METAMORPHOSIS 5








進藤ヒカルとの結婚生活は殺伐としたものだった。


元々、進藤自身は結婚前もその後も変わらない。
ボクの方が勝手に「この結婚を幸せなものにしたい」と、努力して
彼を気遣ったり良き夫を演じていただけの話だ。

進藤がその上に胡座をかいていたという事もなく。
ボクが努力を放棄した時も、何故急に冷たくなったのかとか
何故碁以外の会話が減ったのかとか、そんな事は全く思い煩っていない様子で
いや、気付いてさえいないようだった。

だから、ボク達はまるで知人同士のように。
普通に同業者のライバルが同居しているような状態だった。
家事も分担していたし、二人とも家にいる時は碁を打って
侃々諤々と意見を交わし合う。

「新婚」という言葉から醸しだされる甘やかな雰囲気からはほど遠かったが
それはそれで、悪くないものだった。

そう。
こんなのは「結婚」でも何でもない。
結局、ボク達はただ「同居」しただけ。

進藤だって、現状以上は望んでいないじゃないか。



結婚を申し込んできた進藤の望んだただ一つの事…そしてボク達の生活を
「知人同士の同居」から隔てるただ一つの違い。

それが夜の生活だった。

新婚早々、欲しいのはボクではなくボクの遺伝子だと言われてから
彼に対するなけなしの愛情は萎えた。
けれども身体は心を裏切って、彼に反応した。

求められるままに彼のベッドに入り、途中痛がっても自分が望んだ事だろうと
残忍な気持ちでねじ込む事もある。

そんな時は自己嫌悪に陥ったりもするが、彼自身が何も言わないのと
理性を押し流す圧倒的な快感に、殆ど強姦のように済ませてしまったりした。

…彼が、自分で望んだ事だ。

また、そんな苦行じみた性生活に耐えていた彼にも数週間経つ内、変化が
現れ始めた。
つまり苦痛が薄れ、しかもボクが入れても自身が勃起した状態を保つようになったのだ。

そうなるとボクもそれなりに相手を観察しながらの行為になり、
ある晩遂に、彼はボクを受け入れたまま射精した。

それは、よくあるように勢いのあるものではなく、先走り液をだらだらと垂れ流す、
といった様子だったが、快感はそれなりに深いものらしい。
その間中足を震わせていたし、終わった後得も言われぬとろりとした顔をしていたからだ。


それからは、進藤はますます求めるようになった。
ボクも、複雑な気分ながら結局は流されるように彼を抱いた。

ただ一つ。
済んだ後、進藤が自分の引き締まった腹をするりと撫でて「もう出来たかな?」と
笑うのだけが、許せない程癇に障った。


この生活に、一体何の意味があるのだろう。

ボクは進藤の為を思って一緒に暮らし始めたが

彼にとってボクはただ種馬に過ぎず。

義務のように彼を抱くこと以外何も求められない。

バカにしている。



……バカにしているのはどっちだ。



ボクは進藤が待っているのを知っている。

苦しかろうが気持ちよかろうがボクを受け入れ

「棋聖」を腹に宿す日を待っている。


そんな日は、永遠に来ないというのに。


それを知っていながら己の快楽の為に彼を抱き続けるボクは
一体何だというのだ。



……今回の試みは…「彼の妄想に添う形で良い方向に持っていきたい」という
浅はかな試みは、失敗だ。


このまま続けていても何も生み出しはしない。
ただボクが底なし沼に溺れていくだけだろう。

けれど、ボクは終止符を打つ方法を見いだせずにいた。

正直に言おう。
彼の身体に未練がなかったとは言わない。
だがそれ以上に、ボクを種馬扱いした彼が自分が男だとも知らず
「精液」を求めてくる滑稽さに復讐心を満たしてもいたのだ……。

最早自分でも、彼を愛しているのか憎んでいるのか全く分からない。

自分の卑劣さに吐き気がした。
このままではおかしくなると思った。

それでも自分で状況を動かすことが出来ずにいたのだが…
事態はまた、思いもかけないきっかけで意外な方向に転換した。







ボクが進藤と結婚という形で同居している事はごく近い身内しか知らなかったが
和谷くんだけは例外だった。

初め知らせた時はかなり複雑な表情をしていたが、反対する訳にも
行かないとすぐに判断したのだろう。
困ったことがあればすぐに助けに行くと言ってくれた。

また、結婚前には勿論肉体関係などない、ままごとのようなものに
なるだろうと説明していた(ボク自身そう思っていた)事も彼の心を
波立たせなかった理由かも知れない。

けれども。
結婚後しばらくしてボクの顔色が悪いと声を掛けてくれたのをきっかけに
ボクは、彼に全てを吐き出していた。

進藤に…どの程度かは分からないが好意を持っていた和谷くんに対して
それは残酷な告白であったかも知れない。
彼が「夫人であった頃の進藤」と一夜を過ごした時、どこまで関係したか
分からない以上、無神経な物言いだったかも知れない。

でもそれ以上にボクもどうしようもなく惨めで苦しかったのだ。

彼も察したのか、ただ黙って話を聞いてくれた。
以来時々彼を呼びだして泣き言を聞いて貰い、
それでボクは漸く精神のバランスを保っていたと言う訳だ。



そんな彼を利用して…
何故そんな悪魔的な所行を思い付いたのか自分でも分からない。
ただ自分の居る地獄に、誰かを引きずり込みたかったのかも知れない。





和谷くんには、結婚生活が単調で進藤の精神状態に変化が見られないので
刺激を与えてやりたいと言った。
また、もしそれで彼が離婚を持ち出したりすれば、少なくとも我々は
以前の正三角形の関係に戻れると。

勿論ボクはそんな事は信じていなかった。
進藤の症状が悪化する可能性がある事も重々承知だ。

でも、ボクは疲れ果てていた。
全てに投げやりになっていたと言っていい。
また、和谷くんにとっても悪い話ではないのではないか?と。
そんな計算もあった。


決行の日、ボクはビジネスホテルを取り、和谷くんにマンションのキーを渡した。
彼なら進藤も扉を開けないという事はないだろうが万が一の為だ。

多少無理矢理な事をしてもいい、と伝えた。
進藤にボクに対する愛情や貞操観念はなさそうだから
あっさりと許しそうな気もするが。


ところが夜半過ぎ、携帯が鳴った。
和谷くんが急いで帰って来いと連絡してきたのだ。
その声音に只ならぬものを感じ、ボクは慌ててチェックアウトして
タクシーを拾う。



マンションに着き、靴を脱ぐのももどかしく居間に上がると
和谷くんが青白い顔をしていた。


「どうした?」


聞くと、黙って寝室に入る。
ベッドの上には進藤が横たわっていて、酷いいびきをかいていた。
口にはタオルが咬まされている。


「……これは?」

「わかんね。抵抗したから無理にベッドに押し倒したら急に痙攣し始めて…
 でもさっきよりはだいぶマシなんだ。ガクガクしてないし」


話ではテンカンか何かの発作に似ている。
そうすると口のタオルは猿轡ではなく、何かの拍子に舌を噛まない為の
措置だろう。
脈を取ってみる。
少し早いが異常な程ではない。


「どうする?救急車呼ぶ?」

「いや…多分大丈夫だろう」

「っておまえはさっきの様子見てねーからそんな顔してられんだよ。
 ただ事じゃなかったぞあれは」


昔ひょんな事から見たその類の発作は、断末魔のように見えたが
しばらく安静にしておいたら驚くほどあっけなく元に戻った。

それでも一応夜中にも受付をしている救急病院に電話して問い合わせてみたが
やはり今夜は安静にしておいて、明日精密検査を受けに来るように指示された。



その晩は和谷くんと交代で隣のベッドに寝て進藤を看ていたが
だんだん寝息は静かになり、結局朝まで安眠していた。


「…なあ。やっぱり、無理矢理あんな事しようとしたのがショックだったのかな」

「そういうタマではないと思うが」

「けど。…おまえが気付いてないだけで、本当は進藤はおまえに惚れてるんじゃないか」

「……」


それは絶対にない。と言える。
いくらボクがこういう事に疎くとも、日々一緒に暮らしていて相手の感情に
気付かないという事はない。

それに「最強の遺伝子」発言に、嘘は全くなかった。
あまりにも明朗でだからこそ、そのあまりの内容にも関わらず
ボクは何も言えなかったのだ。


「でも…」


ボクが口を開きかけた時、隣のベッドから呻き声がした。
進藤が目を覚ましたらしい。
のんきにいつも通り両腕を出して伸びをしている。


「オレ…なんてったらいいんだろうな」


和谷くんはやるせない声で言った後、少し気弱に微笑んで見せて
それでもボクより先に進藤のベッドに歩み寄った。


「進藤…」

「ん……おはよ」

「……おはよう」


進藤はまだ寝ぼけているのか、普通に朝の挨拶をして
目をこすってから初めてぱちりと大きな目を開けた。


「って……れ?」

「進藤…」

「何で和谷がいんの……?って、塔矢も?何で?」


和谷くんとボクは顔を見合わせる。
進藤が…進藤の様子が、どこかおかしい。


「…昨日の事、覚えてないの?」

「昨日?……って…え?え?ここどこ?」






−続く−






※ホントに手の掛かる子だよこの子は。






  • 6(最終話)
  • 戻る
  • SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送