The World WarU PacificOcean 10
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10・キスケ


ゆらゆらと、揺れていた。
水面に映った、本田と妙子。
最愛の妹と本田がお互いを想い合っている事は知っていた。
だが親は、これから戦地に赴く男に娘はやれぬと。

「かまわんさ。」とアイツは笑って言った。
オレはきっと生きて帰ってくる。妙さんと祝言を上げるためにきっと生きて帰ってくる。

何度かそんな二人の逢い引きの手助けをした。
自分としては本田が妙子を貰ってくれればいいと思っていた。

雨の中、本田の宿舎の部屋の窓の前から立ち去れない妙子と、
窓から離れられない本田の姿を逆しまに映した水たまりを、
早くしてくれと思いながらぼうっと見ていたオレは、それでもとても幸せではなかったか?



だが・・・本田の出征の前日、妙子は、死んだ。
増水した川に落ちた見ず知らずの子を助け、自らはそのまま流されたのだ。
お転婆で人情家のアイツらしい事だった。

翌日何喰わぬ顔をして本田を見送りに行き、妙子は急用で来られないと伝えた。
本田は少し寂しそうだったが、そりゃ仕方ない、とまた笑った。

その日も雨だった。

二人の思い出は、雨ばかりだ。







「・・・・・・すかるかな・・・。」

「・・いじょうぶに決まってるだろう!」



微かに浮上した意識に、流れ込んで来る声。
これは・・・進藤・・・じゃなくて和谷と・・・アキラく・・・。



「・・・うして、キミは・・・・。」

「・・・んな人が『伊角慎一郎』だったら良かったのに・・・。」


ああ、ここは南方の、戦場だ。
というか、オレだ。オレが、伊角慎一郎なんだ、和谷。


「本田という人の・・・・。」

「・・・オマエ宛の恋・・・・。」

「いらないよ。」

「テメエ!」


体が揺れる。苦しい。
二人が何事か争う度に、ゆらゆらと揺れるのは、本田と妙子の影ではなく
自分自身だ。


「・・・めよ。読んでやってくれよ・・・。」


和谷の声を最後にしばらく沈黙が続いたが、やがてアキラがカサカサと音を立てて
何か紙を広げたような気配があった。


「・・・『・・・この世の誰より愛していると・・・世界で一番妻を愛している男の百倍くらい・・・』」


それは、無骨な男の精一杯の表現。


「『 ・・・・・でも死んだ者からそんな事言われても』」


アキラの声が、詰まった。
和谷も泣いているようだった。
聞いていた伊角の瞼も熱くなった。
本田の奴・・・戦場で妙子に、こんな手紙を。
こんな無器用で、がさつで、それでもこの上なく浪漫的な手紙を。


「アイツは死ぬ直前まで、きっとオマエの事を・・・。」

「・・・『伊角慎一郎』宛だったんだね?」


オレ・・・宛?妙子ではなく?


「本田が恋人の自慢大会に参加しなかったのは、オマエが男だからだよ。
 アイツは、最後まで恋人なんていない振りをしていた。」


恋人がいない振りを・・・いや、既にこの世にはいないと・・・知っていた?
伝えるべき相手のいない想いを、死ぬ前にそれでも綴らずにはいられなくて、
それでオレ宛にしたのだとすれば。

涙が閉じた瞼から溢れ出し、流れてこめかみに伝う。







「だとすればこれはボクでなく・・・。」


・・・駄目だ!アキラ君、駄目だ。
オレはともかく、今キミが本名を明かすのは、自分の命を差し出すようなもんだ。


「・・・『伊角』・・さ・・・。」


涙を流しながら目を開けた伊角を、和谷とアキラが驚いた顔で見つめていた。


「塔矢さん!」


和谷が伊角の体に縋る。


「・・・っ!」

「あ、ごめん!・・・でも意識が戻って・・・良かった!」


和谷の涙は、そのまま嬉し涙に変わったようだ。
また体が傾く。
どうやら小さな舟の上に寝かされているらしいのだ。


「『伊角』さん。」


伊角は殊更名前に力を込めて、アキラを見つめた。


「これはどういう・・・。」

「密林の方から狙撃されて・・・何とかボク達3人だけ小さなボートに・・・。」

「テメエ、その前に言うことがあるだろう!」

「あ!すみません。ボクのために・・・ありがとうございます・・・。」

「い・・や、オレは、そういう役目の、人間だから・・・。」

「内地でお会いしましたよね?すみません、ボクはすっかり貴方の名前を失念していて・・・。」

「『塔矢アキラ』。ですよ。」

「そう、でしたね・・・。」


はにかんだような笑顔は、以前のままだった。




意識が戻ると痛みがぶり返し、七転八倒したい程だったが、狭いボートの上で
じっとただ耐えるしかなかった。
峠は越えたかもしれないがまだ熱が激しく、意識が朦朧とする。

弾が当たったらしい腹には誰の物かゲートルが巻かれていて、
素人手当だろう。一応血は止まっているようだが、このまま放っておけば
いずれ化膿して腐ってしまうことは自分にも分かった。


「今運良く潮が満ちてるから、マニラ湾のどこかに漂着出来るかも知れない。」


逆にどこかに漂着する前に満潮になって潮が引き始めれば、良くてコレヒドールに逆戻り。
悪ければそのままマニラ湾を出てしまって南シナ海の大海原の藻屑と消えるしかない。





「寒い・・・。」


だいぶ出血してしまったようだ。
瘧のように、伊角の手足がガタガタと震える。

和谷は、黙って伊角の服の前をはだけさせた。
自らも裸になり、寝ている伊角に絡みつくように覆い被さる。

肌と肌を直接触れると、布越しよりもずっと暖かかった。


「進藤・・・。」

「和谷だよ。塔矢さん。」

「ああ・・・。オレも、本当は塔矢じゃない・・・。」

「知ってるよ。」

「もしこのまま死ぬなら・・・オマエには、本当の名前を、」

「縁起でもねえこと言うなよ。助かったら、にしてくれ。・・・もうしゃべるな。」


和谷が強く抱くと、伊角も震える手で、精一杯抱き返した。
『伊角』は困ってるだろうな、と思ったが、そんな事はどうでも良かった。


「あの・・・。」

「テメエも黙ってろ。」


和谷が振り向いて睨み付けた『伊角』は、何故か泣きそうな表情に、見えた。


「ど、どうしたんだよ。」

「いや・・・何でもない。温めてあげてくれ。そうしていると、とても暖かいから。」


それをボクは、よく知っているから。
心のつぶやきは、和谷には聞こえない。









二日後。

秀英はヒカルを独房から連れ出して、外で洗っていた。
ヒカルは全裸で樽の上に座り、墓石か何かのように、ただじっと水を掛けられている。
その伸びた前髪が顔にぺったりと貼り付いていたが、払いもしなかった。


「シンドー。」

「・・・・・・。」

「・・・済まない。」


後で永夏に本当は進藤が解放される予定だったと聞き、はめられた、と分かって歯がみをした。
だが今更どうしようもない。
郵便船は行ってしまったのだ。
やはり永夏には敵わない。
結局自分も進藤も、永夏の手の上で踊る駒に過ぎなかったのだ。

それをヒカルは分かっているのかいないのか、帰ってきてから一言も口を利かなかった。
ただ、昨夜永夏の部屋から隠しもしない娼婦のような声が聞こえていて・・・
狂ったのかと思った。


「秀英!終わったか?」

「・・・高、所長。」

「キレイになったじゃないか。シンドー、来い。」


もうシンドーは、決めてしまったのだろうか。
このままアメリカへ行って、永夏に飼われてその生涯を終わるのだろうか。
日本を、諦めたのだろうか。
ヒカルはのろのろと顔を上げた。


「立て。シンドー。」


しかしただじっと虚ろな目で見上げる。
人形のように。


パシッ!


永夏がいきなり平手打ちしても、ヒカルはまだ動かなかった。


「・・・しようのない奴だ。」


永夏は苦笑して、腕を持って無理矢理立たせる。
その途端にヒカルは狂ったように身を捩り、逃げだそうとした。


「おい!そんな格好でジャングルに入るつもりか?」

「放せ!」

「放さない。また可愛がってやるから大人しくしろ。」

「いやだ・・・!もう、アンタなんかに、オレは、塔矢の所へ、とう、」


ドッ!

永夏の膝がヒカルの鳩尾に入り、その体がくたりと崩れる。
それが地面に着く前に、永夏が支えた。


「永夏・・・。シンドーを返さないつもりか?」

「選んだのはコイツだぜ?それと・・・オマエもな。」


唇を噛んだ秀英に背を向け、永夏は軽々とヒカルの体を抱き上げて自室に足を向けた。








開け放したドアをくぐり、ヒカルの体で天井から垂れた目隠しの薄布をよける。
奥のベッドにそっと横たえ、まだ濡れている髪を手櫛で梳いたが、この暑さですぐに乾くだろう。

自身もベッドに腰を下ろし、しばらくその顔を眺めた後、ゆっくりと顔を近づけた。


その時、
自分の首に掛かった髪がそっと掻き上げられるのを感じた。


「なっ!」


振り向く間もなく、首筋に押しつけられる金属の冷たい感触。


「そこまでだ・・・。」

「・・・どういうことだ?」

「Game is over... My lady.」


つい一昨日聞いた声。
気を付けていれば気付いたはずの、煙草の匂い。


「ふざけやがって・・・。郵便船に乗らなかったのか?」

「乗ったさ。進藤は来なかったがな。」

「悪いね。丁度コイツが脱走したものでさ。オマエはどうしてここにいる?」

「『先輩』を甘く見るなよ。」

「・・・・・・。」

「まあ種を明かせば今朝、船にプリンス自らが打電してきたせいだがな。」

「・・・生きていたのか。」

「ああ。無事だそうだ。それと・・・進藤ヒカルを見つけたのなら、何が何でも連れて帰ってこいと。」

「・・・・・・。」

「プリンスの勅命だ。郵便船の一つや二つ、遅らせるさ。」

「オマエは・・・。オマエは上からの命令だからと言って、はいそうですかと聞くタマじゃないだろう?
 オマエにとってシンドーは・・・、一体何なんだ?」


今度は緒方が黙り込む番だった。
答えたくないのではなく、本当に一体何なのか、首を捻って考えていたのだ。


「そうだな・・・恋敵、か。」

「恋敵?」

「ああ。オレが死ぬほど打ちたかった人が、コイツと大事な対局中だからと言って、
 最後まで打ってくれなかったんだ。」

「・・・そういう意味ならその人こそがオレの恋敵ということになるが。」

「その人は、今はトクノシマ沖に沈んでいるはずだ。」

「・・・・・・。」


では、シンドーは・・・一体誰と打っていたのだ?







「まあとにかく、プリンスにとって大事な人の想い者でもあるらしいからな。
 頂いて帰るさ。」

「その人は・・・『トーヤ』と言うのか?」

「さあね・・・。そのような、そうでないような。」


一昨日の永夏の口調を真似てからかう。
だが、永夏は気にしなかった。


「雛菊の・・・ような少年か?」

「雛菊!さあ、そんな所もあるかも知れないが、本当はもっと烈しいぞ。
 今は彼を救わんと戦場を駆け巡る、白薔薇の騎士だ。」


少年、を否定しなかった時点で、それが『トーヤ』だと断ずるに充分だった。


「生きているのか!ヒロシマに、いなかったのか。」

「ああ?進藤は彼が死んだと思っていたのか?」

「オレもそう思っていた。」


永夏は銃口を気にせず、もう一度ヒカルの前髪を手で梳いた。
だいぶ乾いていた。


「シンドーは喜ぶだろうな。それは・・・オレに伝えさせてくれ。」

「・・・・・・。」

「せめてそのくらいの役得はいいだろう?」

「まさか・・・惚れたのか?」

「さあ・・・。」

「抱いたか。」

「美味だったよ。」

「・・・・・・。」


永夏はまだ緒方の顔を見ていない。






「・・・そう、ヒロシマと言えば、またやってくれたな。」

「ナガサキ、か。」

「ああ。何人、何千人、何十万人殺せば気が済む。」

「・・・・・・。」

「・・・オレが戻ってきた本当の理由は、どうしても伝えたい事があったからだ。」

「何だ。」

「・・・・・・。」


緒方は突然永夏の首から銃口を外すと、部屋の反対側に歩いていって、
とすん、と音を立てて、だらしなくソファに身を任せた。
いつも隙のない身なり、身のこなしのこの男には珍しい程の、やけに投げやりな所作だった。



「正式発表は先だが・・・陛下が、無条件降伏を、ご決意あそばされた。」


「・・・・・・そうか。」



永夏もヒカルの足を避け、ベッドに後ろ手を突いて無防備に首を曝しながら天井を仰ぐ。

そのまま沈黙が室内を支配した。
ぷ〜んと羽虫の飛ぶ音が近づいて、そしてまた窓から出て行った。


永夏は思い付いたようにベッドサイドから葉巻を取り、前歯で口を切ってマッチを擦る。

緒方も懐に銃をしまい、代わりに煙草を取りだした。


煙が室内を霞ませる。
しかしやがて風に流される。


先に吸い終わった緒方が立ち上がって永夏に近づき、短くなった煙草を灰皿に投げ入れた。
癖なのかわざとなのか。
火を消さなかったので、恩賜の煙草についた小さな菊の十六花弁がめらめらと燃え、
そして、全て灰になった。


「・・・The end.」

「ああ。」



戦争が終わる。



「長かった・・・。」

「ああ。」




勝った喜びも、負けた悔しさもなかった。
ただ、言いようのない倦怠だけが、二人の男を支配していた。






しばらく後緒方が、初めて進藤の寝顔に目をやる。



「・・・これが進藤ヒカルか。まだ子どもじゃないか。」

「そうだな。」

「幸せそうな顔をして寝てやがる。」

「・・・・・・。」

「夢の中で、佐為先生と打っているんだろうか。」

「トーヤかも知れない。」





もうすぐヒカルは、目覚める。





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