うそつき 2
うそつき 2








「おはようございます。
 今回のタイトル戦は、本当に荒れ模様だね、天気が」

「お。今日はもう、透け透け着物じゃねーの?」


第三局。
現れた塔矢は、見慣れた絹の羽織袴を纏っていた。


「ああ。もう朝晩肌寒いしね」

「そっか。オレが透け透け透け透け言ったから、気にしたのかと思った」

「まさか」


さすが。
一局目の口惜しい敗北も物ともせず、冷静に二局目を打って勝った。
それにも調子に乗らず、こうして淡々とした精神を保っている。

……オレなんか二局目で負けた後、飲んだくれて道で寝てたのに。


「本当に、よく透けてたよ」

「そんな訳ないだろう」

「いや。下着も透けてたし。腋とか見えてたし」

「……」


ああ……ドン引いてる……、
ちょっとエロい事言いすぎたか……。
今のってセクハラ?
いや、男同士だしそんな事ないよな?

なんて焦っていると、俯いた塔矢の、口の両端が不意に吊り上がった。

笑って……る?


「うそつき」

「え?」


塔矢らしくない言葉に、思わず耳を疑う。
まともな大人は、相手が嘘を吐いていると思った時、何か言うとしたら


  『どういうつもりでそんな嘘を吐くんだ?』


とか、


  『バカを言うな(冗談でも嘘を吐くな。この話は終わりだ)』


とか、以降の進展に繋がる事しか言わない。
じゃなきゃ、無視するか。


  『うそつき』


なんて、一言吐き捨てるだけって……社会人の、しかも塔矢の言動とは思えない。

呆気にとられていると、塔矢は今度こそ小さく吹き出した。
対局前に、本当にどうしたんだ。

今までオレ達を気にしていなかった周りの人も、気がついてこちらを見ていた。
塔矢はそれに小さく会釈を返した後、


「キミに、ボクの秘密を教えてやろう」


盤の上に身体を乗り出して小声で言った。


「何?」


オレも身を乗り出して小声で言うと、
塔矢はオレの肩に手を掛けて引っぱって耳に口を寄せる。

……キスでもされるのかと思った。
そんな訳ないんだけど。


「大嘘つき襦袢なんだ」

「……え?何?」

「下着。実は襟の広いTシャツに『嘘つき袖』と『嘘つき襟』を縫い付けてるだけなんだ。
 着替えてる最中に万が一誰かに見られたらみっともないから
 関係者がいるホテルには泊まらない」


『嘘つき袖』とか『嘘つきジュバン』とか、意味が分からないんだけど
塔矢が意外にも、着物の下にTシャツを着ている事だけは分かった。


「だから、腋なんか絶対に見えないよ」

「……ええと。その、嘘つきナントカって下着、みっともないの?」

「ああ。恐ろしい程に情緒がないね。
 夏の下着としては『嘘つき襦袢』と言われる二部式の襦袢は実は
 ポピュラーだけど、ボクみたいな『大嘘つき』は、なかなかないと思う」


ああ、まただ。
塔矢の口から、「うそつき」という囁きが零れる度に動揺する自分が居る。
しかも、碁盤の上でずっと耳に口くっつけられたままだし。

……もしかして。
これって。

いや、もしかしなくても、塔矢から盤外戦を仕掛けられてる……?


「さりげないな」

「何が?」

「いや、こっちの話」

「そう」


離れようとする塔矢の、羽織の襟を軽く摘んで今度はオレの方が引き寄せた。


「見せてよ」

「何を?」

「その、『大嘘つきナントカ』。
 この対局が終わったら、オレに、見せてくれよ」

「……」

「明日は、おまえのホテルにオレも部屋取るから」


塔矢は眉を顰めて、身を引く。
折り返した羽織の襟が、するりと指の間から滑って行った。





オレとしてはしてやったつもりだったけれど、どうやら自分まで平常心を
失っていたのか、今ひとつ冴えない棋譜になった。

外は、昼間だというのに真っ暗で、バケツをひっくり返したような
ゲリラ豪雨が続いている。
まるで、この戦局に呼応しているようだ。



ここ数年、棋力は、完全に拮抗していると思う。

塔矢とオレの実力は、完全に同じだ。
最近確信を持った。

一歩でも半歩でも先んじようと、ぎりぎりまで研ぎ澄ましているつもりだけれど
それでもコイツを上回る事が出来ない。

言い換えれば、少しでも気を抜けば一気に置いて行かれるという事だ。

恐らく塔矢もそうなんだろう。
コイツだって、きっと身を削って研鑽している。
それをやめればオレに負けるのは明かだから、おちおち夜も眠れない。


そんなオレ達だから、いつしか二人で居る時が一番落ち着くようになっていた。


塔矢が目の前に居る時は、塔矢は碁の研究をしていない。
オレと対局している時は、オレと全く同じだけの研鑽をしている。

相手が目の前に居る間だけは、置いて行かれる心配が無い。

そんな自堕落な動機でよく一緒に居るオレ達を、周囲はとても仲が良いと
思っている。

本当は、そんなんじゃ全然ないんだけどね。


とにかくそんな事で、盤外戦によって等しくダメージを負ったオレ達は
二人とも納得出来る対局ではなかっただろう。

それでもこの一局。
どんな手を使ってでも、負ける訳には行かない。


負けられないんだ。






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