ツァラトゥストラはかく語りき 2 「月くん。どこへ行くのですか?」 「家に。寒くなってきたし、着替えを取りに帰りたい」 「尾行しても良いですか?」 「いいけど。っていうか普通に一緒に来いよ」 夜神と、普通に出掛けたのはそれが初めてでした。 大学で偶然を装って会ったり、話したりした事はありましたが あれほど長時間、一緒に歩いた事はなかった。 私は車で行く事を主張したのですが、夜神は普段通りの 通勤路を歩きたいと言いました。 余命の事があるだけに、どんな思いでそんな事を望むのかと思うと とても反対できません。 二人で本部を出て、てくてくと駅の方へ歩いて。 「寒いですね」 「だろ?」 「上着買っていいですか?ついでに夜神くんの分も買って上げます。 それで行かなくていいんじゃないですか?」 「おまえが買うのはいいけど、僕は着慣れたのを着たい」 「そうですか……」 その辺の、適当に居心地が良さそうな店に入って (夜神によるとハイブランドだそうですが、よく分かりません) 目に付いたロングコートを羽織ってみました。 「どうですか?」 「そんな滅茶苦茶オシャレなの、難しいと思ったけど……意外と似合うね」 「そうですか。着心地も悪くないです。これにします」 「おまえのカード、この店で使えるの?」 「カード……」 「まさか現金じゃないだろ?」 「いいえ。お財布持ってきませんでした。というかお財布って持ってません」 「……マジか?」 「マジです。30万円ほど貸していただけませんか?」 「出るぞ」 それから夜神は、何が夜神くんの分も買ってやる、だ、と ぶつぶつ言いながら、私を引っ張って量販店に連れていってくれました。 「このパーカはどう?」 「いいですね」 「このフリースは?」 「いいですね」 「どっちだよ!」 「どちらも肌触りがいいので、どちらでもいいです」 キラ捜査の為に日本に来た時には。 まさか一般人に、しかもキラ容疑者に服を買って貰う事になるとは 思いも寄りませんでした。 「ありがとうございます。よろしければ十倍にして返します」 「いいって。金が余ってる訳じゃないけど、どうせ使うあてもないしね」 そうです。夜神が服を買うことはもうないでしょう。 あと半月か一ヶ月。 現在のワードローブの中から気に入りばかりを着続けても、 着つぶす事は絶対にありませんし、流行遅れになる事もありません。 「大事にしますね」 「……ばか」 怒ったように、でも僅かに耳を赤くして言う夜神は、 とても大量殺人犯には見えませんでした。 夜神の家に、私は入りませんでした。 母親はいたようですが、あまり一般人に顔を曝したくありません。 というか合わせる顔がありません。 大きなボストンバッグに冬物衣料を詰め込んだ夜神は、 引き留める母親を適当にかわしながら、外で待っていた私の所に 戻ってきました。 「じゃあ、帰りましょうか」 「ごめん。もう一カ所寄りたい場所がある」 「どこですか?」 「まあ、尾行して来いよ」 ここが僕が通っていた小学校、チューリップの栽培をしたんだ。 ここが僕の通っていた中学校、あ、テニスラケット持ってる、後輩だな。 そんな事を言いながら、夜神は歩いていきました。 本当に楽しそうに、軽く、でものんびりした足取りで。 張りつめていない夜神を見たのも初めてです。 バカみたいに弛緩した、ごく普通の若者のようでした。 そして、斜面に建っている中学校の裏山に入っていって。 「偶に一人で本を読みたい時に、来てたんだよ」 迷わずに一本の木の下にボストンバックを置き、小振りなシャベルを 取り出しました。 「何をするんですか?」 つい最近、何かを埋められたような形跡がある場所。 そこを、夜神は無言でザクザクと掘ります。 「埋め方が雑だな」 そんな事を言いながら掘り出したのは、ガムテープで巻かれた…… お菓子の缶でしょうか。 嫌な予感が、しました。 「……なんですかそれは」 「女の子との、交換日記だよ」 缶の中から出てきたのは、黒い表紙のノート。 「貸して下さい」 「嫌だよ。プライヴァシーの侵害だ」 「……私、いま滅茶苦茶ピンチですよね」 「どうして?」 「死神との取引で得られるという、本名が見える目。 その代償が大きいから火口もギリギリまで取引しなかったのでしょうが、 今のあなたなら、デメリットがデメリットでなくなっている可能性があります」 夜神は、微笑しながら私の話を聞きます。 何も答えない事で続きを促していました。 「あなたが今目の取引をして、そのノートに私の名前を書いたら」 「……これは僕の想像に過ぎないんだけどね」 彼は静かに前置きをして、語り始めました。 「キラは、とても退屈していたんだと思う」 「退屈、ですか」 「勿論、世界を良くしたいというのも本心だろうけれど、 本当は到達点は何でも良かったんじゃないかな」 「彼にとっては全てがゲーム、という事ですか?」 「そう。それで、Lという最高の遊び相手を見つけた」 「……ふざけないで下さい」 「竜崎」 「ふざけないで下さい!」 何が、ゲームだ。何が遊び相手だ。 おまえの退屈しのぎの為に、多くの人命を弄んだと言うのか。 本当に神でも気取っているつもりかと思うと怒りに震えましたが…… どこか冷めてもいました。 私の怒りは、義憤なんかじゃない。 それが自分でも分かっていたのかも知れません。 「……僕がキラなら、残り三ヶ月という所になっておまえを殺すような 勿体ないことはしない、って言いたかったんだ」 「私に敗北感を味わわせる方法が、もう一つありますよね」 「僕はキリスト教徒じゃないけど、それでも自殺なんか絶対にしない」 「信じていますが、そのノートは預からせて下さい」 意外にも彼は、あっさりと手渡してくれました。 「レムに使い方を聞くと良い」 「……」 手が、震えました。 怒りにではありません。 屈辱に、です。 彼は、私の嫉妬を見破っていた。 私が彼に怒りを感じる理由は醜い嫉妬でもありました。 デスノートなんてそんな面白いおもちゃを手に入れ、 常識にも道徳にも縛られず、奔放に遊べた彼への。 「……生憎私は退屈していませんので、デスノートは使いません」 「そう?おまえは、僕を『Lを継げる者』と言ってくれた。 逆におまえも、『キラを継げる者』だと思ったんだけどな」 「ご期待に添えなくて」 とは言え、夜神も本当に私がキラになると思った訳ではないでしょう。 私がデスノートを使うとしたら、最低限です。 ノートの検証と、そして……。 私は夜神との対話を誰にも、ワタリにも捜査員にも言いませんでした。 預かったノートもそのままです。 「どうして言わないんだ?」 「あなたが否定すれば水掛け論になるでしょう。 あのノートだって、試さなければただの交換日記です」 「その内、あのノートの死神が見えると思うよ」 「……何故、そんなに私を試すような真似をするんですか? 焦ってるんですか?」 ノートを掘り起こしてから、二ヶ月以上が経っていました。 あれ以来キラの裁きはぴたりと止まり、私たちは表面上焦りながら 懸命に弥以外のキラを探しています。 夜神は治療を受けず、多少の背中の痛み、発熱はあるようでしたが、 一見普段通りでした。 「あれが私の迫真の演技だったら、あなたの病気が嘘だとしたら あなたは完全に身の破滅ですからね」 「そうだな。怖いよ。……でも僕は、おまえを信じてる」 「ふざけないで下さい」 その夜、突然私を部屋に呼び出したのは、 何か予感があったのかも知れません。 そう言えば、少し顔色が悪かった。 「今日は、本音で聞きたいことがあって来て貰った。 ……ちょっと座って良いか?」 「どうぞ」 ベッドに腰掛けたのに他意はなく、本当に長時間立っているのが 辛かったようでした。 「おまえは、僕が死ぬまでにキラとして捕まえると言っていたのに、 何故逮捕しない?」 「証拠が掴めないからです」 「……」 「あなたははっきりと自白してくれないし、汚いノートを預けてくるし」 「ははっ」 「本音で、というのなら、あなたに貰った大ヒントで捕まえるなんてごめんだ、 という所でしょうか」 夜神は、含み笑いを浮かべながら、小さく咳をしました。 「僕も本音を言っていいか?」 「勿論」 「『計画通り』」 「……」 「おまえがそう考え、僕を逮捕しないだろうと、分かっていたよ」 「何故ですか?」 「僕がおまえの立場なら、そうだからさ。 僕にはおまえが取るであろう行動が、全て読める」 自信満々に、浮かべる笑顔は一緒にヨツバを捜査した「夜神月」ではなく、 やはり「キラ」なのだと思わせる物でした。 「……そうですか。ならばあなたの勝ちですね」 「ああ。もうタイムリミットだ。おまえは僕が斃れるまでに逮捕出来ない」 「降参です」 両手を挙げて見せると、夜神はまた、本当に満足そうに笑いました。 「最高の気分だよ。世界一の頭脳と言われるLを、出し抜けるなんて」 「ならばそろそろ種明かしをして下さいよ」 「確かに、13日のルールを考え、死神に書き加えさせたのは僕だ。 ああ、ノートを処分したらノートに触れた者全てが死ぬ、というのも」 「なるほど。それで合点がいきました」 「それから、死神が憑くのはノートではなく、所有者なんだ」 「所有者、というのは単純に持っている者、ではないのですね?」 「そう。おまえが持っているノートの所有者は、実はミサ」 「それで死神が見えなかったんですね」 「そしてレムが憑いているのは捜査本部にあるノートではなく僕だ。 だから、僕はあまり長いこと本部から離れる訳には行かなかったんだよ」 半日かそこらなら、死神が姿を消すこともあります。 建物の中の無人の空間にいるのだろうと誰も気にしないので、 夜神と私が出掛けた時いなくても、不自然ではなかったのでしょう。 でも、私がノートを持ってどこかに隠れた場合、死神は動けないから 死神が、本当は捜査本部の誰かに…… ほぼ間違いなく夜神月に憑いている事が、分かってしまう。 それから夜神は、私が問うままに、デスノートの性質、 今回の事件の概要などを話してくれました。
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