The World WarU PacificOcean 7 7・柿 初めのうちこそ、白眼視、とまではいかないまでもどことなくよそよそしく扱われていた自称塔矢アキラと進藤ヒカルは、日が経つにつれ乗組員たちとの刹那的な交流を持ち始めるようになっていた。 その乗組員たちも、一日、また一日と過ぎるうちに姿を消していく。上官の命令ひとつで、木製ボートに命を繋いで出撃していく彼らは、同僚に語れない胸の内を訥々と両名に語って聞かせるのだ。 「・・・それにしてもさ、オレも出撃前に一度でいいからあの『慰安婦』にお相手をして貰いたかったよ。」 苦笑混じりに、あの『慰安婦』伊角慎一郎の話を持ち出した彼も既にこの世にはいない。 和谷は、自分が勝手に作り上げていた「伊角慎一郎」という人物と、目の前にいるあの白い軍服に身を包み『慰安婦』と嘲弄される少年とのギャップに翻弄され続けていた。 アイツが愛した「伊角慎一郎」とは別の人間かもしれない。そう思っても、『慰安婦』の噂を聞く度にその胸は疼いた。 「だってさ、御器曽大尉の当番兵がこぼしてたぜ。毎朝さらしの洗濯が大変だって。ばりばりになっててさ。」 珍しく数名集まって彼らの元を訪れた時の話だ。 何を拭いたか判るだろ?顎をしゃくるようにして淫猥な笑みを浮かべる兵卒。なんでだよ、孕むわけじゃないだろ?辺りからどっと笑い声が上がる。 彼らに悪意がないのは判っている。判ってはいても、和谷はその耳をふさぎたい衝動にかられた。 胸ポケットにはアイツの遺書が今も仕舞われている。 そして夕食後のこの一時、伊角慎一郎は『教練』と称された時間を、常にその上官御器曽と共に過ごしているのであった。 「どうぞ。」 艦内では『伊角慎一郎』と名乗るその少年塔矢アキラは、白手袋を嵌めたままの右手を目の前に畏まる男に差し出した。 御器曽は、押し頂くようにその右手を受け取ると、その場に跪いて手袋を外す。右手に続いて、左手の手袋、そしてその手が軍服のボタンにかかっても、アキラは眉一つ動かさず彼方を見詰めていた。けれど、制服の下に着込んだ肌着に手をかけた御器曽が、手が滑ったかのような拙い偽装でその胸元に手のひらを差し入れようとした時、敏感にその気配を察知して言葉を挟んだ。 「触れない、と約束したでしょう。ボクが大事な預かり物だという忘れたわけではないでしょうね。」 うぐぐ・・・とくぐもったうめき声を上げながら、御器曽はその侵入を諦め、アキラの着衣を解く作業に終始した。 全裸になったアキラがゆっくりと椅子に腰をかけると、御器曽は慌てたように自らの持ち物を取り出し、血走った目でアキラの体を上から下まで眺め回し手を動かし始めた。 「・・・毎日、さぞかし辛いんでしょうね。年若い部下たちをむざむざ死地に赴かせる、というのは。」 椅子に深く腰掛け、足を組替えながら頭を背もたれに預ける。白い頤が御器曽の目を射るようにきらめき、アキラのその表情はこちらからは伺えない。 「ええ・・・それはもう・・・。言葉になんかできませんよ。若者たちに特攻命令を出すのはね・・・。代わりに自分が行けたら、そう思うんですよ、いつも。でも、こんなロートル兵には上から出撃命令が出なくてね・・・・・」 必死に陽物をしごきながら、上目遣いにおもねるようにアキラの目を覗く。 「自分の最後の願いは、出撃命令を受け取って敵さんに体当たりをすることですよ・・・・。いつか晴れの命令が出たら・・・胸を張ってアイツラの元に・・・・うっ・・・・・」 早くも辺りに吐精しながら蹲ってさらしに手を伸ばす御器曽に、アキラは冷たい笑みを投げかける。 「彼らは・・・誰一人として抵抗しないんですか?喜んで出撃していく、と・・・」 「ええ、それはもちろんそうです。自分を筆頭に、お国のため陛下のために、命を惜しむ者など一人もおりません。」 無造作に後始末をした御器曽は、答えながら下卑た笑顔を作り、懇願するようにアキラを促した。 一度目の放出の後、どういった具合か、アキラが気に入るような話を持ち出した時のみ、アキラはその足に触れる事を許してくれる事がある。さて・・・今日はうまい具合にいくだろうか・・・濁った頭をフル回転させながら、御器曽は話を継いだ。 「・・・いや、そうそう!そういえば一人だけおりましたな。『オレはまだ死にたくない。』などとほざいたバカ者が・・・。先に乗っていた船で、回天の出撃命令を出した折でしたか・・・。この時局に、何を考えているのか、黄色いような頭をしたガキで・・・・あいや、ご不快でしたか?こんな話は。」 アキラの顔に緊張が走ったのを見て取った御器曽は慌てたように手を振って話題を変えようとした。 「いや・・・いい。続けて下さい。」 アキラはそう言って座ったままの右足を、す、と御器曽の前に差し出した。 何がどう気に入って貰えたのか、御器曽は有頂天になってその右足に頬ずりをした。 「・・・続けて下さい。」 頬ずりを続けるのか?喜色を浮かべてアキラを見上げた御器曽の顔を、アキラは蹴り倒した。 「そのバカ者は・・・・名は何と?」 御器曽は、アキラのご機嫌を最後までは損ねていないと判断し、むしゃぶりつくようにその足先にしがみつくと話し始めた。 「名前など・・・覚えておりません。小生意気な子供でしたよ。『何でもするけれど死ぬわけにはいかない。』 などと反抗的な態度が目に余ったものですから、自分たち将官で半殺しの目に合わせて・・・翌日、半ば意識がないような状態で出撃させましたがね。・・・さて、潜行も上手くいったのかどうか、貴重な兵器をあんなヤツのために一機無駄にしたようなもので・・・・・」 今日の話のどこが気に入って貰えたのか、アキラは先程からいつもなら決して許さないような行為にまで及んでも、声をあげる事がなかった。御器曽は、アキラの滑らかな太腿にじっとりと舌を這わせながら、小躍りして自分をしごき続けた。 アキラの両手は椅子の肘掛を掴んだまま小さく震え、余程力を込めているのかその甲には青白い血管が幾筋も浮かんでいた。 再びうめき声が聞こえて、御器曽は今度こそ力尽きたようにその場にへたり込んだ。 「満足しましたか?・・・・・あなたには随分お世話になっていますから、あなたの最後の願いとやらが叶うように、ボクも陰ながら力を尽くせたら、と思いますよ。」 アキラはそう言って立ち上がると、手早く身繕いをすませ部屋を出て行った。 後に残された御器曽は、アキラが口にした言葉の意味を深く考えもせず、思いがけず訪れた幸せな時間に陶然となり、口を半開きにしたまま愚鈍な笑みを漏らし続けるのみであった。 夢を見た。 白い鳥が自分に向かって飛んでくる。 大きく翼を広げてその翼でオレを包み込んだのかと思ったら、それは翼ではなくて両腕だった。 むしゃぶりついてくるのでその顔が見えない。 けれど、鼻先をかすめる真っ直ぐで綺麗な髪が、その持ち主が『伊角慎一郎』だと語っている。 「会いたかった、会いたかった進藤!」 違う。俺は進藤じゃない。 ここでは進藤と名乗っているけれど違うんだ。 それにおまえを心から愛していた男の手紙がここにある。 これをおまえに渡したかったんだ。 おまえが愛しているのは俺じゃないだろ? 俺が会いたいとずっと思っていたのはおまえじゃないだろ? だったら・・・おまえは誰なんだ? 「伊角!」 大声で叫んで飛び起きたところで和谷は目を覚ました。 びっしりと汗をかいている。一息つくと『塔矢さん』が心配そうにこちらを見ているのがわかった。 「ずいぶんとうなされていたようだけれど・・・大丈夫か?」 「ああ、はい。大丈夫です。」 なんだか複雑そうな顔をして俺のこと見てるな、そう思ってつい和谷の顔に照れ笑いが浮かぶ。 「俺・・・何か言ってましたか?」 「『伊角』・・・と言っていた。それはあの彼のことなのか?君は彼と知り合いになったのか?」 塔矢と名乗る青年、正真正銘の伊角慎一郎は懸念の表情を浮かべていた。 「いえ・・・俺、自分でもよく判らないんです。俺、ずっと『伊角慎一郎』という人を探していた。・・・あいつの名前を聞いた時に、探していた人をついに見つけられたかと思ったんです。でも・・・違うんだ。どこがどうとか・・・はっきり言えないんだけれど。あいつは俺が探している『伊角慎一郎』じゃない・・・。」 「君はどうしてその・・・・・」 塔矢改め伊角慎一郎が口を開いた時、階上から物凄い騒ぎが聞こえてきた。 大勢の人間が走り回る音、絶叫、静止の言葉、いずれもがどんどん大きくなってこの部屋に近づいてくる。 「離せ!話を聞いたんだ!この艦内に特攻の生き残りが匿われていると!」 海軍内部にあって、士官たちと一兵卒との扱いの差は雲泥を極めていた。それ故、両者が互いに交流する事も、居住スペースを共にする事も決してなかった。そこに、白い鳥が一羽、舞い降りて来たのである。 「名は、進藤だと!進藤ヒカルだと!」 伊角、和谷が使っている二畳もないような小部屋のドアが大きく開いた。 ・・・・・夢の続きを見ているのかと思った。 「違います・・・。俺は進藤じゃありません。」 顔を埋めて自分に抱きついてくる白い体を抱き締め返してやりたい衝動を必死に押さえて、和谷はその両肩を掴んで自分から引き離した。 声を聞いた時から、既に自分の間違いを悟っていたのだろう。アキラはされるがままにその場に立ち尽くして呟いた。 「すまない。こんなに簡単に会えるはずがなかったのに・・・・・」 「ですから、ここにあなたがお探しになるような人物はいない、と申しましたでしょう。」 後ろからついてきた御器曽大尉が慇懃に語りかけた後、こちらを向いて威嚇した。 「キサマらのせいでこんな大騒ぎになって。後でゆっくり処分してやるからそれまで船倉に入っていろ!」 「その必要はありません。」 白い顔をしたままアキラが言った。 「あなたの仰る通りでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。・・・・・お詫びに・・・ここにあなたの帰国命令書を用意してあります。」 そう言って、胸の辺りを軽く押さえる。御器曽の顔に喜色が浮かぶ。 「つてを辿って用意した物で・・・こんな物を使うのは最低だ、と自分を戒めてはいたのですが。」 「いえいえ!そんな!そうですか、帰国させていただける!・・・・先に散っていった仲間たちには顔向けもできませんが・・・・これを機会に彼らの菩提を弔って・・・・」 「願いを叶えてさしあげる、と申しましたでしょう?」 にっこりと笑ったアキラの表情に、その場にいた全員が凍りついた。 「帰国後は茨城の721航空隊に編入していただきます。手続きは完了していますからいつでも出撃できますよ。」 「こっ・・・・航空隊!?しかし自分は海軍一筋の男でして、今更戦闘機になど・・・」 「操縦する必要はありません。『桜花隊』ですから。爆撃機から投下されたら操縦桿を握る必要すらありませんよ。」 ひっ、と喉を詰まらせた後、御器曽は、へなへなとその場にへたり込んだ。 『桜花』・・・それはエンジンすら積まず、本人の操縦による移動が殆ど不可能な、木製人間ロケット―――いわば爆弾に人が括り付けられただけの兵器であった。 「・・・・・・・・最低だな、おまえ。」 黙って成り行きを見守っていた和谷が呟いた。 「片手に死刑執行書を持って、それであいつに抱かれて喜んでたのか。・・・・用がなくなったらもうポイ、ってわけか。」 「やめろ、和谷。」 伊角が漏らした和谷、という名前にアキラが反応した。 「だって・・・だってあいつは。こんなヤツを『心から愛している』って・・・そう言って死んでいったのに!なあ!覚えてるか?第四航空軍にいた本田だよ!」 途中から和谷はアキラの胸倉を掴んで揺さぶりながら、涙混じりに訴えかけた。 「・・・・申し訳ないが・・・記憶にない。」 相変わらず青い顔をしながらアキラはその視線を外し、座り込んでいたままの御器曽を残してその場を去った。 「なんで・・・・なんでだよ!なんであんなヤツが『伊角慎一郎』なんだよ!」 残された和谷義高は、壁を叩いて号泣した。 「確かに・・・・『血まみれの慰安婦』だな。・・・・この船の用事は済んだ。そろそろ『ギョク』を別便に移し返す潮時だろう。・・・・・和谷、一緒に来るか?お前の疑問が解ける時が来るかも知れない。」 どうやら自分の顔は、あの逆上した場面では塔矢アキラの視界に入ってはいなかったらしい。 突然のギョクの闖入に、あわや命令が反故になるところであったが何とかなりそうだ、と伊角慎一郎は胸を撫で下ろした。 「日本人ってのは、捕虜になるくらいならハラキリするものだと思っていた。」 フィリピン・モンテンルパ収容所の一室。 じっとりとした湿気の中、裸のままうつ伏せに横たわる進藤ヒカルの背中をゆっくりと撫でながら、コリアン三世のアメリカ人収容所長、高永夏は呟いた。 「こんなにいい体を持っていながらそんなに簡単にハラキリなどしたら勿体無い。」 「出す物は同じだろ。便器が何だって一緒じゃないか。」 顔を上げもせず、ヒカルは物憂げに呟いた。 中国沖合いでこの男が乗船していた船に助けられ、捕虜となって以来、ヒカルとこの男の情交は絶える事なく続いていた。船倉で、船室で、そして船の行き先であるフィリピンに連れて来られてからは、彼の赴任先である捕虜収容所の一室で。 「言葉の勉強にはピロートークが一番。」そう笑った永夏の言葉どおり、今やヒカルは不自由なく英語を繰っている。 元々高永夏という人物はこういった性癖の持ち主ではなかった。船倉に閉じ込められている日本人捕虜が、通訳を勤めた同僚の秀英に何か碁石代わりになるものを求めた、という話に興味を持ったのだ。 けれど、一局打ってみないか、という彼の言葉をヒカルは拒否した。 「大事な対局の途中だから。」 思い上がった言い分に半ばむっとして、それなら体の相手をして貰おうか、と冗談半分に持ちかけたのだ。 だが案に相違して、ヒカルはあっさりとその申し出を受けた。 だからと言って、特に待遇の改善を要求するでもない。 永夏に何かをねだる事もない。 汗ばんだヒカルの体を起き上がらせて、自分のひざの上に乗せる。 「しつこいな、鬱陶しい。」 長く伸びた前髪がヒカルの表情を隠す。 ヒカルの足を大きく広げさせて局部に指を這わせると、その動きに反応して勃ち上がってくる。 「鬱陶しい?そうでもないでしょう。」 顔を上げないままヒカルが返す。 「こんなモノが勃ったからって、何の意味もない。」 ふうん・・・と永夏が満足げに鼻を鳴らした。 「判らないな・・・・。判らないから、オマエの体が教えてくれるように、これからオレがじっくり楽しませてあげる。何のためにオマエはこうまでして生きているのか、って。」 “It's none of your asshole business.” とヒカルが呟く。 「言うようになったじゃないか。」 にやりと笑うと、永夏はヒカルの背中をマットに押し付けた。
|