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戦国ヒカアキ10 そういえば、緒方があれ以来寝所に来る気配がない。 ヒカルにどうやってかわしているのか訊いたが、特に何も言っていないとの事だった。 緒方は・・・、確かにヒカルの身体で楽しんでいた。 私をも、抱きたがっていたと聞いたような気がする。 狙われていても不思議はないと思うが、 しかし今は、そのような気配が感じられぬ。 秋になり、ヒカルの戦上手は、既に内外に知れ渡っていた。 突然の代替わりに国内が安定せぬ間に、攻め入らんと狙っていた外圧も少なくなり、 相次ぐ戦に浮き足立っていた民もようやく治まってきた。 ヒカルも以前のように勢いに任せて攻める事もなくなり、和平を結ぶべき国とは結び、 睨み合っている国とも小康状態を保っている。 収穫期ということもあって、束の間平和な日々が続いていた。 こんな時に、武人は行き場のない力を持て余す。 私はヒカルの元で執務を手伝ったり、面会などがあれば退いて書物を見たり写したりする。 それが終われば剣や弓の鍛錬に励むのが、日課となっていた。 緒方も普通に登城して、執務に励んでいる。 大変結構で怪しむべき点もないが、以前の奴ならこのような時にこそ色に勤しんでいたような・・・。 などと思っていたある日、私が書庫で地図を探していると珍しく余人が入ってくる気配がした。 目を上げると、 件の緒方が後ろ手に障子を閉めている所だった。 目が合うと、どこか舌なめずりをしそうな、表情。 「こは、調べ物ですかな。」 「・・・左様。」 「アキラ様とこうしてお話しするのもお久しぶりにございます。」 「・・・・・・。」 身体が固まったようだ・・・。 話したくない側に来ないで欲しい。 「急に領地が増えたので農民を管轄するのが難儀にござる。」 こめかみに汗が流れる。 そんな私に気付かなげに緒方は広い棚をゆっくりと巡る。 「貴方様も先日旧御器曽領を視察されてよりご存知でござろうが、」 怖い、怖い、嬲られているようだ、 いつ来るかいつ来るかと、こんな風に怯え続けている程ならばいっそ・・・。 「アキラ様。」 びくりと肩が上がってしまう。 いつの間に、背後に・・・ 「如何なされたのです、これ程の涼しさに汗をかかれて。」 後ろから伸ばされた手が顎にかかり、耳の後ろを押さえる。 動けない動けない。 ヒカル・・・! 「もしや、」 髪に微かな、恐らく髪の毛が触れる感覚があって、 反対側の耳に息が掛かる。 「・・・もしや、それがしは待たれておりますかな?」 「ぶ、無礼者!」 しばらくの間。 ほんのしばらくではあるが、耳を塞いでしゃがみ込みたくなるような間の後、 耳元でくっくっと笑う声がして、手が離れていった。 「なれば、よろしいのです。薬草の本を取りに来ただけでしたからな。」 「・・・・・・。」 緒方が退出して障子がかたりと閉まると、私は呼吸を忘れていたかのように 大きく息を吐いた。 「白拍子だよ。」 その日、ヒカルにさり気なく緒方の近況を聞くと、あっさりとした答えがあった。 「女人か。」 「ああ、もう骨抜きというか。」 ただでさえ、あの冷血で多淫な緒方の相手が出来る女子などいるのだろうかと思うのに その緒方が骨抜きになっているなどと。 だが、今日の書庫での事も、本当にからかわれただけの様であった。 「美しいが恐ろしい女だ。何か蛇じみた・・・」 「それは緒方にお似合いだ。」 「オマエも顔に似合わずなかなかにきつい。」 そんなことを言い合ってくすりと笑える程、私達の関係は、変化していた。 やはり私の態度の変化が大きいだろう。 その夜は月が美しかった。 ヒカルに歩かないかと誘われて二人で城を抜け出し、そぞろに彷徨っていると どこからか唄声が聞こえた。 何となく顔を見合わせて、無言でその声の方角に進む。 その源らしき屋の垣根に隠れて目を凝らすと、縁側に酒を並べて緒方がくつろいでいた。 奇遇なことにもあの者の屋敷だったのか・・・。 声の主はその前に座った女らしき人らしい。 透き通った声が吟じるのに合わせて緒方が畳んだ扇で小さく拍子を取っている。 顔はいつも通り能面のようだが、かなり機嫌が良い証左だろう。 やがてその唄は静かに終わった。 「よい声だ。」 「恐悦に存じます・・・。」 後ろ姿が軽く上体を折り、徳利を持ち上げてささを注いだらしい。 「あの人か。」 「ああ。」 舞の衣装のままなのであろうか、白い水干、男ものの烏帽子。 そこから女らしい艶やかな黒髪を垂らしているのが、却ってなまめかしい。 こんなに遠くにいて、しかも後ろ姿でも色香が匂い立つようで 緒方が他の男女に興味を失うのも分かるような気がした。 あの様な者を手に入れたとは、さぞや胞輩に羨ましがられている事であろう。 しかし白拍子と言うことは、秋祭りに来た旅芸人であろうか。 旅芸人にあの様な者がいるだろうか。 幼くも見えないが、何故今までどこかの領主に囲われなかったのであろう。 それよりも、今仲間はどうしているのだろうか。 「顔が見えないな・・・。」 出歯亀か悪戯小僧のようだ。 私ともあろうものが、いや最近ヒカルの影響を受けて慎みというものが、 「オレ、あれによく似た者を、昔知ってた。」 「?」 「似てたんだ・・・。」 月が翳り、ヒカルの表情が見えなくなる。 私が何と答えた物かと迷っていると 「おかしいと思わねえ?」 「何が。」 「あんな特殊な女が、『この時期』に『オレを緒方から逃がすように』現れた。」 その時初めて、私はヒカルが、 緒方の能力と、私と、 どちらを選ぶべきなのか迷っていた事に気付いた。 あのままヒカルが緒方と寝続けていたら、私は恐らく城を出ていた。 かといってヒカルの方から緒方を切れば、どのような報復があるやも知れぬ。 緒方は知りすぎている。 立て籠もっていた頃の如く、博打が打てるような立場にヒカルは既にないのだ。 結果的には、あの白拍子のお陰でいづれも切らずに済んだ事になるが。 「・・・偶然であろう。」 「そうかな。」 「偶然でなければ何だと言うのだ。」 その時さあっと雲が切れて月光が射すと同時に、 白拍子が振り返った。 こちらが見えているはずもないのに、迷いもなく真っ直ぐと私達の方に向けられた、白い顔。 その面は非常に美しかったが、確かに美しいというよりは凄まじく・・・ 女子ながらに歴戦の武将のような凄絶で静かな眼差し。 何故か、似ても居ないのに姫装束の頃のヒカルを思い起こさせた。 私達は呪術にでもかかったように動けなかった。 一人気儘に動いている緒方が、また酒を干す。 「・・・如何した。」 「月の光が。秋の虫を照らしておりまする。」 ヒカルに促されてそっとその場を離れたが、城近くまで来ても まだ胸が動悸を打っていた。 「・・・あの女子、何故我々の事が分かったのであろう。」 「月の光が、って奴か。」 「ああ。」 「妖魅の類かも知れぬな。」 「そうだろうか。」 「いけ好かぬ女よ。」 そう言いながらも、ヒカルの目は物憂く伏せられていた。 先程の、あれに似た者を、と言った時と同じ気配で、やはり返すべき言葉が見つからない。 代わりに、少し話を変える。 「・・・あれが妖魅であるとすれば、緒方は大丈夫だろうか。」 「心配なんだ?」 「何の。・・・まあ人外の者ではあっても女人にどうにかされるような輩ではないな。」 「・・・女人、かな。」 「違うのか?」 ヒカルは答えずにしばらく月を仰いでいた。 私は何とか先程の白拍子の姿を思い浮かべようとしたが、そうしようとすればする程、 輪郭がぼやけるような感覚に、内心戸惑っていた。 「・・・女人であろう。まああの者は、緒方に任せるさ。」 逆ではないのか。 「緒方をあの者に」ではないのかと思ったが、 まあどちらでも良いと思った。 −続く− ※さい登場。ちょい役で。 |
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