいだね」

「あ。奈瀬宛てだ」

「知ってる人なのか?」

「うん、丁度出張先一緒だ。渡してやろう」


進藤はそう言ってポケットに封筒を捻じ込み、また駆け出した。



無賃乗車のようで気兼ねしたし、人にぶつからないよう注意が必要だったが
僕達は普通に電車を乗り継ぎ、新幹線に乗る事が出来た。


「すげーなぁ。オレ達って、この世界ではどういう扱いなんだろ?」

「邪魔者、だよ」

「まあ、そうだよなぁ」


下らない事を言いながら、ボクも非現実的な小旅行を少し楽しんでいた。
地方の駅に着き、バスに乗って観光ホテルに到着する。

その頃にはとっくに夜が更けて、寝ている人の方が多いようだった。


「どこにいるんだ?キミとsaiさんは」

「多分まだ、緒方先生の部屋……」

「こんな夜に?!何しに行ったんだ?」

「緒方先生が佐為と打ちたいって言うから……タイトル獲った祝いに
 打たせてあげようと思って」

「そんな、バレなかったんだろうか……」

「大丈夫。かなり酔ってたし。実際もう覚えてないかも」


進藤は映像の記憶力はかなり良い。
緒方先生がいる部屋に、すぐに辿り着いた。


「どうする?入る?」

「無理だよ、オートロックだから。
 ここでオレが出て来るのを待とう」


進藤は廊下の消火栓に凭れ、腕を組んだ。




それから、程なくしてドアがそっと開き、進藤が……今より少し若い進藤が
出て来る。
僕達は彼を尾行して、彼が部屋に入るのと一緒に滑り込んだ。

部屋にはもう二人若手棋士がいたが、どちらももう熟睡しているようだ。


「緒方先生酔ってたからなー、せっかく佐為と打ったのに、勿体ないよな」

「……」


若い進藤が独り言のように呟いたのに、何か、答えた声が、
ボクにも聞こえたような気が……。


「明日は早く出るから、もう寝るよ」


……ヒカル……!


なんだ?
今のは。

隣を見ると、進藤がまた泣きそうな顔をしている。

若い進藤は、歯磨きだけしてすぐに布団に潜り込んだ。
気を失うように眠ったのか、すぐに寝息が聞こえる。
寝返りを打って掛布団を丸め、抱き枕のように抱いていて、
良い寝姿でもなかったが何故か少しドキドキした。


「佐為……」

「saiさん、いるの?」

「ああ……テーブルの上に置きっぱなしのマグネット碁盤の前に座って、
 ただじっと見つめている」

「幽霊は、眠らないのか」

「……だとしたら、二年半、オレが寝てる間ずっとこうやって、
 碁盤を眺めて時間を潰してたのかな……」


進藤は、碁盤の前に座ったり、恐らくsaiの目の前で掌を
ヒラヒラしたりしていたが、全く効果はなかったらしい。
しばらく奇妙な動きをした後、落胆した顔で戻ってきた。


「どうする?」

「僕達の声は聞こえないけど……物理的な力は使えたよな」

「そうか!碁石を並べてメッセージを作ればいいんだ!」

「いやいや……それより」


先程の蔵の中での一局。
数多く打った、進藤との碁の中でも一、二を争う名局だったと思う。


「本当にその人が見ているなら、さっきの棋譜を並べてみようか」

「ああ、そうか……そういう、事か」


……進藤が佐為さんを吹っ切る為のタイムスリップに、
ボクが巻き込まれた理由。
それもきっと偶然なんかじゃない。

さっきの一局を打つ為。
そしてそれをsaiさんに、見せる為だったんだ……。


進藤は黙ってマグネットの碁石を手に取った。


……こは!不思議な事があるもの。


澄んだ……声が、ボクにも、微かに聞こえた。
どうも幽霊も、驚いているらしい。

それはそうだろうな。
マグネット碁石が勝手に持ち上がったんから。

かなり狼狽えた気配があったが、ボク達が無言で頭を下げ、
先程の一局を、ゆっくりと並べ始めると、静かになった。


気配は……少しづつ凝り、盤面に集中し始めたようだ。


幽霊に見せる為に、石を並べる。
そのボク達は、幽霊にすら姿が見えない。
でも、石は並べられる。

あの、血が出るような思いで打った一局の。


「……」

「……」


やがて終局し、進藤が残った石をまとめると、
進藤の物でもボクの物でもない、長い長い溜め息が聞こえた。





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