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一騎打ち 今日の進藤の碁は酷かった。 進藤らしいキレがない。 以前僕が指摘したような点を忠実に守っているのは感心だが どんな棋力の相手と対戦しても半目負けするような。 気迫が、感じられない。 「今日は乗らないようだから、僕はこれで帰るよ。」 検討する気にもなれず、碁会所の席を立つ。 怒っている訳ではない。 何があったか知らないが、精神状態が棋譜に如実に現れるのは プロ棋士としてあまりに未熟だ、と思うだけだ。 「待てよ。塔矢。今日は暇なんだろ?」 進藤の声も静かだ。 自覚があるのだろう。 しかしいつもの侃々諤々とあまりにかけ離れた静けさに、 逆に周囲が恐れを成しているのが分かる。 とりあえず二人で表に出ることにした。 確かに今日は碁会所で数時間過ごすつもりだったから、他に予定はない。 「どうしてもお前に伝えたいことがある。」という進藤の言葉が気に罹り、 従うことにした。 進藤は駅に向かい、黙って切符を買い、黙って改札を通る。 電車の中でも無言。 普通なら気詰まりになる空気かも知れないが、進藤と僕はそんな所は とっくに通り過ぎていた。 数駅過ぎて、「ここで降りる。」とだけ言う進藤に更に従う。 都心からやや離れた商店街を、てくてくと歩いていく。 やがて・・・。 「ここだよ。」 一軒の古びたのマンションの階段を軽く跳ねながら登りはじめた。 たどりついたドアの表札は「進藤」。 ここは・・・進藤の自宅・・・・? 「どうしたんだよ。来いよ。」 と言われても。 ただでさえ、こと進藤に関してはいつ布石が置かれているか分からないのに こんなあからさまな。 さすがに僕も学習した。 この扉をくぐれば、僕はきっと、無事ではいられまい。 帰りに再びくぐるときには、既にまた。 進藤はノブに手を掛けたまましばらく首を傾げて僕のことを見ていたが、 やがて無造作にドアを開けた。 「ただいま〜!」 え?誰かいるのか? 「あら。おかえりなさい!早かったわねぇ。」 「友だち連れてきた。塔矢。」 「まあまあ。はじめまして。ヒカルの母です。」 条件反射で愛想のいい笑顔を浮かべ、僕もまた無造作にドアをくぐる。 「はじめまして。急にお邪魔してすみません、塔矢アキラと言います。」 「いいって、オレの思いつきで連れてきたんだから。」 「あらぁ。しっかりした人ねぇ。ヒカルと大違いだわぁ。」 「るっさいなぁ!」 「囲碁の関係のお友だち、よねえ?どうぞ上がってちょうだいな。」 「恐れ入ります。」 親御さんにあんなぞんざいな口をきいて。 でも、お母さんと会話している進藤は新鮮だった。 一人で碁会所にやってきて、一人で棋院にやってきて、 進藤の家族を見たという噂を聞いたことがない。 何となく親がいないような感じがしていた。 いや、いないはずはないんだけど。 とりあえず、家族がいるということで、身の危険はないと言える。 僕は安心して靴を脱いだ。 一家で住んでいるにしては奥行きが、浅いな。 いくつ部屋があるのだろう。 恐らく入り口近くの廊下に面したドアはバスルームだろうし。 狭いのは構わないが、物が、少ない。 シンプルすぎる。 家族の歴史を感じさせるような細々した物が見あたらない。 その違和感に意味があるのかどうか、考えるともなしに考えている間に 進藤は台所兼リビングらしいスペースの横の引き戸を開いた。 「オレの部屋。」 「お邪魔、します・・・何か散らかった部屋だな。」 「ええー?どこが?結構一生懸命片付けたのに。」 「前からここへ連れ込むつもりだったのか。」 「連れ込むって・・・。」 進藤は穏やかな苦笑を浮かべ、まあ座れよ、と言った。 彼はベッドを背に、僕はその向かいに腰を下ろす。 と同時に、閉めたばかりの戸が開き、お盆から入ってきた。 「ヒカル、コーヒーしかないけど。」 「はーい。」 「じゃあ、母さん帰るからね。」 ・・・帰る? ! ・・・・・・・・・・・・・またやられた! 「ああ、サンキューな。」 「ご飯は冷蔵庫に入れておいたけど。明日の朝の分も作っておいたから なんとか二人の夕食分はあるんじゃない? もう、前もって言っておいてくれたら・・・。」 「ありがとありがと。んじゃ、またな。」 お母さん僕夕飯まで居る気ないんですけど。 というか僕が女の子だったら二人きりにして帰ったりしませんよね。 ああ何故僕は男なんでしょうね。 いや何故男なのにこんなに身の危険を感じなければいけないんでしょうね。 にっこりと微笑みながら、無情にも背を向けるお母さん。 その袖にすがりつきたくなるのを何とかこらえる。 まさか息子さんに襲われそうだから一緒に居て下さい、なんて言えやしない。 運命の扉のように、遠くでガチャリとドアの閉まる音が聞こえた。 「一人暮らし、だったんだな。」 「ああ最近な。」 「・・・・。」 「そう、固くなるなよ。」 「・・・騙したな。」 「そうでもないよ。たまーに世話を焼きに来てくれるんだ。 それが偶々今日だっただけ。」 嘘だ。それは絶対嘘だ。 のどが渇いて、持ってきて貰ったばかりのカップを手に取る。 まさか何か入ってやしないだろうな。 いや、お母さんが入れてくれたんだから大丈夫か。 最初からミルクや砂糖に何か仕込んでたり。 さすがにそこまではしないか。見れば進藤も既に口を付けてるし。 「飲めば?」 「あ、ああ。戴く。」 「あはは。大丈夫だよ。今日はちょっとゆっくり話をしたかっただけ。」 そうか。そう、そうだな。 僕だって今は万全。力尽くでどうこう出来るはずがないじゃないか。 話とやらを聞いて、さっさと帰ろう。 「早速だけど。」 「え。ああ。」 こんな所まで連れて来るんだから余程話しにくいことかと思ったのに、 カップを置いた進藤はあっさりと本題に入る。 僕もそっと皿に戻して床に置き、背筋を伸ばした。 「オレ、お前に酷いこと、したよな。」 「何のことだ。」 「そりゃあ、学校とか・・・お前の家とか・・・。」 「酷いことをしたという自覚がありながら繰り返したのか。」 「う〜ん。そう言われると辛いんだけど・・・酷いだけじゃ、なかっただろ?」 「あのね。その事についてはあまり話したくない。 君が悪かったと思うなら、繰り返さないでくれれば、それでいい。」 無かったことにしたい。 言葉というのは、記憶したいときには便利だが、忘れたいときに、不便だ。 外ではお互いにただの碁仲間として打ち合い、素知らぬ顔をしていれば あれは、無かったこと、になる。 次第に夢だったのか現実だったのか分からなくなり、 ついには夢だった事になってしまうはずなのに。 でも言葉で表してしまうと、その度に事実として確認してしまう。 夢に昇華されるまでの期間が、長くなる。 「オレ、悪かったとは思わない。」 「何だと?」 「あのな、塔矢。」 「ちょっと待て。悪かったと思わないだと?」 頭に血が上るのが自分でも分かった。 分かっていてもどうしようもなく臨戦態勢。本能的に片膝が立つ。 途中で気が付いて2人分のカップを盆に乗せ、脇に押しやる。 「進藤それは人として、」 「聞いて!」 「君こそその前に答えろ!」 「好きなんだ!」 「・・・・・・・・。」 「・・・だから、したい。抱きたい。」 思ってもみない展開に、気持ちの切り替えが付いていかない。 また君は難しいことを・・・。 「・・・そうか。」 すとんと膝が落ち、僕は取りあえずそれしか言えなかった。 「今更だけど、今日こそは絶対にそれを伝えたくて。 お前としたいからこんなこと言うんじゃない。好きだから、したいんだ。」 ・・・よく男に向かって臆面もなくそんなこと言えるな。 というか、相手が女の子でも恥ずかしくて言えないぞ。僕は。 それにしても彼はまだ、勘違いを、している・・・。 進藤が自分に欲情するのは碁の勝負欲と性欲を混同しているのだと 僕は考えている。 しかも、今度はその性欲と恋愛感情がまたないまぜになっている。 普通あり得ないほどの勘違い。 ちょっとどうかしてるんじゃないのか。 進藤が恋に恋して青春を満喫するのは全くかまわないが、 その欲望の矛先を向けられるのがこの身となると、 これは迷惑なこと甚だしい。 言いたくはないが(何故?)言わなければ(当然だ) 「男に恋愛感情持つなんて、気持ち、悪いかもしれないけど・・・。」 「進藤、あのね。」 「今すぐオレの事好きになってくれなんて言わない。」 「あのね。僕が思うに、」 「だから、今日は無理に返事してくれなくていい。」 「聞けよ。」 「オマエこそ聞いてるのか?」 先程と全くと言っていい程同じ展開。ただし立場は逆。 「進藤!・・・それは・・・恋でも愛でもないよ。」 「な。」 「一時の気の迷いだ。碁で僕に勝てるくらいになる頃には、 忘れている感情だと思う。」 「なんでそんなこと言うんだよ!」 「分かるんだ。」 いきなり進藤は僕の腕を掴み、絨毯にひき倒す。 「分かってない!」 床に僕の体を押しつけて、乱暴に唇を合わせる。 でもそれが抵抗出来ないほど強い力じゃなくて、 そんな彼がなんだか哀しくて、 僕は意識的に無表情を保ったまま力を、抜いた。 「なんで、抵抗しないんだ・・・。」 「したければ、無理矢理すればいい。だけどそうしたら僕は君を」 そんな目をしないでくれ。どうしてそんなに泣きそうなんだ・・。 でも言わなければ、きっと後悔する事になる。 僕じゃなく、君が。 「軽蔑する。」 しばらく無言で僕を睨んでいた進藤は、やがて腕を放して 勢い良く隣に寝ころび、大の字になった。 「あーあ。萎えるよなー!」 男に欲情してもらわなくて結構。 君が怒るのは、理不尽なことだと思う。 痛。 いたた。 でも、胸が、痛い。 どうして、こんなに苦しい。 どうして、 二人して仰向けに横たわったまま静かな時が流れ、 その間に僕は気持ちを落ち着かせた。 顔も心も大方平静になった頃、 僕は身を起こして、今度は逆に寝ころんだ進藤の顔を覗き込む。 「君は、僕の、生涯の・・・。」 「・・・・・。」 「いや、生涯付き合って行かなければならないと思う。同業者である以上。 この先結婚しても、年を取っても。 だから、今そんなことを言ったら、この先つらいぞ。」 「・・・そうかもな。」 ああ、また胸が苦しい。 自分が口にした言葉に同意してくれただけなのに、 それが何故僕の心をえぐる。 「・・・緒方先生は・・・。」 「え?」 「いや、何でもない。」 緒方さんがどうかしたのだろうか。 今の情況で最も出てきそうにない名前だけれど。 「お前も、つらい恋をしたことが、あるか?」 「・・・・。」 もしかしたら、あるかも知れないね。 今、そうなのかも知れないね。 いや、 違う。 違うだろう。 何か、今は何か、おかしいんだろう。 もう、考えたく、ない。考えない方が、いい。 「ある、かも知れない。」 「そうか・・・。」 進藤は、ゆっくりと身を起こし、また真剣な瞳で僕をみつめる。 「オレ、待つから。お前がその人の事、忘れられるまで。」 そのパラドクスに自分で気付いてないんだな。 笑ってしまうけれど、今の僕の顔はきっと 泣き笑いみたいになっているだろう。 進藤が顔を近づけてくる。 先程とは全く違う、おずおずとした、キス。 多分初めて、と言っていいほど、優しい、キス。 君、分かってない。 僕があんなに胸を痛めて放った言葉の意味を、理解していない。 それでも抱きしめられて、 涙が出るかと思った。 「あの・・・。」 「うん。」 「勃ってきちゃった・・・。」 ・・・本っっ気で、全然分かってないんだな。 −了− ※最後は照れた。 |
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