リヴォルバー 2








頼んだのはダブルルームだ。
何階がいいか、茶系統と青系統とどちらがいいか、値段は了承するか、
係が細かいことを聞いてくるのに機械的に、適当に答えていく。
満室であればいいと思ったが、連休明けの平日なので飛び込みでも
空いていたらしい。

それにしても。
旅行者らしい荷物もなく、どう見ても未成年な男二人がダブルルームを頼むのを
フロントはどう思ったのだろう。
最初少しだけ考えているようだったが、すぐに笑顔で礼儀正しい対応を取り戻したのは
さすがだと思った。

それからホテルマンに引き連れられてエレベーターに乗り、高層階に上る。
案内された部屋は、ちょっとしたマンションのリビングより広そうな
すっきりとした部屋だった。
右手は長いソファが壁際に添わせてあり、その上は壁一面殆ど窓になっていて
暮れ始めた東京の街が見下ろせる。
あと二時間もすれば夜景が美しくなるのだろう。

そして向かいの左手には・・・ほぼ正方形の、巨大なベッド。

ホテルマンが色々と説明するのをぼうっと聞いていた進藤は
彼が出て行くと共に目が覚めたようにボクを見つめた。

ポケットからピストルを取り出し、もう隠すこともなくあからさまに銃口を向ける。


「じゃあ早速、脱いで貰おうか」


まだ夜まで時間もあるし夕食もある、それまでに何とか説得しようと
頭の中で計画していたボクは意表を突かれた。
大掛かりな冗談である可能性にもまだ期待をしていたというのに。


「・・・外は、明るいぞ」

「我慢できねーよ。一刻も早く、おまえと、したい」


そう言えば。
二人きりになってから、進藤の目がぎらぎらしている。
少し息が荒くなってきたような気もした。

・・・本気だ・・・。

演技でこんな欲情した顔は出来ないと思う。
こんな、ケダモノじみた顔は。

ボクの息も連られるように上がってくる。
これは、銃口を向けられている緊張か。


「待て、待ってくれ。分かった。分かったから、先にシャワーを浴びさせてくれないか?」


進藤は銃口を上げて少し考えた後、頷いてバスルームを顎でしゃくった。




一人になって、漸く肩の力が抜けた。
やはり相当緊張していたらしい。
トイレットの前でゆっくりと服を脱ぎながら、頭をフル回転させる。

勿論このまま進藤とそういった関係を結ぶつもりなどない。
今思えば、ホテルに到着するまでに逃げるべきだった。
進藤が発砲すれば騒ぎにはなっただろうが、ボクは最悪軽い怪我で済んだろうに。

と、今更後悔しても仕方がない。
今から出来ること・・・。

進藤から銃を取り上げるか。
あの銃がオモチャである事を、何とかして確認できれば一番だが。

とにかく従うフリをして、銃を進藤の手から離すしかない。
ボクには引き金を引くことは出来そうにないが、手にする事さえ出来ればこっちのものだ。

その時。


『塔矢』


洗面所の扉の向こうから、進藤の声がした。


「何だ」

『開けて。オレも一緒に入りたい』


気持ちの悪いことを言う・・・。


「いやだ」

『開けてくんなかったら鍵壊して入るぜ』


銃を持った彼は、全能感に酔いしれている。
透明人間にでもなったかのように、何をやっても許されると思っている。
まるで幼児だ。

だがここで一つひらめいて、ボクは大きく息を吐いた。


「分かった。少し待ってくれ」


シャワーを出し、鍵を開けてすぐにバスタブの方に戻る。


「いいよ」


案の定進藤は、既に服を脱いでいた。
その股間から慌てて目を逸らし、さり気なくカーテンの陰に自分の体を隠す。
進藤は一糸纏わず、けれど右手に銃だけは持っていた。


「入るぜ」


裸足のままぺたぺたと入ってきて。
左手でシャッとカーテンを開けた。
シャワーで既に濡れた体が曝され、
思わず浴槽の端に身を縮めてしまう。


「色・・・白いんだな・・・」


荒い息。
視界の隅で少しづつ、大きくなって角度を上げる赤い角。


「塔矢」


縁をまたいで入ってくる。
もう、ほとんど体が密着しそうだ。
湯気に濡れてくる金色の前髪。

もう少し・・・もう少し。

進藤がボクの腰を抱き寄せる。
壁に押しつけられ、そして、唇が。
二三度逃げたがついに捉えられ、
激しく押しつけた後、入り込んできて歯を舐め回す熱い舌。
下半身でも硬くなったものが脚に擦りつけられて、その感触に気が遠くなりそうだ。

それでもボクはそれらに耐えながら、横目で進藤の右手を見た。
ボクの頭の横に突いていて、銃はタイルに押しつけられている。


それを見て、ボクはいきなり進藤を突き飛ばした。

不意打ちによろめいてバスタブの縁に手を突く。
ボクはそれを見ながらゆっくりと口を拭い。

・・・そう、出来るだけ自信ありげに。
自分の勝利を確信しているように見えるように。


「進藤・・・遊びはもう、終わりだよ」

「何言ってんだよ。これを忘れたの?」


ニヤニヤ笑いながら、また銃口を振る。


「それはもう、オモチャと一緒だよ」

「へえ。どうして」

「ほら・・・見てみろよ。濡れているだろう?万が一本物だったとしても
 もう火薬が湿って使いものにならないよ」


進藤なら慌てる。
慌てて、どこかに向かって試し撃ちをするかも知れない。
そうすれば使い物にならない事が証明できる。
でなくても彼は逃げようとするだろう。
そこを後ろから押さえて、銃を取り上げてジ・エンドだ。

と思ったのに。


「・・・おまえ知んねーの?このタイプのは日常防水なんだぜ」

「!」


息を呑んで動揺を見せてしまったのが、不覚だった。
進藤はニヤリと笑って立ち上がり、またボクを壁に押しつけ、
今度は髪を掴んで先程より乱暴に口を押しつけてきた。
ひとしきり口内を陵辱した後、


「なんちゃってな。実はオレもよく知らないんだけど」


囁きながら動けないボクの耳に舌を這わせる。


「試してみようか?」


何故なら銃口は今度はぴたりとボクの耳の上、こめかみあたりに当てられていて。

引き金を引いても何も起こらなければボクの勝ちだ。
けれどもし銃が生きていたら・・・。
思うだけで、膝の力が抜けるのが我ながら情けない。

進藤にとっては、弾が出てこない事が分かれば完全に自分の負けだ。
だから彼は引き金が引けない。
逆にもし弾が出てきても、彼はボクと自分の人生を失うだけなのだし。

そう思うと圧倒的にボクにとって有利な賭けのようだが。


・・・「シュレーディンガーの猫」を思い出した。
量子力学の世界の思考実験だ。
一時間以内に50%の確率で毒ガスが発生する仕掛けと共に
密閉された箱に閉じこめられた猫。

  一時間後、箱の中の猫は生きていますか?死んでいますか?

     わかりません。

  開けて観測するまでは、50%の確率で生きていて、50%の確率で死んでいるのです。

     ・・・わかりません。

  つまり猫は、生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているのです。


無論現実としてはパラドックスだ。
半分生きて半分死んでいる猫などこの世に存在しない。
けれどこの銃は、正にそのパラドックスの中にあると言える。

実際この銃が生きている可能性は、50%もないと思う。
けれど問題なのは、0%でもないという事実だ。
そして1%でも可能性があれば、それはボクにとっては100%と同じ脅威なのだ。

濡れれば発砲される確率は下がるだろうが、それでも引き金を引くまでは
観測するまでは、「半分生きて半分死んでいる」のと変わらない。

ということを、進藤に見抜かれてしまっている。
恐らく進藤自身、引き金を引いた後の事は予想が出来ないだろう。

それでもボクは。




銃口に促されて、バスタオルで適当に拭いたままの裸の姿で
ベッドルームに向かう。
窓際のソファに座ろうとしたが、「ベッドに寝ろ」と指示された。

進藤も、裸足のままひたひたと床に水の足跡を残している。
今抱かれたらベッドカバーもボクも濡れる、そんな事を考えていた。

ボクは、麻痺していた。
何とか銃を奪えればいいけれど、先程の事で進藤は警戒しているから
当分チャンスは巡ってこないだろう。

なら、従うしかない。
最中ならあるいは気が逸れるかも知れないから、それを待てば何とかなるか。

とは言え、自分がどうしようもなく不利である事を思い知らされ、
もうある程度までは覚悟しなければならない状況であるのは気が重い。


男が上から覆い被さってくる。
また、飽きずに唇を舌でこじ開けてくる。
鼻先や頬に、前髪から垂れた雫が落ちて冷たい。


「塔矢、塔矢・・・」


譫言のように呟きながら頬に、首に、肩に唇をつけ、
途中で銃を左手に持ち替えると右手でもボクの体をなぶり始めた。


・・・何だろう、これは。
ボクの上にいるのは誰だろう。

二時間ほど前には棋院で打っていた。
偶々終わった時間が同じくらいで。
そのまま碁会所にでも行くか、駅で別れるか。
そのくらいしか行き先のない、棋士仲間だった。

その進藤と、同一人物とは思えない。
小学生時代から知っている、あの進藤とは。

でなければボクの方が塔矢アキラではないのだ。

こんなホテルで裸になって、男に組み敷かれている塔矢アキラなど
考えられない。

人目を気にする訳ではないけれど真面目で品行方正で。
年の割に自律出来ている「塔矢アキラ」が好きだった。
人生の目的を、自分が為すべき事をはっきりと把握して、
偶に壁にぶつかってもそれすら自分の成長の糧と前向きに捉えられる「彼」が。

けれどこれは。
あんまりじゃないか。

男に抱かれるなんて不様だ。
「塔矢アキラ」らしくない。

・・・と、そこで、脚の間に手を伸ばされてふっと我に返った。
乖離していた「塔矢アキラ」と「自分」が融合した。
他人の手が、性器に触れる。
堪らなく不快なのは、「ボク」だ。

だめだ・・・だめだだめだ。
自分を・・・塔矢アキラを守れるのは、自分だけだ。
逃げている場合じゃない。
何とかしなければ。


顔を横に向けると、枕の上に全ての指を鈎型に曲げた進藤の手。
巨大な蜘蛛のようで歪だと、一瞬思ったがそんな感想はさておき
その下には黒光りする銃が押しつけられている。
だが、引き金に指は掛かっていない。

チャンスだ・・・!

ゆっくりと、ゆっくりと慎重に。
もう失敗は許されない。
銃の事など忘れた振りをして。

・・・夢中になっている演技をして。


「進藤・・・」


微笑みながら名前を呼ぶ。
両手を伸ばして、首に絡みつかせる。


「塔、矢・・・?」


強張る足を、無理に開いて進藤の腰を挟み込む。
硬くて熱いものが、自分の性器の辺りに押しつけられて気持ち悪いけれど。

頭を引き寄せて、強く目を瞑ってキスをした。
自暴自棄に舌を入れ、強く吸う。
さすがに驚いたように固まっていた進藤の舌も、やがて負けじと応戦してきた。

海鼠と格闘しているようだ・・・と思うと吐き気がしそうになるから
顔を離してもう一度微笑むと、進藤はこの上なく幸せそうな顔をしている。


「塔矢・・・好きだ・・・」


意味の分からないたわ言に、何故か胸がちくりと痛む。
だから急いでもう一度首を引き寄せて。
片足でマットを蹴って、体勢を入れ替えた。


広いベッドは、二人で二、三回転出来るほどのキャパシティを持つ。
密着したまま進藤の上になったボクは、先程までいた枕の方を見た。

案の定銃が置き去りになっている・・・!

素早く手を伸ばして取り、引き金に指を掛けてからゆっくりと体を起こす。
初めて持ったが、確かに「本物かも?」と思わせる重量感があった。

馬乗りになって銃口を向けたボクを、見上げる進藤は
まだ口に微笑みを貼り付けたままだ。


「塔矢?」

「悪いな進藤」


信じられないような顔をしている所申し訳ないけれど。
今度こそ、遊びは終わりだ。


「だっておまえ、」

「ボクにそういう趣味はない」


キミを抱き寄せたのもキスをしたのも、一世一代の大芝居。
本当なら男と唇を合わせるなんて絶対にごめんだ。


「・・・騙したな」

「キミがした事に比べれば罪はないと思うけど?」


銃を構えたままゆっくりとベッドから降りて、じりじりと後ずさる。
進藤のものが目に見えて萎えていくのがちらりと見える。

服はまだバスルームか、目を離すのは危険だから進藤に持ってこさせた方が
いいか、などと頭の中で策を練っていると

進藤は、ごく普通の仕草でベッドから起き上がった。


「動くな!」

「それ貸せよ」

「動くなと言っているだろう。本当に撃つぞ」

「いいぜ」

「・・・・・・」

「オレ、本当におまえの事好きだし。おまえに殺されるなら本望だよ」


また、たわ言。
そして構わずどんどん近づいて来るので、ボクの方が恐慌をきたす。
撃たなければ、撃たなければ、と思いながら引き金に掛かった指が震えた。

弾が出れば。
ボクは人殺しになる。
弾が出なければ。
ボク達は素手同士に戻る。進藤なんかに負けやしない。

銃が死んでいる事を切望しながら、生きている事を前提に進藤を脅している。
この矛盾。
しかも、進藤は銃が生きている事を怖れていないばかりか望んでさえいるというのだ・・・。


気が付いたら、すぐ目の前に進藤が立っていた。
鼻先に突きつけられた銃口に恐れも見せず、醒めた目のまま銃身を鷲掴みにする。
その表情にボクは完全に敗北を悟り、なすがままに手の力を抜いた。
膝裏に感じたソファの感触に甘えてそのまま後ろに座り込む。


「ああ・・・夜景がキレイだ・・・」


取り戻した銃口をこちらに突きつけたまま、目はボクの背後の窓に向けた進藤が
うっとりと呟いたが振り向く気にもなれなかった。







−続く−








※弾を抜くなりヒカルに当てないようにして引き金を引くなりすればいいんですが
  アキラさんテンパってて気付かなかったらしい。






  • 戻る
  • SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送