ファウル 25








緒方が、「進藤の所に返してやらんでもない」と言いだした時には
勿論嬉しく思いましたが、この者がそうあっさりと望みを叶えてくれるとも
信じられませんでした。


「ネット碁というのを知っているか?」

「ねっとご?」


そう言えば、昔ヒカルがさせてくれた、碁盤が縦になっていて相手が見えない碁。
あの夏はとても楽しかったけれど、すぐに打てなくなった。


「昔はよくした。沢山の・・・恐らく人と打たせて貰ったが、ヒカルが私がそれをすると
 世間を騒がせるからもう駄目だと。」

「なるほど。しかしまあ一度位ならいいだろう。」

「?」

「オレは今夜、それである人物と対局する。負ける訳には行かない一戦だ。」

「・・・・・・。」

「そこで、おまえに代わりに打って貰いたい。」

「そんな!いくら顔が見えぬとは言え、それでは、」

「おまえには関係のない話だ。それに、まさか負けはしないだろう?」

「私が勝てる相手ならばそなたも勝てるであろう。」

「それはそうかも知れないが、それでは面白くないんだ。」


緒方が妙に楽しそうな、意地の悪そうな笑顔を浮かべています。
でも。


「勝てば帰してやる。進藤に会えるぞ。」

「・・・・・・。」

「ああ、でもオレでないと相手に分かると不味いからな、せいぜい『緒方精次』らしい
 一局を打ってくれ。」


こちらの意向も聞かず、勝手に話を進めていきます。
けれど私は断る決心がつきませんでした。

一局勝てば、ヒカルに会える。

これは不正だ。
それが分かっていても、それでも結局何も言えませんでした。



ここの所緒方とばかり打っていたので、彼の手筋はよく分かっているつもりです。
完璧とは言いませんが、それ風の碁ならいくらでも打てるでしょう。

夜になり、緒方が楽しそうに「ぴーしー」に触れます。
四角い衝立が光り出しました。


「いいか、この『まうす』・・・小亀のようなものをこうして滑らせて、」


緒方が小亀の上に私の手を乗せさせ、その上に自分の手を重ねて動かします。
不思議な事ですが、亀を動かせば四角の中にある小さな小さな鏃(やじり)が動くのです。


「人差し指で押さえながら碁石を動かし、離せばそこに置かれる。」

「・・・・・・。」

「勿論打ち直しは出来ないから絶対に間違えるな。・・・出来るか?」

「・・・出来ない。」


結局訳が分からなくて、扇で指した場所に緒方に打って貰うことになりました。
緒方を座らせ、背後に立つとやがて四角の中に縦になった碁盤が現れます。


「一手目は、どこだ?」


扇で指すと、まるで昔に戻ったようでした。
目下の低い位置にある頭が、幼い頃のヒカルのような気が少ししました。




「緒方。」

「何だ。」

「この相手は・・・私の知る者か?」


途中から疑いを持ってはいましたが、中盤に差し掛かるにつれそれは
確信に近くなりました。

私が、緒方がこう打てば、きっとこう返して来る。
彼ならば。
塔矢アキラ・・・どう考えても、相手は彼としか思えませんでした。


「さあな。」

「何故、あの者がこのような対局を?」

「おまえには関係のない事だと言っただろう。
 知り合いだと思うなら尚、自分の正体がバレないよう、オレらしく打つがいい。」


眉を顰め、それでもまた碁盤に目を注ぎます。
塔矢アキラとしか思えない・・・けれど確かに名前が違う。

昔ヒカルと打っていた時、ここに書いてあるのが対局者の名前だと、
教えて貰った場所に今ある文字は見覚えのないものでした。

アキラと「ねっとご」をした時・・・確か現代の文字では「アキラ」は
もう少し丸い感じだった・・・確か一番右と左に同じような文字があった。
この対局者、「hikaru」とは明らかに違うと思う。

「hikaru」・・・見知った形のような気もするが・・・何者なのだろう。
思う内に、また新たな手が打たれます。
私は緒方の言う通り、対局に集中する事にしました。


しかし盤面が進行するにつれ、やはり塔矢アキラではないのではないかと
思えてきました。
どうも筋が、私が見た事のないものになって来ている・・・、
いや、逆にとても懐かしいような気もする。

途中いきなり散漫になったように見えた手が、だんだんと纏まってくる。

・・・これは面白い。
思わず笑みがこぼれるのが止められませんでした。


「・・・どうも二人で打っておるな。」

「らしいな。」

「それも親子か・・・兄弟か。とても近しい人間同士のようだ。」


後から思えば迂闊ですが、その時は序盤の手が塔矢アキラにそっくりだった事は
すっかり失念していました。
今は、二人で打っている、という事は辛うじて分かるものの、その二人が
それぞれどのような個性を持っているのかが全く見えない。

やはり旧知の者と打っているような、全く未知の者と打っているような、
不思議な気持ちでした。

それでも負けるような相手ではありません。
この、後味のあまり良くなさそうな対戦を一気に終わらせるべく、
攻め始めました。



「どうだ?」

「見ての通り。」

「勝った、か。」

「恐らくは。けれどこの者は、簡単には投了してくれまい。」


所々に一子に対する執着が伺える。
絶対に負ける訳には行かない・・・そんな気迫が碁盤越しに伝わって来ていました。


「よく打ちました。出来ればこの者と再び相見えたいもの。」

「・・・・・・。」


その時、緒方が肩を微かに震わせました。
しばらくしても震えは止まらず、それどころかやがてその動きは大きくなり、
くっくっ、と声まで聞こえて来ます。
緒方は、今や腰を折って大笑いしていました。


「?」

「っはっは!まあ、それは無理だな。」


その皮肉な調子に、意味が分からないなりにも背筋が凍ります。
私は・・・私は、何か間違えたのだろうか?


「何がおかしい。」

「いや、終わってから教えてやるさ。」




ぱち。




その時、先方が打ったことを知らせる音が鳴りました。
私も、笑いを止めた緒方も碁盤に見入ります。


!!


「これ、は・・・。」

「バカな・・・!」



・・・今までの、妙手も悪手も凡庸な手も。

すべてがこの一手の為に計算され尽くして放たれた手なのではないかと。

その瞬間思いました。


まさか、この私が。

・・・負けた。

それ程巧みとは思わなかったこの者に。
一手で全てを、


衝撃はありましたが、全く辛くはありませんでした。
むしろ、まだこの世の中に、こんな碁があったのかと。
感動に打ち震えずにはいられませんでした。
緒方も同じなのでしょうか、目も口も開いたまま、微動だにしません。


「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・絶妙手、というヤツか。」

「・・・・・・。」

「いやむしろ、」


神の一手。

口には出しませんでしたが同時に同じ事を思ったでしょう。
そう、それは、私の知る限り一番神に近い一手でした。

全てを忘れて、その余韻に浸ってしまう。
その石を見つめながら、頭の中で対局を並べ直してゆっくりと味わいました。
何度も。何度も。


そうしている間に、漸く我に返ったような緒方が「きぃぼーど」を指先で叩き始めます。


『今の一手はどちらだ』

『二人ともです』


「これは・・・相手の?」

「ああ。」

「本当に二人で打っていたのだな。」

「そうだな。」


いや、


「・・・やはり、一人だったのであろう。」

「何を、」


二人で打っていたのは間違いないでしょう。
あの一手が二人ともの物だと言う事も。

重なり合う思索。
それは殆ど一人の人間と言ってしまっても良い程に。
けれど、どちらか一人が欠けてもきっとあの一手は生まれなかった。


神よ、感謝します。
この二人に会わせていただいた事を。
彼等と対局する機会を持てた事を。


「・・・・・・。」


しばらく眉を顰めていた緒方が、やがて亀を動かしました。


「あ・・・。」


碁盤の上に文字の書かれた細長い四角が重なります。
どうもこちらが投了したようです。


「まだ手はあったか?」

「いえ・・・。」


余程相手が間違えればまだあったかも知れない。
中盤の崩れた時の「彼」なら、可能性はある。

けれどもう、続ける気はありませんでした。




素晴らしい一局を生み出した碁盤が消え、その場所が黒い四角に戻ると
突然緒方と二人、この部屋に取り残されたような気持ちになる。
そして約束を思い出しました。

私は、負けた。

二度とヒカルと会うことは叶うまい。
けれど今までと同じ生活が続くだけ。
悲しくはありません。
元々、この身が魂が、この世にあるというだけで恐ろしく幸せな境遇なのですから。


緒方は、無言で「べっど」のある部屋に戻りました。
私も何とはなしに着いて行ってみると、紙の袋に何か詰めています。
見ると、私がこの部屋に来た時に着ていた、ヒカルが購ってくれた衣でした。


「何をしているのだ?」

「行くぞ。」

「どこへ?」

「進藤の所だ。」

「え・・・?」


急に言われても、訳が分かりませんでした。
私は負けた。
なのにヒカルの所へ・・・?


「どういう、」

「嬉しくないのか?」

「いな、でも、」

「ならば黙っていろ。車の中で説明してやる。」


紙の袋を渡されて、玄関に押しやられて、やっと本当の事と
思えるようになります。


「あの、本当に帰してくれるのか?」

「そう言っているだろう。」

「この衣は・・・、」


恐らくヒカルに貰ったものよりは高価であろう、着心地の良い衣の袖を抓みます。
脱ぎたくないけれど借り物ではあるし。
けれど緒方は忘れていたというように片眉を上げ、


「記念にやるさ。どうせオレは着ない。」

「それは・・・有り難く。」

「殊勝で気持ちが悪いな。そうだ、・・・。」


玄関先で壁に掛かっていた麦藁の烏帽子を取り、これも紙袋に入れようとしましたが
見るからに入る大きさではありません。
緒方は考えるようにしばらく指先でくるくると回した後、私の頭に乗せました。
少し眺めて、耐えきれないようにニヤリと笑います。


「恐ろしく和服に合わんな。」

「これは・・・。」


ヒカルに貰ったものだけれど、この際許して貰えるでしょう。
私は自分で脱いで緒方に被せました。
彼は驚いたような顔をしています。


「そなたにやる。」

「オレに?」

「衣の礼だ。・・・それに、世話になった。」


緒方は珍しく困ったような表情を見せた後、草履を出してくれて
玄関を開けました。



Charcoalのkai さんに頂戴しました!
佐為ちゃんの笑顔もいいけど、緒方さん、あはは!煙草落としてる!可愛いなぁv





















−続く−














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