WWU Continent 13 13.キスケ 「で。進藤の部屋で何をしていたんだ。」 円タクの中で緒方が内ポケットからマッチと煙草を取り出す。 「楽しんでいたのさ。・・・こっちの方がよく点くぜ。」 永夏がアメリカ製のジッポーを差し出した。 緒方は無視してマッチを擦ったが、全開した窓からの風ですぐに炎はかき消された。 くっくっと笑う永夏の声がカンに障るが、二本目も失敗するよりは、とマッチを仕舞う。 永夏の手の中でボッ、と音を立てて燃え上がった力強い光はアメリカという国の勢いを表すようで 緒方はしばしその風に負けぬ炎に見とれた。 それからくわえ煙草のまま永夏の手を掴んで自分の方に引き寄せた。 先程永夏が閉めた木戸が、今また闇の中で、キ・・・と音を立てる。 赤坂の邸から駆けてきた塔矢アキラは、再び進藤の眠る離れの前に立っていた。 ひんやりとした沓石に膝を突いて、閉まったガラス戸に手を掛ける。 そっと引くと意外にも軽くからりと開いて、不用心に思いながらも助かった、と息を吐いた。 「・・・進藤・・・?」 障子の向こうは静まり返っている。 明かりもなく、起きている者の気配もないのを見て取るとアキラは靴を脱いで上がり込んだ。 今、自分は何を言えばいいのか。 ・・・「彼らが私を愛するかではない。私が彼らを愛しているのだ。」 穢れているボクを。 命の恩人である彼にこの上ない恥辱と苦痛を与えたボクを。 それでも関わりなく好きだと言ってくれた進藤。 ボクは、どうなんだ? ・・・殺したい程憎かった。 迎えに来なかったから。 アメリカ人に抱かれていたから。 緒方さんに、抱かれていたから。 ・・・だから? 心の底では、分かっていた。 ・・・ボクは、それ程進藤に迎えに来て欲しかったのだ。 迎えに来ないのならいっそ死んでいてくれと思うほどに。 死ぬほど進藤に抱かれたかったのだ。 他の誰かと寝ている進藤を想像したら狂いそうになるほどに。 それほど焦がれていた。会いたいと願っていた。 それが叶った今、過去などに塵ほどの価値もない。 見失っていたそんな簡単な事を教えてくれたのは、キミ。 その意味が分からず惑っていたボクに解きほぐしてくれたのは、かの偉大な人。 一人の人を愛するように万民を愛せると言うのはどんな境地か分からないけれど。 そんな彼に、僕は到底敵わないけれどそれでも、 キミに出会えた事を、キミの側にいられる事を、幸せだと知った。 キミがボクを裏切ったとしても、失望させる様な事をしたとしても、 教えられた、キミが存在してくれるという大事の前では些細な事なのだと。 そんな、そんな事をキミにどう伝えたらいいのか。 今更・・・。 でも、伝えずにいられない。 「昔も今もこれからも、ずっとおまえを好いている。」 キミを殺めようとした今も。 たたきつけるように割った碁石を置いてきた今も。 同じように言ってくれるだろうか。 今もキミの言葉を信じていいだろうか・・・。 いや、 「・・・キミが、例えボクをどう思おうともボクはキミを愛している。 キミがボクを愛するかではない、ボクがキミを愛しているんだ・・・。」 要人の穏やかな顔を思い浮かべながら呟いた呪文のように小さな声が、夜の静寂に響いた。 「・・・進藤?」 障子の向こうには以前の通り布団が敷かれ、枕元には畳んで積んである手ぬぐいと水差し。 まるで昔自分が療養していた部屋に戻ってきたような心持ちになる。 布団の端には小さなヒカルの頭があり・・・その顔は蒼白で、唇はひび割れていた。 「進藤・・・。」 瞼は落ち窪み、その下にあるはずの眼球もピクリとも動かない。 おずおずと頬に触れたら、驚くほど冷たかった。 「進藤。」 不意に、この部屋には自分しかいない、という理由のない確信がアキラの心を覆った。 ぞわりと、背筋を何かが駆け上がる気がした。 過ぎゆく闇に向かって葉巻の煙を吐き出しながら、永夏は背後の気配を伺った。 隣席の緒方のスーツの内側に差し込まれた手は銃のホルダーに掛けられている可能性がある。 ブラフかも知れないが。 その緒方が息を吸う微かな気配がした。 「・・・そう言えば。」 「何だ。」 「さっきの答えの続きを、聞いていなかったな。」 「?」 「進藤の部屋で何をしていたんだ。」 「それより何故その場所が分かったかとか何故日本にいるのかと聞かないのか?」 「お前自身の都合には興味ない。」 「進藤自身には興味があるんだ。」 笑い混じり。我ながら子どもっぽい会話。 「だとしたら、どうなんだ。」 ・・・耳に上った血は、この暗闇では見えないだろう。 瞬間的に殴ろうと上げた手は、葉巻を摘む事で誤魔化せたはずだ。 「そう言えば、シンドーはアンタの玩具・・・というか手駒だったらしいな?」 声は、震えていなかっただろうか。 「・・・安心しろ。アイツはもう使わない。使えない。」 思いがけず平坦な声が帰ってきて驚いたが、思わず安堵に長い息が漏れた。 自分が未だにシンドーに執着している事が丸分かりだと思ったが、止まらなかった。 「・・・アンタがどう言おうが、もう手を出させないさ。 オレは、本国にアイツを連れて帰る。」 「どうして使えないか分かるか?」 ・・・また、固まってしまった。 まさか。 だがこの国は不潔そうだ。 あの、死人のような顔色。 それでもオレはステイツに連れ帰ってちゃんとした医者に見せる。 優秀なアメリカの、優れた医者に。 「・・・性病か。」 「なるほど、それもありそうだが違う。オレも使うから変な客にはつけてないしな。」 「・・・・・・。」 「病気ではないがアイツは、もうすぐ死ぬ身だ。」 「?」 「塔矢アキラが、進藤を殺す。」 「トーヤが?」 「聞いていないのか?進藤を撃ち損なったのは、アキラだ。次はしくじらないだろう。」 「何故・・・・・・。」 あんなに待っていたのに。 あんなに・・・求めていたのに。 「だからさ。お前、アキラを抱いただろう?」 「ああ。」 「オレも進藤を抱いた。ガキにはそういうのが許せないんじゃないか。」 「・・・・・・。」 「とにかく、そういう何時殺されるか分からない奴を仕事には使えない。」 「なら、よけい日本には置いておけないな。」 「簡単にはやらない。オレも進藤が死ぬ前に用事があるものでな。 ・・・今日にも、アキラが進藤の所に来るだろうに。」 「何?!」 「オレの所から逃げて進藤の所に行ったと思ったが、何故か殺らなかったらしい。 それから自宅に潜んでいるのを見張らせていたが、今日家を出たと情報があった。」 「止まれ!!!車を、止めろ!」 窓の外には夜が流れていく。 信じられない・・・。 全く生命の兆しを感じさせなかったヒカルが、闇の中でぱちりと目を開いた。 昔、父の友人の家で見た西洋の陶器人形の仕掛けのようだと思った。 「進藤・・・聞こえるか?」 黒い瞳が、じわりと横に動いて自分を認めたような気がする。 気付いて慌てて伏せてあった湯飲みを取り、水差しから水を注いだ。 布団から起こさせて背を支えると、少し饐えた匂いがした。 褥瘡が出来始めているのかもしれない。 たった十日ほど前の事なのに、随分やつれた気がする。 それでもこうして腕を取って見ると暖かく、水を飲んでいるのがたとえようもなく嬉しかった。 そうか。 ボクは、進藤がこうして生きているだけで、こんなにも幸せだ。 どうして今まで気づかなかったんだろう・・・。 アキラはヒカルを寝かせるとまた丁寧に布団を掛けて、その布団の中の手を握った。 「進藤、そのままでいいから聞いてくれ。」 「ぁ・・・。」 「返事もしなくていい。頼むから無理しないでくれ。」 目を閉じる。 息を吸い込む。 どこから話したものか・・・。 取り敢えず、まず最初に。 「・・・ボクも、今でもキミを愛している。」 「お前ここから歩いて行くつもりか?」 運転手の首を締めんばかりにして止めさせた車。 客席の外まで回ってきてドアを開けるのを待たずに自ら開けて身を乗り出した永夏は 緒方の呼びかけにまた座り直した。 「Hey! Driver! Return the road quickly! Hurry!!」 「多分通じないぞ。」 「なら、伝えてくれ!早く!」 「オレに話があるんじゃなかったのか。」 「Shut up!!」 「分かったよ。」 ニヤリと笑いながらも緒方は「君、今来た道を戻ってくれ。全速力で。」 早口で運転手に話しかけると一円札を握らせた。 ヒカルをアキラは抱きしめていた。 つっかえつっかえ、色々な事を話した気がするが、何を話したのかよく覚えていない。 そしてどこまで聞いてくれていたのか、どこまで理解してくれたのかはおぼつかない。 それでもアキラは満足だった。 「・・・許してくれなんて言わない。」 暗い部屋。 本当ならアキラより力強いはずの、ヒカルの身体。 「許して貰おうなんて都合の良いことは思わない。けれど、」 既視感。 前にここに来た時よりも、ヒカルを犯した時よりももっと、 広島の、夜。 「帰ってきてくれ、ボクの所に。・・・ボクを、温めてくれ。」 帰ってきてくれ。あの夜に。 帰ってきてくれ。 背中に回された手に、力が籠もった気がした。 ・・・進藤は、きっとすぐに良くなる。 ボクも薬の力で回復したけれど、それ以上に前以上に逞しくなるだろう。 そして出来ればボクを、身体ごと愛して欲しい。 穢れを清めて欲しい・・・。 その時、三和土の方で足音がした。 「誰?」 鋭い声が問う。 入り口で取っ手つきの小型の行燈が揺れる。 その持ち主の和服の袖がぼうっと光った。 「怪しい者ではありません!すみません、ボクは、その、彼の友人で、」 「・・・・・・。」 「どうしても会いたくて、勝手に忍び込んで申し訳・・・」 「コウさんじゃないのね?」 「・・・え?」 「コウ・ヨンハさんじゃなければいいのよ・・・。 あの人に夜中に会うと思うと恐ろしくて。」 入ってきたのはひっつめ髪の、年配の女性だった。 桑原病院の看護婦で、空襲で焼きだされたのをこの院長の本宅に仮住まいさせて貰っている、 それで夜はこうして進藤ヒカルの様子を見に来たり世話をしたりしているのだと、 聞きもしないのに自己紹介した。 「で、さっきコウ・ヨンハと。」 「ああ、この三日ほど泊まり込んでいたアメリカ兵よ。 もっとも見た目は日本人とあまり変わりがないようだけれど。」 それでいて言葉は全然通じないしやたら大男だし。 顔はきれいだけれど何だか気味が悪くて。 暗闇の中で青ざめたアキラに気付かず独り言のように言って、看護婦はヒカルに向き直った。 「あ、あら!坊ちゃん、目が覚めたの?まあ!良かった・・・・!先生!先生!」 医者を呼びにバタバタと走り去って行った看護婦の背中を見ながら、 アキラは呆然としていた。 どうしてアイツが・・・。 中国からわざわざ進藤を連れ戻しに来たのか。 恐ろしい。 逃げなければ。出来るだけ早く。 けれど、こんな状態の進藤を連れては・・・。 その時、永夏は既に裏木戸に手を掛けていた。 「まだトーヤは来ていないだろうか。」 「さて。」 「シンドーが寝ていても構わない。今すぐ基地に連れていく。」 「寝ているのか?」 「もう十日昏睡状態だ。」 緒方は顎を撫でた。 この場所は何とか調べが付いたが、そこまでは知らなかった・・・。 さっき永夏が進藤の所で「楽しんでいた。」などと言ったのは、その肉体を弄んでいた訳ではないのか。 しかしもう一度進藤と真剣対局するまでは、永夏に手渡す訳には行かない。 かと言って、昏睡しているガキに用などない。 どうしたものか・・・。 その時、離れでバタバタと音がして明かりが灯り、障子がオレンジ色に光った。 中でいくつかの人影が動く。 「おい、人がいる。」 「構うもんか。」 「待て。こんな夜中に押し入って警察沙汰にするつもりか。 これだけいれば塔矢アキラだって手を出せないだろう。日を改めろ。」 永夏は闇の中できつい目をして緒方を睨んだ。 そしてくるりと踵を返して大股に庭から出て行く。 緒方が追った所、勝手に車に乗り込んで走り去る所だった。 ちっ。 思わず舌打ちしてしまう。 「あの馬鹿より早く手を打たねばな・・・。」 緒方は溜息を吐くと、大通りの方へ向かって歩き始めた。 メモリー 当時のコメント 2 ※話、進んでませんか・・・(笑)by キスケ ※ぼちぼち始まりました。最終回押し付け合い合戦(笑)by 柿
|