中毒症 6 目が覚めると、僕は畳の上に直接寝ていて布団が掛けられていた。 いつもと違和感がある・・・と思ったら。 僕は、全裸で寝ていた。 しかも隣に進藤も寝ていた。 「しん、どう?」 慌てて布団から這い出て、押入のパジャマを引っぱり出しながら呼びかける。 自分で呼びかけておいて、彼が目覚める前に着なければと必死になってしまった。 「ん〜・・・ん。」 進藤の頭が一旦布団の中に引っ込んで、代わりに両手が現れる。 そして思いっきり伸びをした後、ぱたりと布団をめくって、しばらくぼうっとした後 こちらを見た。 「塔矢・・・。あの、おは、よう・・・。」 「ああ。おはよう。」 進藤が何故か恐ろしいものを見るように、僕を見る。 恐ろしいのは僕の方だ。 「進藤、実は今朝、起きたとき裸だったんだ。」 「・・・・・・。」 「どうしてだか、分かるか?僕はその・・・、昨夜寝た時の記憶がないのだけれど。」 進藤は少し息を呑んだ後、陰のある微笑を浮かべた。 「そう、か。いやオレも、何か眠くてすぐ寝ちゃったからよく覚えてないや。」 「そう。」 「あの、今日は休み?」 「いや午後から指導碁が入っている。」 「指導碁?ああ、あの何とか言う会社の会長んトコだよな?そんなに遠くないし 別に早めに行かなくていいし、じゃあ午前中はだらだらしてていいんじゃん、じゃ、」 やけに早口だ。 いつも寝起きはぼうっとしているキミなのに。 「今から、打とう。」 「ああ・・・。」 やはり進藤は素晴らしい打ち手だと思う。 「ありがとうございました。」 「ありがとうございました。」 頭を下げて石を集め、並べ直す。 長い緊張から解放されて、そうだな、対局前の「お願いします」のような ワクワクする感じはないけれど、ほっとする好きな瞬間だ。 「う〜ん、やっぱこれが悪手だったかな〜。」 「そうでもないよ。その次の、この手。『sai 』もかくやと思う程唸らされた。」 「・・・・・・。」 進藤の手が、一瞬止まる。 いや体全体が時間を止めたように凍るのだが、その後何事も無かったように 碁簀に手を入れて石を抓み、ぴしりと盤上に置く。 「・・・塔矢。」 「うーん・・・。」 「塔矢。」 「何。」 「何か・・・、オレに聞きたいこと、ない?」 顔を上げると、怖いほどに真剣な目で見つめていた。 「何かって?」 「いや・・・昨日、ちらっとそんな事言ってたから、さ。」 殆ど睨んでいるのかと思うほど、まじまじと僕を見つめながら、 しかしその底に怯えを隠して意志の力で逸らさないようにしているのだと知れる、 そんな目だった。 「そう?覚えてないな。」 「・・・ふうん。なら、いいんだ。」 進藤は一転して目の力を抜いた。 それからは、僕達は順調だった。 二人とも対戦成績も良かったし、感想戦で偶に喧嘩になっても 気が付いたら仲直りしていた。 そんな状態で三ヶ月ほど経ったある日、棋院で。 「オレ、あの油物食べた後みたいな感じがさ〜、」 「何言ってんだ、あの唇がエロくていんだって。」 進藤と・・・和谷くん、という確か同期の棋士が何か芸能人の話をしていたようだ。 僕が眉を顰めてその後ろに立つと。 「と、塔矢!いたのかよ!」 進藤が焦った顔をした。 「ごめん!」 「何が。」 つい冷たい声を出してしまうが、謝られるような謂われもないのも確かだ。 「・・・ってさぁ、そーいう態度が感じ悪りぃっての。」 そのやり取りを見ていた和谷くんが、突然挑発的な口調で 口を挟んできた。 「何の話でしょう。」 「おまえ、今オレ達がエロ話してたと思ってんだろ?」 「違うんですか?」 「違わないけど。下ネタって程じゃないし顰蹙買うような事でもねえだろ? それをそんな、汚い事聞かされた、みたいな顔されてもな。」 「・・・迷惑なんですよ。低俗なのは間違いないでしょう?」 「テメエはそういう事考えた事ねえっての?男だったらあるだろ?分かるだろ?」 「・・・・・・。」 相手を怒らせることが分かっていても、蔑んだ目をせずにいられなかった。 和谷くんは鼻白んだような顔をした後、火を噴きそうな目で睨んできたが、 僕はそれに構わず、進藤の腕を引いた。 「進藤、ちょっと天元戦の予選の事で。」 「なぁ〜、やっぱああいう言い方って良くねえよ。」 何か言いながら着いてくるのに、これも言葉で答えずただ鼻を鳴らす。 「オレ、おまえのそういう潔癖なとこって嫌いじゃないけど、」 「進藤。」 「ん?」 「最近家に来てないよな。ゆっくりと並べたいし、これから来ないか?」 僕が二、三歩進んでも、着いてくる様子がないので振り返ると、 棒立ちになった進藤の、顔色が少し悪い。 「どうした?気分でも悪いのか?」 「いや・・・。」 「じゃあ。」 手首を掴んで引くと、やはり少し苦しそうに目を閉じた。 自宅で碁盤を挟んで向かい合ったのは、本当に久しぶりだと思う。 僕が考えている間に、ふと横を向いて庭をじっと見つめる進藤の癖を見て つくづく思った。 明らかに季節が移ろっている。 その庭も既に暗い。 庭園灯をつけた方がいいのかも知れないが、両親がいない今は 手を抜きがちになっていた。 「・・・一旦休憩しようか。店屋物だけど頼むよ。何が良い?」 「いや、オレ、帰るよ・・・。」 「こんな中途半端な状態で?」 碁盤を見下ろしながら、言う。 そこには半分位石が埋まっているが、まだどちらが有利とも言えない緊迫した 局面が広がっていた。 「中途半端、か。」 進藤が鸚鵡返しにぽつりと呟いたが、先程までとは少し様子が違ったように見える。 「オレもこんな中途半端なのは嫌だよ。」 「そうだろう。」 「って。おまえ、オレが今日どんだけ緊張してたか知んねーだろ?」 大きい声ではないが、何故か泣き叫んでいるように聞こえた。 しかしじっと見つめていると、やがて肩が震え始め、くっくっ、と何かを堪えるような声が漏れ、 僕はそれが、昔聞いた、進藤の笑い声だったと思い出す。 しかし、それがあからさまな笑いに変わる前に、進藤は静かになった。 「今日だけじゃない。ずっと、ずっとだ。」 「何を言っているんだ?」 奇妙な熱を持った真剣さは、何某かひやりとした感覚をもたらす。 「なあ・・・教えてくれよ。」 「?」 「おまえ、どこまで覚えてるの?」 「・・・・・・。」 「どこまで佐為の事、覚えてる?オレとどこまでしたの、覚えてる?」 「・・・・・・。」 笑顔だが、引きつっていた。 映画で見た麻薬中毒患者が、こんな表情をしていた、 あれは意外とオーバーな表現というのではなく、リアルなのかも知れない、 などと、関係なく思った。 進藤が対局中に庭を見る気持ちがよく分かる。 緊張しすぎて、ふと別世界に意識を飛ばしてみたくなるんだ。 彼の笑顔の理由も同じ様なものかも知れない。 先に顔を笑わせる事によって、さほど緊張すべき状況じゃない、と 心を説得したいのかも知れない。 だから僕も笑顔を作って立ち上がり、そして障子を閉めた。 「もう、どうでもいいんだ。」 「・・・塔矢。」 「佐為が、どうして消えたかなんて、どうでもいい。」 −続く− |
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