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なつやすみ1 進藤ヒカルが原付で事故を起こした。 幸いにも外傷が少なかったと聞いたので、一週間もすれば対局に出てくると思っていた。 だが、二週間経っても、休場届は出されたままだった。 頭を打って、記憶喪失に陥ったとの、噂。 ピーンポーン・・・ 初めてお邪魔するお宅に少し緊張したが、インタホンからは 『すみません、折角ですけどヒカルはまだお会い出来る状態じゃ・・・。』 やんわりとした、拒絶の言葉が返ってきた。 「その、記憶を失われていると聞いたのですが・・・。」 『・・・ご存知だったんですか。』 スピーカ越しに、息を呑む気配。 やがて、ドアがガチャ、と開けられた。 「それで、あの、容態の方は。」 「・・・お入り下さい。」 招き入れられた玄関で、最初に目に入った物は、玄関に転がったサッカーボール。 それ以外にも真っ赤なミニカーが変な場所に放置されたままになっている。 これは・・・これは、まるで。 聞いてみると、何と6〜7歳まで記憶が逆行しているというのだ。 「回復の見込みは・・・。」 「さあ、お医者様はいつ戻るか全く分からないと・・・。 まだ若いのだから、もう一度育て直すつもりでいた方が、と・・・。」 そんな、碁は。 「・・・おじいちゃんもまだ打ってないんで分かりませんが・・・主人も私もそちらはさっぱりですし。 でも、あの子が碁を始めたのは12歳ですから、多分・・・。」 そんな。 「ヒカくん、塔矢くんよ。」 階上の部屋のドアを開けられて見ると、久しぶりに見る進藤はうつぶせに寝転がって 漫画雑誌を見ていた。 こうしてみると、以前と何も変わらないように見える。 だが 「だれ?」 「塔矢くんよ。お友だちの。」 「とーやくん・・・?」 見上げる表情は、眉が開いて確かに幼く。 話す言葉も、微妙に抑揚が少なくて舌足らずな感じがする。 進藤。 本当に、キミは・・・。 ボクが座ってお母さんが出て行くと、進藤は居心地が悪そうだった。 漫画を投げ出して落ち着かなげに部屋を歩き回り始める。 「進藤。・・・本当なのか?」 「・・・・・・。」 無視。 無視しようとしてしている訳ではなく、どう反応していいのか本当に分からない、といった様子だった。 やがて唐突に学習机の椅子に片尻を乗せるように中途半端に座ると、 しばらくキ、キ、と椅子を揺らしていたが、また突然体を斜めにしたまま、 散らばっていた裏の白い広告紙に、クレヨンでがしがしと何かを描き始めた。 しばらくどうしようか迷ったが、立ち上がって後ろから覗き込むとそこには、 正に幼稚園児の描くような、人物らしきモノが描かれている。 「・・・これは?」 「ようちえんでいっしょだったユカちゃん。とーやくんににてる。」 一緒だった、ということは小学校の最初の記憶はあるのか。 「とーやくん」って、キミはいつも「塔矢」って呼び捨てにしていたじゃないか。 というか、そんな、何の脈絡もない、進藤。 進藤。キミは、本当に・・・。 ボクが酷く、酷く混乱していると、進藤は「できた。あげる。」と、ボクに広告紙を押しつけて 「おかーさーん!」 と言いながら階下に降りていってしまった。 ボクは、色々な理由でしばらく動けなかった。 ボクも降りると、進藤は台所でお母さんに「ねーねー。」と言いながら背中から抱きつき、 ぶら下がろうとしている。無茶だ。 「力は強いもので。」 お母さんが困ったように、笑った。 どうしたものかと思ったその時、インタホンが鳴って、玄関が開く音と共に 「こんにちはー!あかりです。」 と、声がした。 「あかりちゃんだー!」 進藤はお母さんを放して玄関に飛んでいく。 後から着いていくと進藤が、藤崎さんと言ったか、ボクも会ったことのある女の子に 抱きついていて、 「ちょ、ちょっとヒカル!」 藤崎さんが赤くなっていた。 何となく見てはいけないものを見てしまったような気がした。 「あ。と、塔矢くん?」 「はい。少し進藤の・・・見舞いに。よくいらっしゃるんですか?」 「偶に・・・。学校帰りに。」 「あかりちゃん、とーやくんしってるの?」 「うん。お友だちだよ。」 「ふ〜ん。」 進藤はそれ以上関心を見せず、 「あかりちゃん、こうえんに行こーぜ!」 と、ぐい、と藤崎さんの手を引いた。 「ごめんね。今日はゆっくりしてられないんだ。」 「いーやーあー!行くのー!」 無理に引っ張り、あかりさんが「あ、」とたたらを踏んで倒れそうになる。 考える前に口が動いていた。 「進藤!」 大きな声を出したつもりはなかった。 それなのに進藤は、一瞬驚いたように目を見開き、やがてじわりとその目に涙が堪って 「・・・・うーーわーーー!」 と泣き始めた。 ボクはその日何度目かに呆気にとられ、藤崎さんも硬直する。 16にもなった男が、こんなに手放しで身も世もなく(しかも大した理由もなく) 泣きじゃくっているのは、はっきり言って異様だった。 やがて奥から声を聞きつけたお母さんが出てくると、進藤はまた抱きつき 「とーやくんが、とーやくんが、オレ、」 と、しゃくりを上げた。 「まあまあ。どうせヒカルが悪いことしたんでしょう?」 「んなこと、ないもん!」 「す、すみません!その、叱るつもりはなかったんですが、」 「いいんですよ。」 進藤を抱いてボクに微笑み掛けるお母さんは・・・。 邪推かも知れないが、大きくなった息子に恐らく久しぶりに甘えられて、 もしかして今幸せなのではないか、と思ってしまった。 それからボクは時間が空けば進藤家に通うようになった。 と言うのも、二度目にお邪魔したときに進藤と碁を打ってみると、驚くべき事に 棋力はほとんど元のままだったからだ。 それをお母さんに伝えると、彼女は・・・初めてボクの前で泣いた。 「すみま、せん・・・。あの子が碁が打てなくても、 元に戻ってくれれば、と思っていたものですから・・・。」 碁の才能なんてなくていい。 ただ、以前通りの、よく知っている息子に戻ってくれれば。 ボクにとっては、進藤とは碁の繋がりで、進藤の碁イコール進藤だが・・・。 ご家族や友人にとっては棋界なんて遠い世界で、 碁を打っていない普段の進藤こそが進藤なのだと、思い知った。 それでもボクは進藤が碁だけでも覚えていたことが嬉しい。 例え日常の記憶を失っていなくとも、碁を忘れていたら、 ボクは進藤と付き合っていける自信がない。 進藤を愛し続ける、自信がない。 −つづく− ※やっちゃったよ・・・記憶喪失モノ。 |
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