The World WarU PacificOcean 3
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3・柿




「それで・・・どこに打ってきたんだ?」
不承不承、といった様子でアキラがヒカルに聞いた。

「・・・え?」

「だから・・・いつものあの人からの手紙なんだろう。次はどこに打ってきたのかと聞いているんだ。」

「ああ、コレ?コレは違うよ。和谷ってやつ。中学ん時の先輩・・・になんのかな。年は上だから。」

ヒカルは手に持った紙片をアキラにも見えるように持ち替えた。

「いっつも一緒にバカやっててさ。手紙なんてあいつのガラじゃないんだけど・・・何だかあいつらしくない。言いたいことの半分も書けてないみたいだ。」

「その上、その半分の半分は検閲で真っ黒なんだろう。それなら意味が判らなくて当然だ。」

いつものあの人・・・とアキラが言った彼からの手紙でなかったせいか、彼の口調に辛辣さはなかった。

「これ・・・何て読むんだろう。イツノ?」

ヒカルの指が辿った個所をアキラの目が追う。

「イスミ、だろう。イスミ慎一郎・・・・・」

それきり何か考えるふうに黙り込んだアキラに、ヒカルがその先を読んだ。

「元より生きて帰らん覚悟ありとても、願わくは伊角慎一郎氏との―――――ダメだ。あとは黒くて読めない。・・・おい、塔矢、どうした!?」

口元を押さえたアキラに、また発作かと心配したヒカルが顔を寄せたが、それは杞憂に終わった。

「この人は、ボクが知っている人かもしれない。いや・・・同姓同名かもしれないが、少なくともボクは『伊角慎一郎』という名の人物を一人知っている。」

「ホントか?塔矢。なら、オレ達で何とかしてやれるかもしれないな!その人と連絡取れる?」

「・・・・・・戦線にいるよ。」

それきり二人の会話は途絶えた。

二人を引き合わせたのは、この村の老医師であった。もはや余命幾ばくもない、と思えた彼の患者は、日がな棋譜を眺め、碁石を睨み続け、その命の火が消える日をただ待つのみであった。そんな彼にふと思いついて、村の囲碁大会で見事な腕前を披露していた進藤ヒカルを紹介したのだ。ところが、そこに嬉しい誤算が働き、たった一回の対局が済まないうちから、この患者、塔矢アキラの目に再び生への欲求の光がさし、事実、奇跡的とも言える回復を見せていたのである。昼間は学生の勤労奉仕として工場で働いているヒカルは、その日の仕事が終わると毎日飛ぶようにアキラの元へと通った。そして、日を追うごとにアキラが彼との対局に耐え得る時間も長くなり、つい先日にはとうとう終局まで持ち堪えることができたのである。

「みんな・・・戦争に行っちまってるな。」

やがてヒカルがぽつんと呟いた。

「でも、キミは行かないんだろう?」

並んで座り、前を向いたままでアキラが問うた。

「オレ?オレは行かないだろ。まだこんな年だしさ。志願でもすれば別だけどな。」

「だけどもしこの戦争があと何年も続いて、キミが徴兵される年齢になったら・・・」

「その頃にはオマエだって甲種合格になってっからさ!一緒に入隊すればいいじゃないか。碁盤と碁石持って。」

冗談にされてしまいそうな雰囲気に、アキラはもう一度念を押さずにはいられなかった。

「行くなよ、進藤。キミがいなくなってしまったらボクには・・・・・・」

生きている意味がない、みたいな顔してんなコイツ。そう思ってヒカルは少し笑った。大袈裟だよな。どうせコイツの考えている事っていったら・・・・

「『碁を打つ相手がいなくなる。』だろ?」

相変わらずヒカルの方を見ないまま、アキラはああ、とだけ答えた。

しばらくしてアキラが再び口を開いた。

「是非もなく・・・というのであれば。進藤、どんなに卑怯な手を使っても、どんな恥辱にまみれようとも、必ずボクの所に帰って来い。今、ここで誓え。」

「オマエ、言ってること無茶苦茶。そんなん、死ぬより大変じゃん。」

笑って草むらに寝転んだヒカルの瞳に、アキラの真剣な表情が映った。

「誓え。それができないのなら、今ここでボクがキミを殺してやる。」

冗談には聞こえなかった。ヒカルにのしかかるように両膝をついたアキラの細い指が、ヒカルの首にかかる。

「頼む。進藤、頼むから帰って来てくれ。お願いだからここで誓ってくれ。」

きちがいじみた行動とは裏腹に、アキラの声はあくまでも平静だった。平静だったけれども・・・・ヒカルは何故かアキラが心から叫んでいるように感じた。

そんな先の事まで心配すんなよ。オマエ、そんなんだから病気になったりするんだ。そう思いながらヒカルは小さく呟いた。

「何があってもオマエの所に帰ってくる。・・・誓うよ。」





二ヵ月後。

進藤ヒカルと、表向きには決して認めないであろうが、塔矢アキラ両名が心待ちにしていた手紙が届いた。

差出人の名は藤原佐為。遠く太平洋上に展開される帝国海軍艦隊旗艦の軍医を務める男である。

「見ろよ!ここだよ!ここ!すげーよなあ。痺れるよなあ!!!」

一瞬の間も惜しんで封を切り、手紙を広げて、すでにアキラの前に用意されていた碁盤の上に白石をひとつ置く。

「ここか・・・・・・。」

アキラもその一手を見詰めたまま次に発する言葉を持たなかった。

ヒカルに囲碁を教えたというこの村きっての神童といわれたその男とヒカルが、数週間、悪くすれば半年もかかるような手紙の遣り取りで対局を続けていることは、早くからアキラの知るところであった。今までの棋譜はこうなっている、と見せられた一枚の履歴はアキラの予想をはるかに越えた見事な一局で、ヒカルが次にどう打つのか、相手はそれにどう返してくるのか、次第を見続けるのはアキラにとっても大きな喜びとなっていた。

少なくとも最初のうちは。

どういったつてを利用しているのか、その軍医からの手紙は常に無検閲でヒカルの元に届いていた。元より他人の私信に興味を持つような不躾な教育は受けていないアキラであったが、あえて尋ねる必要もなく、ヒカルは嬉々としていつもその内容をアキラに語ってきかせるのであった。

「なあ、すげえ贅沢だと思わねえ?ほら、ここ読んでみろよ。『遥か遠き海の上より、いつもあなたの事を考えています。あなたからの手紙が届くまでは、自分の予想したところに打ってくるのだろうか、それとも思いがけない一手を披露してくれるのか、と胸が躍り、届いてからは、早く私の一手をあなたに伝えたくて矢も盾もたまらなくなります。今日も夜空を見上げると、満天の星空で、その星の一つ一つがヒカル、あなたが打つ石のように輝いています。』だってさー、照れちゃうよなあ・・・。佐為はいつもオレの事考えながらこうやって一手を書いて送ってきてくれるんだ。な?最高に贅沢な一局だろ?」

「・・・・・・そうだね。」

自分でも説明の出来ない不快感に、アキラはいつしかその手紙の差出人に謂れのない敵愾心を覚え始めていた。それでもヒカルは今自分の側にいて、自分と碁を打っている。ささやかな優越感に支えられて、アキラはその手紙の内容を聞き続けていたのだった。

異変は、ヒカルがその手紙への返信を送り終え、数週間を経た時に起こった。

その日は朝から冷たい雨が降り、そしてそんな日は野外での勤労奉仕が行われないために、いつもなら午後早々にやって来るはずのヒカルが、ついにアキラの元を訪れなかった。夜の十時には、さすがのアキラも諦めて、未練がましく小さく開けていた病室の窓を閉めようとした。桟に手を伸ばしふと視線を漂わせたところで、初めて彼は窓の下に蹲る人影に気がついた。

「・・・・・・進藤・・・・?」

そんな筈はあるまい、という思いと、彼以外には考えられない、という二つの思いが交錯し、それでも次第にアキラの胸の中は喜びに満たされていったが、次の瞬間には、ヒカルがずぶ濡れのままそこにいることに思い至った。

「進藤!そんな所で何をしているんだ!早く入れ、窓からでいいから!」

アキラの叫びに、ヒカルがのろのろと顔を上げた。雨に打たれた彼の顔はびしょ濡れで、まさか泣いていたのではあるまい、とアキラはいぶかしんだ。

「塔矢・・・・・佐為が死んでた。」

泣いているのか笑っているのか判らないような奇妙な表情をしたまま、ヒカルの瞳にはまた新たな涙が湧き上がって来る。

「死んでた・・・・って。亡くなったのか?いつ?」

「オレがこの前の佐為の手紙に返事出した時には・・・もう・・・」

とにかくこの状態を何とかしなければ。アキラの頭の中は、顔を見た事もない人物の生死よりも、目の前で濡れそぼるヒカルの事で一杯だった。

「とにかく・・・中に。ほら・・・」

そう言って差し出したアキラの手を、ヒカルは掴もうとしなかった。

「もっと早く返事出せたんだ。いろいろ考えたけど、結局最初にひらめいた所に打つ、って決めたんだから。だけど・・・オマエと打っているとどんどんいい考えが浮かんできそうで・・・。今日はもっといい手が見つかるかもしれない、明日ならもっと、って・・・。どんどん先に延ばして。それに・・・最後に出した手紙にも、オマエの事ばっかり書いて。オマエと打って楽しい、って。・・・佐為は・・・佐為はオレと打つ事だけをあんなに楽しみにしていたのに!」

最後の方は絶叫となってアキラの耳にはっきりとは届かなかった。それだけに、ヒカルの悲しみだけが直に伝わってくるようで、アキラはかけるべき言葉を失っていた。

「・・・・ボクの事ばかりと言ったって・・・。結局佐為さんはキミからの手紙を受け取らなかったんだから、彼を傷つけた事にはならないと思うよ。キミはいつだって佐為さんの事を心から案じていたじゃないか。」

自分の事ばかり佐為宛の手紙に書いていた、というヒカルの言葉に、不謹慎だと思いながらもアキラは喜びを禁じ得なかった。なぐさめる口調でいても、そこには勝者の傲慢さが滲んでいたのかもしれない。

勝者だと思えたのはほんの一瞬であったが。

「ちがうちがうちがう。もうずっとそうだった。オマエに会ってから。佐為は、オマエとも打ちたい、って言ってた。オマエと打って強くなったオレとも打ちたい、って書いてきてた。オレは、佐為の気持ちに全然気が付かないうちに、自分ひとりで調子に乗って、楽しくやってて。・・・・・・佐為の所に行っていればよかったんだ!そうすれば、どこかで会えたかもしれない。」

「佐為さんのところ、って・・・・。まさか志願するつもりでもあったのか?進藤!しっかりしろ!判ってるのか?佐為さんはもういないんだ。今キミが志願して入隊したところで、どこをどう探したって彼には二度と会えないんだ!」

ヒカルの目つきがおかしかった。一向に屋内に入ろうとしない彼に業を煮やし、アキラは窓を乗り越えてうずくまったままのヒカルの肩を掴んで揺すった。

「・・・・判ってるよ、そんな事。佐為はもうどこにもいない、って。」

「それなら・・・・!」

それでも、とヒカルは言った。

「それでも、オレは佐為がいた所に行ってみたい。佐為が守りたかった物を守りたい。佐為が何を考えていたのか、自分で確かめたいんだ。」

「進藤!」

アキラの振り上げた手がヒカルの頬で炸裂した。

二度、三度とそのまま力任せに殴りつづけるアキラの怒りを、ヒカルは黙って受け止めていた。

「ごめん、塔矢。行かない、って言ったのにな。『碁を打つ相手がいなく』なっちゃうよな・・・。」

何度目かの殴打の後、アキラはついに喀血し、そのままヒカルの上に倒れ込んだ。倒れ込んだままの姿勢でそれでもアキラはヒカルを殴り続ける。血と、雨にまみれたヒカルの顔はぬるぬるとすべり、やがて力のないアキラの手のひらは、ただヒカルの頬を辿るのみとなっていった。

「ごめん。だけどオマエとの誓いは守るから。」

ヒカルは、力尽きたかのように自分に覆い被さるアキラの体を、その両腕で抱きしめた。





翌日からアキラは高熱を出し、当然面会は適わず、ヒカルは急遽入隊が決まり、あちこちへの事務手続き、近隣への挨拶と忙殺され、お互いに顔を合わせる機会を持ち得なかった。ほんの少しの時間でもあれば、アキラの元へ駆け付けたい、そう思っても、そんな時に限って変更の効きようのない用事が入ったりする。中でも両親は、入隊までの数日間、片時もヒカルを側から離したくない様子で、それを無下に友人の元へ、というのも気が引けた。

やっと何とか一人になれる時間ができたのは、もう明日は入営、という日の夜のことだった。夕食には、近所に住む親戚やらが集い、心ばかりの祝膳も用意され、その後、両親とも時を過ごし、自室に戻ったのは、夜十二時を過ぎていた。

・・・・明日の朝早く塔矢の所に行こう。

そう思って部屋の明かりをつけてしばらく後に、ヒカルはこつこつ、と何かが雨戸に当たる音を聞いた。

思うところがあって、そっと雨戸を開ける。黒く塗ったガラス戸を開くと、果たしてそこにはアキラが立っていた。

「・・・・・・・明日入営だと聞いた。」

青白い顔をして、冷え切った様子で、アキラは言った。

「だから来た。」

今度は、ヒカルが手を差し出す。

そしてアキラはその手を拒まなかった。





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