METAMORPHOSIS 3 ボクは、進藤の申し込みを受けることにした。 即ち彼と結婚する事にしたのだ。 勿論いくら自分では女性だと思っていても彼は男なのだから 正式に結婚する事など出来はしない。 ただのままごとになるだろう。 それでもボクは彼の申し出を蹴る事など出来なかった。 彼は以前、本当の結婚をしてそして傷ついている。 その傷が現在にまで尾を引いている。 今また彼を、結婚に関する事で傷つけたくなかった。 それに、微かにではあるが和谷くんに対する優越感もあったのではないだろうか。 自分から進藤との距離を縮めるつもりなどなかったが、それでも進藤が自らボクを 形はどうあれ「生涯のパートナー」と認めてくれた事に後ろ暗い喜びを覚えなかったと 言い切る事は出来ない。 ボクの両親は生憎今中国にいるので、まず進藤家を訪ねた。 挨拶をするからと言いながらも進藤を自室に追いやり、ご両親と差し向かいで 腹を割った話をする。 ご両親も、進藤が自分を女性だと思っている事に薄々気付いてはいたと言う。 何故自分の身体や下着に疑問を持たないのか不思議だが、とにかく 自分がボーイッシュな女の子であると認識している様子が家庭でも折節見られるそうだ。 ボクは以前、進藤に現実を認識させようとして失敗している。 その事によって客観的に症状が悪化した訳ではないのでご両親は何とも思っていないと 言うが、それでも彼の為に何かしたいと思わずにはいられない。 今回は彼の認識違いを否定するのではなく、その妄想に添う形で 何とか良い方向に持っていきたい。 ついては、彼との結婚ごっこも辞さない旨を伝えると、彼等は非常に戸惑っていた。 それはそうだろう。 ボクに対して迷惑ではないのか。 子どもを手放す不安。 症状が悪化する懸念はないのか。 社会的にやっていけるのか。 それら一つ一つについてボク達は丁寧に話し合い、最終的にはご両親はボクに 進藤を預けてくれる事になった。 それから進藤と一緒に新居を探しに行き、実家と棋院の中間地点にある駅近くの マンションをあっさりと契約した。 彼には、若いという事もあるしお互い仕事が忙しい時期でもあるから、 棋院関係者には当分報告しないでおく方が得策だと言い含める。 同じ理由で結婚式も結婚指輪も省略しようと言った時は泣かれたらどうしようかと 思ったが、そういった形式に拘るタイプでもないらしく、問題なく承諾された。 お互い引っ越しを済ませた一ヶ月後、進藤の両親と中国から帰ってきた両親と (驚いてはいたが事情を説明したら納得してくれたようだ)簡単な食事会をした。 「オレ、スカート持ってないんだよな。パンツスーツでいい?」 といつものスーツを見せた進藤に、苦笑するしかなかったものだ。 役所で貰った婚姻届けにそれぞれの名前と立会人を記載し、それはボクが 届けておくと預かって後で実家の神棚に上げておいた。 それで、ボク達は結婚した。 それはそれなりに幸せな事で、今まで両親の「従属物」か、「一人」であった人生に 共に生きていくパートナーを得てみると自分でも思いがけず心強くなった。 誰かに愛されるというのは、悪いことではない。 自分以外に守らねばならない者が出来るというのは、思っていたような煩わしいものでなく 今までよりももっと自律して行こうと前向きに思える原動力で。 いつか、いつか進藤が完治して出て行っても、 適当な女性と結婚して慎ましく暮らしていくのも悪くない、と初めて思った。 進藤が新婚旅行位は行こうと言っていたので、その日の午後から東北の景勝地に 旅立った。 勿論周囲の人は誰も新婚旅行だなんて思わないだろう。 仲の良い学生同士が冬休みを満喫していると言った所か。 ボクも、そんな風に思っていた。 思えば友人と旅行をした事などない。 家族旅行以外で、碁と関係ない遠出も初めてかも知れない。 だからそれなりに楽しんでもいた。 …「友人」との小旅行を。 「塔矢、風呂どうする?大浴場行く?」 部屋で夕食を済ませた後、進藤が聞く。 トイレと同じく普通に男風呂に行ってくれるかも知れないが、いずれにせよ 危ない橋は渡りたくない。 「いや、折角いい内風呂があるんだからこちらにしよう」 「そだな」 その部屋のヴェランダというのだろうか、窓の外には実家より一回り大きい程の 檜造りの風呂がしつらえてあって(いわゆる露天風呂だ)、蓋を開けると 滾々と湧く湯が張ってあった。 この旅館はかなり湯量が豊富な温泉を持っているらしい。 「…一緒に、入る?」 言われて、戸惑いを覚えなかった訳ではない。 しかしその感情は、二人ゆったり入れる大きさであるし、修学旅行みたいで悪くないか、と そんなはしゃいだ思いの裏側に無意識に追いやってしまった。 湯船の中に並んで座る。 進藤の身体をまともに見たのは初めてだがどこかまだ少年のようだと思った。 自分も、自分では大人の身体をしているつもりだが客観的に見ればまだまだ 華奢で未熟な骨格なのかも知れない。 …進藤の、この腕がかつて夫人を抱き、この胸が…… 「何?」 「あ…いや」 進藤にまともに見つめ返されて、思わず口ごもる。 身体を見ていたのが妙に後ろめたかった。 「そういや、裸見るの初めてだよな」 「うん…」 「結婚して初めてお互いの裸見るなんて、なんか今時、なぁ?」 明治時代みて、と何故かはにかんでくるりと振り返り、月を仰いだ進藤の 髪があまりに柔らかそうだったから。 微かに生じた不安は、それ以上膨らむ事はなく腹の底で静かに冷えた。 しかしそれは部屋に戻って電気を消し、伸べられた布団に横たわった時までだった。 ボクは無理に目を逸らし続けてきた事実を直視しない訳にはいかなくなったのだ。 「塔矢…」 「うん?」 「こっち…来ねえの?」 「…え?」 「オレがそっち行った方がいい?」 「……」 ……何を言っているんだ何を言っているんだ… という言葉が頭の中をぐるぐる回る。 けれど、答えは既にボクの中にあった。 枕の上で進藤の方に頭を向ける。 進藤の顔もこちらを向いていた。 どこか強張った、緊張をした表情だ。 明らかに欲情した顔をしていた訳ではない。 けれどその表情の意味する所は明白だった。 …進藤は、ボクに性交渉を求めているのだ…! 確かに世間一般の結婚ならば今日は初夜という事になる。 事を成さない方が珍しいだろう。 けれど、けれどこれは、進藤とボクのこれは、 進藤は自分の事を完全に女性だと思いこんでいる。 この結婚が「ままごと」だと、この旅行を「友人同士の小旅行」だと 認識していたのはボクだけだという事か…? 「…塔矢?」 答えるべき言葉が、ボクにはない。 「どしたの?」 「…今日は…」 絞り出すように言いかけて、本当に身体がどっと重くなる。 「今日は疲れていて…ほら、色々、色々あったから」 「……」 「キミもそうじゃないか?」 「ま、そだな。ホンットに朝から盛り沢山だったもんな」 「うん…」 「じゃ、今日はこのまま寝よっか」 「うん…悪い」 「何言ってんだよ水くせえ。オレ達…、夫婦じゃん?」 「ああ…」 ああ、そうだね。 しばらく経ってボクが答えた時には進藤は既に寝息を立てていた。 ボクは、その晩殆ど眠れなかった。 −続く− ※今回も色々説明くさかった回。 |
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