|
||
弾丸ランナー 僕にしては非常に迂闊というか不本意なことだが、 進藤としてもいい、 という意思を表明してしまったような形になってしまった。 未だに忸怩たる思いもあるし、いつどこでなどと具体的なことを 言われるのはやはりひいてしまうというか照れくさいというか。 成り行きでそうなってしまうならまだしも(まだしも?)そんな 前もって言われて覚悟させられるなど耐えられない。 などと悶々としていたら棋院の出口で進藤に声を掛けられた。 「よう、塔矢。今日・・・」 後から思うとどうしてそんなことをしたのか分からない。 僕は、駆け出していた。 進藤は僕の予定を知っている。 つまりこの後は仕事がないということを。 「今日、」の後「お前の家に行っていいか」とか「オレの家に来ないか」 などと言われたら僕は・・・。 困る。 しばらく走ると少し息が切れてきて立ち止まった。 振り返ると20メートル程後ろから追いかけてきていた進藤も、止まる。 普通ついてくるか? かなりはっきりとコミュニケーション拒否したつもりなんだけど。 彼はほとんど息を乱している様子もない。 そういえば僕はこの革靴で走ったためしがないし、 進藤が履いているのは走るために作られたようなスニーカーだ。 腹の立つことに彼は止まったままわざわざ腕を組んで 不敵な表情でニヤリと笑う。 僕を、挑発しているのか? 確かに革靴は不利だし進藤の方が基礎体力もありそうだが、 僕の方が荷物は少ない。 リュックを背負っているのはかなりのハンデだろう? それほど君の方が有利という事はないじゃないか。 とは言え、こんな下らないゲームを続けたくはないのだけど・・・。 それでも進藤が再びゆっくりと歩き出したのを機に一つ睨み付けて、 僕はまた走り出した。 町中でこんなに走るなんて、恥ずかしい・・・。 早いところまいてしまいたいものだ。 しかしどんなに走っても進藤はつかず離れずついてくる。 僕が振り向けば立ち止まる。 いたぶられている気分だが、今更引くわけには行かない。 見ていろ。 今に引き離してやる。 高架をくぐり、緑を左手に見ながら走り続ける。 人通りの少ない方へ向かって来たつもりだが、代わりに車通りが多い。 誰か知っている人の乗った車が通ったりしたら体裁の悪いことこの上ない。 大概うんざりして振り返ると、口を開けて鼻の上に皺を寄せながらも それでもまだ付いてくる進藤。 血の上った耳と鼻の頭。僕も同じ様な顔をしているのだろうか。 僕が見ているのに気付くと、唇を引き締めて、スピードを上げてきた。 それじゃ、こちらもスピードを上げざるを得ないじゃないか。 実はさっきから足の指が痛い。 それに踵に靴擦れが出来かかっているようで、擦れる度に少し痛む。 だが、足が血まみれになろうとも、進藤にだけは捕まりたくなかった。 意地になっている。 自分でも、思う。 赤信号を避けて曲がり、大きな建物が並んだ通りを 駆ける。 駆ける。 冷たい空気が気管と肺を差す。 苦しい。 僕の踵を痛めつける革靴を気遣う余裕もない。 いっそのこと脱ぎ捨ててやろうか。 もう形が崩れてダメだろうし。 また二度ほど曲がると駅が見えてきたので、財布に手を触れて振り返る。 進藤は相変わらず、足を引きずるようにして、 それでも距離を置かずついて来ていた。 止まるなら止まれよ。 追いつくなら、追いつけよ。 勿論自ら進藤の手に落ちるつもりはないけれど。 この差では改札で少しでも立ち止まれば追いつかれるな。 それになんだか・・・気持ちが・・・よくなってきた・・・? 街のざわめきは遠ざかり、自分の呼吸音だけが鼓膜を震わせ。 このまま地の果てまで走り続けたくなるような。 ・・・結局僕は駅をやりすごしてしまう。 それにしても人通りが増えてきた。 人混みをよけながら走るのは、随分疲れる。 あ、進藤、ぶつかる! って、はは、慌てて謝っている。 と!ああ、すみません! 本当はこんなに不注意じゃないんですよ普段は走る用事もないし 全部あいつのせいなんですよ、ほらリュックを背負いなおして 僕を追いかけてくる お互いにふらふらで、歩いているのと変わらないスピードで それでもまだ走り続ける進藤と僕。 目の前の幅の広い道の信号が点滅している。 今から渡れば対岸に渡りきる前に赤になってしまうのは明らかだ。 いつもなら絶対立ち止まるタイミングだが、 ええい、ままよ。 進藤ついてくるな。 双方向の信号が赤、という短い余白の時間に、僕はやっと 渡り終わった。 進藤はついてこられていない。 渡りきったところで僕は立ち止まり、人目も気にせず膝に手を突いて 息を整える。 振り返ると道路の向こう側で進藤も同じ姿勢で息を付いていた。 僕の視線に気付くと苦しそうに目をしかめて口を半開いたまま睨み付ける。 肩が遠目にも大きく上下し、こめかみに汗が伝うのが見えるようだ。 顎を拭った拳の親指だけを立て、今度は下に向けて振る。 何の合図だ。 自分の足元を見てみたが何もなかった。 そうだこうしてはいられない。 今の内に何とか逃げ切らなければ。 つ! 踵が、 ついに靴擦れがやぶれたらしい。 もう、だめだ、走れない・・・。 しかしそれを進藤に悟らせる訳には行かない。 横断歩道の向こうで苛立たしげに車道の信号を見上げる進藤の姿を 確認して、足を引き擦らないようにゆっくりと走り出し、 目の前の川に架かる橋を渡った。 しかしここは・・・・。 人目を避けて来たのが災いした。 ここは何か広い・・・公園? まばらな樹と遊歩道。 そんな・・・。 隠れる場所がないじゃないか。 とりあえず辺りをを見渡す。 看板の後ろ、はバレバレだし、あとは樹木・ベンチ・・・身を隠す場所がない。 もう信号は変わって進藤も橋を渡っている頃だろう。 隠れ場所を探している暇も気力もない。 横手を見ると、河川敷の方に一段低くなったスペースがあった。 降りて階段のすぐ脇に隠れれば、運が良ければ見つからないかも知れない。 上からちらっと見渡して人影がなかったら、他の場所を探しに行って くれるかも知れない・・・。 運を天に任せて落ち葉の溜まる階段下に座り込み、セーターを脱ぎ捨てる。 天を仰いで目を閉じる。 海の匂いの混じる川風が熱い体をゆっくりと冷やし 靴を脱ぐだけで全身が癒されるような気がした。 空が、青い。 頭の中が、白い。 力を出し切った対局の後のような、爽快感。 走るのって、こんなに気持良かったっけ。 ・・・もしかしたら、人生でこれだけ走るのは最後かも知れない。 進藤さえ追いかけてこなければ。 ふふっ。 僕、何やってるんだろう。 汐の匂いの、風。 対岸の、ビル。 踊る、落ち葉。 青天井。 ひこうき雲。 ・・・・・。 「塔矢、みーっけ。」 突然頭上から落ちてくる、進藤の声。 わ、ほとんど忘れていた。 見上げると逆さまになった進藤が笑っていて、 ・・・背筋が凍った。 ゆっくりと石段を下りてくる。 脱力しきった体勢が心地よすぎて、立ち上がることが出来ない。 そうでなくとも足が痛いし、急いで立ち上がっても無駄だし、 きっと立ち上がらなかったと思う。 進藤は両手をポケットに入れて、目の前に仁王立ちになった。 「・・・どこまで、行くんだよ・・・。ってかここ、どこだよ。」 「知らないよ。」 「ガキか。」 「君が追いかけてくるからだろう。」 「あのなぁ・・・・。っつーかでもお前、結構早いのな。見直したぜ。」 見直した・・・って、僕がどれだけ足が遅いと思っていたんだ。 さっきは何となく本当の「鬼」に見つかったような感じがして ぎょっとしてしまったが、言葉を交わしてみれば普通に進藤で、 怯えたのがバカらしくなった。 小学校低学年以来の心の動き。 「塔矢だし、革靴だし、最初は余裕で追いつけると思ってたんだよ。 でも、どんだけ走ってもペース落ちないんだもん。マジやばかった。」 そういえば長距離型だったな。自分でも忘れていた。 碁以外で人に誉められたのはどの位ぶりだろう。 いつもいつも僕の属性は「さすが塔矢先生の息子さん」「碁の天才」 というもので、それ以外は頑張ろうがおろそかにしようが、 大して評価に響かなかった。 進藤だけが、僕の生活に碁以外の物を持ち込む。 そういうのはとても迷惑だとも思うし、 少し感謝もしている。 「帰ろうぜ。」 進藤が手をさしのべてくれた。 靴を履いてその手を取る。 が、立ち上がると激痛が走った。 「・・・歩けない。」 「なんで?」 「靴擦れが。」 「お前、一歩も歩けなくなるまで走り続けてたわけ?!」 「ああ。」 「・・・それってさあ、すんげーお前らしいよな。」 「そうか?」 「うん。・・・でも良くねえよ、それ。 少しは体の事とか、先の事とか、考えてセーブしろよ。」 「・・・・。」 「分かった?」 「君は偶に分別くさい事を言うな。」 「性格悪いよお前。」 進藤はブツブツ文句を言いながらスニーカーを脱ぎ始める。 「ほら、かかと踏んでいいから。」 「いやそれは、」 「オレ、お前おぶって駅まで行けるほど元気残ってないぜ。」 「それは僕もごめんだ。」 「じゃあ、どうすんだよ。」 仕方なく進藤のスニーカーに足を入れる。 中は生ぬるくて少し気持が悪かったが、足の裏にぴたりと添って、 履き心地は良かった。 進藤は代わって僕の革靴を履く。 「・・・あれ?」 「どうしたんだ。」 「いや、お前の方がちょっと背が高いから大きいかと思ったんだけど。」 「違うのか。」 「うん、きつい。」 やけに嬉しそうに笑った。 「犬でも人間でも足が先にでかくなるって言うからさ、 もうすぐオレ、お前を抜かすぜ。」 ああそうですか。 それがどうかしましたか。 君の方が高くなったら何かいいことあるんですか。 と、何故か唐突に、この追いかけっこが始まった理由を思い出してしまった。 でも、本当にそうなのかどうかは分からないが 進藤が忘れたような様子をしていたので 言わないでおいた。 −了− ※何度か曲がりながら浜離宮の方まで行ってるらしい。 風景は想像です。 |
||
|
|
|
|
|
|
|
||
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||