黄 1 少年は、「夜神月」の生まれ変わりである事を認めた。 その上で、やや強引に抱いてしまったが。 「させてくれたお礼に」と差し出したニアのPCのIPアドレスを、 夜神は叩き落とすように奪い取り、私を家から追い出した。 今から即PCに向かうのだろう。 そんな形で、私と元夜神であった少年との縁は切れてしまった。 筈だったのだが。 翌週大学から自宅に戻ると、玄関から入れ替わりに 上機嫌な夜神が出て来た。 「……」 「ああ、お帰りなさいお兄さん。僕はもう帰る所です」 「はぁ……そうですか」 そんな他人行儀な挨拶をして、目だけで何故か勝ち誇ったように笑いながら 無言で件のメモを掌に押しつけて返して来る。 「彼女が来週渡英だからね、名残を惜しんでたんだ」 「そうですか。これは?」 「さあ?」 とぼけて肩を竦めて見せた後、いかにも今思いついたという風に、 「あ、そうだ。彼女、イギリスではワイミーズハウスっていう 私設の孤児院でお世話になるんだってね?Nさんって言う人の」 「……」 しまった……。 ニアの居所が分かったのでIPアドレスなど不要、という事か。 妹に口止めをしておくべきだったかも知れない。 「ええ、そうです」 「しかも、おまえの紹介だって言うじゃないか」 「……あの子はあなたに何でも喋ってしまうんですね」 「彼氏だからね。普通だろ?」 そう言ってニヤリと笑い、私の肩にぽん、と手を置く。 身長が、かなり追いついてきた事にその時気付いた。 「最初は、妹をニアの元にスパイとして送るつもりかと思ったけど……。 どうやら彼女自身が、ワイミーズハウスに何か因縁があるようだな?」 「……」 これも、妹自身がメロの記憶を話す筈がない。 妹のちょっとした言い回しや表情から察してしまったのか。 ハッタリかも知れないので反応はしないが……相変わらず油断のならない男だ。 「空港へはお兄さんが送ってるんだってね。 今回は僕も見送っていいだろ?お・に・い・さん」 私に頼らずにニアを見つけた事が余程嬉しいのか、 またニヤニヤと笑いながら私の顔を覗き込む。 「はぁ。良いですけど私、車の運転荒いですよ」 「大丈夫。祖父によく乗せて貰うから慣れてる」 夜神は小さくウインクをして、軽い足取りで帰って行った。 翌週、妹と夜神は中学校を卒業し、春休みに入った。 英国に向かう妹を空港に送るために車に荷物を積んでいると、 本当に夜神も現れ、当たり前のように乗り込む。 私、Lと夜神とメロが三人で長時間過ごすのは初めてでどうなる事かと思ったが 取り敢えず、後部座席で二人が当たり障りのない会話をしてくれて助かった。 私は聞き役に徹すれば良い。 だが。 「あ、お兄さん、ここ左に入った方が良いよ」 突然夜神が私の運転に口を出してきた。 「良いんですよ」 「良くない。もう少し行ったら右折レーンが溢れて右車線が止まる」 「それはラッシュ時の話でこの時間はそれほどでもありません。 右の方が効率的です」 「ならその手前の交差点で一旦左折して、」 煩い……。 どちらでも良い話なので従っても良いのだが。 相手が夜神でなければ。 「お兄さん、もうちょっとスピード出ないの」 「制限速度ですよ」 「へぇ……法律遵守って訳なんだ?やっぱり」 「……」 全く、妹の前で冷や汗が出るような事を言う。 『やっぱり、探偵だから?』などと言われたらどう取り繕っても メロにはバレてしまうではないか。 「この辺り、よく警察が張ってるんで」 「でも時速60qで走り続けていたら、当分信号に掛からないよ」 「どうでしょう?それですとちょっと左から出てくる車などがあれば狂います。 どうせなら62qを続ける方が確実です」 「甘いな。日大の所の信号が丸一分あるから、それだと絶対に止まってしまう」 「待って下さい、津田沼から千葉に入るまでの信号がそれぞれ60秒サイクルで スプリットは75%、藤崎を除くそれぞれの信号の時差は4秒、 勿論黄色では停止する、とすると」 「藤崎の長い所は5秒くらいか?あの信号だけ50秒サイクルじゃなかったっけ? として計算すると、」 「いや、今の時間ですとバスが……そうですね、○○新聞の前の停留所辺りに いる筈ですから……」 お互い、相手より早くいかに効率的に信号を避けられるコースと時速を 提示出来るか、つい没頭してしまって暗算していると、 「超どうでもいいんで!」 いきなり妹が怒鳴った。 「もう高速乗って貰えるかな」 「え……でも……」 「そんな細かい事で張り合うなよ、イラッとするなあ」 そう言われると夜神も私も返す言葉がなく。 一番手近なインターチェンジに向かってハンドルを切ると、 妹が腹立たしげにポケットから出して囓ったチョコレートが甘く香った。
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