首を洗って
首を洗って






忙しい。
対局や仕事が立て込んで、気の休まる暇がない。
実際に盤に向かったり働いたりしている時間はさほどでもないが
拘束時間が長い。

碁は好きだし全く嫌ではないが・・・くつろげる時間が、欲しくなる事もある。

久しぶりに自由な時間が取れた午後、僕は進藤に電話をしていた。





「今から、打たないか。」

「え?急だな。最近忙しくて疲れてるんじゃないの?」

「忙しい。だから気分転換したいんだ。」

「で、碁?それでホントに気分転換になるのかよ。」

「都合、悪いのか。」

「いや、オマエがいいならいいぜ。どこでやる?」

「・・・・。」

「今から碁会所まで出てくるの、かったるいだろ。オレそっちへ行くよ。」

「ああ・・・。すまない。」


ここしばらく両親は国内にいない。
進藤が僕を抱きたいなどとほざいている以上、自分から無人の家に
引き入れるというのが、どういう意味に取られるか。
その位は分かるつもりだ。

でも、今日は本当にもう出たくないんだ。

進藤がどういう態度に出るかで、こちらの今後の対応も決めさせて貰う。






−ガラガラ・・


「おう。」

「ああ。」


こういった極度に簡略化された挨拶も、進藤に習ったようなものだ。

思えば彼には碁以外でも色々と影響を受けてきた・・・。
僕がそれをどう受け止めようがそれは一つの影響に過ぎず、
長い人生の流れからすれば、「善」でも「悪」でもないのだろう。

最近そう思えるようになってきた。





一休みさせる暇もなく早速石を握る。




・・・しんとした二人きりの邸内。

心臓だけが早鐘のように打つ。

今日は殊に、絶対に負けてはいけない勝負のような気がした。
僕の全身全霊を込めて、盤上に石を配置する。


・・・名人戦の予選で久しぶりに戦った時のような興奮。



ここだ。

嬉しいだろう。

だが喜ぶのは早い。

そんな所に置いていいのか。

こうしたらどう返す。

どうして放っておくんだ。



掛からない・・・。


どれを生かすんだ。


どこを殺すんだ。


まだ分からないのか。


それとも、掛かっているのは、
僕だとでも言うのか・・・?


誘っても、誘っても。

攻めて来いよ。


放って置いたら・・・

僕は勝ってしまうぞ。

いいのか。

それとももしや

深追いしすぎて、

後悔するのは僕なのだろうか・・・。

   ・
   ・
   ・
   ・



「・・・ありません。」


頭を下げた時には既に夕食の刻限になっていた。

負けた・・・。
初めてというわけでは勿論ないが、今日はいささかこたえる。

でも
ふぅ・・・。心地よく弛緩する全身。

久しぶり、と言っていい程に熱くなった。
熱くさせてくれたのは進藤。
自分でも何も悪くなかったと思う。
敢えて言うならあの時・・・・・。


「検討は次回だな。」

「え?」

「だってこの時間。」


もう・・・もう、帰るのか?
僕が自分から君を自宅に招いたのは初めてだというのに。

検討もそこそこに押し倒してきても不思議はないと構えていたので
少し拍子抜けした。

・・・・・・・。


「何か取るから、夕飯食べていかないか。」

「いいの?」


いいの?・・・その目が情欲に光ったように見えたのは僕の思いこみだろうか。

欧米では未婚の女性と夕食を共にしたら、それはベッドまで了承したのと
同じ事だと英語の先生が言っていた。
まさか、進藤も誤解したり。

しない、よな・・・?


「じゃあオレ、うな重!」

「・・・ああ。」


・・・なんだかな。






自宅で家族以外の人間と二人きりで食事をする、という機会は
実はあまり多くない。
あぐらをかいて食べるのか。
テレビつけねーの、って、つけたら話がしにくいじゃないか。

食事中もさっきの興奮のままに検討を繰り広げた。
進藤もしたくなかった訳ではないらしく、勢い込んで突っ込んでくる。

ここしばらくの付き合いで、手筋に関してはお互いの言いたいことが
基本的な所で予想がつくようになってきた。
互いに一言えば十理解し、打てば響くようなレスポンス。
無駄な前置きを必要とせず新鮮な部分だけを抽出したキャッチボールは既に

・・・快感に近い。

そして以前よりは短時間で煮詰まってしまうようになった。

結局平行線はいつまで経っても平行線で、
それがお互いの持ち味なのだから仕方ないし、そうでなければ面白くない。

楽しい。
進藤と打っている時間が
検討している時間が
どうしようもなく、楽しい。






「ごちそうさま。」


・・・何故進藤は今日に限って口が重いのだろう・・・。

検討が一段落すると、会話に困る自分がいた。

多くの大人とは違って、進藤に気候の話や、今後の手合いに対する
「若者らしい抱負」を語っても喜びはしないだろう。

沈黙が落ちるのが怖い。
進藤が顔を近づけてくるのではないかと。

そして自分が唯々諾々と目を閉じてしまうのではないかと。

言葉が途切れないように、
ポツリポツリともう終わった手の話を蒸し返してみる・・・。






・・・僕の心配は杞憂だったらしく、結局お茶を飲み終わっても
進藤は何も仕掛けてこなかった。

自分一人でドキドキして、なんだか馬鹿らしい。
碁打ち仲間としてあるべき姿と言えばそうなのに、
それでも会話が切れるのが恐ろしい。

この様子では、沈黙が続いたらきっと進藤は帰ると言うだろう。

別に構わないが、その。
寂しいとか子どもみたいな事をいうつもりはないけれど。

でも、何でもいいからもう少し話したい。



・・・いつも進藤は碁と関係ない所では何を話していただろうか。

学校の友だちの話、幼なじみの話、虫の話、スニーカーの話・・・
そして、

僕を好きだという、話。



その位だ。

12で出会って、ずっと見続けていたから随分お互いのことを知っているつもり
だったが、存外僕は普段の進藤をほとんど知らない。
進藤に至っては、僕のことを全くと言っていいほど知らないのではないか。

話す必要がないと思っていたし、話した事もないから。





「・・・進藤。僕の部屋を見ないか。」

「はあ?!・・・え?あの、いい、の?」

「ああ。」


遠慮など君らしくもない。
前はずかずかと不法侵入してきたくせに。布団の中にまで。

それとももしかして少し唐突すぎたか・・・?
まあいい。進藤なら気にすまい。





「ここだ。」

「あ、ああ。・・・前寝てた所は違うんだ。」

「あの時は風通しが良いから座敷に移動していただけだよ。」


ズキン、と胸が痛む。
痛む?少し違う。
触れてはいけない場所、思い出したくない記憶のはずではあるけれど、
何故か胸が高鳴る。
多分進藤と自分の関係をはっきりさせておきたいのだ、と思う。

・・・ねえ進藤、「あの時」の話を少しだけしようか・・。


「自分の部屋にパソコンあるんだ〜。いいなぁ!」


進藤は僕の思いを察することなく部屋の隅に目を移した。
忘れた訳ではあるまいに。
あけすけな物言いでもして僕を困らせる位の事はすると思ったのに。



「つけるか。」

「いや、いいよ。」

「・・・・。」

「・・・・。」


部屋を見るかと言った割に、実は僕の部屋には見るべき程のものは
何もない。
やはり変だっただろうか。
それより何か期待していると思われただろうか。

それでもいいから、何か言ってくれ。
揶揄でもいいから、

・・・口説いても、いいから。





「えーと、あの、ベッドもないんだ、毎日布団敷いて寝るわけ?」

「敷かなきゃ寝られないだろう。」

「ってーか、毎日片付けるんだよな。面倒くさくね?」

「面倒くさい、ということはない。」


何だったら。

・・・何だったら、今敷いてみようか。


と言ったら進藤はどんな顔をするだろう。
面白くもない空想の断片ではあるが、微笑を禁じ得なかった。


「何?」

「いや・・・。」

「・・・あの、オレ、」


帰る。
なんて言うなよ。




・・・少しくらいは覚悟していたのに。




「進藤。」

「なんだよ。」

「僕は・・・・。」


言ってしまっていいのだろうか。
今そんな事を言ったら一生後悔するんじゃないだろうか。
自分が彼の事を好きかどうかもわからないのに、
もしかして期待を持たせるような事を。
自分の首を絞めるようなことを。

ああ、でも。

零れてしまう・・。








「痛いのが、・・・嫌なんだ。」


痛いのが嫌なんだ。
痛いのだけが嫌なんだ。

気持ちが悪いのも嫌だけど、
我慢できないほどじゃない。


僕は君が、

嫌じゃないんだ・・・・・・・。








「いきなり何言ってんのー?それに痛いのがいい奴なんてそんないねえって。
 オレだって痛いのはやだし、あと怖いのと・・・・」



目を、閉じる。



「・・幽霊なんかは全然平気だけど、絶叫マシーン系はちょっと・・。」



伝わらなかった・・・。




伝わらなかった。
寂しいような、でもホッとしたような・・・。
これで、良かったんだ。
きっとこれで良かったのだ・・・。

自分が進藤を嫌いじゃないのは前々から分かっていたが
出来れば友人、と言える関係になりたい。

進藤が僕の体に欲情しなくなったのなら、
万々歳じゃないか。


のはず、じゃないか・・・。










「なんちゃって。」


息が掛かって目を開けると、焦点が合わないほどの近さに
進藤の顔。


「ありがと。塔矢。」


急に抱きしめられて眩暈がする。


「オレ、今日ずっと嬉しかったんだぜ。お前が家に呼んでくれたことも、
 夕飯に引き留めてくれた事も、」

「な、そ、」

「そんなつもりじゃなかったなんて言うなよ。部屋にまで引き込んで。」


ななななんて奴なんて奴なんて奴!!!


「でもオレ、明日仕事なんだ。」


え?
って明日対局があるのか?!あ、倉田さん!!!
僕としたことが!!


「何故最初に言わないんだ!」

「オレもお前と打ちたかったし。ウォーミングアップになるから。」

「ならさっさと帰って寝て体調を、」

「お前の捨てられた子犬みたいな目を見てるとさぁ。」


してないっ!
断じてそんな目はしていない!


「ってのは冗談だけど、お前といるといい感じでテンション上がるんだ。」


・・・・・・。


「これ以上いると我慢できなくなりそうだから、今日は帰るわ。」

「ああ帰れ!」

「次は布団敷いてくれよな。」

「次なんか、ない!」

「そんなこと言うなよ。優しく、するから。・・・痛くないように。」



〜〜〜〜〜〜〜!!!




−了−






※この期に及んで引っ張ってみる。

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