WWU Continent 3
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3.キスケ




「それで、その、皇弟殿下と御夫人は今・・・?」

「薄傑さまは、皇帝御一行はソ連に連行されたそうよ。
 浩子さまとは臨江までご一緒したけれど、その後は分からない。」

「捜さなかったのですか?」

「知らないのね?満人は日本人と見れば強姦し、身ぐるみ剥いで殺して捨てるのよ。
 そんな中で人を捜すなんて不可能だわ。」

「酷い・・・。」

「でも自業自得。それでも関東軍がして来たことよりずっとマシよ。」


由梨は何度か永夏の留守に訪ねてきて、その度にアキラは
日本や中国内外の情勢を聞いた。

自分が日本を出たときには満州はまだ「王道楽土」と呼ばれていた。
だから豊かで、誰もが幸せに暮らせる極楽のような場所を想像していたが
実際は随分違ったらしい。

日本の関東軍は横暴を極め、満州人を迫害し、それは宮内府にも及んでいたというのだ。
なのにソ連が攻めてきた途端に我先にと逃げだし・・・。
それでは関東軍と関係が無くても日本人だと言うだけで、随分怨まれた事だろう。


臨江で由梨さんの身に、一体何があったのか・・・。
もしかしたらその辺りが彼女が日本に帰らない本当の理由なのではないかと
思わなくもないが、勿論そんなことは訊けない。

とにかく日本が負けて、北京にあっても今自分が日本人だと名乗るのは
非常に危険な状態であるのは確かだ。

どの道アキラは永夏の部屋から出ることの叶わぬ籠の鳥ではあったが。


「どうしてボクに・・・こんなに親切にして下さるのです?秘密を教えて下さるのです?」

「同国人だから。」

「・・・・・・。」

「なんて嘘だけどね。こちらにも下心がないわけじゃないから気にしないで。」


アキラが赤くなると「バカね。その下心じゃないわよ。」と言って屈託なく笑った。






「いつまでも雛菊、じゃ呼びにくいわねえ?何て呼んだらいいかしら?」

「あの、楽平がよくボクに言っている『ピャオリャン』もあだ名ですか?」


楽平とは、例の和谷に似ている少年である。


「ああ、」


由梨はからからと笑った。
それは「漂亮」と書いて「きれいな」という意味らしい。


「あの子、アナタの事が好きなのよ。とんだ八伏だわ。」

「ボクが男だと言ってやって下さい。」

「言ったわよ。でもお姫様の格好してるからお姫様だって聞かないの。」


永夏が、次々に美しい衣装を持ち帰って着せ替え人形のように着せるので
町中ではちょっと見ない姫君のようなのだろう。

日本人であることがバレては困るので、楽平と言葉を交わした事はないが
離れたところから見つめるのに笑いかけると、真っ赤になって逃げていったりする。


「そうだ。仮に『亮』の字を貰いましょうか。
 日本読みしたら『リョウ』か『アキラ』だけど・・・どっちがいい?」


アキラが思わず息を呑んだとき、音もなく開いたドアから、声がした。


「楽しそうだな。何の話だい?」








「おい、最近オマエぼーっとしてないか?ちゃんと寝てるか?」


和谷に話しかけられて、ヒカルは目を上げた。
建築現場の昼休み、材木の上に腰掛けて燦々と太陽を浴びながら仲間と食う飯は
本当なら信じられないほど美味いはずだった。

占領下とは言え占領軍は友好的で、予想されたような酷い事件も起こらなかった。
ラジオからは「リンゴの唄」が流れ、この四月初めて婦人参加の総選挙が行われた。
貧しいながらもみんなが漠然と明るい未来の幻想に酔っていた。

ヒカルの目にも光はあったが、それは他の者とは違う所に向けられている。


塔矢と最後に会ってから、10ヶ月。
あの、出征前の夜からは、一年、何ヶ月か。


あの広島ののどかな村から、なんと遠い。
塔矢が、遠い。

確かに今は、少しづつでも動き始めているのだ。

だが本屋に並び始めたカストリ雑誌のえげつない表紙を見る度に震えてしまう自分が居る。
塔矢が永夏と一緒に、いる。
しどけなく横たわって黒い手に服を脱がされている女の顔が、塔矢に見えた。

一刻も早く助けに行かなければ。
焦燥は高まる。




「ヘイ!ジョーの友だちじゃないか!」


現場を通りかかったGIが声を掛けてきた。
ちっ。英語が分からない奴ばかりとは限らないんだから昼間は見掛けても声を掛けるなと言っているのに。
内心を隠して愛想良く笑いながら近づく。


「困るよ。オレはここでは真面目な土方なんだから。」

「夜たっぷり稼いでるんだろ?昼は寝ていればいいじゃないか。」


そう、寝不足にもなる。
稼いでいる訳ではないが、男娼の真似事をしているのは確かだ。
いや、真似事ではなく、男娼そのものか・・・。
自嘲する。




ヒカルを部屋に連れ込んだ緒方似の男は、『足木』と名乗った。
下の名前は『ジョーヤ』だったか『ジョータ』だったか。GIには『ジョー』と呼ばれているそうだ。
名前以外何も分からないが、とにかく金を持っていて占領軍と繋がりがあるのは間違いない。

冷たい目をしていて、ヒカルが全裸になっても眉一つ動かさなかった。


「きれいなもんだ。何処かで栄養のある物食ってたのか?」

「社長がヤミで良い物買ってきてくれるよ。」

「社長?なんの社長か知らんがなかなか慧眼だ。その方が金よりよく働く。」

「その前は収容所でね・・・。アメリカさんの所長に気に入られたから。知ってるでしょ?」

「知らん。」

「いいけど。オレの体、イイらしいよ。」

「とにかく体を洗って来い。そんな臭い体抱く気がせん。」


久しぶりに清潔になった体を、『足木』に抱かれた。
完全に己の欲望を満たすためだけの、安い娼婦を抱くようなぞんざいな抱き方だったが、
一度でヒカルを気に入ったのは分かった。

やっぱり緒方少佐じゃない・・・。
似すぎているけれど、会ったのは随分昔で、顔を見ていたのは30分にも満たないだろう。


  佐為先生の好物だ・・・。

  アキラ君の事だが・・・


少ししか話さなかったが、仏頂面だったが、いい人だと思った。
ヒカルに最後の浮き、碁盤を渡し、碁笥だけを持って太平洋に沈んでいった。

そんな男と、今、後ろから犯すように自分を突き上げている男とはどうしても結びつかない。

なら、気が楽だ・・・。
ヒカルは尻で感じて喘ぎ、躊躇いもなく奉仕して男娼に徹した。




それから度々『足木』に呼ばれた。
ヒカルが英語を話せる事を知ると、約束通りPXや米軍のパーティーに連れていって
アメリカ人の将校達に紹介してくれた。

日本婦人と公衆の面前で手を繋いでもいけないと命令されていたGI達にとって
公然と触ったりキスしたり出来るヒカルはいい玩具だ。

何人かと寝て、やっと永夏の消息を知っている人物に当たった。
今は北京にいるらしい。
フィリピンより近い。
現実的な距離にヒカルは喜んだが、金も後ろ盾もない一介の少年には、まだまだ遠い。


「オレ、北京に行きたい。連れてってくれない?」

「なんだ、オマエ永夏の情婦だったのか?」

「・・・遠くない。」

「捨てられたのか?アイツはやめておけ。東洋人だからという訳でもないが、
 何を考えているのか分からない所がある。」

「アイツに会いたい訳じゃないよ。預けてる物があるからどうしても取り返したいんだ。」

「大事な物か?」

「うん。」


ジェラルミンのロケットに入れて、いつも首から下げている白い石を見せる。


「これの片割れを預けてるんだ。」

「タダの石に見えるが。」

「オレにとっては命より大事なものだよ。」

「もっといい石買ってやるって。」

「北京に連れてってくれないの?」

「ジョーに頼んだらどうだ?今は彼がオマエのスポンサーだろ?」

「あの人にそんな力があるの?」

「そうだな・・・。」


『足木』の個人的な情報となると、将校達もみな口をつぐむ。
きっと危ない事をしてるのだろう。あまり深入りしない方が良い。
出来れば安全に海を渡りたい。

黒い肌の下で、
白い腕の中で、
ヒカルはまだ見ぬ北京に思いを馳せる。







北京。
突然入ってきた永夏に一瞬固まりかけた二人だったが、
由梨は素早く頭を回転させ、自然な笑顔を作る。


「ああ、永夏。お邪魔してるわよ。」

「随分雛菊と仲良くなったようだな。キミが日本人だとは知らなかった。」

「いやあね。カタコトよ。」

「そうなのか?」


永夏が部屋に踏み入ると・・・その陰には秀英が立っていた。


「いや・・・多分ボクより上手い。ボクでも漢字の日本読みにそんなに詳しくない。」

「だってさ。」

「・・・・・・。」


つかつかと由梨に近づき、その腕を掴む。


「キミは一体、何者なんだ?何が目的だ?」

「痛いわね!何すんのよ!痣がつくじゃないの。」

「その体、使いモノにならなくしてやろうか。」

「勝手にすれば。アナタこそ、一体何が目的で北京にいるの?」


永夏が由梨を一層強く睨む。
由梨も睨み返す。

だがやがて永夏はニッと笑うと目を逸らして腕を放した。


「仕事だよ。これからの中国は、ステイツにとって非常に興味深い。」

「・・・まあ、いいわ。勘弁してあげる。」

「今度はキミの番だ。キミの正体は?」

「胡同の貧しい家で育った小娘よ。偶々近所の日本人の役人が可愛がってくれて
 日本語を教えてくれたの。」

「そう。」


永夏は踵を返すと、今度はアキラに近づいた。
手を引いて立たせ、長椅子に押し倒す。


「・・・何をするの?」

「これほどキミの本音を聞けたのは初めてで嬉しいよ。」

「・・・・・・。」

「だから、もっとキミのことが知りたいな。」


由梨に話しかけながら、殊更ゆっくりとアキラの上衣を捲り上げる。
下に着た長衣の中に、順番に手を差し入れる。


「そんな事で脅しているつもり?私を誰だと思ってるの?」

「それを訊いている。」

「やめなさいよ。悪趣味ね。」

「別にいいだろ?日本人がどうなっても。」

「勝手になさい。帰るわ。」


低い窓をに手を掛けて、ひらりと飛び越えた。
チャイナドレスの裾が割れて永夏が口笛を吹く。
そしてアキラの顔を嘲るように覗き込んだ。


「ははは。オマエ、見捨てられたぜ。」

「永夏。」


窓を振り向くと、その外にまだ由梨は留まっていた。


「・・・確かに私は日本人よ。満州国から、落ち延びて来たの。」


それだけ言うと、永夏の返事も待たず背を向けて立ち去っていった。








「進藤!」


振り向くと、日本人にしては背の高い男が瓦礫の上に立ってヒカルを睨み付けている。


「おどりゃあ何さらしとんじゃ!」

「え?」

「ああ、怒られた?仕事中に悪かったな。」


米兵が軽く手を上げて去っていった。
彼は現場の仲間と思ったようだが、ヒカル自身にも一体誰か分からなかった。
というか何を言われているのかも分からなかった。


「ええ・・・と。」


呆然とするヒカルに、その男がずかずかと近づいてくる。
鼻息荒く目の前まで来ると、いきなり襟首を掴んで持ち上げた。


「オレが誰か忘れたとか抜かさんやろな!」

「・・・あ。」


しまった・・・名前は忘れた。
だが、太平洋上で、確かこの男に助けられた・・・。


「あ、あの時は、ありが・・・」

「やのうて!オレの飛行機!」

「あ・・・。」


あまりの剣幕に、ほとんど何もしゃべることが出来ない。


「てゆうか何でここに・・・。」

「しかもなんや!今アメリカ人と馴れ馴れしゅうしゃべっとったやろ!」

「いやあの、」

「オマエはスパイか!」


社の機関銃攻撃に、寝不足のヒカルは太刀打ちできなかった。








「で、何?彼女がキミをスパイしてるらしい娼妓だって?」


黙って成り行きを見ていた秀英が初めて口を挟んだ。


「考えすぎだろ。日本人である事を隠してるから偶々同国人を見て
 懐かしくなって話しかけてきただけじゃないか?」

「なら、いいけどな。」

「馬鹿馬鹿しい。ボクが北京に滞在できるのはそんなに長くないんだ。
 自分の仕事に戻らせて貰うよ。」


ドアの前で振り返った秀英の視線と、アキラの視線が絡んだ。
秀英は一瞬何か言いたそうにしたが、結局そのまま逸らして、出て行った。





「さて。」


前をはだけられて横たわったままのアキラを残して、永夏が立ち上がる。
酒の入った戸棚に向かう。


「どうしようか。今日は妓を呼びにくいしな。このままオマエを抱こうか。」


瓶のラベルを見ながら何気なく漏らしたつぶやきだったが・・・。

アキラは思わず立ち上がり、服を押さえて後ずさっていた。
その行動は永夏にとっても非常に予想外で、彼は目を見開いた。

しばらく見つめ合った後。
やがてその目が細まり、唇がニヤリとした笑いが浮かぶ。


「・・・へえ。オマエ、英語が分かるようになってたんだ。」


永夏は酒を諦めて体ごとアキラに向かい、ゆっくりと歩を進めた。


「本当に、どうしようか?」






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