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戦国ヒカアキ9 大広間で、私はヒカルと盃を交わし、主従の契りを結んだ。 理由は色々とあるが、一つには一度とは言えヒカルを抱いてしまって 責任のようなものを感じてしまうようになったというのもある。 今ひとつの大きな理由は。 ヒカルが、私が彼の元にいる限り、他の何人とも情を交わさぬと、 誓詞を書いて血判まで押した事だ。 そこまでされて心が動いた、というのが表向きではある。 しかし内心、 「これでヒカルは子孫を残す事が出来ぬ」と。 「私が塔矢の血を絶やしてしまうなら、ヒカルも道連れだ」と。 そんな計算が働いていたのが本当だった。 そう思えば、ヒカルとの情交も無駄ではない。 抱かれる事によって・・・緩やかにではあるが私は彼に復讐しつづける事が出来る。 だから以前よりも素直に身を任せ、あまつさえそれを楽しむ事まで出来てしまうのだ。 それにヒカルは、恐らく自分も抱かれたせいであろう・・・長けていた。 以前のように自分勝手で性急な交わりでなく、時間を掛けて私を追いつめ、登り詰めさせる。 昔緒方に内側でよくなることを教え込まれた私の身体は、あっけなく陥落した。 別々の思いを持ちながらも、私達の利害は一致する。 もしかしたらヒカルは、私の計算まで読んであの血判を押したのかも知れない。 しかしそれでも構わない。 私達は身体を重ね続けた。 そんなある日、早朝に私が庭で素振りをしていると、ヒカルが通りかかった。 「アキラ、ここにいたのか。」 「ああ。」 「やめろよ。目の毒だ。」 両袖を抜いて、上半身をはだけたまま木刀を振り続ける。 びゅん、と音をさせると顎から汗が飛び散るが、それを男にどうこう言われても 私の知ったことではない。 「お主も汗を流さぬか。」 「毎晩・・・」 何やら言いかけたのを私が軽く睨むと、口をつぐんでニッと笑った。 「・・・そうだな。立ち合うてくれるか。」 「ああ。」 「部屋の続きの長押にある刀を持て。アキラの分も。」 控えていた小姓に申しつける。 「真剣で?」 「真剣じゃなきゃ面白くないじゃん。」 正気か? 御前試合でもなく、戦場でも何でもなく、こんな朝の軽い手合いで真剣を使うなど 聞いたこともない。 だが、小姓は言われるままに二振りの刀を持ってくる。 仕方なく適当な一本を取って一応目釘を抜いて、茎を確かめる。 刀工が、私でも聞いたことのある名だった。 反りも問題なく柾目肌に湾れの波紋が美しい。名刀、と言ってもいい。 こんなに美しい刀、勿体ない・・・。 実際にヒカルの肉や骨を斬る事はなくとも、鍔を競るかもしれない。 丁寧に柄巻いてからヒカルにやはり木刀で手合わせようと言いかけると、 「どうしてそっち選んだ?」 「別に意味はないが。」 「ふうん・・・。やっぱ、呼ぶのかな。」 「何がだ。」 「・・・その刀、親父さんが最後に腰に持ってたのなんだ。」 手の中の、鋼の塊が急にずっしりと重くなったような気がする。 これを、父が・・・。 感慨に似た感情が訪れ、次に怒りが訪れる。 こんなに大切な品を、私に黙って、しかも朝稽古などに使おうと言うのか・・・! しかし、口や表情に出す前に諦観が訪れた。 ヒカルに人の情の常というものは、通用しない。 故人が最後に持っていた品であろうが、いかな経緯由来を持つ刀であろうが、 一振りは一振りに過ぎぬのであろう。 「じゃあ、オレはこれで。」 するりと抜いて立てた刀もなかなかの逸物に見えた。 ヒカルが下がって片肌を脱ぐ。 何も言わずに草鞋を脱いで一礼し、すぐに構えに入った。 そう言えば、ヒカルとこうやって剣試合をするのは初めてだ。 ヒカルは上段に構え、私は中段に構える。 「・・・この刀な。」 「?」 「オレの親父の形見なんだ。」 「・・・・・・。」 見つめ合う。 それはまた、お互いに大変な物を背負ってしまったようだ。 だが、もし刀が入れ違っていてもヒカルには何も変わらぬのであろう。 「参る。」 言いざまにヒカルが横に跳んだ。 前城主の遺品と共に。 私も跳ぶ。 父と共に。 まさか入って来まいと思った間合いをいきなり詰めて、思い切って振り下ろしてくる。 ガッ! 刀を惜しんで一瞬でも受けるのを迷えば、確実に腕の一本は落とされていた、 そのまま鎬を鎬で削るように滑らせて、迷いもなく返す刀の嶺が飛んでくる。 本気か・・・。 太刀には多少自信がある。 だが、相手が本気で私を殺そうとしているとなると、些か話は別だ。 私が大きく横に薙ぎ払うと、ヒカルは後ろに跳んで避け、その余白に私が息を吐く間もなく 地面に着いた足をばねに切っ先を構えたまま突っ込んでくる。 私を殺しに来ている。 恐怖が走る。 後で思えば、ほんの数刻前まで身体を合わせていた者をよく、とも思うし、 私のことを好いておると言ったのに、何故、と色々と訝しむべきであったかも知れない。 だがその時は、放心し、ただただ目の前の人物はヒカルではなく顔のない「敵」になり、 私はひたすらに、「ソレ」を倒すべき「モノ」になっていた。 結果的にはその事が私の命を救ったことになる。 負ける。 死ぬことに怯えていては。 殺すことに躊躇いを覚えていては。 ヒカルの首に向かって刃を跳ね上げ、獲った、と思ったが、立てた柄で止められ、 柄糸がばらりと外れる。 熱い息が首筋に掛かる。 汗が混じり合いそうだ。 父の刀。 重い。 昔気質の人であったから。 あと少し軽ければ、今仕留められていた。 だが、ヒカルの父の刀も、きっと重いのではないかと思った。 お互いの力の均衡が破れた瞬間、爆風に遭ったように両側に弾かれる。 汗が飛ぶ。 手の中の柄が滑らぬように、ぎりりと握り直す。 ヒカルも片手づつ離して、袴で掌を拭う。 空気の密度が濃い。 ヒカルが、稀に見える難剣だからだ。 こんな太刀見たこともない。 切っ先で競ったり、一足一刀の間で留まると言うことがない。 自分の剣風が待ち剣だと思ったことはないが、 虚を突く間、鮮やかな引き揚げに翻弄される。 私の太刀は、いや誰でも己を守りつつ相手を攻撃する。 だが、ヒカルは相手を倒す事を第一義とし、己の身が二の次なのだ。 隙が多い。と言えなくもない。 だがその隙を突こうと思えば高い確率でこちらの身も真二つであろう。 攻撃が最大の防御だという言葉も浮かぶが・・・。 再び上段に構えて気合の声もろとも駆け込んでくる。 肘が曲がっている。 胴が空きすぎている。 これは・・・! これは、太刀の道ではない。 鎧を着けている事を前提とした、戦場の技。 本当の命の遣り取りにだけ通用する剣。 誰が、こんな剣をヒカルに? 実際は考える間もなく左足が動いていた。 「ひゅっ」という呼吸音と共に、ゆっくりと刃が迫ってくる様に見えた。 裏鎬を張ると、呆気なく切っ先が上がる。 目の前に糸が落ちて鮫皮が露わになった柄。 「チッ」と口で音を立てて下がり、私の刃から逃れようと地に向けた刀身を。 再び上げる閑を与えず、思いきり打ち下ろした。 その瞬間、非常に美しい音が響いたような気がする。 逆に、世界から音が消えたような気もする。 気が付けば私達の間の緊張した空気は拡散し、 ヒカルは膝を付いて、痺れているであろう手首を握っていた。 ヒカルの父の刀は、真っ二つに折れていた。 「・・・あ〜あ。折れちゃった。」 お互いに荒い息を整えた後、まずヒカルが発したのはそんなのんびりとした声だった。 「まだ使うつもりだったのか?形見の品を。」 「形見ったって使わなきゃ只の棒きれじゃん。」 それはそうだ。 やはりヒカルらしい、と、思わず笑みが漏れる。 「オマエ、本気でオレを殺る気だっただろ。」 「当たり前だ。そうでなければ私が斬られていた。」 やはりオレの見込んだ男、とヒカルも笑った。 「昔手合わせした時、オマエは強いと思ったけれど、」 記憶を辿ってあの高楼に行き着く。 あの時はヒカルは長刀、私は丸腰。 圧倒的に不利であった。 あの時に殺されていても不思議なかった。 「本当に負けるとは思ってなかったな。」 「碁でもそのような事を言っていた。」 からかうつもりもなかったが、また不機嫌そうな顔になったのに 笑ってしまいそうになる。 「よいではないか。戦で大将に必要なのは、太刀の強さではなく統率力だ。」 「その内抜かすさ。太刀も、碁も。」 「琴はなかなかの腕前なのであろう?私は弾けぬ。」 「オマエ、腹立つ。」 ヒカルはますます口をへの字に曲げる。 「やはり殺しておくべきだった。」 「後悔するのが遅いわ。」 私はますます笑えてくる。 ヒカルにこんなに軽口を叩いたのは初めてではないだろうか。 いや、ヒカルでなくとも、誰かに。 自分が何か変化したような気がする。 しかし次の瞬間。 「で、太刀を教わったのは誰から?やっぱ緒方?」 ・・・それは、軽い意趣返しのつもりだったのだろう。 だが私がすぐに返事をしなかった事により、二人の間の空気が一気に重くなった。 ヒカルが戸惑ったように笑いを消す。 「・・・左様。」 「そう。」 自分の手の刀を見ると、何カ所も刃こぼれしていた。 もう研ぎ直しても使えまい。 さっき私が勝ったのは、半分以上運だった。 何とか鞘に納め、これでそれこそ本当に只の棒きれになった訳だが、 父の形見、貰い受けて大切に置いておこうと思った。 「何でもオマエの初めては、緒方なんだな。」 「・・・・・・。」 「悔しい。」 何を言っている、お主が最初に私を、と言いそうになって、いや私を達せさせたという意味か?と自問し・・・ 結局莫迦莫迦しくなって何も言わなかった。 だが、家臣の前では鬼の如くと言えるほど弱さや人間らしさを現さぬヒカルが、 私の前では素直に感情を吐くのが、どうも私は。 ・・・今では塔矢の領地も私もお主の物なのだからよいではないか などと言いそうになるが、これも言わない。 代わりに 「死ぬまでにもう一度真剣で勝負せぬか。」 と言った。 私達はやはり、お互いの手に掛かって死ぬのかも知れない。 −続く− ※変なエピソード。剣道に詳しい方ごめんなさい。 |
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