天気予報は晴れ 3 「近いですね、私の心情としては。 私の男に手を出すな、という感じでした」 飄々とした声に、目を開ける。 幻影の山の中の雨音が遠ざかり、現実の雨音に入れ替わった。 僕は前髪の水滴を払う振りをして、小さく頭を振る。 「それは、僕に対して?」 「夜神くんに対して」 「……」 そうだ。 以前Lと、「蛇性の淫」や、「道成寺」の話をした事があった。 先程のイメージは、その時思い浮かべた映像が復元されたのだろう。 安珍になって、清姫から逃げるイメージ……。 Lは決して姫と言った柄ではないが、蛇の化身なら納得出来る。 逃げ続けた僕は道成寺に辿り着き、鐘の中に隠れる。 そう、「夜神月」という鐘は、キラにとって最高の隠れ場所……。 「ただyesと答えれば良い質問に対して、『夜神くんに対して』と言い直したのは 今現在の僕が『夜神くん』ではない、キラだと本気で思っている、という宣言?」 「はい」 ……鐘の中に逃れた安珍は、蛇に戻った清姫に鐘ごと巻かれて 焼き殺されてしまうが。 僕は思わず、左手の中でとぐろを巻く手錠に目を遣った。 Lが、親指で下唇を捲る。 「何を考えているんです?」 「え?」 「急に手錠を見たりして」 Lは手錠で「夜神月」ごとキラを拘束したつもりだろうが。 僕は、焼かれる前に鎖を外した……。 僕の、勝ちだ。 「この手錠、蛇に似てるな、と思って」 「ほう。いつもみたいに『僕はキラじゃない』って言わないんですか?」 「もう、良いよ。おまえに言っても無駄だし」 「詰まらないです……」 「詰まるとか詰まらないとかいう問題じゃないだろ」 「まあ良いですけど。 そう言えば以前も、私を蛇に例えた事がありましたね。 確かに私、執念深いです」 意図的にだろう、ちろりと赤い舌先を見せたLは、 雨の中、本当に蛇に化身しそうに見えた。 ぺったりと、濡れた髪で覆われて見えない耳。 その、瞬きをしない円い蛇の目……。 「はははっ」 「どうしました?」 「いや、おまえが蛇って似合いすぎるな、と思って。 キラも、世界一の探偵にそんなに思われて本望なんじゃないか?」 「……」 「と、思った」 「本望ですか?」 「『キラじゃないから分からない』。……どうだ、満足か?」 「……」 Lは目を気味悪く見開いたまま、僕を凝っと睨んだ。 「……」 「……」 会話が途切れると、雨が強くなる気がする。 もはや我慢比べだ。 僕は冷たさに震えそうになるのを、気力で押さえつける。 長袖Tシャツ一枚のLが平然とした顔を保てているのが不思議だった。 顔色は悪いが……いつもの事か。 そろそろ本当に、何とか「中に入りましょう」と言わせる手段はないか、 と考え始めていると。 Lがまた、声を低めて話し始めた。 「……私は、誰かを羨んだ事がありませんでした」 「今度は一体、何の話だ?」 「映画スターもどんな美男も、羨ましく思った事はありません。 私には他人の評価は全く必要ありませんでしたので。 勿論、ミリオネアを羨んだ事もありません」 「……」 身の上話でもするつもりか? 何が狙いなんだろう……。 「頭脳に関しても少しでも劣等感を覚えたことはありません。 探偵という、至高の趣味兼職業を得て、私幸せでした」 「そんな。今でもおまえは探偵だろう?」 「まあ、そうなんですが」 Lは下唇を弄っていた自らの親指を、がじ、と囓った。 「言いたいのは、私より恵まれた環境に生まれついた人間は 数多ありますが、妬心を抱いた事などない、という事です」 「……」 というか、羨むほど誰かと関わった事がないのだろう、と思う。 ……他人の事は言えないが。 その時、Lが突然顔を近づけてきた。 「でもキラだけは。私より……いや、世界中の大半の人間よりも 恵まれた生まれと社会性を持ち、且つ私に肉迫する頭脳の持ち主です」 「……キラの背景なんか分からないじゃ、」 「加えて、遠隔殺人が出来るという、得がたい玩具も持っている。 正直、生まれて初めて羨ましい、と思いました」 「……!」 だから、キラがどんな環境に生まれたかなんて、分からないだろう? と、押し続けるべきだとは思ったが。 ……僕は、確認したい誘惑に勝てなかった。 「へえ……キラに負けたと、認めるんだ?」 「頭脳では負けているとは思いませんが、人生の充実度合いを トータルすると、私より上でしょう」 「……」 「キラは私の、理想、でした」 思いがけないLの吐露に驚く。 まるで……初めて男の子に告白された女子中学生のように 耳に血が上る気がした。 「理想?」 「はい。 偶々残酷な玩具を手に入れ、その使い方を間違えた、という以外は」 「……」 「私、もっとキラの事を知りたかったです。 キラになる前のキラの中に、身を浸してみたかったです」 「……竜崎」 「でもキラがキラでなければ、私が彼を知る事もなかった訳ですし、」 「竜崎。さっきからどうしたんだ?」 「何がですか?」 「何故さっきから、過去形で話す?」 「……」 そう、最初からLはずっと、過去形で話していた。 まるで、キラ事件が、もう終わった物であるかのように。 Lはじっと僕を見つめた後、水に濡れた犬のようにぶるん、と頭を振った。 何となく、さっきの僕と同じように、何か別の事を考えていたのを 誤魔化す為なのではないか、と思った。 「もうすぐ終わりです。夜神くん」 「……」 「あなたとの遊びは、楽しかったです」 「……」 沈黙に、雨の音が一層強くなった気がする。 ビル風のせいか、突然地上のクラクションやエンジンの音が、 妙に近くに響いてきた。 「今、殺人ノートに書かれたルールの一部を完全に突き崩す策を 準備中です」 「……」 「それが実現すれば、この事件は一気に解決します」 「……」 今の感覚を言葉にするならば、「冷水を浴びたような」と言った所だろうが。 本当に冷水を浴びているのだから、笑える。 知らず、片方の口の端が吊り上がってしまった。 ……おまえが、十三日のルールを、破るというのか。 どうせ死刑囚に死刑囚の名前を書かせるとか、そんな事だろう。 でも。 遅いよ、L。 その前に、おまえは。 風が強くなり、ざん……ざざんっ、とうねるように無数の雨粒の矢が Lと僕に突き刺さる。 遠くで、ごう、と低い音がして、空が軋んだ。 雷が近づいていた。
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