獅子の翼 5 突然動きを止めて、痙攣するように震えた竜崎に。 ああ、中に出されたんだな、と何の感情もなく思った。 僕が女じゃなくて良かった。 男でも、病気など危ないかも知れないが、もうそんな事はどうでもいい。 それよりこいつは、気付いただろうか? ……僕が気付いた事に。 いくら何でも、回数を重ねていてあんなに痛いという事は有り得ないだろう。 毎度こんなに苦しいのなら、僕なら二度と受け容れる筈がない。 僕達がセックスしたのは…… というより、僕が男と寝たのは。 間違いなく、さっきが初めてだ。 こんな形でこんなに口惜しい初体験をしてしまった事には腸が煮えくりかえるが。 取り敢えず今は、状況を上書きしよう。 竜崎は、僕が記憶を失っている事に気付いていた……。 いつからだ? それはまだ分からないが。 そして、僕がそれを隠しているのを良い事に、元々肉体関係があるような振りをして僕を好きなようにした。 ただのゲイなのだろうか? 一緒に暮らしている事は間違いなさそうだが、これまでは勿論性的関係はなかった筈。 もしかしたら僕の方が、相手の下心につけ込んで利用していたのかも知れないが。 だとしても、こいつはかなりの策士だ。 状況を読み尽くして僕の内心を推察して、自分に都合の良い状況に持ち込んだ。 ……デスノートの事を知られていてもいなくても、僕にとってこんなに危険な奴はいない。 それとも、こいつが味方である可能性はあるだろうか? 少なくとも僕を抱きたい、と考えるほどには僕の事を……。 いや、ないな。 さっきの行為の中でも、キスの一つもなかった。 僕を見下ろした、あの冷たい目。 男を抱ければ何でもいい、そんなタイプのゲイなのだろう。 こいつはいつでも僕を切り捨てる。 もしかしたら、その為の切り札も持っている。 絶対に殺さなければならない相手だ。 となると、本名であるかどうかはともかく、竜崎のパスポートは探したい。 もうしばらくは油断させておかなければならないだろう。 僕が記憶を無くした事を竜崎が気付いている事に、気付かない振りをしなければ。 そういえば、改名した場合デスノートは効力を発揮するのだろうか? 確か、獄中結婚して名字が変わった女殺人鬼は、殺す事が出来たが。 「どうでしたか?月くん」 ずるっ、と肉塊が抜けていった後、ティッシュで後始末をしていた竜崎が脳天気に話し掛けて来る。 僕は、ティッシュを取りながら仰向いて、無理矢理笑ったが苦笑にしかならなかった。 「やっぱり、痛いな。指だけの方が良い」 「それでは私は気持ちよくないですからねぇ」 ニヤニヤ笑いながら言う。 「ああ、そう。まあおまえが満足したなら良かった」 シャワーを浴びようとベッドの下に足を付くと……腰が立たなかった。 崩れる僕の肘を、竜崎が支える。 「一緒に行きましょう」 屈辱だが、竜崎の手を借りてシャワーを浴び、浴槽に浸かる。 少し目眩がした。 今日はあまりにも色々な事がありすぎて、疲れた……。 「月くん。大丈夫ですか?」 「ああ……」 「そうですか。なら、明日はちょっとデートしませんか?」 「……デート?」 うーん……。 やはり、竜崎と僕とが「そういう仲」だという前提で話してくる、か。 「どこへ?」 「どこでも。まだ空いている内に、サンマルコ広場かアカデミア美術館か。 少し足を伸ばしてヴェローナまで行ってもいい」 「ああ、いいよ」 ヴェローナ……聞いた事があるな。 ロミオとジュリエットの舞台、か? ヴェネツィアの近くだったのか。 散漫な思考、湯船に沈んでしまいそうになる。 全てを諦めて何も考えずに観光を楽しみたくなる気持ちを抑えていると、僕は意識を失った。 変な夢を見た、夢を見た。 ヨーロッパの城で追われる夢を見ていて、はっと目覚めたら塾の講師に怒られて……。 何故あんな非日常的な夢を見ていたのだろう、と思いながらうっすら瞼を開けると、目の前に男が寝ていた。 思わずがばっと起き上がる。 天井の高い広い部屋、縦長の窓に掛かったカーテンの向こう側は黎明のようだ。 広いベッド、隣には。 黒い髪、顔色の悪い……目の下に隈の出来た、痩せた男。 ……竜崎。 そうだ。 夢じゃない、僕は。 デスノート。 で、こいつを殺さなければ。 僕が起きた気配のせいか、男はぱちりと目を開けた。 大きな黒い瞳でぎょろりと僕を見た後、ゆっくりと機械仕掛けのような動作で起き上がる。 そして、無言で僕の顔に手を伸ばした。 「っ!」 何かされるのかと反射的に強く目を閉じてしまったが、男は冷たい手で僕の額に触れただけだった。 「熱があります」 「そう、かな?」 そういえばやけに寒気がする。 夢のせいかと思っていたが、全身に汗をかいているのは熱のせいかも知れない。 「今日も出かけるのは無理そうですね。 食事を届けさせますから、ゆっくり休んで下さい」 竜崎は落胆した様子でもなく言い、ベッドから下りる。 今気付いたが、彼も僕も全裸だった。 昨日は僕も冷静なようでいて混乱していた。 全てが後手後手に回ってしまって、良い状況とは言えない。 取り敢えずこいつと距離を置いて、体勢を立て直したい。 「竜崎。PC使って良いか?」 どうせ無理だろうと思って熱に浮かされた振りで言ってみただけだが、意外な事に竜崎は頷いた。 「良いですが……無理はしないで下さいね?」 そう言って、ラップトップをベッドの上まで運んでくれる。 それから僕をじっと観察しているようだったが、幸いにも画面は見えない角度だ。 僕はそっとタッチパッドに指を乗せる。 最初は、無難なニュースから。 それから、あまり時間がないかも知れないのでキラ事件の概要を調べた。 【2003年11月末日より、世界中の凶悪犯が心臓麻痺で死ぬようになる。】 僕がデスノートを拾ったのが、11月28日。 その日の内に音原田九郎と渋井丸拓男を殺し……。 デスノートが本物だと確信した後、丸一日考えて、世界の為に使うと決めた。 キラ事件は僕が起こしたと見て間違いないだろう。 それから、凶悪犯の名前を書きまくって、12月3日に死神リュークと出会う。 リュークは、『デスノートが、人間 月と死神 リュークを繋ぐ絆だ』と言っていた。 また、いらないなら他に回せ、その場合は記憶を消すとも。 僕は記憶を失いはしたが、デスノートの事もリュークの事も覚えているから、デスノートを放棄した訳ではない。 【2003年12月5日、日本の関東で生放送中に、探偵Lの身代わり、リンド=L=テイラーが死亡】 探偵L……? 一体何者だ? リンド=L=テイラーとやらが、生放送中に死んだ……僕が殺したのか? それでは、僕が日本の関東に住んでいる事が、分かってしまうじゃないか。 僕がそんな馬鹿な事をするだろうか? いや。 逆に、この僕を巧妙に引っかけた奴がいる、という事だ。 そんなに短期間に。 L、か。 僕の今の名前の「L」も、竜崎の「エル」も、そこから取った可能性があるな。 【2004年4月18日、第二のキラのビデオが、日本の放送局から放映。 キラに批判的なコメンテーター二名と警察官一名死亡】 第二のキラ!だと? やはりそんな奴がいたのか。 確かにコメンテーターごときを殺すのは、僕のやり方ではない。 世論を味方につけなければならないのに、そんな馬鹿なマネはしない。 こいつか……? こっそりと、モニタ越しに目を遣る。 竜崎は僕を監視する事に飽きたのか、ぼんやりと棒付きキャンディを舐めていた。 続きを読んだが、キラと第二のキラの区別はなく、しばらく殺された犯罪者の報道が続いたようだ。 【2004年10月28日、大手総合商社の役員が、キラとして逮捕される直前に事故死】 ……こいつが第二のキラ、か。 確か容疑者が死亡しても書類送検は出来た筈だが、その記述がない所を見ると、そこまでの証拠はなかったのか。 それから数年は、大した報道はない。 何度か長期間キラの裁きが切れた事もあったらしいが、2010年の1月辺りから、もう長い間死んでいないようだ。 今は何年だ? 2011年……。 最後のキラの裁きから、一年以上が経っている……。 何か、僕の人生観か世界観を変える出来事が起こって、僕はデスノートを手放した……。 いや、手放しはしたが、記憶が残っているというのは。 何が起こったんだ……?
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