獅子の翼 1 「この一週間で四キロ痩せたよ」 『そんな事したら性格悪いのおまえだけになるぞ……』 「何を言ってるんだ?リューク。 僕は日本一と言っていいくらい真面目な優等生だよ」 「そして僕は」 ……新世界の神になる……! ……? 目を開けると見慣れない天井だった。 光が、ゆらゆらと揺れている。 旅行……? なんかに出た覚えはない! 慌てて飛び起きたがそこは全く見慣れない部屋で、見慣れない大きなベッドに寝ていた。 「えっと……」 何だ?夢? デスノートを拾っ……たのが、夢、だったのか? いやそれはない。 あんなに現実的な夢があるもんか。 子供の頃からの記憶も連続している。 ならばこの状況は……誘拐、か? 昨夜もデスノートで犯罪者を裁き、普通に自室で寝た筈だが……。 とにかく周囲を調べて見よう。 トイレにも行きたい。 掛布を捲り、フローリングの床に足を付ける。 特に拘束はされてはいない。 しかし立ち上がった時、何とも言えない違和感に苛まれた。 その正体を追求するのは後回しにして、正面に見えていた窓に近付く。 「……!」 そこには、信じがたい風景が広がっていた。 すぐ目の前に、川がある。 だが、どう見ても日本の川ではない。 一般的には「道路」であるべき場所が、水で満たされているような印象だ。 川の対岸にひしめくように建てられた建物も異様に壮麗で、どう見ても日本の物ではなく また、テーマパークのように最近建てられた様子でもなかった。 極めつけは、外国人が満載の舟が、ゆっくりと下っていく事……。 ここは……僕の夢の中、か? 有り得ない。 こんなリアルな夢。 しかも、自分の知らない事は夢には出て来ないはずだ。 冷静になるんだ。 これは現実だ。 ならば、現実的な解釈、筋道がある筈だ。 自分の認識にある、日本で高校に通っている夜神月。 そして、現実。 どちらも事実なのは間違いない。 とすれば。 先程考えた誘拐の線が一番ありそうか。 部屋の中を振り向くと、僕が寝ていたのはキングサイズの随分大きな立派なベッドだった。 背もたれには彫刻があり、細密な動物が描かれている。 癖のある趣味だ、恐らくホテルではないのではないか。 ベッドの左右にはそれぞれ重厚なドアがある。 右は片開き、左は両開きだ。 取り敢えず片開きの方に行き、ドアに耳を当てる。 向こう側には、何の気配もない。 そうっと、凝った鋳物のノブを回す。 向こう側に誰か居れば気配は伝わっている筈だが、相変わらず何の変化もない。 映画の中の銃撃戦のように思い切ってドアを開け、素早く壁に隠れたが、中は静まりかえっていた。 そう、そこは「向こう側」というよりは誰も居ない「小部屋の中」だった。 薄暗いタイル張りのバスルームで、奥に湯船とシャワー。 手前には何故かトイレが二つ並んでいる。 安心して足を踏み入れ、内一つで用を足したが、水を流すレバーが、あるべき所にない。 センサー式か?と思ったが、僕の手は勝手にタンクの上を押していた。 そこに見えづらい切れ目があり、どうやらそれが流水ボタンだったらしい。 水が流れ、呆然とする。 ……僕はどうやら、このトイレを使い慣れているらしい。 記憶喪失。 人格移動。 嫌な言葉が、思い浮かぶ。 手を洗う為に洗面台で水を出し、恐る恐る鏡を見る。 そこにあったのは、知らない顔ではなくて安心したが……。 自分の顔かと言われると俄に頷き難い。 見覚えのない、尖った顎。 鋭い目。 だがきっと、僕なんだろう。 似すぎている。 それに、ベッドから立ち上がった時の違和感。 見下ろした、爪先までの距離。 本当に、ほんの数pだろうが……背が、高くなっている。 「整形」ではなく「成長」と考えるべきだ。 そう思って客観的に見ると、鏡の中の男は十七歳というよりも 二十代、学生ではなく社会で揉まれたであろう風貌に思えた。 少なくとも六、七年は、記憶が途切れている……。 普通なら驚きはしても何とかなるだろうと冷静に考え、取り敢えず警察か、ここが海外なら大使館に駆け込むが。 僕は、デスノートを使っていた……。 その事が僕自身に、この数年でどんな影響を与えたのか。 自分がヘマをしたとは思えないが。 死神などという不条理な物が存在したのだから、他にも超常的な何かが現れて僕が殺人を犯した事を白日の元に曝した可能性もある。 あるいは、デスノートの存在が明らかになって争奪戦になったとか……。 「そうだ、リューク」 大きな声を出す事も出来ないので辺りを見回したが、死神は居なかった。 クソッ!色々確かめたいのに、肝心な時にいないのか。 それにしても、予想出来ない不確定要素が多すぎる。 六、七年前と言えば、自分の中ではまだ僕は小学生だ。 それだけの時間が経っているんだ。 個人的な人間関係は勿論、社会全体が大きく変わっている可能性だってある。 部屋に戻り、今度は窓から見て左側の、両開きのドアに近付いた。 右がバスルームだったのだから、こちらが出入り口に違いないのだが。 ……足音? ぺたりぺたりと、何かが歩いて来る音がする……。 少なくともリュークではないな。 靴を履いていない? だが、全く何も警戒していない、足音を殺そうとしている気配はない。 僕は慌てて隠れようとしたが、それも得策でないと思い直し 足音を殺して窓の前に立った。 鬼が出るか蛇が出るか。 僕を誘拐した人間か否か。 日本語が通じるのか通じないのか。 僕がデスノートを使ったと知っているのか知らないのか。 僕が夜神月だと、知っているのか、知らないのか。 僕に好意を持っている人間か、それとも逆か。 情報を引き出せる人間か、そうではないか。 頭を持っている人間か、それとも、空っぽか。 あらゆる分岐が頭の中で一気にスパークする。 オッケー、大丈夫だ。 全てのパターンを予測した。 動じずに、可能な限り情報を、相手の事、自分の状況、社会状況、を引き出すことが出来る。 僕なら。 ガチャ。 やや重いノブの音がして、扉が開いた気配がする。 目の前の窓から、ドアの方へ空気が抜けていく。 僕は死ぬほど振り返りたかったが、耐えてリラックスしている風体で窓の外の川を眺めている振りをした。 「……目が覚めましたか」 背後から聞こえてきたのは日本語……。 なら日本語で返して問題ない筈だ。 少し安堵する。 低い、しかし若い男の声……。 年下ではなさそうだが、丁寧な言葉遣い……。 使用人? いやそれなら、「お目覚めですか」等、もう少し敬意の入った表現がある。 発音からして日本語は達者そうだから、僕の目下の者ではなく、単に丁寧な言葉遣いが癖か、それなりに距離のある関係なのだろう。 だとしたら、冷静である程度の社会性を身に付けている人物……。 いずれにせよ、この男に危害を加えられる事は無さそうだ。 「月くん?」 本名を知られているのか。 しかも、僕を下の名前で呼ぶ男……。 ある程度親しい仲、か? 僕も丁寧語で返すかどうか迷ったが、親しい人間にことさら丁寧な言葉を使うのはこちらから壁を作っているようで好ましくない。 と、僕は考えるだろうから、恐らくため口で良いだろう。 「ああ、」 何気ない振りで言いながら振り向くと、 こちらに銃口を向けた猫背の男が立っていた。
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