鍵穴趣味 2 僕はドアに背を凭せかけ、座り込んだ。 中の気配から気を逸らそうとするが、頭のすぐ上に 鎖が余裕を持って通る程の穴が開いているのだから難しい。 頑丈なドアを挟んでいるとは言え、中の会話も気配も筒抜けだ。 しかもベッドが近い。 鎖の長さに限りがあるので自由度を上げる為に近づけたのだと思いたいが 僕にはっきり聞かせるためではないかと勘ぐりたくもなる。 『ちょっとぉ、竜崎さん!どういうこと?』 『私が少しミサさんとお話したくて、こうしました』 『話なら昼間でもいいじゃない!時間を考えてよ!』 『すみません。私、時間の感覚が人と違うみたいで』 『……いいけど。さっさとすませてよ。ミサ眠いんだから』 ミサの声音には全く警戒心が感じられない。 彼女の中で、竜崎は男の内には入らないのだろうし、 この非常識な時間の訪問も、生態の違う珍獣だと思えば腹も立たないのだろう。 だが。 『私がミサさんとする話と言えば、月くんの事しかありません』 『ライトの事?ライトがどうかしたの?』 『ちょっと座りませんか?』 ギシ、とベッドのスプリングが鳴る。 竜崎が……ミサのベッドに座ったらしい。 以前なら、竜崎が女の子のベッドに座っている、という図は 似合わな過ぎて笑える、あるいは微笑ましく感じられただろうが あいつの正体を知ってしまった今となっては、どこか淫靡に響く。 『月くんは、ああ見えていつもあなたの事を考えているようです』 『ホント!?』 ミサが、飛び乗るようにベッドに、恐らく竜崎のすぐ側に座った気配がした。 『ご存じのように、私たちは夜も一緒に過ごしますが、寝るまでの間、 よく話すのがあなたの事です』 嘘吐け! と言いたいが、手は出していないようだし邪魔をするなと言われているので 踏み込めない。 『どんな事?ライトは、ミサの事をなんて?』 『とても心配だと。第二のキラなんかでなければ良いと』 『やーん!ライトってば!ミサは本当にキラじゃないから大丈夫!』 僕がキラだという仮定から、ミサも疑われた。 だから彼女には何となく、申し訳ない気持ちもある。 こんな風に喜ばれると……後ろめたい。 『ただ……あなた方が監禁されていた時、裁きがあった事から 他にもキラがいる可能性が高いんです。 もしかしたらそのキラが主犯かと最近思い始めました』 『そうだよ!ライトは関係ないよ!やっと分かった?竜崎さん』 『そうですね。ただ……依然あなたが第二のキラである可能性は高い。 今どこかにいる本当のキラを、あなたが助けていた可能性です』 『ミサが、ミサがライト以外の人を助けるわけないじゃん!』 『月くんもそう信じたいようです』 ミサが息を呑んだ気配がする。 竜崎と僕はそんな話は全くしていない。 『……ってことは、ライトはミサの事信じてないんだ?』 『信じたい、と何度も言っていました』 『……』 ミサ、そこは、何故自分が第二のキラである可能性が高いのか 問いつめるべきだろう! どうして根拠も聞かずに信じるんだ。 以降、竜崎も何も言わないがミサも無言の、沈黙の時間が続いた。 やがて。 『……やっ、ちょっと、』 『あ、すみません。日本では、泣いている女性を慰めるのに キスをするのは一般的ではないですか?』 『ないない!あーそっかー、忘れてたけど竜崎さん、 外国の人だったんだね』 キス……だと? そんなに簡単に許していいのか、と思うが、ミサにとっては 生態の違う珍獣以下略なんだろう。 だが、恋人でもないのに泣いている女性にいきなりキスするなんて、 そんな事が一般的な国なんてあるはずないじゃないか! どの国でも余程のプレイボーイでなければそんな事しない。 しかしそれで本当に、少し元気を取り戻したようではあった。 『ミサは、本当に、キラじゃないんだけど』 『あなたがそう思っている事は、信じます。月くんもそうです』 『ミサは……』 『大丈夫です。月くんは、あなたがキラである可能性を持っていても あなたを大切に思っているんですよ』 『そうかな……』 『だから、あなたを気にするんです』 竜崎が、自分の持つ胡散臭さを最大限に利用している。 肯定的な事を言えば言うほど、相手は否定的な、不安な気持ちになる、 そんな部分だ。 『でも月は、ミサの事を好きだって言ってくれたことない』 『……』 『ミサと話すより、竜崎さんと話す方が楽しそうだよ……』 『……ミサさん』 衣擦れの音がした。 そして、少しスプリングの軋む音。 『りゅ、』 『私のことは、大きなクマのぬいぐるみか何かと思って下さい。 あなたは小さな女の子です。 とても悲しく孤独な気持ちですが、部屋には他に誰もいません』 『……』 『だから、思い切り泣いても大丈夫です』 竜崎の言葉が終わるか終わらないかの内に、くぐもった嗚咽が聞こえた。 ミサが……恐らく、竜崎の胸に抱きついて泣いているのだろう。 竜崎は、自分の言葉で女性を泣かせても全く気にしないタイプだと思っていたが わざと泣かせるとは思わなかった。 しかもあんな言葉で。 突然頭蓋の中で「ギッ」と音がして、自分が歯を食いしばっていた事に気付く。 しばらくミサの泣き声が聞こえた後、落ち着いたのか静かになって、 寝てしまったのかと思った頃。 『ん……やぁだ、』 『……』 『どして、こんな事、』 『ミサさんに、笑っていて欲しいからです』 『だからって、あ、や、あははははっ』 鈴を転がすような、ミサの高い笑い声と、あえぎ声のようなものが 聞こえる。 『あっ、あっ、あん、あは、あはは、や、いややわ、』 竜崎の……あの舌遣いを思い出す。 翻弄されて、漏れてしまった自分の声も。 『あ……あかんって、やめ、あ、あ、』 そう言えば、ミサは関西の出だったな。 僕の前では完全に共通語しか話さないから、忘れていたけれど。 彼女に、東京コンプレックスがあるのかどうかは分からないが 京女を前面に出すつもりは全くないのだろう。 頑ななまでに地方色を出さなかったミサ。 その彼女から、方言が出るという事は……余程、我を失っているのだろう。 その気持ちが、よく分かる。 分かってしまう自分が、嫌だ。 『可愛いです。それは出身地の言葉ですか?』 『え?ミサ、なんか、言うた?あ、あははっ言ってるね』 『教えて下さい』 『やだ。ダサいんだもん』 『教えてくれなければ、こうです』 『ああっ、やん、お願いやから、やめて、』 『“お願いやから”“やめて”』 『こんなん、いやや、』 『“こんなん いやや”』 僕は……何をしているのだろう。 竜崎とミサは、意外にもまるで、普通の恋人同士がふざけ合っているかのように。 強引でも険悪でもなく、ナチュラルに事を進めていく。 僕はと言えば、まるで他人の情事を盗み聞く出歯亀。 のぞき趣味の変態だ。 『りゅ、ざき、さ、、やん、』 なぜなら、僕は……勃起しているから。 思わず膝を抱えて、体を丸める。 『あ……や、だ……』 ミサ。 『……ふふっ』 竜崎。 『ん……』 僕は。 ……ジャッ ジャーッ、 思い切り引いた鎖が、ドアに開いた穴を通って思いがけず 大きな音を立てる。 自分で驚いてしまったが、中の音もぴたりと止まった。 『……ああ。私が出てこないので月くんが妬いています』 『あ、そっか、外にライト、』 『大丈夫です。話は聞こえてないと思います。 あなたと私だけの秘密です』 『……うん』 『元気を出して下さい』 『ありがと』 『おやすみなさい。ミサさん』 『うん、おやすみなさい』 ベッドから降りる気配がしたので、ドアの前からどく。 扉が開き、内側に向かって会釈をしながら出てきた竜崎は、 ドアを閉じてそのまままっすぐ前を向き、一秒静止した後 僕の方を見もせずにそのまま寝室に向かって歩き出した。 まるで僕などいないかのように。 だが僕は、見てしまった。 その口の端が、堪えきれないように小さく吊り上がっているのを。
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