ファウル 12








進藤がボクの携帯に「佐為が帰ってこない」と泣きそうな声で連絡してきたのは
緒方さんと佐為さんが帰って二時間ほど経った真夜中だった。


「おかしいな、緒方さんが送って行ったんだが。」

「そうなの?んじゃ緒方先生の電話番号教えてくんない?」

「いや、時間も時間だしボクから連絡を入れてみよう。」


しかし連絡した所、「進藤の家の側で下ろしたんだが」との事だった。
再び進藤に電話したら「何で玄関まで送ってくれないんだよ!」と受話器越しに
怒鳴られたが、ボクに当たられても困る。

けれど、後で思えば進藤の怒りの向け方はある意味正しかった。




翌日進藤の所に、佐為さんから電話連絡があったらしい。


『心配しないで下さい。探さないで下さい。』


ただそれだけだけれど、確かに佐為さんの声であったと言う。


「アイツがんな事言う筈ねーんだ。自分でオレから離れる筈がない。」

「いい大人なんだから、そういう事もあるんじゃないか?」

「バッ、こないだ言っただろ?アイツは現代に甦ってからオレと離れた事ないし
 一人じゃ動けない筈なんだ!」

「・・・・・・。」

「緒方先生だ、絶対。緒方先生が佐為を誘拐したんだ。」


そうかも知れない、と思う。
しかしそうであるならば佐為さんは安全だという事になる。
早く確認したい所だが、二人で相談して父には言わない事にした。
明日、再び日本を経つ父母に余計な心配は掛けたくない。





翌日その緒方さんが、空港まで見送りに来てくれた。
ボクも偶々体が空いていたので荷物持ちでも、と同行していたが、
こんな所で緒方さんと会えるとは幸いだ。

父母がゲートを通ると離陸を待たず出口に向かう。
当然のように「送ろう。」と言ってくれたので、ボクは緒方さんの車に乗り込んだ。
しばらく雑談をした後、滑るように後方に流れていく高速道路の側壁を眺めながら
口を切る。


「そうだ緒方さん、今日は折角ですから久しぶりにマンションにお邪魔してもいいですか?」

「・・・・・・。」


精一杯何気ない口調で言ったつもりだが、緒方さんは答えなかった。
どういう意味の沈黙だろう。

ボクの言い方が、どこか不自然だったのか。
それとも佐為さんがいるから、来いと言えないのか。

胸が大きく動悸を打つ。
答えて欲しいような欲しくないような。
どのような返答か予想がつかないので、次の手の考えようがない。


「・・・いいだろう。」


けれど数秒後、緒方さんは口の端を上げた。
ボクはこっそりと息を吐く。
彼は犯人ではなかったという事か・・・。

安心したが、心配にもなった。
緒方さんの家にいないと言うことは、佐為さんは、一体どこに居るのだろう。





しかしその安心も心配も、すぐに裏切られた。


「佐為さん・・・。」

Charcoalのkai さんに頂戴しました!
佐為ちゃん色っぽいわ〜v
本当に凄く挿し絵っぽ〜い!嬉しい〜!
毎回本当に作文者冥利に尽きますv



緒方さんのマンションに到着して上がらせて貰って。
その無駄に広い寝室の一角に畳が置いてあり、上で佐為さんが横たわっていたのだ。
白っぽい着物を着ている。
胸あたりまで掛けた布団、枕元に渦巻く長い黒髪。


「昼寝中みたいだな。起こすなよ。」


生きているんですか、と問う前に先手を打たれた。
悪びれもせず、ボクの驚愕する様子を楽しんでいるような表情が憎らしい。
どうして。
何故、佐為さんがここで寝ているのか。
何故嘘をついたのか。

尋ねるべき事は山ほどある筈だが、どういう訳か口にするのが躊躇われる。


「着物、ですか。」


やっと口を動かして、絞り出した言葉は間が抜けていた。
動揺を悟られまいとしたつもりだが何も言わない方がマシだったかも知れない。


「ああ。その方が楽らしい。」


全体に洋風の、マンションの一室のその一角だけが時代がかっていて
酷く違和感があった。

人が寝ている、という感じがしない。
かと言って死体に見える訳でもないのだが、そう、まるで駅で偶に見る
巨大なガラスケース。
忘れ去られたようなその箱の中では美しい生け花がおっとりと咲いている。
花の方からしても早足で行き交う人々など別の世界の事だろう。

ふと、そんな事を思いだした。
日常の中、何気なく存在する異空間。

佐為さんがこんな所に居るのも、何ら不自然ではないような気さえ一瞬してしまって
慌てて頭を振る。
しかし少なくとも、小汚い進藤の部屋で似合わない服を着て端座しているよりも
佐為さんに相応しい場所のような感じはした。


「進藤が、心配していましたよ。」

「電話しただろう?」

「それでもどこに居るか分からないのは不安でしょう。一時は半狂乱でしたよ。」

「過去形か。」

「今はここに居るのではないかと疑っています。」

「だからキミも、ここに来たんだな。」

「・・・・・・。」


取り出す煙草。
吐き出される煙と共に広がる灰色の感情。

ボクが、緒方さんを疑っていると知っていて部屋に上げたのか?
いやもっと早い、柄にもなく見送りになど来た本当の狙いはボクをここに誘う為?

思いがけず早い時点で自分の手が読まれていた事に、
それを利用していつの間にか緒方さんの思い通りの陣形を作られているらしい雰囲気に
碁打ちとしての本能が不快を訴える。


「進藤に、言います。」

「構わん。」

「返しますか?」

「まさか。」


自分がこの世界のルールなのだと言わんばかりにあざ笑う。
昔から、この人のこういう所が苦手なのだ。


「返さなければ、警察に訴えるかも知れませんよ。」


無理だ。
成人した男性が、戻ってこないからと言って警察が動くものか。
けれど緒方さんは、そんな事は分かっているだろうに
何故かボクの言葉に乗った振りをした。


「彼には戸籍も何もないのだろう?書類上存在しない人間の為に
 国家公務員が動くか?」

「バカな!あなたは進藤の世迷い言を信じているのですか?」

「では、おまえはどう理解しているんだ?」

「ボクは・・・。」


・・・目を閉じる。

  思い浮かぶ。
  例えば昼下がりの公園で、年甲斐もなく幼い子ども達と一緒になって遊ぶ青年。


「彼は、やはり裕福な出なのだと思います。
 働かなくても生きていけるぐらいですから。」


親のスネを囓っているので、贅沢は出来ない。
けれど一人暮らしが出来る程度の仕送りはある。

親は、美しいけれどどこか足りない、社会に適応出来ない息子を
どんな気持ちで見守っていたのだろうか。

それとも見捨てているのか。


「進藤の親戚でないのは本当のようですから、近所に住んでいたのでは
 ないでしょうか。」


・・・ボクの空想は続く。
  青年が心を開けるのは幼い子どもだけ。
  彼に懐いている子ども達の中には幼い進藤の顔も見える。

  しかし、見るからに怪しい青年に近所の目は厳しい。
  子ども達の親も心配するだろう。

  やがて青年は、公園に行くのをやめて部屋に引きこもる。
  子ども達もすぐに自分たちと飽きずに遊んでくれた大人の事を忘れるに違いない。

  しかし一人だけ、青年が忘れられず部屋にまで遊びに来た子どもが居た。
  彼の親は偶々青年の存在を知らないのか、それとも無頓着なのか。
  子どもは青年の部屋に入り浸る。

  青年も喜んで受け入れ、二人は部屋の中で出来る遊びに没頭する・・・。


前にテレビで、少し変わった精神病の話を見た。
社会的な色々な能力が欠けている代わりに何か一つの事に異様に長けるというのだ。

佐為さんにとって、それが碁だったのではないだろうか。
彼がプロ棋士を目指すほどの社会性の持ち主だったら、今日本の棋界は変わっていた。
けれど実際はそうではなかった。残念なことに。

代わりに、彼は自分の能力を唯一社会に向けて開かれた窓である目の前の子どもに
全て注ぎ込む・・・。


初めて佐為さんのいる進藤の部屋を訪れたとき、
漠然と思い描いたイメージを明確な言葉で再現するとこんな感じだ。
我ながら酷い想像だと思う。

けれど、あながち的外れではないような気がしてならない。
あの部屋は、外界を遮断した繭。
山奥に棲んでいたという遠い昔の碁聖のように、二人きりで延々と打ち続けている光景が
苦もなく浮かぶのだ。

そして、ボクも佐為さんと二人でいると。
取り込まれるような気がした。
このまま誰にも邪魔されずに打ち続けていたいと。
ついつい思ってしまいそうになる。

だから、ボクの家での研究会の時はホッとした。
とても健全な気がするのだ。
相対的に佐為さんと二人きりで打つ事をどこか不健全だと思っている証左であるのだけれど。



「なんだ。」


緒方さんは根元近くまで灰になった棒を灰皿に捻り込んだ。


「それではおまえも結局、佐為を進藤の所に戻したくないんじゃないか。」

「それは。」


違う、と思う。
思いたい。

それでも口が動かない。
代わりに妄想が、どんどんと広がっていく。


  やがて思春期を迎えた子どもは、それでも飽きずに青年の元を訪れていた。
  碁を学びたいという気持ちもあったのだろう。
  週末は院生として過ごし、平日は学校から帰ってすぐに青年を訪ねる。

  子ども、いや、少年は既に中学生だ。
  青年は何故か年を取らない。
  初めて会った時のままに、美しい中性的な面立ち。

  きっとクラスで一番可愛い女の子よりきれいだ。
  そしてどんどんと追いつく身長と体格。
  今は少年より幼くなった、疑うことを知らぬ純粋な魂・・・。


自分の爛れた想像に嫌気が差す。
酷く、汚れていると思った。

それでも。
追い出せない。

肉体を持たぬ幽霊であった、という作り話さえ、逆に肉体関係を強く匂わせるような気さえ
してしまうのだ。



「それでは、オレ達の利害は一致するじゃないか。」


・・・え?


「佐為が、邪魔だったんだろう?」

「正直になれよ。佐為と進藤が一緒に暮らしているのが嫌だったんだろう?」

「進藤と二人きりで打つ機会が減って口惜しいだろう。」


「進藤が、好きなんだろう。」

「・・・・・・。」


がくがくと。
膝が笑う。

いつも心の底にあったどろどろとした何か。
偶に浮上しそうになっても意識に上る前に押し込めて。
見えない振りをしていたのに。
気付かない振りをしていたのに。


「意気地のない奴。」


人の腹に手を突っ込んで取り出して。
逸らした顔の前に突きつける。

緒方さんが一歩、また一歩と近づいてきた。
ボクは崩れそうになる膝を叱咤してあとずさる。


「・・・なら、おまえが進藤の所へ行け。佐為の代わりに。」


耳元に、甘い囁き。

佐為さんの代わりに、進藤と。
足元に突然背徳の淵が口を開ける。

ダメだ。ダメだダメだ。
ボクはそんな事など望んでいない。


「自分で動けないのなら、オレが命令してやる。」


だって、進藤は。いや、佐為さんは・・・。

・・・安らかに眠る顔。
・・・佐為さん・・・。

佐為さんは、一体。
緒方さんだってちゃんと毎日のように仕事に行っている。
縛り付けている訳でもあるまいし、今日だって本当に逃げたいのなら、
普通にドアを開けて外に出れば良かったのではないか?

歩けない訳でもないし口がきけない訳でもないのだから、ここがどこか分からなくとも
交番に行くなり車を拾うなりして進藤の部屋に、帰ろうと思えば帰れるじゃないか。


「進藤に伝えろ。
 オレが佐為を預かる代わりに、アキラをやると。」

「・・・・・・。」

「佐為の代わりにするがいいと、緒方が言っていたと。」







−続く−






※漸くヒカアキ。でも自分でもちょっとヒき気味展開。






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