The World WarU PacificOcean 4 4・キスケ アキラの手は、冷たかった。 ヒカルは立っているのがやっとといった様子のアキラの足から草履を脱がせ、 パンパン、と窓の外ではたいてから裏を合わせて窓の下に置いた。 一体どれくらいかけて、あの病室から歩いて来たのだろう。 その暗い道のりを思うと、体が震えた。 最初に会った頃よりは回復したとは言え、アキラの体はまだまだ本当ではないはずだ。 「オマエ・・・オレより先に死んだらどうすんだよ・・・。」 「ボクは・・・。順調に行ったら、ボクが、キミより長生き、するはずないだろう? キミが、戦場で死んだりしなければ。」 「・・・・・・。」 「まさか、帰ってこないつもりじゃ、ないだろうな・・・。」 息が荒くなり、膝が崩れる。 冷たいからだがヒカルの腕の中に倒れ込む。 「あ、待て!」 どこも打たないように、ゆっくりと座布団・・・はないから、自分の夜具の上に座らせる。 寒い、と自らの肩を抱いたアキラの腕をさすったが、その単衣は夜露でしっとりと湿っていた。 「ああ・・・くそっ!」 ヒカルは「悪い、」と言って、アキラの胴の後ろに手を回し、帯を解く。 背中側と腹側で交互に帯を取り、器用に外す。 単衣を肩から落とし、襦袢もはだけさせたが、それはアキラを湿気から守りたい一心で 他には何も考えていなかった。 その時は、そうだった。 だが・・・。 夜目にほの白いアキラの胸を見たときに。 己の欲望が、ドクンと脈打つのを、感じた。 「進藤・・・。」 アキラがまた、寒い、と呟いて、ヒカルの夜着の合わせ目から手を差し入れる。 ドクン。 抱きしめた。 胸が密着した。 抱きしめて、 抱きしめてそしてオレは、どうしたいんだ・・・? 「・・・どうなんだ?」 「え・・・。」 「帰って、来るんだろうな?」 闇の中で、アキラの目が光る。 だが、ヒカルの体の熱は、急速に引いていった。 アキラはヒカルが慌てて、帰ってくる、と言うと思っていた。 だが、見上げたヒカルは・・・ただ無言で、優しく微笑んでいた。 「おい!」 「・・・・・・大丈夫。帰ってくるよ。誓った、じゃん。」 それでもその微笑みは、どこか儚くて。 涙が出そうになる。 涙が出そうになる。 「・・・寒い。温めてくれ。」 自ら襦袢の帯を解いたのは、夜の魔力か。 それとも、日本全土を覆っていた、ぬえの力か。 「・・・うん。」 ヒカルも夜着の帯を解き、下着のままにアキラに覆い被さる。 肌と肌を直接触れると、布越しよりもずっと暖かかった。 「進藤。」 「・・・ん?」 「もっと・・・もっとボクに、触れてくれ・・・。」 「・・・うん・・・。」 ヒカルの暖かい右の掌が、アキラの腕を撫で下ろし、脇腹から腹へ、胸へ撫で上げて 首まで達し、鎖骨あたりを少し繰り返し撫でてから、頸動脈あたりを温め始めた。 「もっと。」 胸に頬を付け、肩を強くさすってまた脇腹を撫で下ろす。 「進藤・・・。どんな姿になってもいいから、」 尻を掴むようにした後、太股の外側をさすり、 「目が見えなくなってもいい。耳が聞こえなくなっても口がきけなくなってもいい。」 軽く立てた膝小僧を撫で回す。 「足がなくなってもいい。ただ、ボクを覚えていてくれ・・・。」 太股の前側を揉むように上がり、また腰骨にもどる。 「・・・大丈夫。この右手が覚えてる。んで、右手さえ有れば碁が打てる。」 「何でもいい。とにかく・・・・・・帰ってきてくれ。」 ヒカルは黙ってアキラの全身を撫で続けた。 言葉を交わさなくとも、下着越しにお互いの状態は、分かった。 それでもヒカルの唇がどこかに触れることはなく、アキラの下帯が解かれる事もなかった。 「・・・もうそろそろオマエの家に連絡した方がいいな・・。」 下着のまま抱き合ってまどろみ、夜が白々と明け始めた頃、ついにヒカルが口を開いた。 「ああ・・・頼む。」 アキラも半身を起こして、襦袢と単衣を掻き寄せる。 仕方がない。 ずっとこの時間が続けばと、一晩中思っていた。 まどろんでいる間も、夜明けを逃れてヒカルと二人、西へ、西へ、鶴に乗って飛んでいく夢を見ていた。 でもどんなに逃げても、夜明けは必ずやってくるのだ。 そして今日の晩にはヒカルはこの地にいないのに、 やはり当たり前のように日が暮れて、また夜が来るだろう。 幾日か過ぎれば、ヒカルは船上から、アキラはいつもの部屋の窓から、 同じ朝日を見るだろう。 ヒカルは「ほっ。」と殊更元気よく飛び起きて夜着を羽織り、部屋の隅にあった文机の引き出しから 白い封筒を取り出した。 「これ。」 「?」 「ほら、この間、佐為に送ったオレの手。」 しっかりと糊付けされた封筒の中には、便箋が入っているようだった。 「何?」 「続き、打とうぜ。」 「続き・・・。」 「そう。オマエが、佐為を引き継ぐんだ。」 「・・・・・・。」 「封じ手にしてあるから、オマエから船に手紙をくれ。」 「わざわざ封じなくても。」 「ダメ。今すぐ次の手を返されたらオレから手紙書かなきゃいけないじゃん。 だから、オレが出征するまで絶対開けるなよ。」 「進藤。」 「いいか。開けるなよ。開けたら絶交だかんな。」 「進藤!・・・帰って、来るんだよな?」 「ああ、大丈夫。きっとオマエの所に戻ってくるから。」 「・・・うん。」 「最高に贅沢な一局にしようぜ! オレも佐為の所へ行ったら、佐為くらいの手を考えつくかも。 ・・・佐為が見た満天の星空を見て、そしてオマエを思い出す。」 その後一晩中アキラに触れていた右手を見て、赤くなった。 わざわざ思い出さなくても、その感触は忘れらんないけど、と照れたように小声で言った。 明るかった。 今日戦地に赴くというのに、輝くような笑顔だった。 ・・・予感は、あったのだ。 ヒカルが壮行会の後、海軍に入団したと聞いてから、アキラは自室で震える手で 封じ手を開けた。 小さい紙一つで十分なはずなのに、中にはびっしりと書き込まれた便箋が入っていた。 「塔矢アキラ様 いつか、オマエに誓ったことがあった。 何があってもオマエの所に帰ってくると。 オレは死にたくない。 何度でも誓いたい。必ず生きて祖国の地を踏むと。 だけれど、何度誓っても、約束しても、これは戦争なんだ。 内地にいてもいつ空襲で死ぬか分からないのに、戦地に行って必ず 生きていられる保証なんて、どこにもない。 それどころか、今の戦局からすれば、死ぬ可能性の方が高い。 佐為が最後に乗っていた「大和」は、世界最大最強の不沈船と言われていたんだ。 誰にも言えないけれど、オレは、日本は負けると思う。 ゴメンな。 出来ない約束して。 きっとこれ渡す時にも、きっとオレは何度もオマエに必ず帰って来るって言うと思う。 ゴメン、嘘ついて。 もしオレが死んだら、骨か遺品は家族の所に行くと思うけど 一部はオマエの所に送ってくれるように手配して置いた。 だから、申し訳ないけれど、それで帰ってきた、と思ってくれ。 戦地からオマエに手紙出しても届くかどうか分からない。 だから、最悪これが最後の手紙かも知れない。 オマエが手紙くれても届くかどうか分からないけど、でも手紙をくれると嬉しい。 オレが佐為の所に行く前に この対局、最後まで行けるといいな。 てことで、十五の六。 進藤ヒカル 」 ・・・・・・なんて間抜けな、終わり方。 キミは、手紙の書き方を知らないのか? 字が、滲む。 字が、滲む。 キミは。 キミは、あの誓いを。 きっと帰ってくると。 必ずボクの元へ戻ってくると。 何度も誓ったあの約束を、 こんなたった一枚の紙で、反故にするつもりか・・・? アキラは布団に突っ伏して、泣いた。
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