獅子の翼 6 「月くん。終わりました?」 「あ、いや……」 慌ててキラ事件のページを閉じ、最近の事件を検索する。 日本では、3月に巨大地震が起こっていた。 一瞬目を疑ったが、紛れもない事実らしい。 父さんは、母さんと粧裕は、大丈夫だろうか。 ……もしかしてこれが、僕達がイタリアに来た理由か……? しかし、何故イタリア? ついでにヴェネツィアの地図も見た。 中々小さい島なんだな。 真ん中をカナルグランデという大きな川が蛇行していて……。 ……。 これは、しまったな。 まあ、僕が記憶を失っている事は竜崎にバレているんだからもういいか。 僕はPCを閉じた。 「ありがとう。もういいよ」 「何かありました?」 「いや。でもやっぱり、地震の後の事が気になって」 「そうですね。もう帰る事も出来ませんしね」 ……? 帰る事が出来ない? 日本へ? 一体、何故。 朝食には少し遅い時間に、竜崎が食べ物を持って来てくれた。 「どうぞ。私の祖母のお手製です。 と言いたい所ですが、祖母の使用人のお手製です」 祖母……。 という事は、この町は竜崎の郷里なのか。 日本人に見えるし日本語が達者だが、そう言われてみると外国の血が混じっているようにも見える。 「何これ」 皿に乗った、素パスタというか、ソースの絡んでいないパスタを見る。 竜崎は少し困ったように頭を掻いた。 「よく分からないんですが、病人にはオリーブオイルと塩だけの柔らかめのパスタが一番だと言われました」 「日本で言うお粥みたいな物?」 「らしいです。こちらでは」 熱があるのだから油っぽいのは今はちょっと、と思ったが、一口食べてみると意外と食べやすい。 あまりにも謎めいた男だったが、「祖母」という存在が介入してきて少し緊張が解けた。 そうだ。こいつだって突然僕の目の前に出現した訳じゃない。 家族がいて、友人がいて、育てて貰った環境がある筈だ。 よし。 と頭を切り換えて、さっき見たキラ事件の概要を再考する。 竜崎が登場しているとすれば……「探偵L」の関係者か、第二のキラ、大手商社の役員。 事故死したとの事だが、本当は死んでいない可能性がある。 東大を卒業した後、僕は警視庁に入っただろうから、そこの同僚かも知れない。 いや、こんな警官はない、か。 探偵、L。 デスノートを使い始めてたった数日の僕を、追い詰めた人間。 ……が、里帰りに僕を連れてくるのもおかしいよな……。 さっき軽く調べた限りでは、探偵Lは「世界の切り札」と言われる程の存在らしい。 国籍も素性も顔も名前も全てが謎で、仲介者を通さないとアメリカ大統領でも接触できない。 そんな男が、キラだと疑っている人間に顔を曝して、郷里にまで連れてくる事はないだろう。 丸一日熱に浮かされた頭で、竜崎の事を考え続けた。 頭ではさほど警戒が必要な人物だとは思わないのだが、本能のような部分が彼を怖れる。 単純に、肉体を支配されたからかも知れないが。 答えは出ないが、取り敢えずは探偵Lであると仮定して用心すべきだ。 という結論に達して、僕はやっと熟睡した。 翌日には熱は下がっていた。 伸びをして、シャワーを浴びに行く。 同じベッドで寝ていた竜崎も、のろのろと起き上がっていた。 「元気になったけどどうする?今日はデートする?」 「いえ……今日は、祖母と約束があるので」 「そう。じゃあ勝手に散歩してるよ」 「あなたも一緒に来るんですよ?」 そんな……イタリア語もあまり分からないのに。 と思ったが、竜崎を「L」と仮定する、という決意を思い出す。 こいつのルーツや本名の手掛かりがあるかも知れない。 「パートナーを紹介すると言ったら、喜んでいましたから」 「パートナーって……。 おまえのおばあさんってどんな人?」 「クソババア。ですね」 「……」 僕が笑った物かどうした物か迷っていると、竜崎は無表情のまま肩を竦めた。 「あなたも知っての通り、私はこれ一本で一人で生きてきました」 暗い目で、自分のこめかみ辺りをとんとん、と人差し指で突く。 頭脳で生きてきた、か。 ますます探偵Lらしいな。 あるいはそう思わせようとしているのか。 「ぶっちゃけ、自分の親族やルーツにも興味ありません。 会ってみたいと思った事もありませんでした」 親にも会った事がなかったのだろうか……。 どういう育ちなんだ? 初めて、少し話が長くなりそうなので髪を拭きながらベッドに腰を落ち着ける。 「それが、今年になって祖母が突然金に飽かせて私を、というか、 私が捨てられた孤児院を探し出しましてね」 「そんな事が出来るのか?」 「現在の私から私の素性を探ろうとしても不可能ですが。 親を先に知っていて、そちらから辿られるとそれは見つかりますよ」 へえ。何だか大袈裟だな。 とにかく、その「祖母」はこのヴェネツィアでかなりの有力者らしく、その放蕩娘がLの親らしい。 祖母は娘の勝手な結婚に怒り、放遂したのだが。 「二年前、唯一の孫……私の従兄弟に当たる人物ですね。 彼が病死して、遺産の行き場がなくなったそうです」 「ふうん。シンデレラボーイだな」 「はい?」 「金に飽かせたという事は、相当な資産家なんだろう?」 「本人はそう思っていますが、私の足下にも及びません」 祖母とやらは実は没落しているのか、それともこの男が桁外れの金持ちなのか。 後者だとしたら、ますます探偵Lに近くなってくる。 「なので、放棄しようと思っています。 カナルグランデに面した館の中でも古さと派手さでは5本の指に入りますから、寄付すれば自治体が喜ぶでしょう」 「でも、おばあさんががっかりするんじゃない?」 「恩を着せられるよりマシです。 私は、誰かに見下ろされるのが我慢なりません」 大人しそうな顔をして、驚く程傲慢な事を言う。 絶対普通じゃない。 頭がおかしいのでなければ、探偵L……。 「世界の切り札」「影の支配者」などと言われていれば、この位にはなるかも知れない。 「嫌いなの?おばあさん」 「二回しか会った事ありませんが、あんなに見下された事はありませんね。 人を奴隷か何かのように……」 そう言って、竜崎は顔を顰めて親指の爪を噛んだ。 「だから今日こそは言ってやります。 あなたの遺産は放棄する、私はあなたよりずっと金持ちだと。 ついでに私のパートナーは男なので、あなたの血は私で絶える、と」 「……その為の、僕?」 竜崎は慌てて顔の前で手を振る。 「ち、違います!あなたを好きになったのが先です。 祖母に生涯を共にする人を紹介したいという純粋な気持ちもあります」 しょ、生涯?! そんな大袈裟な仲なのか?僕達は。 だとしたら、竜崎は探偵Lではない、か。 いや。油断してはいけない。 また何か魂胆があって記憶の無い僕を騙しているのだろう。 「そう。何だかおばあさんちょっと気の毒だな」 「あなたも会えば分かりますよ」 それから、少し目を見開いて口の端だけで笑う奇妙な表情をした。 「意外ですね」 「何が」 「あなたが驚かない事が、ですよ。 この私が、これだけプライヴェートを人に曝したのは初めてですよ?」 「……」 誰にも、素性も私生活も知られないように生きてきた……。 そんな事が、本当に可能だろうか。 可能なのだとしたら、こいつはやはり。 「勿論驚いてるよ。 でも、おまえが、この僕にそこまで教えてくれる事は嬉しい」 『この僕』とは『キラである僕』を含ませたつもりだが、竜崎はそれに関してはいかなるリアクションもしなかった。 「で、おばあさんには何て呼びかけてるの?おばあちゃん?」 「まさか。キヨコさんです」 日本人! ここに至って、日本人、か。 いつイタリアに移り住んだのか、二世か三世か分からないが。 言葉が通じるなら、色々と手掛かりになる話を聞けるかも知れないな。
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