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のどあめの苦さ 「・・・の対局では・・・」 「日煥?」 スポンサーへの挨拶が終わった後、林日煥は洪秀英と共に安太善に連れられて 中国の団長である楊海に挨拶に来ていた。 「・・・はい。」 「どうした。心ここに在らずといった面持ちだねぇ。」 「すみません。」 楊海がからかうように言っても、日煥はいつもの仏頂面のまま少し頭を下げただけであった。 安太善がたしなめるように、言葉をかける。 「日本チームの選手が一人しかいないという話をしていたんだよ。 もっともうちの永夏もいないが。」 「ああ、その3人なら・・・」 「永夏の部屋で副将戦の検討をしてるんだろ?今秀英が言った。 本当にぼーっとしてるな。」 「すみません。」 安太善はこの青年の慇懃無礼な部分は嫌いではなかった。 永夏と違って敬語が崩れた事はないが、いつも虎視眈々と爪を研いでいるような、 機会が在ればどんなに年上の者であろうがその地位から引きずり下ろしてやろうと 狙っているような、そんな男である。 太善はその脅かされる感覚の、剣呑さを楽しんでいた。 だが今の日煥からは、その険が消えている。牙を抜かれた獣のように。 「・・・どうした?」 「安さん。日煥は、大将戦の事を考えてるんだよ。」 秀英がフォローするように口を挟むと、楊海が 「ああ!あの一戦は凄かったな。日煥もだが、負けた塔矢にも全く落ち度がなかった。」 「そうですね。パーフェクトと言っていい。素晴らしい棋譜でした。 自国の選手だと思うと、鼻が高い。」 「まあそうは言っても、今日現在の二人は全く実力が釣り合っていると思うぜ。 何が勝負を分けたって・・・碁の神さまの気まぐれとしか。」 その時。 「違いますよ。」 少し声を尖らせて楊海を睨み上げた日煥のドーベルマンのような目に、 太善はハラハラしながらも、いつもの調子に戻ったかと少し胸を撫で下ろした。 「やはり塔矢が打ち損じていたんだ。」 「そうなのか?」 聞かれても黙ったままの日煥に慌てて、秀英が代わりに言葉を継ぐ。 「はい。さっき進藤が気付いたんです、逆転の手に。ボクとしゃべって・・・」 「ほう!それは面白そうだ。パーティーが終わった後で教えてくれるかい?」 子ども独特の、興奮のままに何もかもしゃべり尽くしそうな口調に、 楊海がやんわりと釘を差した。 今は懇親会だ。 検討ならいつでも出来るが、忙しいスポンサーや客が時間を割いてくれるのは 今だけだし、異国の棋士が一同に会する機会もそう多くはない。 くそっ! 日煥は心の中で悪態を吐いた。 自分まで抜けるわけには行かない。あのガキ3人のせいで、自分も秀英も縛られてしまった。 まあ一番大変なのは、日本選手で一人残された社だろうが・・・。 本当は、今すぐ塔矢の元に駆けて行きたかった。 行って・・・行って、どうしたいのかは分からなかったが。 オレが気付いていなかった手に、気付いた進藤・・・。 心をざわつかせる、男。 同じくそれに既に気付いていたという、塔矢。 対局が終わってから、塔矢とオレはほぼずっと一緒にいた。 検討もせずに・・・体を重ねていた。 ・・・いつ気付く暇があった? 頭の中で塔矢が部屋に入ってきてからの情景をハイスピードで再生したが、 特にひっかかる場面はなかった。 しかし最後の方に来て 『あなたの方が、進藤より良かったよ・・・。』 『そりゃどうも。』 「××、××××××××。」 『何だって?』 「××××、×××××××××××××××、×××。」 そういえば。 あの時日本語で、塔矢は何を話したんだ? 何故、通じないと分かっている日本語を使ったんだ? その時は単純に、韓国語で上手く言えないような事か、 通じては恥ずかしいような、甘ったるいセリフでも言ったのかと気にも留めなかったが。 よく考えれば塔矢アキラはそういうタイプではないし、韓国語も堪能だ。 堪能な韓国語。 『・・・検討なら、もう終わったよ。』 ・・・・・・。 『もう、終わったんだ。さっき。もう。』 ・・・・・・あ。 ・・・なる、ほど・・・。 ・・・あの時点で、もう分かっていたという訳か。 そこまで分かれば、もうその瞬間は見当がついたようなものだ。 最初、キスをしただけでカチカチと鳴っていた歯。 強張っていた身体。 終わり頃にはしなやかさを取り戻し、妖艶な表情を浮かべていた顔。 『進藤ほど無礼な日本人なんて他には知らないよ。全然違う話をしてるのに、 実は頭の中で棋譜並べなんて』 秀英はそう言っていたが。 もう一人いるぜ。それ以上に無礼な奴が。 「日煥?」 また楊海に声を掛けられ、顔を上げる。 「すみません・・・。」 「体調よくないのかい?」 「そんな事は。」 「少し声が掠れてるが。」 まだ情事の後遺症が残っているとも思えないので、自失したアキラを 浴槽の中で抱いている時、本当に風邪をひいたのかも知れない。 「塔矢アキラと一緒に来たみたいだが、風邪をひくような事でもしてたのかい?」 「・・・・・・。」 半分以上冗談で、残りは鎌かけだと思ったが、それでも背筋が凍ってすぐには 応えられなかった。 「・・・のどあめを貰っただけです。」 「ほほう。」 「甘くて旨かった。ちょっともう一つ貰ってきます。」 「待てよ。」 きびすを返して永夏の部屋に向かいかけた日煥を、楊海が引き留める。 「?」 「のどあめならオレも持ってる。」 笑いながらポケットに手を突っ込む楊海に、安太善が 「楊海さんのは禁煙飴でしょう?苦いよ、日煥。」 楊海は意に介さず、四角い飴を一つ取りだして、日煥に差し出した。 受け取るのを躊躇っていると 「皮剥いて欲しいのか?」 「いえ!・・・頂きます。」 掌で受け取って小さな漢字が沢山印刷されたセロファンを取り、 やはり一瞬迷った後口に放り込んだ。 舌の上に、じんわりと薄荷の苦みと辛みが広がっていく。 「旨いだろ?」 「・・・苦いです。」 「キミにはそれ位が丁度いいんだよ。」 そうだろうか。 もう少し大人の味覚を持っていたら、この味は癖になるかも知れない。 だが、自分にはまだ甘い飴の方が旨い。 「オレは煙草も吸わないし、苦い物が旨いと思えるほど達観してもいないんです。」 「・・・と、自分で言っちまう所が、永夏との違いだな。」 楊海が太善に向かって笑いながら話しかける。 太善も曖昧に笑い返した。 「若いってのはいいねぇ。永夏も。キミも。」 「・・・・・・。」 何故そんな話になるのか。 分からない。 分からなかったが、自分は子ども扱いされていると思った。 「若いですよ。欲しい物はどうしても欲しいし。」 言って、ガリガリと。 かみ砕く、苦い飴。 黙り込んだ一同の、間の空気が張りつめる。 もう秀英も、何も言えない。 やがて楊海がニッと笑った。 「別に、止めないよ。」 日煥は一つ頭を下げて、今度は振り返らずに会場を後にした。 −了− ※カザミンの「のどあめの甘さ」の続きです。 実は永夏+ヒカアキが書きたかったんだけどそこまで行けなかった。 |
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