うそつき 3 塔矢が長考に入ってしばらくした時。 ふと、辺りが明るくなった気がして、窓の外を見ると雨が止んでいた。 日も差して、別の場所のような景色になっている。 塔矢は集中していて、恐らく天気になんか気づいていない。 周囲は立会人も記録係も、静まり返っている。 それもその筈、対局中に喋るなんて、マナー違反も良い所だ。 けれど。 だけれども、マナー違反だと、顰蹙を買うかどうかぎりぎりの線を狙う、 千載一遇のチャンス。 オレは、「つい、」と言う風を装って、 「あ、虹が出てる」 ……と、言ってしまった。 「……!」 みんな、驚いたように顔を上げる。 盤面を見つめていた塔矢も、思わず、と言った様子で頭を起こし 窓の方に目を向けた。 勿論、そこには虹はない。 出ていても不思議のない明るい濡れた風景だったが、虹は出ていなかった。 もし詰られたら、今までうっすら出ていたんだとか、勘違いだったとか、 言い訳しようと考えていたけれど。 塔矢は無言でゆっくりとオレに顔を向けて、 う そ つ き 口だけで言って、盤面に目を戻した。 日が傾き、また封じ手が近付く。 今度は塔矢が、あと二分という所で打ってきたが、オレは返さなかった。 あんな攻防は、自分まで消耗するばかりで益がないと悟ったからだ。 定刻になり、封じ手を書く紙と封筒と貰ったオレを、脱いだ羽織を羽織りながら 塔矢が見つめる。 見られないように書いて立会人のサインを貰い、四つ折りにして封をすると やっと塔矢も息を吐いた。 「お疲れ様」 「お疲れさん」 今日は本当に、疲れた……。 気分転換をしたいけれど、塔矢と雑談をする気にはなれない。 虹の事は、謝った方が良いかな? いや、白々しいな。 塔矢以外、あれが盤外戦だと気付いてないだろうし。 「じゃあ」 結局それだけ言ってそそくさと部屋を出たけど。 衣擦れの音が近付いて来たな、と思っていると、何とその塔矢が 廊下まで追いかけてきたんだ。 「何?」 「言いたい事があって」 「……」 やべ! 虹の事、怒ってる? 「何……でしょう」 「誕生日、おめでとう」 「……へ?」 「誕生日だっただろ?一昨日」 「え……ああ、……」 九月の、二十日って……ああ、そうだった、か。 今までこんな事言われた事ないし、自分でも忘れていただけに、驚愕してしまったが。 オレの表情に満足げな塔矢を見て、これが仕返しだと気付いた。 ……盤外戦に盤外戦で返すなんて、おまえも、変わったな。 でも、オレ達は常に一緒に成長して来たんだから、当たり前と言えば当たり前か。 オレは一本取られたのが口惜しくて、意識的に屈託のない笑顔を浮かべ、 塔矢を向き直った。 「サンキュー。自分でも忘れたわ」 「うん」 「プレゼントは何くれるの?もしかしてこの一局?」 「まさか」 塔矢も、努力を要するであろう笑顔を浮かべる。 それから、一瞬左斜め上を見上げた後、ひたりとオレを青眼に見据えた。 「さっきは返事をしなかったけれど」 ……何? 何の話だ? っつーか、まだ続きがあるの? オレは急いで記憶を検索する。 「恥ずかしいけれど、キミに、見せてあげるよ」 検索結果が出ないままに、また訳の分からない事を言われて混乱した。 「何を?」 「ボクの『大嘘つき襦袢』」 「……」 『大嘘つきナントカ。この対局が終わったら、オレに、見せてくれよ』 遅ればせながら、結果がはじき出されて。 オレは、固まってしまう。 次に頭の中で、目の前の塔矢の着物が解体されて行く。 羽織を取り、袴を脱ぎ……その下は……どうなってるんだろう……。 「じゃあ、ホテルの部屋、ツインに変更しておくよ」 「……うん……」 「楽しみにしておいてくれ。誕生祝い」 「……」 こんなの。 盤外戦だ。 盤外戦だ。 下らない。 けれどオレはこの一局、 勝てるような気がしなくなった。 --了-- ※2012進藤ヒカルくん26歳の誕生日おめでとう! 大津さん今年もありがとう! 祝ってない風ですが、心の中では超祝ってます。 碁で負けて、人生に勝つ。 囲碁に詳しい方か、私と同じ番組をご覧になった方はお気づきでしょうが 封じ手の下りは実話を参考にしちゃいました。 (不謹慎で申し訳ない…… しかも実際のエピソードの熾烈な魅力を全然生かせてない) 参考:「迷走 碁打ち・藤沢 秀行という生き方」
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