ファウル 23
「ogata」がログインしてくるのとほぼ同時に対局を申し込む。
少し時間を開けて「Aだな?」という短いコメント。
こちらも手短に「はい」と答え、対局が始まった。
・・・ぁ、なぁ。
それは聞こえていたというよりは、ノイズ。
車に乗っている時のエンジン音のように、耳に入ってはいるが意識までは届かない、
後から思えばそんな音だった。
・・・れって、緒方先生?
・・・なぁって。
三時間経過して勝負は中盤。どちらかと言えばボクの方が良いか。
それでも全く気が抜けない。
相手の一手一手の意味を考え、自分の予想以外に可能性はないか
何度も振り返りながらこちらの手も構築している、そんな時に投げ掛けられた言葉。
「ああ。」
考えながら、ほとんど無意識に答えてふっと我に返る。
左肩の方に体温を感じて、ゆっくりと振り向くとそこに目を見開いた進藤の顔があった。
「・・・どういう事?」
「・・・・・・。」
「おい、何で緒方先生と対局してんだよ。」
しまった・・・。
いつの間に隣に来ていたんだ。
「うるさいな。ボクの勝手だろう。」
とにかく構わないで欲しい、対局に集中したい。
そんな思いが先走ってつい邪険にしてしまったが、すぐに不味かったと気が付く。
「あ・・・、すまない。これは、その、」
進藤は、怒って良いのか悪いのかよく分からないといった様子だったが
すぐに目をつり上げた。
「んだよ!どういう事だよ、なんでおまえアイツと、」
「碁ぐらい打ったっていいだろう!」
「仲良く対局なんかしてんだよ!まさか、まさかおまえ、」
泣きそうにも見える顔をして、言葉を詰まらせる。
具体的にどう思っているのかは分からないが、何となくボクが緒方さんと手を組んで
何か進藤にとって良くない事をしているのではないかと疑っているようだ。
対局。
17の八。
進藤はボクが説明するまで離してはくれまい。
そうでなければ、このまま無視しつづければ、二度と許してくれないような気もする。
ここまでか・・・。
ボクは未練がましくモニタを見た後、諦めて集中を切り
意識を部屋の中に戻した。
「進藤。手短に説明するよ。」
・・・・・・・・・・・
「じゃあ、佐為は・・・!」
「きっと本心では戻りたがっているよ。」
「マジ?!どうして昨夜言ってくれなかったんだよ!って、ああオレがか、
いやもうどうでもいいや。」
案の定、進藤は自分が打つと言いだした。
本当は彼には知らせず、ボクが佐為さんを取り戻してあげるつもりだったが。
「考えてみろ。キミとボクの勝率は?」
「それは・・・!確かにオマエの方が高いけど、でもオレ緒方先生に勝った事あるもん!」
「向こうが酔っていたんだろう?」
「まあ・・・それもある、し、他にもあるけど。」
「他にも?」
「いや、なんつーか確かにオレ自身は緒方先生に勝った事ない。」
「ボクはある。練習手合いだけれど。」
「オレが本番に強いの知ってるだろ?」
「でも!」
言い争っている間に
「パチ」
コンピュータで合成された、打音が響く。
ボク達は同時に口を噤んでモニタに見入った。
やがて、進藤は台所からパイプ椅子を持って来てボクの隣に席を占めた。
Charcoalのkai さんに頂戴しました!
真顔の二人ってやっぱいいですねv萌える。
原作でこんな場面を見てしまったかのように悶えてしまいました。
「これ・・・緒方先生なんだよな?」
長考しながら扇子を開いたり閉じたりしていた進藤が言う。
局面はそろそろ中盤も終わり、途中で言い争ったりしたせいだとは思いたくないが
あの辺りから陣を崩されて、こちらが悪くなっていた。
「それはそうだろう。今の一手なんて凄く緒方さんらしいと、」
「らしすぎない?」
結局ボク達は、二人で相談しながら打つような形になっている。
反則かも知れない。
けれど、実力も変わらず棋風も違う二人、必要以上に減っていく持ち時間、
マイナスにこそなれプラスにはならないだろうからまあいいだろう。
進藤も、自分も参加すればもし負けても納得がいくに違いない。
そしてその、進藤が指摘していた違和感にはボクも実は気付いていた。
一手はとても緒方さんらしいのに、どうも全体として微妙にバランスが違うのだ。
「・・・佐為?」
「まさか。」
けれど確かに、そう考えると非常に納得がいく。
ボク達が、二人で一人の振りをして打っているように。
PCの向こう側で、佐為さんが緒方さんの振りで打っている・・・。
「でも、佐為はPCは使えないし、」
「セットさえしてあれば、マウス操作位簡単だろう。そうでなくとも緒方先生が側にいるなら
代わりに打って貰えばいい。」
今は集中しなければならない。
そう思っても心が乱れる。
進藤は特に動揺しているようだった。
「ここでいいな?」
「・・・ああ。」
パチ。
進藤の気持ちは痛いほど分かった。
佐為さんが打っているとするならば・・・この容赦のなさは何だろう。
今まで何度も佐為さんと打たせて貰ったが、これ程遊びがないというか
一手一手が厳しい碁は初めてだ。
勿論緒方さんの棋風を模倣すると必然的にそうなるのかも知れないが・・・。
だとしたも、一体何故?
何故、承知の上で緒方さんの振りをしているのか。
勿論この対局の意味を聞いていないという可能性もある。
けれど相手はあからさまに「hikaru」・・・進藤だというのに。
ボクは実際に佐為さんの涙を見た訳だが、進藤はボクの話を聞いただけだ。
こんなに情が感じられない、徹底的に相手を叩きつぶそうとするような碁を打たれたら
疑わずにはいられないのではないだろうか?
ボクが嘘を吐いていると。
佐為さんは本当に、こんな碁を打つ程に帰りたがっていないのだと。
「進藤、考えるな。」
「え?」
「これは緒方さんだ。佐為さんなんかじゃない。」
しばらくボクを見ていた進藤は、やがて小さく頷いた。
「・・・終わりか。」
二人で何度も何度も画面を見直し、言えなかったセリフを遂にボクは口にした。
自分の言葉を耳で聞くと、途端に盤面はすうっと遠ざかって現実世界が戻って来る。
また集中が途切れた・・・。
煮詰まった時の気分転換にはいいが、また元の一種のトランス状態に戻るには
時間が掛かる。
この状態からならもう勝負は終わったと言っていいだろう。
中盤、に見える終盤。
あと数手で勝負は決まる。
相手が佐為さんにせよ、緒方さんにせよ、そこから先ひっくり返すのは恐らく無理だ。
だから最後に仕掛けるのなら今しかないが、どう考えても道はなさそうだった。
持ち時間ももう残り少ない。
気が付けば、夕食も摂らずにもう真夜中になっている。
進藤はボクの声が聞こえなかったのか、まだ画面に見入っていた。
暗くなった部屋、青白いモニタの光に照らされたその顔はやはり青白く、
瞬きもしない目が人形のようだ。
諦められない気持ちはボクより進藤の方が何倍も強いだろう。
ボクも正直、今回の対局は失敗だったかも知れないと思う。
進藤と二人で打てた事に後悔はない。
自分一人で打ったより良かったかどうかは分からないが、ベストは尽くせた。
思いも寄らなかった手も打てたし、それは実験的ではあったが大きな失敗はなかったし。
進藤だってボク一人で打って負けるよりはいいだろう。
欲を出せば、自分一人で打つより良かったと思って貰えると嬉しいが。
進藤は投了に続く長い長い時間、モニタを見つめ続けていた。
−続く−
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