WWU Continent 12
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12.柿




高永夏は、足元の地面を見詰めていた。

この大地は、シンドーの元へと繋がっている。そう思うとあてもなく歩き出してしまいそうだった。

日本に赴任している男から

「こちらで知り合ったシンドーという名のtoy-boyがオマエの着任地を探している。そいつのバックにはアシギという性質の良くない男がついているから気をつけるように。」

そういう手紙が届いたことがある。

くだらない男だった。大方自分とシンドーの仲を邪推して、暗にシンドーを抱いた、と伝えたかっただけなのだろう。そのタチの悪い男相手に自分が乗り込んでいけば面白いと思ったのかもしれない。



アシギ・・・・。

オガタ・・・・。



あいつにも煮え湯を飲まされた。
あんな奴の口車に乗せられたと思われるのも業腹だが・・・・

まあ、いいか。

そんなに簡単に手折れるとは初めから思っていない。



地面に埋まった石を蹴りながら口笛を吹く。
いきなり「おい!」と言われて顔を上げると、目の前にはこの飛行機を操縦してきたパイロットがいた。

『なんだ?』

と聞いてもさっぱり判らない。日本語で機関銃のようにまくしたてているが、どうやら「アキラ」と言っているような気がする。

永夏は当惑して由梨を見た。

『おい、こいつさっきから何を言っているんだ。・・・こいつの言っているアキラってのは・・・・あの雛菊の事か?』

由梨も初めて聞く話だった。社の詰問を聞きながら話を繋げてみるとどうやら・・・

『・・・どうやら・・・アキラの待ち人、あなたのリリィをね・・・彼は良く知っているみたいよ。』

永夏の目が細くなった。

『手間が省けたな。それなら案内して貰おうじゃないか。幸い時間はたっぷりある。』

『たっぷり、ってどういう事?給油を済ませたら台湾へ出発するんじゃなかったの!?』

思いがけない話の成り行きに由梨が表情を強張らせた。

『そっちがダミー。本当の目的地は日本さ。国民党は・・・政権掌握のために米軍の武力介入まで視野に捕らえ始めた。彼が国府主席としての地位を失う前に、米国に従属する意思を表明する事が来日の目的だ。』

それもごく秘密裏に。

永夏はそう言って笑った。

この時既に蒋界石には後に締結される日米安全保障条約の青写真が描けていたという。極東の基地の中におかれた小さなアメリカの中で、彼の思惑が実現していたら、その条約に中国も含まれ、その後の東西冷戦の地図は大きく描き変わっていたことであろう。

『オレの祖国の行く末もその結果次第で大きく変わるからな。ゆっくりと見物させて貰うさ。』

そして今度は社の方を向いてにっこりと笑った。

『案内して貰おうかな。』

社がびくりと青ざめた。







『進藤は昏睡状態のままだ。』

いきなり電話で呼び出され、見ず知らずの東洋人将校と同席させられ、越智康介は憮然として呟いた。

「だいたい社、お前は中国に一旗上げに行ったんじゃなかったのか。どういう神経をしていたらこんなにあっという間に戻って来れるんだ。」



姐さん、あんまりや・・・。



睨みあう永夏と越智の間で、社は小さくなっていた。
永夏とアキラ、そして彼らの待ち人であるヒカルとの複雑に絡み合った話を聞いた途端に

「私からアキラへは全てを伝えてあるわ。後は自分たちで何とかして貰って頂戴。時間があるならあるで、東京で片付けたい事も山ほどあるのよ。出発が決まったら連絡してね。」

そう言い残すと、電話番号を書いた紙切れ一枚を社に渡して、迎えの輪の中に混ざっていってしまった。

「いやでも姐さん・・・・あの・・・・『お父様にご挨拶』・・・とか・・・」

「心配しないで!あの様子ならアッシーが上手くやってくれそうだから。」

そう言ってひらひらと背中で手を振って踵を返す。



これやからおひいさんって奴は信用できひんのや!



社は心の中で慟哭した。





『昏睡・・・?どういう事だ。』

同じく社にも初耳である。横浜港で別れたときまでは元気だった筈だ。

「塔矢アキラに撃たれた。その後・・・・何らかの事情で出血多量に陥り・・・・もう一週間も目を覚ましていない。」

越智の日本語に、永夏が苛立った声を上げた。

『シンドーに会わせろ。彼は今どこにいるんだ!』

『いいよ。会わせてやる。君の声は届かないだろうけどね。』







病室に横たわるヒカルの姿に社は驚愕した。
すっかり面やつれし、紙のような顔色をしたまま微動もせずにいるその姿はまるで死人のようだった。

「なんでや・・・・!なんでこないな事に!なあ・・・越智!なんでこいつがこないな目に合わなきゃならんかったんや!」

「判らない。・・・・・・・・進藤を中国に行かせなかったのは間違いだったのかもしれないと。ボクもずっとそれを考えていた。」

「お前今更・・・・・・!」

そう叫んで越智に掴みかかろうとした社を永夏が制した。

『静かにしろ。病人がいるんだ。』

それからゆっくりとヒカルの前髪を掻き揚げると、その額にキスをした。

『動けるようになったら・・・・オレがお前をステイツに連れて行く。早く元気になれよ、リリィ。』

愛しげなその所作に越智が反発した。

『勝手な事言うな!お前の一存でそんな事が決められるとでも思ってるのか!』

「Who cares?」

平然と問われて越智は言葉に窮した。



誰も気にしないだろう?







アキラは・・・・・塔矢アキラは・・・・・一体どこで何をしているんだ!!

越智は声にならない怒りを呑み下した。









塔矢アキラは自宅に戻っていた。

緒方の下から勝手に飛び出したことで、何らかの制裁があるだろうとは思ったが、最早諦観にも似た境地で、その執行を待つのみだった。

芦原から電話がかかって来たのはそんなある日の事である。

「アキラ・・・・頼みがあるんだ。」

久しぶりに聞く芦原の声だった。

「会って欲しい人がいる。・・・・・・・今晩7時に、今はGHQに接収されている赤坂の岩崎邸まで来て欲しいんだ。」

「会う?・・・・・・・・それだけじゃないでしょう。別にいいですけれどね・・・。

判りました。伺います。」

緒方たちはどうやらこれから自分を男娼として使う事に決めたらしい。
アキラには運命の皮肉さを笑うしかなかった。あれほど非難したヒカルと同じ事をしようとするのだ。
それが緒方の考えた制裁であるのならそれはそれでよかった。



ボクはもう答えを出し、進藤にそれを伝えてしまったのだから。



「アキラ・・・・アキラ本当に会って欲しいだけなんだ。」

芦原の話はまだ続いていて、アキラはそれをぼんやりと聞いていた。

「あのさ・・・オレ・・・由梨ちゃんに会ったんだ。」

由梨さん!
アキラの意識が電話に戻った。

「帰って来たんですか!?いつ!」

「・・・・三日前に。しばらく東京にいる、って。・・・・・・・あのさ・・・オレ、アキラの話聞いたよ。由梨ちゃんから・・・・。進藤君をずっと待っていた、って。」

電話口から、一番愛しくて一番憎い名前が零れ落ち、アキラの胸の奥がまた痛んだ。

「もう・・・・忘れました。昔のことですから。」

そう言って受話器を置こうとすると、芦原が慌てたように話し始めた。

「待ってアキラ!まだ切るな!聞けよ。

進藤君は・・・・アキラを探すために必死だったっよ。・・・・名前しか知らないアメリカ人の消息を日本人の子供が探す事がどんなに大変か・・・・それは判るだろ?行き先が中国だって判ってからも・・・ひどい目に会いながらも旅券や切符を手に入れようとしてた・・・・。オレたち・・・そんな進藤君を見て面白がってたんだよ・・・・・。」



そして緒方さんは進藤を弄んでもいた・・・・でも・・・



「でも結局・・・・・・・・進藤は来なかったんですから。」

アキラの胸の中に苦い物が溢れた。けれど芦原は猶も続ける。

「出発するはずだったんだよ!ちょうどその時アキラが日本に向かってくる、っていう情報が入って・・・・。オレと緒方さんはさ・・・お前たちがまた日本と中国で入れ替わりになるのを高みの見物しようとしてたんだ。」

ごめんな、ひどいよな、という言葉はアキラの耳を素通りしていた。

「それで・・・・?進藤はボクが帰ってくることを知って、それで日本に残ったんですか?」

「由梨ちゃんと一緒に中国から来た社、ってやつから聞いた。とにかく上手く連絡が取れなくて、社君も状況が判らなくて。何としても進藤君を中国に行かせまいとして・・・・出航直前に進藤君の旅券と切符を・・・・・破いたんだって。」

「そう・・・・ですか。」



でももう遅いよ芦原さん。

ボクはボクが撃った弾で自分自身を打ち抜かれてしまって、そこから腐り始めているんだ。

進藤がしてきた事も、ボクがしてきた事も、全てが重すぎてもう立っていられないんだ。



「ありがとう。・・・・・・・・それでも聞かせて貰えてよかった。今晩は、芦原さんも一緒に来るの?」

「いや・・・オレは行かない。」

やはりそういう事か。

最後に昔の口調で話してしまった事をアキラは軽く後悔した。





けれど、かつて財閥が所有してたと言うその広大な邸宅に足を踏み入れ、ひどく憔悴した男性と相対した時に、アキラのその疑念は払拭された。

「空港で弘幸君に再会した時は驚いた。」

かすかに訛りを感じさせながらも、彼は見事な日本語でアキラに応対をした。

「私がこの国の士官学校に在籍していた頃・・・。よく彼の父君が我々国費留学生を私邸へ招いてくれたものだった。普段は、弘幸君と、そのお母さん二人だけで暮らしている寂しい家だから、と言って。」

一区切りつく度に思わず、といったふうに溜息を漏らし、また気を取り直したように快活に話すその様子からは、アキラにその内面の葛藤を容易く想像させた。

「ご気分がすぐれないようでしたら・・・ボクは失礼いたしますが。」

そう言って辞去しようとすると、その男性は笑って手を上げた。

「いや失礼。君がいてくれなくては、おそらく私は食事をする気分にもなれないだろう。弘幸君は、私の状態を見るに見かねて君を呼んでくれたらしいからね。」

そうして始まった正餐の間、二人は他愛もない話を続けながらも、それぞれ相手の中に自分と共通する何かを感じ取り始めていた。

「私はね・・・・祖国のためにアメリカと寝ようとして・・・・・失敗してしまったんだ。」

食事が終わり、ブランデーグラスを手にした蒋界石はついにその言葉を口にした。

軽い口調に、最初は何かの比喩なのかと首を捻ったアキラは、徐々にその言葉を理解していった。

「あなたのお国の人々は・・・・それを知っているんですか?」

おぼろげながら相手の国籍、職責を感じ取りながらアキラは慎重に尋ねた。

「あなたがしようとした事は・・・お国を裏切る事になるのではありませんか?」

言いすぎだ、と思いながらももう一つ、問いを重ねる。

「あなたの誇りが地に堕ちても・・・・・構わないと仰る?」

蒋界石は目をくるりと剥いて、いたずらっ子のようにアキラを見た。

「私に誇りなどない。誇りなどあったら国を守れない。私の国が、国民が誇り高くあってくれるのであれば、私は例え路傍に捨て置かれた割れた石ころのように扱われても構わない。・・・・・・と思うが。君はどうかな?」

割れた石ころ・・・・・偶然にも彼が口にした言葉は、アキラがヒカルの枕頭に置いた石を思い出させて、アキラはまた喉をせり上がる固まりを飲み下した。

「君は、こういう例えを知っているかな。『炎は、どんな物を投じられても、それを取り込んで一層大きく燃え上がる。』私の中の炎はまだ消えてはいない。国民が、例え私をどう思おうと、私は国と国民を愛している。彼らが私を愛するかではない。私が彼らを愛しているのだ。」

アキラの中で、彼の言葉とヒカルの姿が重なった。



進藤は・・・・昔も今もこれからも・・・・・ずっとボクの事を好きでいる、と。



顔を上げたアキラに、蒋界石が微笑んだ。

「どうやら君の中にも、消えない炎があるようだ。・・・・行きなさい。行って君もまた投じられた物を糧に燃え上がればいい。・・・・・私も君の闘志を見て力が湧いてきたようだよ。ありがとう。」

感謝の言葉と共に差し出された別れの握手は、アキラに、行け、と無言で語りかけていた。

時刻は11時を回っていた。

アキラは駆け出す。







『11時か・・・・・・』

腕時計を見て永夏は立ち上がった。

もう三日間ここに泊まり続け、さすがに今日は一度本部に顔をださなければまずいと思われた。

ヒカルは永夏の呼びかけにも、触れた手にも一向に意識を取り戻す気配がなく、さすがの彼も疲れを感じていた。

『おやすみリリィ。また明日。』

コートを腕にかけ、裏木戸から車道に出た所で、ちょうどタクシーが止まった事にほっとしてそちらに足を向ける。

先客が降りる所だった。

大股で近づいて運転手に声をかけようとしたその時

『・・・・・・・久しぶりじゃないか。やっと進藤を探し当てたら、お前がおまけについて来るとはな。』

タクシーを降りて暗がりに立っていた男がにやりと笑って言った。

『オガタ・・・・・・』

長身の男二人はしばらく黙ったまま睨み合っていた。

『顔を貸せ。お前には貸しがある。』

永夏が顎をしゃくって言った。

「・・・・・つくづく面倒な奴だな、進藤も。邪魔者片付けてもすぐに次の厄介者が現れる。」

緒方が眼鏡の奥で鷹揚に笑った。

今降りたばかりのタクシーに乗って、二人は闇の中へ消えていった。






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