浜辺の恋を照らす月 2 シャワーを浴びて、服をどうしようかと思ったが、きちんとプレスされた スーツとワイシャツが既に置いてあった。 このホテルのランドリーには魔法でも掛かっているのか。 ……あるいはLが、財力に物を言わせて何とかしてくれたのか。 さすがに靴はどうにもならなかったようで、同サイズの新しい革靴が置いてある。 ズボンとシャツを身に着け、ネクタイはどうしようか一瞬迷ったが、 結局いつもよりきつく締めた。 スーツは戦闘服だ。 爛れた夜を過ごした後だからこそ、微塵も緩んだ雰囲気を見せたくない。 対するLは、いつも通り、ゆるゆるの格好だった。 いつも通りスニーカーを引っかけて、スパに向かう。 着いていくとプールサイドに。 ……昨夜押し倒された時落としたデスノート。 「待っ、」 思わずプールサイドを走ると、Lも隣を走っていた。 靴はいつの間にか脱ぎ捨てている。 「!」 僕たちは猛ダッシュしてビーチフラッグよろしくノートに滑り込んだが、 結局一瞬早く手に取られてしまった。 万事休すか……と一瞬血の気が引いたが、 「返せよ」 可能な限り平静に言って手を差し出すと、案外素直に返してくれた。 「……返してくれるんなら、何で走って取るんだよ……」 「あなたが走ったからです」 「……」 負けず嫌いは知っていたけれど。 ここまで来ると、バカなんじゃないか?と思う。 ……まあ僕も一瞬目的を忘れて、Lに勝つ為だけに走っていたけれど。 「それ、デスノートですか?」 「ああ」 「持ってきてたんですか」 「ああ。おまえが本名の名札を付けていないとも限らないからね」 言って、我ながら下らなくて思わず笑ってしまう。 笑いながら、一つ気づいた。 「今デスノートに触れたよな?」 「?ご覧の通りですが」 「これに触った者には、死神が見える。驚くなよ?」 「はぁ」 Lは、何かの喩えかと訝しんでいるのだろう。 微かに首を捻り、踵を返した。 二人揃って階下の部屋に行くと、目隠しをして座らされた魅上を中心に マット、ニア、頭にガーゼを巻いたメロが揃っていた。 魅上の背後には、リュークが羽を広げてふわふわと浮かんでいる。 隣でLが、軽く息を呑んだ。 「……皆さん。昨夜はお疲れ様でした」 それでもすぐに立て直して穏やかに言うのだから大した精神力だ。 皆、めでたくもなさそうな曖昧な顔をして頷く。 特にメロは、火を噴きそうな目で僕を睨んでいた。 目が合うと、中指を立てる。 「おい、夜神月」 「何だ」 「それは何だ?まさかそれが、殺人ノートじゃないだろうな?」 「その通りだ」 「何がその通りだ、だ!さっさとLに渡せ!」 「断る」 そう言って落ち着いて部屋の奥まで行き、椅子を持ってくる。 Lはちゃっかり、ライティングデスク前の椅子に陣取っていた。 「よく考えろ。このノートを持つのに相応しい人物は誰かを」 「Lに決まってるだろう!」 「Lは駄目だ。魅上の名前も僕の名前も知っている。 同じ理由でおまえもニアもマットも不適当」 「はぁ?何言って、」 「魅上も、不適当だろう。おまえ達全員の名を知っているからな」 言うと、メロは一瞬口を噤んだ。 これが、誰が正義だとか、誰が一番力を持っているか、と言った話でない事を 理解したのだろう。 さすが切り替えが早い。 「……おまえだってニアの名前もミカミの名前も知ってるだろう!」 「魅上の名前は書かない。必要がないから」 「……はい。そんな事をせずとも、月様が一言死ねと言って下されば 喜んで死にます」 「……」 「とにかく、僕が名前を書けるのはニア一人だ。 しかしもしニアの名を書いたら、おまえたちが必ず復讐するだろう? つまり、僕が名を書ける人間は一人もいない」 「L。こいつ何とかしてくれ」 メロが鼻柱に皺を寄せて、Lに向かって吐き捨てる。 まあもっともだ。 身柄も命も完全にLに掌握された状況で、こんな詭弁が通るとは 自分でも思えない。 だがLは。 「そうですね……しかしいずれにせよ、夜神はもう我々に対して ノートを使わないと思います」 「「L!!」」 ニアとメロが声を合わせ、その後お互い嫌そうに顔を見合わせた。 「まあ、全員の本名を知る機会があれば分かりませんが」 「それもそうだ。だから、魅上は今後Lと一緒に行動してくれ」 「月様?!」 「はぁ?何言って、」 L以外の全員が、顔に水を掛けられたような顔をしているのに 思わず笑いそうになりなる。 「月様、しかし、」 「おまえと僕が二人で話せば、僕はLやメロの名前を知ったと見なされる。 そうなればデスノートを取り上げられて、抹殺されるだろう」 「……」 「デスノートを手にしたままおまえも僕も生き残るには、それしかない。 不満か?」 「……いえ。分かりました。月様がそう仰るなら」 ああ。おまえなら、僕の真意に気づいてくれると思ったよ。 とにかくL達と和解した振りをして、チャンスを待とう。 気づいているのかいないのか、Lは「助かります」と言って立ち上がり、 魅上の目隠しを外した。 「ところで確認ですが、死神の目を持っているのはあなたなんですよね?」 「ああ。ニアの本名を見た事からも分かるだろう」 メロは「ふ〜ん」と言ってニアをごついた。 「どうせ、ルイとかニコルとかそんな名前なんだろ?」 魅上はニアの頭上に視線を当て、さすがのニアも少し居心地が悪そうに 身体を丸める。 「いや……Nはつくがニコルじゃない。 名字も名前も英語圏ではありふれている。おまえとは逆で」 不意に魅上に顔を向けられ、今度はメロが上半身を反らせた。 「おまえこそ、イギリス人じゃないな?英名風じゃない…… それにその名字、何て読むんだ?」 「オレはイギリス人だ!」 メロがいきり立ち、魅上がついその名を口にしてしまうのではないかと はらはらしたが、Lがしゃがんだまま長い手を伸ばし、二人を抑えた。 「まあまあ。あなたが本当に名前が見えているのは分かりました」 「おまえにとっても便利だろう?魅上を絶対に殺すなよ」 「それは、あなた次第ですが」 「それと……メロ、ニア、マット。このノートに少し触れろ」 両手でしっかり持って差し出すと、三人共訝しげな顔をしながらも 軽くノートに触れた。 「ぅわ!なんだ?」 「……死……神?」 「二人とも一体何……ひっ!」 三人三様、だが誰も僕のように平然とした顔を保てなかった事に 密かに満足しながら、立ち上がる。 「紹介しよう。死神のリュークだ」 「初めまして。Lです」 「……メロだ」 「ニアです」 「マット」 『ああ、悪いが全員本名も含めて知ってる。 ライト、いいのか?オレの存在をバラしちまって』 「Lにノートを触られたんだ。仕方ない」 メロが一歩下がった。 「っておい……ヤバいんじゃないのか?L」 Lは椅子に座ったまま動かない。 僕だけが知っている癖、少し口の両端を下げた。 「魅上。悪いがお茶を入れてやってくれ」 魅上は疑念も見せず、すっと立ち上がってティーサーバーに湯を入れた。 Lは、口の中が渇くと若干しゃべりにくそうになる。 しゃべらなくてはならない場合は、少し口の端を引いて準備運動をするのだ。 気づいているのは恐らく僕だけだろう。 メロかニアが魅上を止めてしまうかと思ったが、その動きのあまりの滑らかさに 何も言えないようだった。 「どうも。でも、」 Lが言いかけただけで魅上は動きを中断し、まるで勝手知ったるかのように 冷蔵庫を開ける。 冷えた紅茶を出してグラスに注ぎ、ガムシロップと共にLに差し出した。 「……ありがとうございます。完璧です」 僕からすれば、その皆まで言わせぬ気働きが鬱陶しくもあったが Lには意外と好評のようだった。
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