獅子の翼 12
獅子の翼 12








翌日午後もう一度ボートに乗った時、岸やヴァポレットの人々を観察して分かった。
カーニヴァルだ。

頭に色とりどりの羽や花を飾り、スカートの膨らんだ中世風のドレスを来た女性達。
古典絵画の中でしかみない、マントと貴族の衣装を身に着けた男性達。
妖しいピエロ、何かの動物。

普通の観光客に混じって当たり前のように現実離れした存在が歩いている。
異様なのはそれだけではない。
その殆どが白い、あるいは金色の、あるいはカラフルに装飾された、無表情な仮面を被っているのだ。

大規模な仮面舞踏会だ。


「ここのカーニヴァルって、こんな感じなんだ。
 有名なリオのカーニヴァルと全く雰囲気が違うな」


好き勝手に仮装やコスプレをしているんじゃない。
それぞれとても金と手間が掛かっていそうで、統一感があって、そして不気味だ。


「キラの終焉に相応しいでしょう?」


キラ……僕の、終焉。
僕が逃げると言ったから、殺す、のか?

黙った僕に気付かなげに、船は静かに館のトンネルの中に吸い込まれていく。
今度は最初から陽気な方の老人が出て来て、キヨコ夫人の居る二階を通り越して三階に連れて行かれた。


「……ここは?」

「衣装部屋です。
 連絡を貰って、奥様も自由に使って良いと嬉しそうに仰ってたよ」


狭めとは言え、二十畳ほどの一室がそのままクローゼットになっている。
ハンガーバーには、きらびやかな衣装が山ほど掛かっていた。
老人が出て行った後、Lが当たり前のように衣装を物色しながら呟く


「キヨコさんも元気な頃は毎年違う衣装で参加していたようです」

「へえ。じゃあ、男物の方はおまえのおじいさんの?」

「とも限らないようですが」


確かに、よく見れば色々なサイズの物があった。
Lの母親やその兄弟が幼かった頃、一緒に暮らしていた頃。
二年前に死んだという、Lの従兄弟。
それぞれ一度か二度だけ袖を通した、一族の思い出の詰まった場所なのかも知れない。


「私はこれにします」


Lは上下黒の、丁度肖像画のルキーノ、Lの祖父が来ていたような長衣と帽子を選んだ。
そして、仮面の並んだ棚から、鳥の頭を象った白い面を無造作に取り出す。


「僕は……」

「これにして下さい」


選ぶ前にLがハンガーごと渡されたのは。
金色のベロアの生地全体に金色のビーズで細密な刺繍を施した……女王が着るようなドレスだった。


「女物?」

「サイズは合いそうですよ」


促されてシャツを脱ぎ、着てみると……確かにぴったりだ。
そして想像以上に重い……!
これを着て歩くのは骨だな。

エリザベスカラーというのだろうか、沢山のひだの付いた襟。
その上、首元にまた重いネックレスが縫い付けてある。

羽付き帽子とセットになった金髪の鬘を被って姿見の前に立つと、自分とは思えなかった。

手袋を着けて帽子と揃いの羽の付いた扇を持ち、目元を金で縁取りした仮面を手に取る。

そのまま二階のキヨコさんの部屋に行くと、さすがに目を丸くしていた。


「……」

「こちらの衣装を、借ります。いいですか?」

「……ルキーノ」

「違いますが、まあ、衣装は似てますね」


Lは、ニヤリと笑いながら祖父の肖像画の前に立つ。
いつも猫背なのに一瞬背筋を伸ばすと、確かによく似ていた。


「最初に見た時から思ってましたが、ベアトリーチェという人は月くんに似てますね?」


歩き出したLに着いて部屋の壁の肖像画を見ていくと、一人の女性画の前で止まる。
かなり古そうだ、Lの先祖なのだろう。

美人だが、少し顎を上げてこちらを見下すようなきつい目をした若い女だ。
そして、今僕が着ているような、ごてごてと刺繍された金色のドレスを着ている。


「似てる?衣装のせいじゃないか?」


だがその時、


「似てるさ」


部屋の隅のベッドから、老女の声がした。


「最初におまえを見た時から思っていた。
 一族の中でも悪名高い美女、ベアトリーチェにおまえはそっくりだ」

「そう、ですか?」

「中身は違いそうだし、違う事を願うがね」



館から出る時Lに聞いたが、ベアトリーチェは十八世紀、次々と夫を毒殺した女性らしい。
証拠が出ずに捕まりもせず生涯を全うしたという毒婦だ。


「僕がその人に似ている事って……おまえの僕に対する評価と何か関係ある?」

「奥歯に物の挟まったような口ぶりですね。
 私があの肖像画を初めて見たのは二週間前ですから、全く関係ありませんよ」


そう言って、Lは白いカラスのような面を着けた。
船は館を出ると、僕達の屋敷ではなくサンマルコ広場の方に向かう。
フェリーターミナルを越えた所にある、沢山ボートやゴンドラが係留してある桟橋に船を割り込ませた。

人が多いので僕も仮面を着ける。
Lは僕がボートから下りるのを手助けすると、黒いマントを翻して広場に向かった。


そこはカーニヴァルの中心地なのか、一層仮装をした人が多い。
Lと似たような格好も多いので、油断をしたら見失ってしまいそうだ。

……いや、逆にこれはチャンス、なのか?

Lにとっても、僕は見失い易い筈。

そんな事を思ったのがバレたのか、黒い鳥は振り向いて僕に手を差し出した。
僕も仕方なく、扇を広げて仮面の顔を隠しながら、片手をその手に乗せる。

広場はざわついているのにどこか静かだった。
中世の衣装が多く、まるでタイムスリップしたようだ。

……ああ、そうか。
皆が無表情の仮面を被り、喋っても口が動かないから、静かな感じがするのか。

何だろう、この異次元。
カメラを持ってはしゃいでいるダウンジャケットの観光客の方が、非現実的で、
迫り来る夕闇のせいもあって……まるで亡霊のようだ。

どこかでチェンバロの音がしている。
揃いの衣装を着た二人の貴婦人が、手を取り合ってゆったりとしたステップで踊っている。

笑顔を貼り付かせたままの、ピエロ。

三日月型の仮面を被った、謎の男。


「これが、有名な“ヴェネツィアの獅子”と、サンテオドーロの像です」


唐突に、前を歩いていた鳥からくぐもった日本語が聞こえた。


「え?」

「中世、ヴェネツィアに来るには船しかなかったので。
 このサンマルコ広場がヴェネツィアの玄関で、二体の像が守護神だったそうです」

「へぇ……」


指差す方向には大きな柱が二本あるだけに見えたが、見上げるとその上に確かに像が乗っている。
見えづらいが、翼のあるライオンと、竜を踏みつけた若者だった。

中世から変わらぬ町。
中世の人々。

何だか……目眩がしそうだ。

だって僕は、四日前まで日本の受験生だったんだ。
キラでもあったけれど。


「世界をキラが支配したら、こんな風だったかも知れません」

「……仮面?」

「そう。誰も本名も、素顔も曝せない世界です」


そんな世界、意味がない。
というか、悪い事をしなければ、そしてキラを追わなければ、そんな必要ない。


「では、一体どうやって人を判断し、愛せば良いんでしょうね?」


無表情の貴婦人と、無表情の王から、笑い声が聞こえる。
その白い顔は、全て同じに見える。

また、目眩。

僕ともあろうものが、何となく心細くなって来た時。

手が、離れた。

ただでさえ薄暗がりで、分かり難いのに。


「竜崎?」


ああ、黒ずくめも何人もいる。

どれだ?
と思った時、銀色の髪を頭の上で巨大に結い上げて、胸の大きく開いたドレスの黒いハーフマスクの女が目に入った。
この格好は、どちらかと言えばルイ十六世時代のフランス貴族じゃないか?

何気なくそんな事を思ったが。
その女が絡みついているのが、白い鳥の仮面を被った黒ずくめだった。


「竜崎!」


よく見れば、男の方もコルセットで絞った女の腰に手を回している。
一瞬人違いか?と思ったが。


「月くん」


最早聞き慣れた声がして、胸を撫で下ろした。
だが次の瞬間


「歩いても一人で帰れますよね?」

「え……」

「鍵を渡しておきます。
 それとも、お腹が空いていたらキヨコさんの屋敷に行きますか?」


そんな事を言いながら、フランスの貴婦人の腰を益々強く抱き寄せる。


「知り合い?その人」

「いいえ」


鳥はこちらに顔を向けず、外国語で貴婦人に何か囁いた。
それから日本語で。


「ヴェネツィアは昔から、高級娼婦の町でもあります」


という事はその女は。

……そうだな。
誰にも顔を曝せない探偵Lが、女を買うとしたらこんな機会だろう。
行きずりの。
一晩だけのアヴァンチュール。

僕が、断ったから?

女は、こちらに顔を向けて僅かに見えた口元で笑う。
ああそうか、金色のドレスを着た僕は、振られた女に見えているのか。


「竜崎」


僕はこのまま姿を消すべきだ。
屋敷に戻って、パスポートと現金を持って。

そう、思うのに。


そう、思っている筈なのに。


……僕の足は僕の意志を裏切って、Lの元に駆け寄った。
女とLの間に身体を割り込ませ、その肩に額を寄せる。

Lと商談が纏まりかけていたであろう女は、小さく笑った後「チャオ」とだけ言って去って行った。


「月くん」


すぐ隣で、黒い手袋が白く曲がった長い嘴を上にずらす。
それから、僕の仮面を両手で挟んでそっと外した。

思わず扇で顔を覆うと。


周囲がどっと騒がしくなる。
辺りが真昼のように明るくなる。

あらゆる仮面が、僕達を通り越して一方向を向いている。


カナルグランデのどこかから、花火が上がっていた。


光にやや遅れて、身体に響く爆音。
湧き上がる歓声。


だが僕は、その花火を見る事が出来なかった。
視界はただ、黒く、白い、鳥の顔の影で覆われていた。






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