ファウル 21








遅い夕食の後、緒方と打っていると部屋に鐘のような音が鳴り響きました。

これは「てれび」や「しーでぃー」と違って緒方の意志と関係なくいつ何時でも
不意に鳴る音で、最初はその突然の大きな音にびくびくとしていたものです。
ヒカルの部屋では聞いたことのない音でしたから。

しかし緒方がいる時は緒方が何某かの対応をしているし
いない時は無視するように言われているので、その内気にならなく
なって来た物でした。

それにしても、こんな夜分に鳴るのは珍しい事です。


「ちっ、誰だこんな時間に。」


緒方が舌打ちをしながら壁に付いている白い箱にいつも通り向かい
「はい、」と話しかけました。
この後いつも通り知らない男の声がして、緒方は小さな棒(インカンと言うそうです)
を持って玄関に行き、箱か文を持って戻ってくるのでしょう。

と予想していたのですが、この時は違いました。
少しざらついてはいますが、確かに聞き覚えのある声が流れてきたのです。


『あ、緒方さん、すみませんこんな夜分に。今、少しいいですか?』

「塔矢?!」


緒方以外の知り合いの声はとても久しぶりで。
懐かしさに、思わず碁盤の前から立ち上がって緒方の後ろに行きました。
その白い箱を覗き込んだのは初めてですが、小さな四角の中に、何と
塔矢アキラが映っていたのです。

私も、この中に小さな人がいる訳ではなく、「映っている」だけだというのは昔
ヒカルに教わりました。
しかしこういった「小さな箱」の中に「映れる」人は「特別な人」だけだとも
聞いています。
例えば塔矢行洋のような。

塔矢アキラも精進して、この中に映れる程「特別な人」になったのかと
感慨深く思っていると。


「もう寝る所だったんだが。明日では駄目なのか。」

『すみません・・・。』


・・・あれ?箱の中の人と話をする事は出来なかったのでは?


『うっせーな!佐為を出せ!佐為ぃーー!!』

「ヒカル?!」


・・・その時、もうそれまでの思考はどこかへ飛んでいきました。
箱の中のアキラを横から押しのけて現れたのは、
懐かしい、懐かしい、


「ヒカル!ヒカル!」

『佐為?!そこにいるのか?佐為!』


そこで緒方が、私の後ろ髪を掴んでぐいっと後ろに引っ張りました。


「慮外者!」

「黙れ。」


心底不機嫌そうにもう一度舌打ちをすると、箱に向かって


「今ロックを外すから玄関先で騒ぐな。」


と言いました。




箱に映ったヒカル達が消えた後、緒方は私の肩を掴んで怖い目で
顔を覗き込みました。


「会わせてやる。進藤とアキラに。」

「・・・・・・。」

「だがこの間おまえはオレに従うと言ったな?」

「・・・ああ。」

「ではそれを見せて貰おう。進藤達が来ても、奴らとは話すな。
 目も合わせるな。」

「そんな。」

「それが出来なければ進藤は・・・分かっているな?」


・・・ヒカルを、失脚させると・・・碁の世界から追放すると、
そう言いたいのでしょう・・・。

嬉しいはずの時が、辛い、辛い時間になる予感に
私は身震いしました。





ピーンポーン・・・

程なく先より柔らかい音がしました。
私は息を吐き、碁盤に向かって座り直します。
ヒカルがここにやって来る。
夢にまで見た、ヒカルが。


がちゃ・・・


緒方が玄関に行き、扉を開けたような音がした途端に
どたどたと忙しない足音が入ってきて、近づいてきます。
ああ、ヒカル。
そんなに急いだら転ぶといつも言っているのに。


「佐為っ!」


すぐ後ろで、大きな声がしました。
振り向いたら目を合わせてしまいそうなのでそのままでいたら


「佐為・・・!」


背に、どんっ、と重いものが乗ってきて、思わず前のめりになります。
後ろからおぶさるように、抱きつくように、やがて燃えるほど熱くなる背中。

Charcoalのkai さんに頂戴しました!
佐為の手が…。
ヒカルの表情が…切ない!
文章で説明しきれなかった部分を補って余りあるステキ絵ありがとうございます!




私の胸の前で、二度と離すまいとするように固く組んだ両手に、
思わず自分の手を重ねて押さえると


「佐為。」


横から冷ややかな声がしました。
緒方が玻璃の向こうから睨んでいます。

話すことも見る事も出来ないのに、それなのにこれだけの事も許してくれないのですか。

けれど私は仕方なく、手を離しました。
ヒカルの体温から離れた私の手は力を失って、人形の部品のように
膝の上に落ちました・・・。




ヒカルは私の様子に気付いたのか


「佐為?」


不思議そうに顔を覗き込もうとします。
でも私は広げた扇の裏に逃げ、面を伏せる事しかできません。


「佐為さん。」


背後から塔矢アキラの声もしました。
大好きな人たちに、応える事の出来ない我が身の何という恨めしさか。

返事もせず、振り向きもしない私のせいで部屋が静まり返ります。
ヒカルも塔矢も、私の思いがけない反応に何と言っていいのか
分からないのでしょう。
しかしやがて。


「あの・・・佐為・・・帰ろ?」

「・・・・・・。」


帰りたい。
あの部屋へ。
恐ろしくモノで溢れた狭いあの空間へ。

行洋氏やアキラとも存分に打てたあの時間へ。

・・・でもそれは今の私には叶わぬ事。


「佐為・・・。」

「佐為はおまえとは行きたくないそうだ。」

「!」


な、
思わず顔を上げて緒方を見ると、緒方も私を見ていました。
「何を言う」と問い詰めそうになりましたが、言葉が出ませんでした。
皮肉な笑顔を浮かべていると思った面に、表情がなかったので。

例えそれがヒカルや塔矢アキラに対する言葉でなくとも、
緒方の気を損ねる懸念のある事を今口にするのは得策ではありません。

それに。
ヒカル。

こうしてこの部屋にいる事は、本当にさほど辛くはないのです。
誰のためでもない、あなたの為と思えばこそ。

私がここで大人しくしている限り、あなたは無事碁の世界で活躍出来る。
その棋譜を緒方が見せてくれる。
それで私はあなたと繋がっていられる。

お互い、同じ世界に生きておられるというだけで何と幸せなことか。



「だから、帰れ。進藤。」


大きくもないはずの緒方の声に、部屋の空気が震えました。
いや、震えたのは背後のヒカルや塔矢アキラでしょうか。

ヒカルなら大きな声を出すと思った。
泣きながら、怒りながら、私の襟首を掴んで「本当なのか」と、「どうしてなんだ」と、
怒鳴り声で問い詰めると思った。


でも実際に聞こえたのは静かな、哀しいほど静かな踵を返す音でした。


私は俯いたまま身体だけを玄関に到る廊下に向けて、床に手を突きました。

ごめんなさい。
ごめんね。ヒカル。

私は大丈夫だから。
絶望なんかしていないから。

だから・・・・・・。



ぽたりと。


手の甲に水滴が落ちました。

涙が、と思った途端に温かい水は止めどなく溢れ。




玄関でがちゃりと扉の閉まる音がしました。



Charcoalのkai さんに頂戴しました!
わーん!自分でこの場面書いて置いて何ですが、胸が苦しくなるような。
kai さんがここまでシリアスというか情緒的な表情を描いて下さったのは珍しいと思う…ありがとうございました!















−続く−







※佐為まで女々しい事に・・・いいか。佐為だし。
  最初のややこしい所は、カメラ付きインターフォンをテレビを混同してる描写。(自分で解説するか)






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