図書館の冒険 6 「進藤」 「……オレが打つより、佐為が」 「進藤。今、ボクに負ける気はするか?」 「打つほうが……、って、碁か?負けねーよ!」 「なら今から、勝負しよう。蔵の碁盤で」 「は?何で?」 「太古、政治・軍略の行方を碁で占っていたという話もある。 負ける気がないのなら、今後の行動を碁で決めよう」 「……」 進藤はぐいっと顎を上げ、歯を剥いてボクを睨んだ後、 くるりと背を向けて蔵に入っていった。 「……これを、オレが打つ最後の碁にする」 「そうか。なら、余計に下手な碁は打てないな」 進藤にとってもどうしても負けられない碁だろうが、 ボクにとっても、絶対に……恐らく生涯で一番、負ける訳に行かない戦いだ。 だってこの碁の行方に賭かかっているのは……。 ぱち。 ぱち……。 時間の感覚が狂って……何時間くらい経ったのか分からないが……。 ぱち。 「……良いのか?」 ある時進藤が打った、悪手。 に見える一手。 ……今までの経験からして、絶対に意味がある。 後々、意味を持つようになる、一手だ。 乗るか反るか。 警戒して避ける事によって、こちらが追い込まれる手の可能性もある。 今の進藤なら、それくらいしかねない。 お互い、知り尽くした相手との負けられない戦いだから。 余人との対局よりずっとずっと神経を使い、深い読みを要求される。 既に心理戦だ。 そしてボクは、考えに考えて……、読みきった。 進藤が目論んでいる道筋を。 「本当に、良いんだな?この手で」 そして、打ち直しなど絶対に出来ない事を百も承知で、尋ねる。 上目遣いで、睨みながら。 「今更盤外戦も、ねーぜ」 「そう」 一回目は無視されたが、二回目の問いに進藤は間髪入れず答えた。 ボクが勝算もなく、ただ動揺を誘ったと思っているのか。 甘く見られたものだ。 それから静かに、二人とも操られるように二、三手進んで……。 ボクが置いた一石を見て、進藤の顔色が変わった。 ガタン! 瞬間、無意識のように目の前の片膝が立つ。 タイトル戦でもそんな事はないから、恐らく進藤もボク以上に この対局に緊張し、神経を張り詰めていたのだろう。 「……ボクを、殺すのか?」 「……え?いや……」 進藤は、自分の行動に今初めて気付いて怯えたように びくっと震えた。 「だが今、ボクを殺してしまえば自分の思い通りに出来る、 この時代に置いて行けたら殺人の証拠も残らない、 そう思わなかったか?」 少なくとも、ボクは感じた。 強風のようにボクに吹き付ける……殺意。 「そんな……そこまで、考えてねーよ……」 風が止み、力なく膝が落ち、頭が下がる。 俯いた頭の、向こうに白い項と、そこで別れた髪が見えた。 ……彼にも、分かってしまっているのだろう。 もう、勝つ目がない事が。 「……奈良時代で対局の途中で相手を殺した男がいただろう?」 「ああ……」 「あの男の声、どこかで聞いた事があると思ってたんだけど、」 「は?何の話?」 「キミの声にそっくりだったんだ。 対局の前にしゃべっていた、キミの声に」 「……」 そう。深い決意を秘めた時の進藤の声。 人殺しをも辞さないのではないかと思わせる、凄みがある。 さっき気付いた事だが。 「碁で、負けそうになった時、相手を殺したあの男。 それ程碁を愛したあの男。 ……の、生まれ変わりなんだと思う。キミは」 「は?」 進藤が、見た事がない程に目を見開いた。 「だから。ボクはキミに勝って証明しなければならなかった。 ……キミはまんまと、ボクに殺意を向けた」 「何の話だよ……ってか、殺意って、程じゃない……」 進藤は聞こえるか聞こえないかの声で囁き、盤に付くほど頭を垂れて。 一分程静止した後、 「……負けました」 はっきりと、呟いた。 「……ありがとうございました」 「ありがとうございました」 言うやいなやごろりと転がった進藤は、顔中に汗をかいていたが どこかふっきれたような表情でもあった。 碁石を集めながら、彼の気持ちの整理を待つ。 やがて。 「……今、正直、ホッとしてたりもする」 「うん」 「佐為に帰って来て欲しいのも本当。 でも……碁を止めたくないのも、本当」 「……うん」 それからまた一分程天井を見つめた後、進藤はよいしょ、と弾みをつけて 起き上がった。 「で。本気なの?オレがあの男の生まれ変わりだって」 「ああ。本当にそう思っている。 キミは、佐為さんを連れ戻す為にタイムスリップが起こったんだって言ってたけど、 ボクは違うと思う」 「……」 「全ての現象に意味があると言うのなら、奈良時代に飛んだ事にも 今ボクがキミに勝った事にも、意味がある筈だ」 「……でも。佐為は、千年も碁に対する執着で成仏出来ないで……」 「キミだってきっと、千年以上生まれ変わって打ち続けているんだ。 タイムスリップに意味があると言うのなら、それは佐為さんに対する気持ちを 吹っ切る為だとしか、思えない」 進藤はまた俯き、その膝にはまたぽたりぽたりと大粒の水滴が落ちた。 辺りは既に深夜になっているようで、虫の声以外は物音一つしない。 何年も前、過去に生きていた虫。 本来なら、ボクがその声を聞く事など絶対にあり得なかった個体。 落ちていた住宅地図を静かに閉じると、そこは元通りの書庫だった。
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