プロ棋士








夕刻、人気のない棋院の廊下に緒方さんを見かけた。
目があった。
黙礼をしてやり過ごそうとしたのに、ニヤリと笑って近づいて来る。


「何か?」

「いや実はこの後人に会うんだが、俺の服は煙草臭くないか。」


それくらい自分で臭えと思うが、いつも煙草の匂いに包まれていたら無理か。
仕方なく一歩近づいてスーツの襟に指を入れ、胸に顔を近づける。


「少し・・・臭いますね。」


離れようとした後ろ髪をぐっと掴まれた。
え?と思う間に耳に口を寄せられて。


「・・・進藤が見てるぞ。」

「は?」


振り返ると遠くの階段付近に元院生の一団に混じって進藤が。
丁度顔を逸らしたところだった。

もう一度こちらを見ないかと見ていたが、そのまま何事もなかったように
談笑しながら行ってしまう。







「・・・誤解されたかも知れんな。」

「何をですか?」


煮えくり返る腹を隠して、にっこり笑いながら振り返る。


「何だと思う。」

「・・・・・。」


この人はこういう持って回った言い方の次に
ど真ん中の直球が来ることが多い。
振られないように心の中で腰を落とし、足を踏ん張る。


「進藤の気持は知っているんだろう。」


ほら来た!
というか参ったな・・・。進藤はそんなことを、貴方に。
でも、その程度で僕を動揺させようなんて。


「ええ。カラダも知ってますよ。」

「!・・・・・。」


あははっ。お返しです。
どうです、驚いたでしょう。口半開きですよ、緒方さん。
ちょっと・・・まず、かったかな?大丈夫か。

それよりもあの緒方さんが目まで見開いて、
無様に固まっているのが面白すぎる。
この人にここまで衝撃を与えたのは生まれて初めてかも知れない。
ふふっ。楽しいな。


「お前・・・あいつと寝たのか・・・?」

「はい。成り行きと・・・ちょっとした興味、ですね。」

「ほう。」


生意気な口をきく、と続けないところに、警戒を感じる。
緒方さんは何も言わず内ポケットを探って煙草を取り出した。
内心かなり狼狽えてますね。というか。


「煙草の嫌いな人に会うんじゃないんですか?」

「ああ、それは嘘だ。」

「・・・・・。」


なんて人だ。悪びれもせず。前からこんな人だったか?
何となく、進藤のようだなどと思ってしまい、口の中が苦くなる。

一、二服吹かして体勢を立て直したのか、緒方さんはやっと言葉を継いだ。


「興味で、男を抱けるのか。」

「それはご自分に言っているのですか?」

「ははは。お見通しというか、聞いたんだな?」

「ええ。」

「・・・どこまで。」

「さあ。」

「ふっふっふ。進藤も、よくやる。まあお前と俺は兄弟弟子、とは別の所でも
 兄弟というわけだ。」

「僕は子どもですよ。意味が分かりません。」

「都合のいい時だけ子ども面するなよ。進藤のカラダを共有したということだ。」


それは、確かに共有したと言えるけど。何か違うような。

緒方さんは体を横向けて、壁に背をもたせかけた。
煙草がジジジ・・・と微かな音を立てて、灰に変わってゆく。
何となく、早くこの会話を終わらせたくなって。


「灰、落ちますよ。」


ああ、と片手で器用に携帯灰皿を取り出した。
灰皿のある休憩所に行って下さいよ。




彼はしばらくたゆたう煙を見つめてから静かにまた口を切った。


「お前、男をいかせられたか?」

「・・・・・・・。」


はぁ・・・。
全く。露骨な話になれば僕がひくと思うのは幼稚な発想だ。
いかせるも何も。毎回出してますよ。僕の腹の中に。
なんて言わないけれど。

黙りこんだのを、ごまかそうとしていると勘違いしたのだろう。
緒方さんは僕の逸らした顔を片手で掴んで、無理矢理自分の方を向かせる。
子どもの頃よくされたように。
もう嫌だ。誰か通り掛からないかな。


「進藤は俺の下で、何回もいっていたよ。」

「!」


進藤が?緒方さんに抱かれて?


・・・自分にのしかかってくる影を思う。
尻に入れられて気持ちよくなれるかどうか知らないが、
少なくとも僕は男だから、男に抱かれて感じたくなんかない。
ただただ、己の身が、進藤の道具であれ、と思う。

それなのに進藤は、緒方さんを好きなわけでもないだろうに
簡単に体を開き、簡単に快楽を享受する。
君には男としてのプライドは、ないのか?

ああ、でも

感じたくなくても抱かれる僕と
好きでもない人に抱かれて感じる進藤。

一体どちらが不実なんだろう。
一体どちらが淫らなんだろう・・・。




「おい!」


と、緒方さんが黙ったままの僕の頬をつかむ指に力を入れる。


「聞いているのか。」

「暴力反対。」

「子どもらしい物言いだ。」


瞬間的にこめかみに血が昇った。まだ顎を持った手首を両手で掴み、
眼鏡の奥の冷たい目を睨みながらギリギリと自分の顎から引き剥がす。


「力が、強くなったな。」

「いつまでも、子どもじゃありませんよ。」

「知っている。」

「進藤はいく時、少し泣きそうな顔をするのが可愛いですね。」

「ふっふっ。ガキのように涎まで垂らして、な。」

「ふっふっふ。」

「ふはははは。」


進藤は緒方さんに抱かれて、そんな見苦しいほどに溺れるのか。
いや、今はそんなことどうでもいい。
スーツの袖に指をくい込ませ、力を込める。

その内、緒方さんは根負けしたようにふいに腕を弛緩させて身を離した。
灰が落ちそうになっていた煙草を灰皿に押し込んで蓋をする。
丁寧にポケットにしまってから、窓の外の暗闇に目をやった。




「・・・女と、寝たことはあるか。」

「唐突ですね。ありませんが。」

「一度してみるといい。進藤とは味が違うぞ。」

「?・・・・・。」




ああ・・・なんてことだ・・・。

そういう、勘違いを、されていた訳だ。
や、どうしよう。
別に隠し立てするでもないけれど、訂正する謂われも。



「今度紹介してやろう。」

「え・・・・・・・。」

「お陰で女には不自由せんものでな。」

「そうですか。でも・・・」

「進藤と比べてみろよ。」

「何が狙いですか。」

「代わりに進藤を譲れ。」

「は?」

「進藤も男にしては、具合がいいだろう?食える女には困らんが、
 食える男というのは貴重だ。」

「・・・・・・。」


こいつ・・・。
完全に進藤を道具扱いだ。変わり種の性欲のはけ口としか見ていない。


「お前はもう興味は満たしただろう?それともまさか、本当に、」


進藤に、心はないんですか?
ここで僕が断れば、女より進藤を選べば、いよいよ男好きだという事に
なるんですか。それはいけない事なんですか。

別に男色家でもないのに僕が進藤に抱かれたのは、
成り行きかも知れない。
でも、決して興味なんかじゃない。
認めたくないけれど僕は。

進藤を自分の体で繋ぎ止めたいんだ・・・・。



「・・・女性に興味がないわけではありませんよ。」

「なら、」

「進藤とは全然別物です。」

「知らんくせに。」

「違うんですよ。だって、」


息を吸い込む。

僕は進藤を女性の代わりにしたことなんかないんですよ。
貴方に男に抱かれる気持ちが分かりますか?
痛くて、気持ち悪くて、後ろめたくて、

それでも身を投げ出してしまう程の気持ちが。




「・・・進藤に抱かれているのは僕の方なんですから。」

「う・・そだ、ろ?」


またしても完全に虚を突いたらしい。
緒方さん、今日二度目の口半開き。


「いえ、そうなんですよ。」


僕も今日二度目、緒方さんの襟の下に指を入れて、ぐい、と引き寄せる。
よろけてぶつかりそうになるのを、壁に手を突いて堪えた緒方さんに
小声でささやく。


「僕は、進藤にとっては女なんです。」


自分がこれほど自虐的な性格だとは思わなかった。
妙に醒めた頭で分析する自分が居る。

何故、こんな事を。

恐らく自分を貶めることで、僕と張り合っていた緒方さんをも貶めたいのだろう。
そして、こんな事で進藤の、進藤を、守りたいだなんて。

どうしようもなく子どもで、馬鹿だ。僕は。


体が密着、というには些か離れた中途半端な距離を、
どうしていいのか自分でも分からない。
スーツの白い襟を掴んだ指は石で出来ているかのように強張っている。

二人して息を潜めたまま、凍った時間が流れ過ぎていった。







やがて緒方さんが先に解凍したらしい。


「・・・それで、なんで襟を離してくれないんだ。皺になるだろう。」

「・・・・・。」

「なんだ、今度は俺に抱いて欲しいのか。」

「そんなわけないでしょう。」

「信じて貰う必要はないが、これでも生まれた時から知っているお前を
 少なからず可愛いと思っているんだぞ。」


緒方さんはニヤリと笑い、僕の腰に手を回して引き寄せる。
今誰かに見られたらどうしようもないですよ。
でもお陰で、体が自由に動くようになった。

泣きたい。


「お戯れは止めにしましょう。」

「そうだな。」


自分でも下らない冗談だと思っていたのか、あっさりと手と体を離す。
壁にもたれてまた煙草の箱を取り出した。
やっと終局、か。







「正直、驚いた。」

「僕も自分がここまで言ってしまうとは思いませんでした。」

「なるほど。そう言うことなら、さっきのは余計に誤解されたかも知れん。
 悪かったな。」

「大丈夫ですよ。そこまでバカでも子どもでもない。
 それに、多少誤解されても困るような関係じゃないです。」

「はっはっは。・・・ああ、それと、」


煙草をトン、と揺すると千切れた銀紙から2本ほど飛び出した。
以前は蓋のあるハードケースだった。
自分が意外と緒方さんについて知っていることに、
前ほど自己嫌悪を感じない。


「進藤を譲れとか言ったのは忘れろ。
 お前があいつをどう思っているのか興味があっただけだ。」

「・・・・・。」


本当だろうか。
幼い頃、まだ緒方さんがいいお兄さんだった頃
よく悪戯したように、火をつけようとしたライターを取り上げる。

緒方さんは片眉を上げた後、ニッと笑った。


「心配するな。お前が頭を下げれば、女は紹介してやる。」

「そうじゃありません。」

「俺は女の方がいい。本当だ。だが、すねに傷がないわけでなし、
 ・・・進藤と約束もある。お前達が恋人だと他言はせんから安心しろ。」

「助かります。が、恋人、じゃないですよ。男同士だし。」

「じゃあ、何なんだ。」


何なんだと言われても。
肉体関係があれば恋人というわけでもあるまいに。
恋というのはもっと気分が浮いて、楽しいものだと思う。
確かに進藤の棋譜を追えば楽しいが、進藤自身のことを思うと

苦しいばかりだ。



「・・・さあ。でも、恋とは違うと思います。」

「ほう。でもとにかく、塔矢アキラともあろう者の心を一番占めているのは、」

「それも違う。」

「?」

「一番は碁ですよ。」

「どうだか。」

「本当に。もし神様が『この世から碁か進藤かどちらかを消すから選べ』
 と言ったら、僕は碁を残します。」

「それを進藤が聞いたら泣くだろうな。」

「彼を見くびらないで下さい。きっと彼も同じように答えますよ。」

「そうか・・・。」




再び煙草をくわえて、無意識のようにポケットを探る。
さっき奪ったライターに火をつけて差し出すと、素直に顔を寄せた。

たゆたいながら空調の方に流れてゆく紫煙の軌跡は
今にも何か意味のある形を成しそうでいて、絶対成さない。
それが、美しいと思った。

20歳を過ぎたら、一本喫ってみようか。

その一本は、緒方さんに貰おうか。





僕の点火したものが完全に煙と灰になった時、
緒方さんは壁から身を離して背を向けた。

一、二歩進んでから思い付いたように足を止めて半分振り返る。



「ああ、さっきの話な。」

「何ですか?」

「碁と大事な人とどちらかを選べとかいう。」

「ああ。」

「俺も同じ答えだ。」




彼はスーツの白い裾をはためかせて行ってしまった。

どこまでも格好つけな人だ。







−了−







※めっちゃ緒方さん好き、って感じが出てますね。私がね。






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