W or L 2 マフィアもギャングもヤクザも恐るるに足りない。 何だかんだ言っても最終的には金でカタがつけられるからだ。 だが社会的な地位のある輩は……少し面倒だ。 「今日初登場のこの車椅子は、同じ大学の社会学の教授である 可能性があります。 そして彼は……私の環境犯罪学の先生でもあります」 「おまえ、大学に行ってたのか?」 「ません。個人的に来て貰っていました」 「大学教授に?」 「はい。当時は今ほどネット環境も整っていなかったので 学びたい学問の資料を探すのも一苦労だったんですよ。 その書籍集めも兼ねてお願いしていました」 「……まあ、いいけど。じゃあ、師弟対決という訳だ」 「それがそうでもなくて」 幾人もの「講師」に世話になったが、彼らそれぞれとの関わりは深くない。 誰かに何かを教わっていたのは、自分を教育する、独学で何かを習得する、 コツを得るまでの短い間だったからだ。 彼らにとっても、記憶の中の私はほんの子どもだろう。 だがその子どもが「L」であると気付いている可能性が一番高いのが、 件の教授だった。 「私も忘れていたんですよ。魅上の割れ窓理論的な裁きを見て 十年以上ぶりに彼の顔を思い出しました。一種の奇才ではありますけどね」 「ならモリアーティ教授か」 「悪いですけど、私にとってのモリアーティはあなたです」 「酷いな」 「どちらかと言うと光栄に思って欲しいものですが。 とにかく件の教授は、正義感の強い人だったんですよ」 夜神並の犯罪者が、そこら中にいられては困る。 まあ彼も、デスノートさえなければ私に比肩出来なかっただろうが。 「……正義感は、当てにならないぞ」 「あなたが言うと含蓄がありますね」 「……」 「でも彼は、環境犯罪学ですから。犯罪心理学ならともかく、 犯罪には興味ないと思います。防犯に非常に造詣が深い人なんです」 「つまり?」 「……学部長の仲間になった振りをして、内偵している可能性がある」 「まずいな」 「全くです」 当時、教授は既に車椅子だったが何の病気かは知らない。 教授自身が興味がなさそうだったので、聞きもしなかった。 逆に教授は、私にとても興味を持っていた。 『君は犯罪者になるのかね?それとも探偵か?』 ある質問をした時、無言で腕を組んで車椅子の背に凭れ、 細めた鋭い目でじっと私を見た後、掠れた声でそんな質問を返してきた。 私は多分、何も答えなかったと思う。 それからすぐに教授は来なくなり、ワイミーから一度だけ喉頭癌だと聞いた。 声が出ないというのは、喉頭全摘出したという事だから、 発見が遅れたのだろう。 ……私に関わっていたせいでないと良いのだが。 「教授が本当に一味だとしたら、主犯は学部長ではなく彼です。 そういう人です」 「手強い人なのか?」 「そうですね。聡明で、頑固で、気難しくて屈強な精神を持っていて…… そして孤独で病弱な老人です」 「まるで将来のおまえだな」 「絶対に人の下に付かないという意味では似ているかも知れません」 「なら、やはり首謀者か」 「いえ、教授の年齢と病気と性格から考えると、死ぬ前に社会の役に立とうと シンジケートを潰す計画をしている可能性の方が断然高いでしょう」 あの人の前では、何という名前を使っていたのだったか……。 エイドリアン?アーサー? 記憶しておくべき事はいくらでも覚えていられるが、一度自分で頭の中の ゴミ箱に放り込んでしまった事柄は、再び取り出すのが難しい。 『ようこそ、お越し下さいました』 『よろしく頼むよ君』 『さっそくですが、お話に入らせていただいてよろしいでしょうか』 取引場所では人が増え、恐らくアタッシェケースの鍵の音がしている。 それから微かに、カタ……カタ、という音。 「何だ?」 「恐らくサイレントキーボードじゃないですかね」 「スペースキーだけ調子が悪くてカタカタ言ってるのか」 「教授もスペースキーを強く叩いて壊す癖がありました。75%の確率で、教授です」 「ますます踏み込めなくなってきたね」 本来の計画なら、学部長が来てさえいれば現行犯逮捕で良かった。 彼を引っぱり出す為にこの一ヶ月間根回しをしてきたのだし、 そのための人員も701に待機させてある。 だが教授がいるとなると、ややこしくなる。 現場にいたのが悪いのだから、ヤードで言い訳でも何でもすればいいが 年も年だしそのせいで体調を崩されたりしては後味が悪い。 その時、あらかた取引が終わったマフィアの内の一人が 何か言いだした。 『え、口に出して読むのですか?これを?』 『いや……盗聴も無理だと思いますけど。この場所を決めたのは、 一昨日この部屋を取ってからですから』 『はあ……まあ、いいですけど』 『ええと、“聞こえているなら、来なさい、アーロン”、これでいいですか?』 「アーロン?誰だ?」 「……」 「L?」 「私です」 「え?」 「思い出しました、私、教授に教わっている時はアーロンという名前でした」 「どういう事だ?盗聴に気付いてる?というかおまえが関わっている事に気付いてる?」 「これは最悪の想像ですが。こういう警察が手を出しにくい犯罪を追う非公人は 『L』か『ドヌーヴ』と決まっていますから、彼は『アーロン』が『L』になっていると 気付いているのかも知れません」 「どうする?『アーロンです』と名乗り出てみるか?」 夜神は何故か面白そうに言った。 また昨日のように偶然を装って入室するのは不可能ではないが、 相当以上に危険だし、アーロンと名乗る事に到っては自殺行為だ。 かと言って、教授だけに私だと伝えるのも難しいだろう。 容貌も声も、当時とは変わっている。 教授が、伝わったとしても名乗り出られない事を承知で わざわざ私に呼びかけた理由……。 私は急いでロジャーに連絡して、701の面々に即機器を取り外して 痕跡を消して撤収するように、と伝えた。 「彼らはこの後徹底的に部屋を調べます。 少なくとも盗聴器は見つかるでしょうね」 「声も映像も確保してあるんだろう?」 「701が上手く逃げてくれればですが」 『え、今からですか?』 『早速ですね』 『しかしやはり不味いのでは……』 『今更何を』 教授の発言が聞けないのが、もどかしい。 その後は示し合わせたように一様に無言で、 三分ほどドアの開け閉めが続いた後全員で部屋から出ていく。 それが聞こえるという事は、盗聴器が回収出来ていないが? 一分経って、ホテルの正面玄関から車椅子に乗った老紳士が出てきた。 クラシカルなソフト帽を目深に被っているが間違いなく教授だ。 若い男が一人付き添っている。 他の面子が出てこないところを見ると、裏口から出たのか、 ……それとも701に突入したのか。 「ワタリ!機器はもう良いので、701に至急部屋から出るように伝えろ!」 それから更に三十秒。 轟音と地響きがして、マイクのノイズも途切れた。 隣で夜神が息を呑む。 通りに面した地面から、沢山の悲鳴と衝突音が聞こえた。
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