サイエンス・フィクション6
サイエンス・フィクション6










どうしてボクが、こう人目を気にしながら内股気味に
そそくさと歩いているかというと。


些細なきっかけからボクを女装させた母が、あまりに似合うからそれで
買い物に行って来てくれ、などと宣って、呆気に取られたボクを尻目に
さっさとメモを書いたのだ。

勿論重々断ったし、普段の姿でなら買い物ぐらいいくらでも行って来ます、と
言ったのだが母は聞かなかった。


「絶対男の子に声を掛けられるわよ。」


私の息子だし、と自信満々に頷く母の思考回路がどうなっているのか、
気にはなるところだが、これ以上逆らうのも得策ではない。

後から考えれば、やはり自分にも母のそういう悪戯心というか
遊び心は遺伝しているのだと思う。
鏡を見れば、自分でも一瞬誰だ?と思う程、知らない女の子。
無造作に横に流された前髪は、俯けばきっと顔を覆い隠してくれるだろう。

これなら塔矢アキラをよく知っている人間が、そうと思って注意深く観察しなければ
絶対気付かれないわよ。
母の言葉も尤もだと思った。

そしてこの少女は、少なくとも進藤には負けない。
全身鏡の前で何の対抗意識か、ボクはまた彼の事を思い出していた。



さすがにスカートは勘弁してもらって、自分の細身のパンツに
出来るだけつま先の細いローファーを合わせる。
ブラジャーを着けたらと言われたが激しく固辞して、
タオルを丸めた物を晒で胸に固定してもらった。

それから母のカットソーに母の軽い上着を羽織り、
首にスカーフを巻くと本当に当たり障りのない女の子の格好になった。

買い物メモを持って玄関を出る。
交通機関を利用するのは嫌だったので、バス停三つ分くらいの和菓子屋に
徒歩で向かう。

俯き加減で足早に歩いているのは確かだが、思ったより恥ずかしさはなかった。
我ながら女装が似合っていると背負っているのかも知れないし、
肝が据わっている、とも思う。





繁華街に着いて首尾良く菓子を買い、(人との接触にどきどきしたが、全く変な目では見られなかった)
何となく気分が良くなってその辺りを動いてみる。
ショーウィンドウに映った自分の姿に見入ってしまったりする。

危ないだろうかボクは。
進藤もこんな気分だったのだろうか。


・・・その時風がざあっと吹いて、鬘の毛を靡かせた。


そのよそよそしい感触が、何となく白けた気分を呼び起こし、
何だか夢から覚めたような気がした。

もう帰ろう。

そう思ったとき、正面のテナントの壁に凭れた男が目に入った。


だらしなく派手なシャツを羽織り、片手をジーンズのポケットに突っ込んでいる。
女性と居るが、あまりいい雰囲気ではない。彼女は怒っている。
男は女が人目を気にしながらも食ってかかっているのに目もやらず、
その言葉を払い落とすかのように扇子を広げてぱたばたと閃かせている。
それがやけに目障りだった。

だがそんな事よりも。


「あの・・・!」


それは、以前進藤をバイクの後ろに乗せていた男、加賀だった。






「おう!遅かったな。待ったぜぇ!」


驚いた事に、加賀はボクを見るとパチリと扇を閉じて、
馴れ馴れしい笑顔で肩を抱いてきた。


「え・・・?」

「ちょっと!何よ!」

「じゃあな。」


ぐいっとボクの身体を回し、女性に背を向けてひらひらと手を振る。


「あの、」

「悪い、あの角まででいいから振り向かないでくれ。」


小声で耳に囁く。
あの女性から逃げる為に利用されたのか、と気付いたが、
取り敢えずリアクションが取れないままに角を曲がってしまった。


「サンキュ。」


腕の力が緩むと共にバッと離れる。


「いやぁ、助かったぜ。あの女しつこくて。」

「・・・彼女じゃないんですか?」

「違う違う。オレの女はあんなに貧乳じゃ、」


言いながらボクの胸にまで不躾な視線を寄越すので身が縮んだ。
本当にあの女性が彼女だと思った訳ではないが、でも・・・ということは、
進藤は彼女とは認識されていない・・・?
何度も・・・してるのに?


「で?どうする?サ店にでも入る?」

「は?どうして?」

「え、声掛けてきたじゃん。キャッチじゃねえの?逆ナン?」


ぎゃくなんは知らないが、キャッチはキャッチセールスの事だと思う。
バカバカしい、一体ボクのどこがそんな風に見えるというんだ!
じゃなくて、そうだ、進藤。


「話はすぐに終わります。加賀さん。」


加賀の目が細まる。
急に名前を言われた事に、全身が一気に警戒モードに入ったのが分かる。


「アンタ・・・誰だ?」

「ぼ、私が誰でもいい。進藤・・・さんの友人です。」

「・・・・・・。」

「単刀直入に言います。進藤さんと別れて下さい。」

「別れるも何も。」

「あなたは進藤さんの彼氏に相応しくない。他にも女性がいるのでしょう?」


加賀は、答えずに腕組みをした。
じっとボクを見つめて、長い長い間考えていた。
座間先生なら扇子をガジ、とかじりそうな間。
やがて。


「・・・代わりにアンタみたいな別嬪さんが付き合ってくれるんなら考えてもいいが。」

「お断りします。」

「なあ、やっぱり茶でも飲もうや。ちぃとゆっくり話しようぜ。」


獲物を見る獣のような目が、また細められる。
負けるもんか!
ボクは顎をぐいっと上げた。






すぐ近くの喫茶店の小さなテーブルで向かい合って座り、二人ともコーヒーを頼んだ。
ボクは自分が言いたいことは既に言ってしまったので、何を話していいか分からない。
黙ったままちらりと上目遣いで加賀を見ると、加賀もこちらを見ていた。

・・・?

何だろう・・・今、既視感があった。
いつか何処かで・・・似たようなことがあったような。

と考えていると、加賀が漸く口を開いた。


「で?アンタは進藤とどういう関係な訳?」

「ですから友人です。」

「ほほう。まあいいや。んで?オレがアイツに相応しくねぇとか言ってたな。」

「進藤さんは、本当は純粋な人なんです。」

「・・・・・・。」

「あなたみたいに遊びで・・・するような人と付き合って欲しくない。」

「じゃあ、他に進藤に相応しい男がいるとでも?」

「・・・いえ・・・そういう訳では。」

「・・・例えば、そうだな、同じ職業の奴とか。」

「彼女の仕事を知っているのですか?」

「ああ。自分の『女』の仕事ぐらいしってるさ。」


言って加賀はニヤリと笑い、ボクはカシャンとカップをソーサーに押しつけた。


「ご存知かどうか知りませんが、彼、いや彼女の碁の才能は凄まじい。」


ああ、こんな事を言ったら、
週刊「碁」なんかをこの男が手に取ってしまったりしたら、


「その頭脳を少しでも他の事になど使って欲しくないんです。
 出来れば恋人だって、碁が打てて、共にプロの対局の検討が出来る程の、」

「オレが碁を打てたらいいわけ?」


打てるわけがない。
と思っていた。
だが、この自信満々な態度。
進藤やボクより強いはずは絶対ないが、多少は打てるのか・・・。


「いいぜ。碁会所へ行こうぜ。」


自分が言いだした事だけに引っ込みが付かず、
ボクは伝票を掴んで立ち上がった加賀に従った。
自分の分は自分で払う!と申し出たが、


「女が男に恥をかかせるなよ。」


とたしなめるように言われて・・・そういう物なのかどうか分からないままに
手を引っ込めて、ごちそうさま、と小さな声で言った。






これは・・・強い。一般人としては。
きっと父の碁会所に来ているお客さんの中に混ぜたら、トップレベルだろう。

最初は碁会所ということで、ボクの顔を知っている人間も多かろうと落ち着かなかったが、
じろじろこちらを見ていた人たちも若い男女が珍しかっただけらしく、すぐに関心を
失ったようだった。

顔を伏せれば前髪が顔を隠すので、それで対局に集中出来た訳だが、
うっかり勝たないように気を付けなければならない程加賀は強かった。
かなり意外だ。


「・・・相当抜いてるな。」


それでも盤面を見つめながら、ぽつりと呟く。


「え・・・?」


また・・・既視感。
いつか・・・どこかで・・・。


「そんなこと、」

「嘘は吐くなよ。それぐらい分かる。」


彼には、分かっただろうか。自分が今プロと打っているのだという事が。
院生の女の子の一人だとでも思って貰えたらいいのだが。


「まあ、オレの棋力はこれ位ってトコだ。
 将棋ならアンタなんかに絶対負けないんだけどな。」


やがて加賀はそう言って、ばらばら、と手から幾つもの碁石を盤面に零した。

将棋も意外だが、少なくとも碁は強いと言っても一般レベル。
進藤の相手としては、弱すぎる・・・。
だが、それを言っていいものか。
彼の棋力を正確に把握したことで、ボクの正体が見当ついたりはしないだろうか。


「・・・お強いと思います。でも、進藤さんは、プロですから。」

「プロレベルの人間と付き合うべき?」

「というか単にプロというのでなく、」

「た・と・え・ば。」


ゆっくりした声に遮られて、ボクは自分がやけに早口でしゃべっていたことに気付いた。
口を噤むのを待ち、十分な間を置いてから加賀は。


「・・・塔矢アキラとか?」


急に、心臓が止まるような事を言った・・・。
しかもその扇子の先が、真っ直ぐにこちらの胸を指している。

バレ・・・た?
頭の中が真っ白になる。

いや、止まっている場合ではない。
考えなければ。

この男は恐らく塔矢アキラなど知らない。
もしかしたら写真などで見た事があって少し似てるな、ぐらいには思ったかも知れないが、
塔矢アキラが女装なんかするはずないじゃないか!

ボクを直接知っている人間が、ボクだと確信を持って見なければ分からない。絶対。

それはどちらも有り得ない。
大丈夫だ、偶々だ。


「そ・・・うですね。塔矢アキラは進藤と同じプロ棋士で同じ位の年で、
 結構強いみたいですね。」


加賀が俯いて笑いそうな、欠伸を噛み殺しているような、表情をする。
不安が広がる。
だが、何があっても今は突き通すしかない。


「・・・塔矢なら進藤に相応しい?」

「ええ。そう思います。」


客観的に見て。
もし進藤が最初から女流棋士であったとしても、出来れば棋士と
付き合って欲しいと思うと思う。
それにあの才能・・・進藤自身がどうのこうのではないが、きっとボクも
名乗りを上げてしまったのではないだろうか。

最初から女の子であれば、の話だが。


「まあ、塔矢アキラが進藤と付き合うと言うなら身を引かんでもないけどな。
 なんせ、進藤だって塔矢が好きなんだから。」


・・・・・・え?


加賀が、呆然と動けないボクの顔に手を伸ばす。
ゆっくりとボクの顎を捉えた指を支点にして、親指で口紅を拭い落とすように下唇をなぞった。


「オマエだって進藤が好きなんだろ?
 こんな、女装までしてオレに釘を差しに来るほど。」


口紅の付いた指の腹を、ボクに突きつける。


ち・・・が・・・・。


だがその時、既視感の正体が、一気に分かった気がした。

そうだ、進藤と会うまでは同年代の子どもと対局したことはないような気がしていたが、違う。
どうして忘れていたんだ、囲碁教室。

そう言えば「かがくん」、と言ったか・・・あの子ども・・・。
そしてとどめに。



「進藤が女だと知っているのは、進藤自身とオレと、それに塔矢アキラだけなんだ。」



目の前が、真っ暗になった。







−続く−






※何も言うまい。

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