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サイエンス・フィクション5 母の鏡台の前を通りかかったら、珍しく口紅が出しっぱなしになっているのを見つけた。 何となく、進藤を思いだした。 進藤が女の子になってそれは驚いたが、予想された生活の激変はなかった。 彼が病院に行くのを拒んだのと、なんと今の所ほぼ上手く隠し仰せているからだ。 ボク達は相変わらず碁会所で打ち、互いの棋譜を見せ合って侃々諤々とやりあっている。 ふと、心なしか細くなったような手首を見てどきりとするまでは、 彼が女の子だと言うことすらすっかり忘れている。 だが、恐らくこれは嵐の前の静けさだ。 いつまでもこんな事が続くはずがない。 少しづつ、少しづつほころび始めている・・・。 それを最初に実感したのは、碁会所の前で知らない男のバイクの後ろから 降りる進藤を見たときだった。 「今の・・・?」 「ああ、オレのカレシ。」 「彼氏?!」 進藤は本気にするなよ〜と言いながら、ボクの背をバンバンと叩いた。 それからぐっと顔を近づけてきて、潜めた声で 「でもな、オレ、アイツにヤッて貰ってんだ。」 「何を?」 「だからぁ。」 ニヤリとした笑いに、ああ、と思う。 進藤は宣言した通りに知らない男をひっかけたんだろうか。 でも進藤が男だと知らないままにしてしまったとしたら、相手も気の毒だ。 それにもしプロ棋士・進藤ヒカルだとバレてしまったらどうするのだろう。 アイツは男じゃない、と告発されるに決まっている。 碁には興味がないタイプのようだったから、油断しているのかも知れないが・・・。 「結構うるさいんだよ。『ワキ毛ぐらい剃れ!』とか。」 はぁ・・・取り敢えずはあまり物事に拘らないというか、大らかな人ではあるらしいな。 「最近痛さも減ってきたし、ちょっと気持ちイイ感じもしてきたんだ。 まだイッた事はないけどさぁ。」 イッたらまたおまえにも情報やるよ、とゲームか何かの攻略法のようにあっけらかんと言う 進藤に、ボクは何も言えなかった。 そっと鏡台の椅子に座って口紅の蓋を取ると、中はつやつやしていて、 思ったより赤い色だった。 母の唇の色を思い出してもこんなに派手でもなかったと思うので、 塗ったら感じが違うのかも知れない。 実際進藤が口紅を塗っているところを見たことはない。 だが、先日一緒に書店に行った際、途中の、いつもなら気にも留めない化粧品屋で 立ち止まってじっと口紅を見ていた。 「やっぱり化粧、してみたいの?」 進藤が女であると言うことをすっかり忘れていたボクだったが、 彼が男と寝ているという話を聞いて以来、少し意識するようになった。 だから今も、ボーイッシュな女の子が年頃になって漸く化粧品に興味を持ち始めたような、 そんな微笑ましい気持ちがごくごく自然に湧いた。 「う〜ん、何か、せっかく女になったんだから、みたいな。」 「一通り女の子らしいことしてみたい?」 「そうそう。それに、加賀だってオレが女らしくなったら燃えるかも知れないだろ?」 ・・・進藤のカレシのようなものであるらしい加賀という人。 何か違う。彼は違うと思う。 進藤はそれなりに気に入っているらしいが、ボクから見れば軽薄そうな男だった。 自分勝手にもあんな男に友人を任せたくない、などと思ってしまう。 大体知り合ったばかりの処女を、ほいほい抱ける神経が分からない。 でも・・・元はと言えばボクが断ったからだしな。 だって、進藤は今のボクにとっては一番近しい友人で・・・ 同級生も大事だが、やはりボクの生活の大半を占めている碁について知らない人とは 何を話していいか分からないし、その碁で同レベルというのは、これは得難い無二の友のように思うのだ。 その進藤となんて出来る訳がない。 でも、かと言って進藤の碁を知らない男が・・・進藤の身体を自由にしているなんて、 何だか・・・何だろう。 これは、この感じは『冒涜』に近いような気がするのだ。 「でさぁ、こないだなんか女物売場に行ってみたんだ!」 「衣料品?」 「そうそう。バクバクだったけど、店員さんって凄いなぁ!ちゃんとオレが女だって分かるんだぜ?」 それは多分、女物売場にいるから男っぽく見えても女の子なんだろう、と 判断されたんだと思う。 「似合いそうなスカート見繕って貰って試着したりして。」 結局買わなかったけど楽しかった、と嬉しそうに言う進藤。 それと、キミが最近キレイになったからかも知れない・・・。 ぼんやりと無意識だったが、ボクは口紅を唇に運んでいた。 下唇にそっと押しつけただけでも色が付いたので、軽く軽く唇の上を滑らせてみる。 下が終わったら、上。 ・・・何だか、不気味だった。 鏡の中に知らない人間がいる。 酷く不細工な顔をしている。 自分自身の唇の感触は、天ぷらを食べた後のように油っぽい感じがしてこれまた気持ち悪かった。 慌ててティッシュを取り、口を拭おうとしたその時。 音もなく、母が現れた。 「・・・・・・!」 「アキラさん?」 咄嗟に言葉が出ないボクに、母が目を丸くする。 それからぷっと噴き出した。 「あらあら。はみ出てるじゃないの。何の余興かしら?」 「いや、あの、これは。」 慌ててティッシュでごしごしと擦ると、また声を出して笑われた。 顔が熱い。 「ごめんなさい、その、」 「貸してご覧なさい。」 ひとしきり笑った母は、何故か口紅を手に取り、ボクの顎を掴んで上向かせた。 「あの?」 「少し口を開いて。」 有無を言わせぬ調子で言い、器用にどこからか小筆のような物を取りだした。 文句を言おうと思ったけれど、久しぶりにこんなに母の顔が近くにあって、 それが何だか照れくさくて嬉しくて、思わず言うとおりに口を半開きにして、 目を閉じてしまった。 唇の上を、柔らかいものが滑っていく。 薄目を開けると思いがけない程母の顔が近くにあって、 見たことが無いほど真剣な顔をしていた。 唇の輪郭をなぞる、筆。 きっと口づけというのはこういう感触なのではないかと思った。 「はい。出来たわ。ん〜。」 母が上下の唇を見えなくする形で引き結ぶ。 鼻の下が伸びて、いつも表情さえ端正な母にあるまじき少し間抜けな顔だった。 思わずくすりと笑うと 「あなたがするのよ?唇に馴染むように。」 仕方なく、おずおずと同じような表情をする。 母はにっこりと笑って、「ちょっと待ってなさい」と踏み台を持ってきて 天袋から何か紙箱を取りだした。 「若い頃一度だけ使ったものなの。」 そう言いながら畳の上に置いて蓋を取った時、思わずのけぞってしまった。 ビニールの中に、何か黒くて生き物めいたものがまるまっている・・・。 何となくぞっとする思いで見ていると、母が丁寧に取りだした。 それは、大きくカールした、長髪の鬘だった。 母はどのような機会にこれを使ったのだろうか。 そういえば極々偶に悪戯めいたことをする人だから・・・。 と、思っているとその悪戯めいた笑顔を見せて 「着けてご覧なさい。」 と、鬘を整えた。 そう言えば幼い頃、戯れに髪にリボンなどを結ばれたことがある。 父の弟子達に可愛い可愛いと言われた。 さすがに父には怒られるのではないかと冷や冷やしたが、 「・・・うむ。可愛いな。」 「でしょう?」 何となく、父は母に逆らえないのかも知れない、と初めて思った瞬間だ。 そしてボクだって敵うはずがない。 「・・・分かりました。」 「ああ、少し待って。」 母が鏡台の引き出しからヘアピンを取りだし、ボクの前髪を、横の髪を、 後ろに向かって留めていく。 もうどうにでもしてくれという気分でいると、鬘を被せてさらにそれを固定しているらしい。 少なからず頭皮が引っ張られる感触が繰り返され、やがて手櫛で整えられ、 「出来たわ。」 母が離れてにっこりと微笑んだ。 「鏡を見てご覧なさい。」 そこには、知らない女性がいた。 思わず息を呑むとその女性も息を呑んで、ああ、自分だと納得した。 黒い髪が白い顔を縁取っているのと、唇の赤みが強いので色が白く見える。 カールした髪は母の若い頃というだけあって古くさそうだと思ったが、 意外にも今でもその辺を歩いていそうな髪型だった。 流行は繰り返す、という言葉が、非常に納得できた。 「きれいよ。アキラさん。」 後ろからボクの肩に手を置いてご満悦な母。 そんな事を言ったことはないが、娘を持った母親の気持ちを味わいたかったのだろうか。 非常にどうでもよく思いながら、ボクも曖昧に微笑んだ。 それから更にエスカレートした母にスカートを履かせられたり、ファスナーを前に履いて 笑われたり(この間違いは進藤も絶対しているな)女物のブラウスを着せられたり、 鬘の髪を結わえられたり解かれたり長時間遊ばれた。 進藤を思いだしてちょっと口紅に手を出しただけでこんな事になるとは・・・。 −続く− ※ゴメン、アキラさん。私の趣味だ。 |
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