WWU Continent 5
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5.キスケ




あの一件以来、永夏とアキラは寝るときにはお互いに短銃と剃刀を離さないという
緊張した夜を送っていた。
それでも永夏はまだアキラを身辺から離さない。


しかしある日、帰ってきた永夏は妙に上機嫌だった。

短銃をくるくると回しながら、いつになく気軽にアキラに近づいてくる。
だが、永夏にアキラを殺すことなど出来ないことは分かっているから、恐ろしくもない。
胸元に剃刀を構えたままのアキラの三歩手前で立ち止まって、言った。


「今日、面白い話を聞いた。シンドーの話だ。聞きたいか。」

「・・・・・・。」


アキラが黙っていると、椅子を引き寄せ、とすん、と腰掛ける。


「・・・何ですか。」

「そうだな。どこから話したものか・・・。」


しばらく焦らして楽しむように斜め上を見た後。


「・・・オマエはセイジ・オガタという男を知っているか。」

「緒方さん・・・。」

「やっぱり知り合いか。」

「父の弟子で・・・ボクも随分お世話になった。」

「ふうん。」


目を細めて、嘲るような笑顔を浮かべる。
だが・・・それはどこか苛立ちを含んだモノにも見えた。


「終戦の直前、そのオガタがオレの所にやって来た。
 シンドーをオレの所から連れ去ったのは、ソイツだ。」


そう・・・だったのか・・・。


「どういう訳でアイツらが別れ別れになったのかは知らないが、
 シンドーを連れていくのは、オマエの想い者だからだと言っていた。」


アキラは勿論、永夏も緒方とヒカルの乗った船がソ連機に攻撃されて沈んだことを、知らない。

芦原さんから、緒方さんに伝わったのか・・・。
アキラは、緒方にまで自分の気持ちを知られた事を恥ずかしく思ったが
それだけの人間が自分たちの為に動いてくれたのだと思うと、その感謝の念に胸が熱くなった。
ありがとう・・・皆さん。この御恩は、必ず。

だが、そんなアキラをしばらく見つめていた永夏が。


「さて。」


いよいよ唇の端を吊り上げる。


「今日トーキョーに進駐している友人が教えてくれたんだが、
 シンドーはジョーと呼ばれる怪しい男の、」


進藤?!
進藤はもう、無事に東京に、日本に帰り着いたのか!

永夏は喜びの予感に顔を輝かせたアキラの反応を観察するように一旦言葉を切り、
たっぷり楽しんでから、続けた。



「・・・情婦になっているらしい。
 ソイツが、そのオガタに似ているらしいぜ。」



アキラの笑顔が、固まる。
・・・まさか。
進藤がまた誰かに身を任せているなんて。

有り得ない。


「ソイツに使われて、アメリカ兵とも派手に遊んでいるそうだ。」


いや、もしかしたら・・・自分を捜す為に仕方なく、
情報を得るために、こちらに来る為に、身を売っているのかも知れない。

だってボクに会うために、
生きるために
永夏に身を任せていた進藤だから。

かわいそうな、進藤。

でも。


「・・・その人物は緒方さんではありませんよ。
 彼にそんな悪癖はないし、そうでなくても緒方さんだけはそんなことはしない。」

「人は、変われば変わるぜ。」

「進藤だって、ボクの彼への思いを知っている人間とわざわざ寝たりしません。絶対に。」

「そうだろうか?」

「似た人間はいくらでもいる。それに白人には東洋人は皆同じ顔に見えるんでしょう。」


永夏とこれだけの会話をしたのは初めてだ。
ムキになっていると自分でも思う。

だが、何を恐れる事があるのだ。
自分は進藤を信じている。
緒方さんだって。




永夏は俯いてくっくっと笑うと短銃の引き金に指を掛けて立ち上がった。
アキラも思わず腰を浮かせて再び顔の前で剃刀を構える。

また勿体ぶるように無意味に銃を振った永夏が、やがて投げつけるように言葉を発した。



「その男のフルネームはな、『ジョータ・アシギ』。」



意味ありげに言われても聞き覚えのない名前に、戸惑いを隠せない。
永夏は繰り返した。


「ジョー・タ・ア・シ・ギ、だ。」


数秒後・・・アキラの頭の中で、何かが弾けた。

区切られた節がその名を分解し、アキラの頭の中でパズルのように再構成される。
まさかと思って、何度も何度も組み直した。
何度も。

だが。


「緒方・・・さん・・・。」


顔からどんどん血の気が引いていくのが分かる。
セイジ・オガタのままなら、まだ良かった。永夏の作り話だとも思えた。
だが、永夏に日本名として不自然でないこんな名前が作り出せるとも思えない。

腕が落ち、剃刀が床にあたってかしゃんと音を立てる。


「オマエは裏切られたんだ。オガタにも。シンドーにも。」


殺人的なその言葉も耳の中を素通りし。
ふらりと倒れそうになるのを、素早く距離を詰めた永夏が支える。


「オマエがオレの側で待っているのを知っていながら、シンドーは
 日本でよろしくやってたんだ。そのオガタと。」


永夏がどこか苛立たしげな表情を浮かべていた理由も、分かる。
永夏も信じていたのだから。進藤がきっと来ると。


「ふふふっ。だから、こっちはこっちで楽しもうぜ。」


唇が吊り上がっている、だがその目は笑っていない。

アキラも、ゼンマイ仕掛けの人形のようにきりきりと顔を上げ、
永夏と目が合うと・・・突然はじかれたように笑い出した。

その高笑いは抱き上げられて寝台に放り出されても、服をはぎ取られても続き、
永夏が押し入った時に呻き声に変わり、
やがて甘い喘ぎ声に、変わった。





翌朝永夏は、腕の中の髪の毛がするりと抜けていく感触に、意識を浮上させた。
そのまま目を閉じていると衣擦れの音の後、足音が窓に近づき
タッと床を蹴る音がした。

窓の下で砂利が鳴り、その音が遠ざかる。


 バイバイ、デイジー。
 オマエはもう、シンドーに会えない。


永夏は毛布の中で大きく伸びをした。


さて、ここで永夏が一つアキラに伝えなかった情報がある。
それは、ヒカルが永夏の消息を尋ね歩いていたこと。

いいけどね・・・。

シンドーはまだ、トーヤを諦めていない。
だから、ここに来ても来なくても、絶対に、会わせない。


シンドーが来たら、どうしようか。


永夏はうっとりと目を閉じた。

どんなお仕置きをしてやろう。
そうだ、トランクに詰め込んで本当に連れて帰ろう。
何、すぐに忘れるさ。
忘れさせてやるさ。

西海岸の乾いた風が何もかも吹き消すだろう。
そうだ、オレが子どもの時に出来たゴールデンゲイトブリッジに連れていってやろう。
世界一美しい橋だよ、シンドー・・・。

永夏は再び眠りに落ちた。









アキラは、いつか由梨が走っていた道を、歩いていた。
美しいけれど実用的でない靴では走るどころか歩く事さえままならない。
しかも、道行く人に比べて異様にきらびやかなアキラは、人目を引いた。


「○○○!」


若い男が大声で声を掛けて来るのを無視すると、周りにいた者がドッと笑う。
もしかしたら娼婦か何かと間違われているのかも知れない。


「ターチエ!」


猥雑な町のざわめきの中で、一際高い声に振り向くと
そこにあの、楽平がいた。




着いて来いという仕草をする楽平に従うと、石畳の狭い路地にどんどん入っていく。
アキラが立ち止まると、数歩先で楽平も立ち止まって振り返る。
やがて、小さな門をくぐると、中庭のような場所に出た。


「ラオシー!」


楽平が何やら叫びながら、開けっ放しの一つの扉に駆け込んだ。
中から、開襟のシャツを着た、背の高い男が出て来る。


「こりゃ・・・また・・・。アンタが、楽平の言ってたお姫様かい?」


日本語だった。













「んで、オマエはいつ復員して来たわけ?」

「10月・・・かな。大変だった。」

「アホか!10月なんか滅茶苦茶早いやんけ!オレこないだの4月にやっと帰って来たねんで。」


しかし、まだまだ収容所で苦渋を舐めている日本兵は山ほど居るのだ。

戦争が終わって、「日向」の船上でお定まりの勝ち組(日本が戦争に勝っていると信じている集団)と
負け組(日本が負けたと認めた組)の対立が起こり、冷静に時局を見つめていた越智などは
そのまま帰国したが、負けたと認められない社達はそのまま南方に残ったらしい。

すぐに捕虜になって収容所に収監され、そこで敗戦を嫌というほど思い知った。


「まだ日本中ワヤやと思とったのに、なんやみんなもう立ち直って復興始めとるやんけ。」


しかも占領軍のアメリカ人ものんびりしたもんや。
オレらばっかり苦労して内地の奴はのほほんとしやがって。


「神の国やと、思とったねんけどな・・・。」


おとんもおかんも、弟も妹も、みんな空襲で死んどった。


「だから、こんな国に、もう未練ない。」

「え・・・どう言うこと?」

「オレな、大陸に渡ろと思うんや。」

「バカな。みんな大陸から命からがら引き揚げて来てるのに。」

「やからや。」

「?」

「今こそ、向こうから帰って来られへん奴ら相手に商売出来る絶好の機会やろ。」

「え・・・。」







「進藤。オマエ、北京に行きたいとほざいていたそうだな?」


部屋着の、帯を解くのも面倒だと言わんばかりに後ろから襟を引いて肩を剥き出させる。
ヒカルが大人しく俯せに横たわると、『足木』は無造作にその裾を捲り上げて尻を剥きだした。


「ああ・・・。行きたい。」

「何故だ。」

「大事な人が、其処にいるんだ。」

「大事な人、か。フン。馬鹿馬鹿しい。」

「アンタに分かって貰おうなんて思ってないよ。・・・っう・・・。」

「初めに言っていた、尋ね人か。」

「そ、う・・・。」


勿論緒方の脳裏には、今にも露と消えそうだったアキラの姿が浮かんでいた。
長い異国生活で、生きているかどうかさえ怪しいものだと思う。
それでもどうという事はない。
戦争とはそういうものだ。

今の生業も大手を振って人に言える物でもないと思うが、特に後ろめたいとも思わない。

緒方の中には、善も悪もなく、
偽善も偽悪もない。
ただ、常にその時自分に一番有利だと思う選択をしているだけだ。
以前は宮家に忠実に振る舞うのが、一番だと思っていた。

あのフィリピン沖で、沈み行く船の上。

カナヅチだと嘘を吐いたのは、終戦と共に芦原一族が拘束され、
処刑される可能性も高いと思っていたので。
火の粉がかかる前に自分も死んだ事にして身を隠した方がいいと判断したまで。

だが、半分以上は、佐為が迎えに来たら一緒に沈んでもいいと思っていた。

あそこで死ねたら、それも幸せだと思っていた。

それでもまだ、生きている。
いいさ。人生と言う名の船は、沈むまでは進み続けるのだから。
それまでこの饗宴を楽しむばかり。


「足木さん・・・もう、イかせて・・・。」


・・・このガキを拾ったのは、一体どういう計算だろう。
自分で訝しむ。

確かに便利だ。英語が話せて、男に抱かれ馴れていて。
オレと同じく目的の為には破倫を恐れず手段を選ばず、そしてオレはその目的を知っている。
使いやすい。
だが、そんな女なら、もう何人も抱えているではないか。
同じくらいの数死なせてしまったが。

やはり、佐為の最後の対局相手だったからだろうか・・・。
苦笑する。

オレを狂わせるのは、佐為の碁だけだ。





「おい。」

「なん、だよ・・・。」


最中はさんざん悦がっておいて、終わった途端に微かにだが
屈辱のような怒りのような表情を浮かべる。

強姦した訳でもあるまいし。
とでも思わせたいのだろうか。お門違いというものだ。


「本気で北京に行きたいか。」

「・・・・・・。」

「なら、オレが行かせてやろうか。」


考えている。
バカではないな。じっくり考えるだけの価値のある選択だ。


「その気なら旅券と船券を用意してやる。」

「往復分?」

「往復分だ。」


無事帰って来られたら、だが。


「・・・オレ以外にもう一人、行っていい?」

「遊びに行くつもりか。」

「そのつもりだよ。」

「・・・まあ構わんが。」

「で、オレは何をしたらいいの?」


察しがいい子どもも、使いやすい。


「簡単な事だ。ある人物を捜し当てて、その人に小さな紙包みを渡すだけでいい。」






「おい!社!チャンスだ。大陸への旅券が手に入りそうだぞ!」

「ホンマか?!」

「ああ。行きだけだけど。」

「かまへん。行ってもたらこっちのもんや。」


そして帰りは、オレは塔矢を連れて帰って来る。









アキラは楊海と名乗ったその人物の家で数日世話になっていた。
世話になっていると言っても粗末な食事と寝台を与えてくれるだけで、
特にアキラに何も求めない。

だからアキラは、何となく集まってくる子ども達に茶を出したり、菓子を出したり。
簡単な中国語を教えて貰って近所に買い物に出たりするようになっていた。

楽平は、お姫様だから言葉が通じないんだと言っているらしく、
別の子は楊先生の奥さんになる人かとませたことを聞いてくるらしい。
女性と思われている事を特に否定もせず、ただただおっとりと笑うと
子ども達も笑い返し・・・。

貧しくとも、なんと平和な生活。

忘れそうになる。何もかも。

だが。



ヒカルの裏切りを知って、一時は死をも考えたアキラである。
しかし楊海に拾われて・・・子ども達と触れ合って。

このまま市井に紛れて沈んでしまおうか。
中国語を覚えて、中国人になって。

働いて、中国の人と結婚・・・は無理だ・・・。

きっと、医者にも行けないこの状況では、ボクは。
そう長くは生きられない。

ボクが、遠い異国で息を引き取る時にも、きっと・・・進藤たちは・・・。



許せない。



自分の中にこんな感情が沸き起こるとは。


命よりも大切だと思っていた人に。
恩人だと、兄のように慕っていた人に。

いや、だからこそ・・・か。






楊海は日本語が達者なようだが、アキラに何も聞かない。
ただ日々穏やかに子ども達に簡単な読み書きを教え、時には碁を教えていた。

碁。

そう、今となっては別の意味を持って胸に熱い、黒い碁石。


「楊海さん・・・。」

「何?」

「すみません・・・お世話になってばかりで。」

「ああ、構わんよ。キミがいてくれるお陰で助かるしな。」

「そんな。その、御恩返し出来なくて申し訳ないんですが、ボクはもう行きます。」

「何処へ?」

「日本へ、帰る方法を探します。」

「やはり故郷が恋しいか。」

「そう言う訳ではありません。どうしても、遂げなければならない事が。」

「・・・聞いて、いいかい?」

「二人の人間に・・・ボクはどうしても、復讐をしなければならないんです。」

「・・・・・・。」

「軽蔑しますか?」

「いや・・・。由梨からある程度は聞いているから、キミが過酷な状況を生きてきたのは分かる。」

「それでは、」


その時、アキラが咳き込んだ。


「おい、大丈夫か!」

「だい、じょう、」


楊海が背中をさする。


「・・・キミ、体が悪いんだろう。」

「・・・・・・。」

「その、高の家ではどうしてたんだ。」


永夏の家では・・・薬を・・・。


「そのままではキミは日本に帰るどころか。」


でも、永夏の家に戻るのは、絶対に嫌だ。






やがて落ち着いたアキラに、楊海が溜息を吐いた。


「キミは・・・強情というか、強いな。」

「すみま、せん。でもこの命が尽きても。」

「まあそう言うな。・・・分かった。オレが薬と旅券を、何とかしよう。」

「え・・・!そんな事が、」

「大丈夫。ちょっと危ない橋だが、何とかなるさ。」

「そんな、数日前に会っただけの人に、そんな事させられません。」

「信用出来ないか?」

「いえ、そうではなくて、・・・申し訳なくて。」

「いいさ。短い間でも、キミは彼らの良い『姉さん』だった。」


中庭で遊ぶ子ども達を顎でさして、悪戯っぽく笑う。



「だから、一つだけ荷物を余分に運んでくれないか。」






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