METAMORPHOSIS 1 あかりが消えた。 幼なじみで奥さんで。 二人ともまだ十代だったけれどきっとずっと一生一緒にいるものだと思っていた。 どうしてこんな事になったのか、一生懸命考えたけれど全く分からない。 分からない。 分からない、から、という訳ではないけれど。 オレは答えなど「なかった」のだと、思うことにした。 夏に若手で集まって囲碁合宿をしようと言いだしたのは誰だっただろう。 和谷あたりかな? その会場が塔矢家になった理由が、これまた分からない。 いつの間にかそうなっていた。 けれど、オレ達を歓迎してくれた塔矢のかーさんの嬉しそうな顔を見た時、 「なかなか友だちが出来ない我が子の為に誕生日パーティーをセッティングする おせっかいで切ないお母さん」みたいだなぁ、と思って。 もしかして、そうなのかなぁと思った。 それでもみんなでワイワイ時間を気にしなくていい囲碁漬け状態はとても刺激になって 日が暮れればいいタイミングで美味しい御飯を出してくれて。 夜になれば冷えたスイカを切ってくれて、至れり尽くせりに大満足。 オレ達は石を休ませて縁側に座り、夏を満喫できる赤い果肉を頬張った。 でもその時。 塔矢先生が帰宅した気配がしたんだ。 玄関の声からするとどうも緒方先生も一緒らしい。 心臓が、思いがけない程ギュっと縮こまる。 ふっと一瞬意識が遠のく。 ヤバい。マズい。 …何がマズいって、上手く言えないけどとにかく苦手なんだ。 塔矢先生にあの目でじろりと睨まれたら、あること無いこと話してしまいそう。 緒方先生に捕まったら、酷いことをされそう。 廊下をこちらに歩いてくる足音がする。 みんな食べるのをやめて固まっているけれど、オレみたいにパニクってる訳じゃない。 頭の中で一生懸命挨拶の言葉を考えている顔をしている。 けれど。 オレは。 みんな、ゴメン。 空気乱してごめん。 でも、でも、どうしてもダメなの。 怖くて仕方ないの。 自分でもどうなっちゃったかと思うんだけれど耐えられないの。 廊下の闇から塔矢先生の顔が現れ、目が合った途端に弾かれたように立ち上がり 一人で逃げ出してしまった。 そのままどこかの部屋の押入に隠れていたんだけど、トイレと思われたのか 携帯でも鳴ったと思われたのか、しばらくは騒ぎにもならなかったし誰も探しに 来なかった。 けれど夜が更けて、寝る時間になった時さすがに遠くで大勢の人が呼んでいる 声がした。 探さないで。 探さないで。 放っておいて。 このまま死なせておいて。 特に、もし塔矢先生や緒方先生が来たらどうしようかと思ったけれど だんだん近づいてきたのは若い声だった。 少しホッとしたけれど、それでも苦手には違いない声。 塔矢門下だからと言う訳ではないけれど。 やっぱり二人きりになるのはどうしても怖い。 塔矢くんの声。 遂に同じ部屋に入ってきた。 一旦呼ぶのを止めて、部屋の真ん中で辺りを見回している気配がする。 みし。みし。 かちゃ。 洋服箪笥の扉を開ける音。 この押入の中にまで防虫剤の幻臭が香る。 …ぱたん。 みし…みし。 かた。すー………。 小さな音の筈なのに、地響きがしたような気がした。 目の前を滑る襖の縁。 目の端を射る、外から漏れ入る光。 押入の反対側が開けられたらしい。 もう、ダメ…。 飛行機に乗った時のように、耳鳴りがする。 自分の呼吸音が煩い。 それでもまだ祈っている。 都合のいい映画か何かのように、自分が隠れている所だけ見逃してくれるんじゃないかとか。 実際はそんな事有り得ないよとか。 でも諦めてたら余計に見つかっちゃう確率が上がるんじゃないかとか…。 どの位経ったか。 …奇跡。 一生分の運を使ったんじゃないかしら。 塔矢くんはこの襖を開けず、他の部屋に移動して行った。 静かになった頃私は押入から抜け出し、闇雲に歩き出した。 怖い。怖い。 このままではいつか鬼に見つかってしまう。 塔矢家の男の人に見つかったら、私は…無力な、私は。 喰われてしまう。 そのくらいなら、いっそその前に別の誰かに。 …守ってくれる人なら誰でも良かった。 ただ誰かに縋りたかった。 だから、偶然開けた襖の向こうで寝ている頭を見た時、塔矢家の人ではないと分かって 涙が出るほど嬉しかったの。 ヒカルの友だち。 私はよく知らないけれど、感じがいい人だとは思っていた。 ヒカルに少し似ているとも。 ヒカルに悪いとは、何故か全く思わなかった。 そうっと布団をめくり、体を滑り込ませて背中に縋る。 その暖かさに、また涙が出そうになる。 「えっ?」 目を覚ました和谷くんはこちらを向き、酷く驚いた顔をした。 当たり前だ。 顔見知りという程度の女がいきなり同じ布団に寝ていたら驚かない方が どうかしていると思う。 「進藤?」 「助けて!」 それでも、悪い気はしない筈だとどこかで奢り計算する自分がいる。 ヒカルの言っていた「おまえみたいに可愛い嫁さん貰えてみんなに羨ましがられてる」という 言葉を、私は今でも信じている。 「怖いの…助けて…」 「進藤…」 確かに「進藤」には違いないけれど。 苗字を呼び捨てにされるのにはちょっと抵抗がある。 「…あかりです」 「あかり…さん」 「和谷くん、お願い!私を匿って。側にいて」 和谷くんは、眉根を寄せてとても…とても痛ましい顔をした。 多分、今の私は可哀相なほど必死な顔をしているのだろう。 そのまましばらく黙って考えた後、私を驚かせるのが怖いみたいにそっと口を切った。 「……いいけど…それがどういう事か分かる?」 「……」 「知らない男と同じ布団で寝るって意味が」 「……」 「進藤は…」 「かまいません!」 だって、仕方ない。 今頼れるのはこの人だけ。 ヒカルだってきっと許してくれる…。 それに。 「…ヒカルはもう、いないんですから」 和谷くんはもう一度泣きそうな顔をした後、私に覆い被さってきた。 抱きしめられ、キスをされた時に頬に生暖かい水滴が落ちて、 泣いているのかと思った。 けれど私には、彼の気持ちも分からず、後ろめたさも自己嫌悪もなく、 ただこれで自分が守られたという充足だけを感じていた。 朝が来た。 随分久しぶりに人肌を感じて目覚めた気がする。 気持ち良い。 ぼんやり目を開けると斜め上にぴんぴん跳ねた髪、半開きの口。 どうして、何かおかしい、と不思議に思う気持ちもあるけれど これでいいんだ、自分で選んだ事なんだという気もする。 何だか。 自分と周囲、現在と過去、全ての境界が曖昧だ。 その内隣の部屋に人が入ってきた気配がしたと思うと、いきなり この部屋との境目の襖も開けられた。 「塔矢!」 隣でがばっと身を起こした気配がする。 寝ていなかったのか。 「何だよ急に、おい、」 「進藤…」 入ってきた人物は話しかけられた声が聞こえていないように呟いて目を細めると (怒っているようにも嘆いているようにも見える表情だ) いきなり回り込んで腕を掴んできた。 「やめろよ塔矢!」 「どうして!どうして…ここに進藤がいるんだ。何故……裸で」 「…そういう事だよ」 「どういう事だ」 「今、コイツは『あかりさん』なんだ!オレを頼ってきたんだ!」 「バッ…!」 バカヤロウとでも言おうとしたのか。 らしくない。 …らしくな…何故そんな事を知っている? 「とにかく、コイツはオレが見るから。おまえらは…塔矢家の人は、もう 放っておいてくれよ…」 「何を言っているんだ。『あかりさん』を認めてどうするんだ!彼女がいる時は『進藤』はいない。 そんな事をしていたら『進藤』は…」 「違うじゃんよ!塔矢先生や緒方先生やおまえが…『あかりさん』発動してんじゃねーかよ。 おまえたちが『秘密を暴こう』とするから、『進藤』は『あかりさん』の後ろに隠れようと すんじゃねーかよ!」 ??? ……分からない。 この人が、何を言っているのか分からない。 「分からない」故に遠ざかる。 「分からない」事はなかった事になる。 「分からない事」を言う人は…。 この人は……。 「違う…ボク達は、もう進藤の秘密を暴こうなんてしていない…」 「同じ事だよ。進藤は怖がってるんだ。怯えてるんだ」 「そうじゃない。進藤が本当に怖がっているのは」 あか…さんが…んだ事をみ…める事だ。 「進藤!!」 いきなり、また手首を掴まれた。 痛い。きっと痣が出来る。 怖い。やっぱりこの人は怖い。 「進藤!進藤ヒカル!」 「やめろ塔矢!」 「キミは進藤ヒカルだ。そして、」 …「オレ」は「進藤ヒカル」? そう…か。オレは…進藤、ヒカル…、か…。 それは唐突に。 不意に、今日初めて心の中にまっすぐ流れ込んできた言葉。 病気の金魚みたいにもやもやと曖昧だったオレの輪郭を、シャープに削り取って 周囲と区別する。 「そ…か。オレ、進藤ヒカルか…」 手を見る。 見慣れた手。 そうだ…。オレ、ヒカルだ…。 目の前の顔が嬉しそうに大きく頷く。 「そうだ…。そしてね…とても残念な事だが、あかりさんは… 半年前に亡くなったんだよ…。認めてくれ…。キミがそんなだと、母がまた泣く」 「そうか…」 オレの「そんな」状態とか何で「母が泣く」のかとかよくわかんねーけど。とにかく。 …亡くなったのか…。 「…それは、残念だったな」 「……」 「……」 軽い感じにならないように言ったつもりなのに、二人とも鳩が豆鉄砲を食らったような 顔をした。 オレ、何かマズった? 「おいおまえ…」 「あー、わり。でもオレその人の事『分かんない』し。」 「進藤…?」 って。さっきから馴れ馴れしく呼んでくれるけど。 「おまえら誰?っつかここどこ?」 −続く− ※自分で見た夢に自分で解釈をつけてみた。 ヒカルは最初、あかりちゃんが死んだ事が認められなくて「なかった事」にしてしまったんですね。 あかりちゃんはいる、と思うあまり時々自分があかりちゃんになってしまっていた。 なんせ自分が分からない(客観的には『認めたくない』)事を「なかった事」にするクセがついてしまい ループにはまるヒカル。 単品で終わるつもりだったんだけど気持ち悪いんで続けさせて下さい。 次回は話変わって後日談。(のくせに本編より長い) |
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