トゥーランドット「お聞き下さい、王子様」2 それから、空港に連れて行かれて……そうか、ここはイギリスだったのか。 という事はLはイギリスに縁のある人物なのか……などと考えていると パスポートとチケットを渡された。 「ファーストクラスは目立つので使えない。申し訳ない」 「いえ、十分ですよ」 このまま僕が、逃げるとは考えないのだろうか……? いやまあ、逃げないが。 RFIDチップを埋め込まれているという事もあるが、それ以上に あてどなく世間を彷徨い逃亡しつづけるよりは、Lの傍で犯罪捜査を手伝う方が ずっとスリリングで楽しいから。 Lの事だ、そこまで読んで僕を呼びつけるのだろう。 女装して来いという条件を受け入れた時点で、僕が逃げる可能性はないと 判断したに違いない。 パスポートは明らかに偽造だったので(何せ「朝日月」名義だ)心臓に悪かったが 何のトラブルもなく、十時四十分、ほぼ定刻通り飛行機は離陸した。 空港でもそうだが、飛行機の中も人だらけだった。 当たり前だ、以前なら何も思わなかった。 しかし、もう長い間Lとしか会っておらず、そのLとすら数日会っていない僕には 少々刺激が強い。 人の声が、妙に気になる。 後ろの席の親子連れの会話に耳をそばだててしまう。 体臭が気になる。 今横を通った男は、朝食に何を食べたのだろう。 人の密集に。 近すぎる距離に。 頭が、くらくらする。 それでも、人間に会えるのは、嬉しい。 「Excuse me.」 隣の……恐らく昨晩ステーキを食べた男が、馴れ馴れしく話し掛けてきた。 アメリカ人らしい。 まあ、人と話すリハビリテーションになるし、米語の勉強も出来る、か。 愛想良く話し掛けて来るのに、こちらも愛想良く答え 英語の発音が苦手なのだという話をすると、ちょっとしたレッスンになった。 みっちりヒアリングをさせられて、「もうネイティブ並だ」と太鼓判を貰った時には 数時間が経過していた。 「素晴らしい。短時間でここまでマスター出来るなんて、あなたは語学の天才です」 「先生の教え方がお上手だからですよ」 「月サンはサンフランシスコでは、どちらへ?」 「友人の招きですので……空港に迎えに来てくれるのではないかと」 「確約はしていないんですか?」 「大丈夫です、何とかなりますよ」 男は、僕の手の甲を撫でながら、困ったら頼って来るようにと 何度も言って、メールアドレスを渡して来た。 「私、こう見えてミッションスクールに顔が利くんです。 女子寮がありますから、あなた一人くらい何日でも滞在させられますよ」 「ありがとうございます」 ……これって。やはり誘われている、んだろうな。 真面目そうで知的で、確かに様子も悪くない男で。 正直話していて楽しかった。 僕が本当に女性で、Lの紐が付いていなければ良い関係になれただろう。 というか、僕は謀略の為とは言え、竜崎と……Lと、寝る事が出来た。 潜在的にゲイなのではないかと、自分を分析した事もある。 また、Lとの経験から自分が女だと思わせたまま事を終わらせる自信もある。 久しぶりの人肌。 少し時間を取って、Lの言う「浮気」をしてみても良いかも知れない。 ……と、思考の上っ面で考えてはみたが、本心は全くそんな気になれなかった。 この男と絡んでいる自分を想像すると、やはり気持ち悪い。 この調子だと、Lとも出来ないかも知れない。 怒らせたらやっかいだな。 「朝日月」モードで「生理中」だとでも言うか。 少し仮眠を取り、腕時計を見ると二十三時だった。 ほぼ丸一日機内か……疲れる筈だ。 アナウンスで、もうすぐサンフランシスコ国際空港に到着予定である事、 現地時間は十三時である事が告げられる。 時刻を直していると、隣のアメリカ人が興味深そうに僕の腕時計を見た。 「その時計、ボーイフレンドからのプレゼント?」 「いえ?父からですが」 「ああ……ごめんなさい。もしかしてお父さん……」 ああそうか。 男物の時計だから、男が自分の物をくれたか、父親の形見か何かだと思ったのか。 これは、東大の入学祝いに父がくれた物だ。 入学式の日に初めて身に付け、そのままLに拉致されて……。 その時身に付けていたスーツはLによって処分されたが、これだけはどうしてもと 残す事を許して貰った、「夜神月」としての唯一の思い出の品だ。 ……そして裏蓋の中には、デスノートの小さな切れ端が入っている。 父に時計を貰い、この先滅多な事ではこの時計を身から離すまいと思った時 すぐにこの細工を思いついた。 どんな状況下で使う事になるかは、自分でも予想していなかったが。 書く名前は、Lの本名なのではないか、と思っていた。 『本日のサンフランシスコは快晴。一年中季候の良いサンフランシスコでも 一番素晴らしいとされている季節です』 CAのアナウンスの後、飛行機は眩しい(体感時間では真夜中なので余計明るく見える) 滑走路に滑り込んだ。
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